「すごい男の料理教室」
今月私も行くのだ。
洋服たたみかた --- ワイシャツ編 ---
一人暮らし対応マニュアル
ホテル風にタオルをたたむ方法(フェイスタオル編)
一人暮らし対応マニュアル
レオハ?レスて?の洗濯機の使い方 How to operate the washing machine at the Leopalace
一人暮らしをしたときに困らないよーに。
動画でわかる浴室クリーニング
私の独学シリーズでぇす。
一人暮らし対応マニュアルでーす。
子消し・・・
深沢七郎の「みちのくの人形たち」(中央公論社)を読んだ。
ある有名思想家が、どうしても読みたいと書いていたので、私も注文したのである。古本なので、単行本にもかかわらず258円。文庫でも出ているようだけど、こちらの方が安価であったから買った。平成27年2月2日(月)13:53自宅に来た。そうなのである。売値1円。あとは配送料。例によってAmazonである。ありがたきことかぎりなし。
早速読んだ。あっというまに読んだ。引きつけられてしまった。なんというおどろおどろした話であろうか。
深沢は、この短編小説で子殺しを扱っている。ちょっとショッキングな題材である。
私もみちのくで産まれ育ったから、この「みちのくの人形たち」の風景はよくわかる。
そして、登場人物がさもありなんという形で描写されている。しかし、恐ろしいような小説である。死を考えさせてくれる。さらに先祖たちの背負った業のことである。
一部分引用してみよう。
そのヒトが私の家へきたのは日曜日のしずかな午後だった。
そのヒトは語り手〈私〉の家の近所の工場に出稼ぎに来ていた。
万葉集に出てくる〈もじずり〉(草花のこと)が取り持つ縁となって、〈私〉はそのヒトの住む〈みちのく〉まで訪ねて行くことになった。そのヒトの家は山深い辺鄙なところだった。やっと探し当てた〈私〉に不思議だったのは、道すがらそのヒトの家を尋ねた人が口々にそのヒトのことを、ダンナさまと呼んだことであった。そのヒトは見たところ35,6歳のヒトなのだ。
そのヒト夫婦は〈私〉を下にも置かないもてなしぶりで迎えてくれる。出稼ぎの労働者にふさわしくない奥ゆかしさがある。〈私〉もそのヒトを旦那さまと呼ばせてもらうことにする。何かわけがあるのだ。
風呂をすすめられて、お呼ばれをしていると、青年が旦那さまを訪ねてくる。産気づいたと言って、屏風(びょうぶ)を借りにきたという。〈私〉には何のことかわからない。
布団でうとうとしていると、また屏風を借りにきた人があるらしく、旦那さま夫婦となにやらやり取りしているのが聞えてくる。
翌朝、夕べ話に聞いていた、ここからは通学できないので学校近くの親戚の家に預けている旦那さまの二人の子供が帰ってきた。夏休みなので(クラブを休ませて)、旦那さまが客人の〈私〉に挨拶させるために帰宅させたのだ。
〈同じような髪かたち〉をした男女の中学生が直立不動の姿勢で〈私〉に頭を下げる。
〈あれッ〉、〈どこかで見たことのある子供さんなのだ〉が、思いだせない。
〈私〉はそのあと、旦那さまに連れ出されて集落を廻る。やがてそのヒトがなぜ旦那さまと尊称されているのかが、了解されてくる。
翌日、〈私〉は旦那さまの家を辞する。町まで送ってもらい、バスの時間を待つあいだに土産物売り場をのぞくと、そこにあのヒトの子供が並んでいた。一筆書きの目をした両腕のない人形だった。人形は〈ぎっしりとつめこんだように立っている〉。〈私〉にはそれが、間引きされた子供の精霊たちのように見えてくる。
やっとバスが来た。〈私〉は最後部に座る。座席から突き出た乗客のうしろ頭が並んでいるのを見て、もしや、と思い前の空席に移動する。
ふり向くと、〈主婦、娘、年寄り、労務者、乗客の顔がきちんと並んでいる〉。突然、このひとたちが、あの土産物売り場の人形たちに変わっていくのを、〈私〉は感じる。
こけしのようでもある。
両腕のない人形はこけしであろうと感じた。
こけしは、子消しにもつながる。
なんとも不思議な魅力を持っている小説である。
医師も、こういう小説を読むというから、ニヒリズムになっている医師もいるらしい。人間は、どんなに治療をしてみても、結局は死んでしまうからである。なんだか寒々とした話ではある。
最後に書くが、深沢七郎は、かの有名な「楢山節考」を書いた人である。あれもまた、不思議な魅力をたたえた作品であった。
ちょっと書いてみた読後感である。
さらばです。
もう来なくていいと言われるまで、生徒でありたい
毎朝見る新聞の一面にあるコラムで、有名なところでは天声人語とかある。私は、産経だから産経抄である。
毎回楽しみで新聞がくるのを待っているのだ。なかなか読み応えがあるからだ。しかしである。こういうコラムは、主観的に書かれているから、ちょっと要注意である。気を付けて見ていると、主語が殆ど執筆者である。第三人称というのがあまりない。もっというと、助詞の使い方が一定の型にはまっている。文末表現では、現在形が多い。「~た」という言い切りの形があまりない。
