ある古文を読んでいましたら、履歴禅という単語にひっかかりました。宗教のことは言ってはなりませんから、簡単に済ませますが、履歴のためになにかをやる、履歴のために学問・修行をするというような意味でありました。
これはなかなか味わい深い。
わたくしのような凡夫は、履歴が欲しくて努力しているのでは無いと自覚をしているつもりです。しかし、なかなか凡夫であるが故に、それを割り切ることができませぬ。人付き合いも、自分の履歴のためにやっておるのではないかと自省をしています。凡夫であるが故に、そんな履歴なぞたいしたことはないのにです。
よく自慢がてら、ご自分の履歴をご披露なされるお方が多い。ほんとうにわかっているのかどうかと、師匠に聞かれたら参ります。その場を即逃げ出すしかありません。
センター試験が終わりました。
思うような成績をとることができなかった生徒もいることでしょう。それはそれで、いろいろと学校内で反省材料として検討をしています。困難なことですが、やるからには成果もあげたい。
それにつけても、全国にはすばらしい進学校が多い。ため息が出ます。ちょっと基準点がわたくしの場合高すぎるのかもしれません。それはそれとして、毎日ため息ばかりついているのもこれは辛い。
学校としての履歴が欲しいと言っているわけではありません。そういうのはあくまで相対主義で、相手との比較から考えているだけであります。下世話に言えば、他校との比較。こんなものを考えておるようでは、話になりません。
西洋思想の言う二元論というものから、もういい加減に脱却したいというのが、向老期になったわたくしの心底からの願いであります。
学校教育にどう活かせるか。
困難なことであります。しかし、これはやってみたいことの一つであります。今は、伏せましょう。なんのことを言っているのかは。
これからまだまだ在校生諸君の挑戦は続きます。
やるっきゃないのです。 自信を持って、自分を信じて。相対主義とはまったく逆の闘志をもって挑戦あるのみ。
頑張りましょう!