学ぶことの最良の方法は教えることだ、とよく言われます。
福沢諭吉先生の学んだ適塾もまた然り。
お互いに教え合って、相互向上をしていたからです。
教師としても経験上これは当てはまります。
教えるためには、自ら学ばねばなりません。どんどん範囲が広がってきます。これは貴重な経験になります。
ですから、わたくしは教えてくださる方を大事にいたします。いろいろな方々が、貴重な知的財産を教えてくださることはほんとうにありがたいものです。
歴史上では、徳川家康も同じであったらしく、高名なる山本七平先生の大作「徳川家康」(プレジデント社 P.140)にも書いてありました。学問好きであった家康公ではありましたが、実は漢文が殆ど読めなかったそうであります。もっとも戦国の大名は戦乱に生きたのですから、そういう時間はなかったわけです。(ちなみにこの本は本格的な内容で、しかもかなりのページ。読了するのに7日かかりました。)
じゃぁどうしたのかというと、学問のある「物読み坊主」と言われる僧侶の方々に教えてもらっていたと書かれてありました。
これは仕方がないと言えばそうかもしれませんが、学びの姿勢としてはいいものであると思います。
苦手な分野がありましたら、人に聞けばいいのです。ただし、自分の努力は前提としてあります。なにもせずに、聞いてばかりでもそれはいかがなものかと思いますから。
これもまた哲学者の鷲田小彌太先生に学んだのですが、(「学ぶことの法則」 丸善ライブラリー P.40) 先生の大学に入ってくる学生に最初に「学問」を英語でなんというのかとお聞きになるそうです。studyとか、learningとか返ってくるそうです。鷲田先生は、それもいいが、「諸学」がいいと言われる。sciencesなんだそうです。さすがに哲学者らしい。
じゃ、勉強は?
ここで実にユニークな鷲田先生の説が出てきます。やはりいろいろな答えがあって、先生はworkなんだそうです。(※あくまで鷲田先生の受け売りですから、受験ではちょっと留意されたし)
目から鱗でありました。
なるほど、なるほど。
だったら受験勉強を嫌がることはないわけであります。労働、仕事なんですから。学校を出たら、仕事を持って誰しも労働をしなくてはなりません。まさか、雲にのって、天上をふわふわ浮かんでいるわけにはいきませんから、ね。
しかし、この鷲田先生のご指摘には鼓舞されます。
いくつもあって、不勉強なわたくしには実に強烈な文章が迫ってきます。
その中の一文を紹介して、今日の記事を終わりましょう。
「脳も肉体なのだ。しかも、どんな強度にも耐えうる強靱な肉体だ」(P.65)
柔道で強烈な背負い投げをくらったような感覚でありました。
また明日!