ま、どうでもいいような話ではある。私も他人のことはいえないのだが、日本語の特徴というのが、コラムにはあるからだ。
コラムを手本として文章を書けと私は中学生のときによく指導された。新聞のコラムをノートに貼って、その感想をノートの下に書けというのである。つまり、一つの記事で二頁使うことになる。
あれはあれで、なかなか参考にはなった。
それで、志賀直哉の文章をノートに写して、学びなさいという指導もいただいた。なるほど、短文でなかなか良い文章が多い。
それはそれでおおいに結構なのである。
しかしである。これが論文書きとなると話は別である。こういう文章書きのstyleにはまってしまうと、論文はなかなか書けない。
何故か。
それは主観的に書くからである。論理的に、客観的に書かなくては論文にはならない。私のように、ゴミ論文を書いているなら話は別である。しかし、それでは困る方々がたくさんおられるのだ。研究者とか学者先生も論文を書いてナンボの世界におられるのだから、書けなくちゃ困るわけである。成果主義だからだ。私とは縁のない世界である。
それで困ったことがある。
小説で、「~た」という形を常用する作家の文章である。中上健次である。この方の文章はコラムのような文章ではない。ないから最初は戸惑う。論文体のようなものだからだ。しかし、なかなかいい。紀州のあの風景とぴったりである。狭い世界で、ドロドロとした人間関係の中で生きている人々を表現するにはなかなかの文体である。
中上健次そのものも、土方をやっていた人である。そういう生き方も私は好きだった。
庶民の暮らしが、根っこから分かっておられた作家だからである。
私もまた最低の暮らしをしながら学生生活を送っていたから、共感できた。生活費も、学費も自分で稼いでいたからである。ま、私の場合は爺になっても最低の暮らしで生きているけど。なにしろ一介の田舎教師であったし、現在はゴミ論文症候群である。勉強に適性がなくて、エコノミークラス症候群になっちまったアホ爺である。
だから最近はブログの記事が長い。笑っちまうくらいに長い。自分だけが楽しんでいる記事だ。それだけやることがないのだ。暇な爺である。
しかしである。
これからは、古文書を読むことにした。一昨日・昨日で、自称論文書きも一段落ついたし、学事出版にも原稿4本送ったし、締め切りは守ったからである。これでいい、これで。また机にしがみついていたら再入院になる。しかし、小人閑居して不善を為すではいかがなものかと思う。思うから、ノートを二冊用意して、「土佐日記」と「徒然草」の影印本を読むことにした。古文書崩し字事典を脇に置いてである。ノートの上部に影印本からコピーしたものを貼って、ノートの下に読み取った原文を書いていくのである。暇だからできる。お日様にあたりながら、昨日もリビングでやっていた。飽きたら、walkingに行くだけだ。
それでも、正解がほしいから資料も脇に置いておく。こっちは活字本である。それで、徒然草の方を古本で買った。岩波と新潮社のは持っているのだが、小学館バージョンのが欲しくなったからである。
それで、今朝8:55にAmazonから古本が送られてきた。ありがたく受け取った。送料込みで800円である。元値は千円札が何枚も吹っ飛ぶくらいに高い。とてもとても年金生活の一介の田舎爺には買えない。だから実にありがたいのである。
分かるかな?(金持ちには貧乏爺のことなんかわからねぇだろうけど)
小学館バージョンの「方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄」である。これは居住地の古文書講座で教えていただいている土佐日記も、講師の先生がお使いになっておられる。小学館バージョンをである。初学者にはなかなかいい。なぜなら、頁の下に訳がついているからである。
これまで意地でも小学館バージョンは買わなかった。岩波を基本書にしてきた。古典大系本である。いかな一介の田舎爺でもそれくらいの矜持はあったからである。
しかし妥協した。
もういいのである。もういい。見栄もなにもない。もうどうでもいいからである。
人に教えることもないだろうからである。オノレ一人の趣味である。古文書講座の講師センセは、大原幽学も詳しいから、幽学関係の資料もそろえた。もっとも、こっちは郷土史の先生方にプロが何人もおられる。二月にまた会議と講座が千葉市である。行って質問をさせていただこうと思っている。
なにしろ、アタシャ、どこまでいっても「生徒」であるからである。
もう来なくていいと言われるまで、生徒でありたい。
中退させられても、仕方ない。
それだけの能力しかなかったからである。
人生諦めが肝心でございますよん。
