と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

明日は銚子半島駅伝

2011年01月08日 23時13分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日は実に寒かったですね。

さきほどちびっ子柔道教室に参加させていだいて、帰って参りました。足が冷えて、どうにもなりません。それでも、一生懸命学ぼうとされている小さな子どもたちに学ばせていただきました。たいしたものであります。これは保護者の方々の人生に対する姿勢もあります。この親にして、この子ありであります。昔から、これは言えていることでありましょう。孟母三遷ではありませんが、それを思っておりました。生徒たちを見ているような格好をしておりまずが、実は付き添いで来ておられる保護者の方々の視線を分析させていただいているというのが正直なところであります。しょうがないのであります。職業教員(プロ)でありますから。


幼稚園時代から一緒に柔道をさせていただいている某福祉施設の職員の20代の男性(体重はゆうに100キロを超える偉丈夫です)とずっと打ち込みをしたり、しゃべったり、間でちびっ子に投げられたり、寝技をやったりしていました。彼はずいぶん鍛えました。まだ現役の指導者でありましたから。しかし、実に寒い。そして、ここまで体力が無くなったことを慨嘆しておりました。



しかし、どこかに甘えがあります。
今日はそれに気がつきました。

わたくしは、太りすぎでありましたから、かなり病気には留意をしているつもりです。
健康に注意をしているつもりです。

ところが、これがなかなか難しい。
食生活の維持という点では、本当に難しい。
かつて94キロの重量級の柔道選手でしたから、今の体重が自分でも信じられません。

また斗酒なお辞せずであったのが、今はまったく駄目であります。処理能力が落ちております。もう下戸と言ってもいいレベルであります。内臓がそれなりの働きをしておりません。体重も70キロしかありません。柔道選手としてはもうすでに失格であります。重量級のときの技しか覚えていないからです。たとえば大外刈り。140キロのベンチプレスを30回はやっていましたから、かなり効いた技でありましたが、今ではまったくできません。寂しいの一言であります。以来、人間が変わってしまいました。


いわゆるつきあいの悪い人間でしかない。ゴルフもやりませんし、本当に社交性に欠けます。

さらに、屁理屈が好きで、定義にこだわります。
わたくしは、自分のような人間とはできるだけつきあいたくありません。(笑)
だいいち疲れます。
観察されているような気がしますから、ね。

柔道生活からきているような気がします。
相手を分析して、いかに勝つかということを高校生のときからやっていましたから。

また、講道館に通っているときに、そんなことばかり考えておりました。所詮田舎柔道。お江戸の柔道総本山の講道館の柔道のすばらしさに接してからは、本物の柔道、本物の実力ということにいつも思考をしておりました。



明日は、銚子半島駅伝大会があります。
城西国際大学様からのご指導の下インターネット中継を銚子市内の高校生諸君が行います。むろん、県立銚子からもインタビュアーとか、中継担当で参加させていただきます。コンピュータによる映像処理もあります。こちらはわたくしも非常に興味があります。中学校の職員であったときに、市教委で専門に勉強をさせていただいたからです。

楽しみです。
実に楽しみ。

教育は、どういう展開をしていくかわからないからです。
固定化したらそれでおしまいです。
むろん不易と流行という概念はありますよ。こんなわたくしにすら。




今日はひさしぶりにアクセスというリレーショナルデータベースソフトにさわりました。
今日のNHKの番組で100歳になる国語学者を拝見させていただいたからです。岡山大学の名誉教授です。「100歳バンザイ」という番組で、大坪併治先生の紹介をしておりました。岡山大学名誉教授で現役の国語学者。

平安初期の言語を紐解く研究をされているそうですが、背中をぴっと伸ばし、言語明晰。しかも表情は感情表現が豊かでありました。奥様も87歳。おふたりで暮らしておられる。ある意味、これからのわたくしの理想であります。

現在でも7時間は机に座り、
100歳になられても日々コンピュータに向かって、研究をなされておりました。
非常に感動しました。

わたくしなぞ、小僧っこでありまする。
一丁前のことを、ほら吹きのごとく言っていたらそれこそ笑われます。



「深みが無い」と、日頃、師匠とお慕いしている年長のドクターにご指導をいただきました。
わたくしの亡父のシベリア抑留体験を扱ったレポートに対してでありました。
亡父に対する尊厳の気持ちが希薄であったようです。

これはある意味衝撃でありました。

本当かもしれないと思ったからであります。

だんだんと亡父の亡くなった年齢に近づいています。
あと一年であります。ちょうど60歳で亡くなったからです。

師匠の指摘で、誤解していたことに気がつきました。
亡父は、ニヒリストであったのかもしれないという愚かな息子であるわたくしの理解を訂正していただきました。
ここにも固定観念の固まりであるわたくしの姿を分析されている師匠の慧眼に接して本当にわが身の幸福を思ったしだいであります。






明日は銚子駅前から、動画を撮ってきます。


待っていてくださいね。










 


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/