学校の中では、なにかとセンター試験のことが話題になっております。
いよいよです。いよいよ。本当に3年生諸君の頑張りを祈っております。それぞれが進路を実現させて巣立っていってほしいものであります。こころからそう思っています。それからどう生きるかは、努力次第。
「*****は、**である」というように人間は述語で規定されています。このことの確立無しには、なかなか困難になります。
これは、個人を特定します。AAAは高校生であるという規定が可能です。したがって、この規定はいろいろな行動も縛ることにもなります。逆に、BBBはCCCの高校生であるから優秀であるという規定にもなりかねない。これはちょっとおかしい。優秀であるという概念規定は、よって立つところの前提がなんであるかということで、ぐらつきます。見事なまでにそれは言えています。議論の無限地獄に陥ります。この間の月刊のビジネス書で、全国の高校実力ランキングが発表されましたが、あの雑誌も前提がなんであるかによって、受け取り方が違ってきます。ですから、注意しなくてはならないのです。発言に。全校集会でも申し上げましたが。
しかし、その述語による規定がいくつあってもいいのだろうかと今日は考えておりました。生徒に語りかけていたいからです。わたくしの話は、難しいだろうと思いつつも、どうしても語りたいことが多々あります。
ところで、その規定があまりたくさんあっては、それこそ引き裂かれてしまいます。高校生なら、高校生という規定は単一でもいいのではないかと思うからです。つまり今の時期に勉強しなくていいのかということです。せっかく10代の後半に、こういう学びの時期をさせてくださる保護者の方がおられるわけです。感謝しましょう。こころから感謝しましょう。
もっとも、その引き裂かれた自己を見つめ、自己とは何かという命題を考えるというのなら話は別でありましょう。立派な学問であるからです。それもまた。最近知った思想家の著書に啓発されましたが、こちらはかなりの秀才だからこそ可能なのでしょう。ご自分でも苦しいと言われています。ある意味仕事にもなっているからです。
フワフワと付和雷同型で生きていくのも問題がなければいいのでしょうが、どうも一抹の不安があります。
しっかりとした基盤を持って、高校生活を送っていただければと思います。
いつもクチやかましく「学問への精励」「健康体力の向上」「人物を鍛える」と言っていますのも、基盤づくりであります。まだまだ課題の多い学校でありますが、生徒のために頑張りたいものであります。
さて、なぜそんなことを考えたかと言いますと、NHK教育で興味ある番組が始まりましたからです。
「Q~わたしの思考探究」という番組です。新番組です。
1月8日(土)に「自分とは何か」というタイトルで放送されておりました。録画して、数回見させていただきました。なかなかのものであります。冨永愛というモデルさんが登場してきて、大阪大学の総長鷲田清一先生と対話をするのです。自分とは何かということでありました。哲学カフェという場所も鷲田先生は用意されている。一度行ってみたいくらいです。
述語で規定されているわれわれですが、この番組の意図するところはなんなのだろうと興味を持ってきました。毎週やるのでしたら、また見たいくらいです。
ほんとうに自己とはなんなのでしょうか。
また読書の範囲が広がってきました。
勉強なさいませ!
在校生諸君。