わはははっははっははははは。
(^_^)ノ””””
医学部に何十人も合格を出す高校ってナニモノ。→「中高一貫校圧勝! 医学部に強い高校ランキング20」。
president.jp/articles/-/144… pic.twitter.com/YhsTA2thDE
日本語専攻という留学生は凄い能力だよん
幸田露伴の五重塔を久しぶりに手に取ってみた。漢字が多くて、これじゃぁ現代人には、読まれないだろうなぁと思った。見ているだけでアタ... goo.gl/rWBZpW
【速報】ISILが後藤健二さんを殺害か 「日本の悪夢が始まる」と声明 fb.me/75zfAwP0V
>コンビニで立ち読みを注意され逆上し、チェーンソーを持ち出して「バラバラにしてやる」と脅した者。不仲だった人と居酒屋で顔を合わせて言い争いになり、自宅から散弾銃を持参し、相手を射殺した後に自殺した者。これらの実際に起こった事件は... fb.me/315ALqVxY
>そもそも年をとると、その人が若い頃にはなかったような、さまざまな特徴が見られるようになる。妙にポジティブで有能感を持っていたり、都合のよいことしか憶えていなかったり、人の言うことを聞かなかったり……。そのひとつが孤独感だ。そし... fb.me/6CrBES0Mp
前頭葉の老化が原因? 増加する「暴走老人」とのつきあい方 | ダ・ヴィンチニュース fb.me/3x3UyvVld
>独り暮らしの男性は、近所の人とのコミュニケーションを断つ人が多く、あいさつすらしない。そして、「家族もいない。電話もしない。あいさつもしない」といったような「ないないづくし」が孤独死を招くひとつの原因だと中原会長は指摘している... fb.me/6mYgacDhX
聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見て取るところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙吊りにされてしまう。-全体性と無限-
私の見るところ、現代のお金がもつ本来の問題は、お金自体が商品として売買されていることです。本来、等価代償であるべきお金が、それ自体が商品になったこと、これが決定的な問題です。 『エンデの遺言』
北朝鮮、米特別代表を招請…朝鮮中央通信 2015年02月01日 21時24分 - 読売新聞 bit.ly/1LzbNgr 2015-02-01 21:27:42
本日から始まった千葉ロッテマリーンズ石垣島春季キャンプ。期間限定オフィシャルショップでは全国に先駆けて石垣島だけで販売しているスローガンTシャツがっ! pic.twitter.com/zWAuk9yryi
CiNii 論文?-? 室町期摂津国西成郡における細川氏の在地掌握 : 嘉吉・文安年間の崇禅寺との関係を通して ci.nii.ac.jp/naid/110008920… #CiNii
「予備機は本格運用に必須」 情報収集衛星、打ち上げ成功で関係者ら安堵 - 産経ニュース bit.ly/1LzaQEN 2015-02-01 23:00:02
100RT:【ダメ人間養成装置】寝ながらパソコン操作できる、夢の万能デスクがスゴイ!
news.livedoor.com/article/detail…
一度使ったらやみつきになって、布団から出られなくなる事態が懸念されますw pic.twitter.com/OUs8fcF8VO
お風呂に入って、肉体の垢、汚れをとるように、毎晩、眠りにつく前に、心の垢、汚れをとる、心の中のお掃除習慣をつけること。 bit.ly/15bth0N
P・シンガーは「テロへの身代金支払いによって救われる人命」よりも、「支払金による武器購入から失われる人命」の方が多大だからそこを考えろと言う。この人の応用倫理の立場ならそうなるな。パーソン論のときもそうだったけど、論旨はすっきりしているが、共感を呼ばないという…。一貫しとるな。
【みちのくの観音さま】in東北歴史博覧会レポ。(^人^)
10体の観音さまの回りはずらりショウケースの観音さま。
特に、目を引いたのが大崎市の小松観音堂の千手観音♪頭頂の髷の間にニョキニョキと化仏が生えている感じ!!全体のバランスもよく、美しい仏像でした。
【みちのくの観音さま】in東北歴史博覧会レポ。(^人^)
中でも注目は個人的には~頭頂化仏が神像の4体でした。じっくり見比べできます!やっぱり神仏習合の生の形なんでしょうね。特に勝常寺の観音さまは美しい化仏でしたね♪ ln.is/p.twipple.jp/3…
世界中のどのタンポポにも、いつも一つの同じ本質が現れているのに気づくだろう。つまり、それは時間を超えているだけでなく、場所をも、いや空間をも超えていると言う方が良いだろう。それが実は本当のタンポポなのだ。 『エンデのメモ箱』