【情熱大陸】 養老孟司 そのニ
養老孟司 身体と日本人 文化講演会 Yoro Takeshi lecture
「今後ともご指導を」
鈴木栄治氏という方から分厚いお手紙をいただいた。
はて?
誰だっけ?
そう思って開封したら、なんと「入学許可証」であった。老人大学のである。それではじめて合点がいった。鈴木栄治という方は、私の住んでいる千葉県の知事様であったのである。タレントの森田健作様である。
笑ったな。
知らなかったのだから。芸名で選挙をやっておられたから、本名を知らなかった。
びっくりしたのはその内容である。千葉県の文化会館で、入学式を挙行するというのである。私は、そんなのはやっていただけないものとばかり思っていた。さらにびっくりしたのは、居住地の近くに分校があって、私はそこに毎週火曜日に通うのであるが、オリエンテーションまでやっていただける。
なにもそこまでやっていただくことはないだろうにと思ったが、仕方がない。
それに、志願者がいなくて、将来的には廃校になることも十分予想されるから、今のうちに入学しておこうと思っている。だから、チャンスである。今が。まったく今のうちに入っておくことである。
老人大学だから、正式な大学ではない。55歳以上でないと志願できない。それがネックになるのだろう。老人クラブと一緒で、高齢者たちの仲良しクラブである。ワルクチの好きな方からは、姥捨て山と言われるかもしれない。なんでも利益優先の社会では、私のような利益を生み出さない高齢者は要らないのだろうから。しかし、若い人よ。そんなことを言っていたら、今にもっと恐ろしいことになりまっせ。因果応報。やったこと、言ったことは、必ず報いがきますよん。
わははっはははは
老人クラブにも来年から入るつもりだ。
近所の老人たちと仲良しになりたい。もう仲良しだけれども。そうなのである。私は決していばらないから、誰とでもフランクにつきあう。ところがである。中には某一流会社でエライヒトだったということだけが唯一の自慢で、誰ともつきあわない爺がいるのだ。こっちから大きい声で「おはようございます」と挨拶しても、耳が悪いから、「挨拶くらいしろ!」と怒鳴る爺がいるのだ。マジである。だから私は立ち止まって最敬礼をしてあげる。むろん嫌味のつもりである。わかってねぇだろうけど。
ゲートボールもやりたい。カラオケ同好会にも入りたい。ボランティアで、小学生の登下校の交通安全の旗振りもやりたい。なんでもやりたい。
恩返しである。
ここまで、生かさせていただいたことの。
それでふと思ったことがある。
それは「指導したがり症候群」である。
趣味でもなんでもそうだが、ある程度ひとつの分野をマスターしたら、ヒトというものは、「あれこれとクチを出したがるものだ」ということである。ゴルフが良い例だ。私のような一介の田舎教師には一切ご縁がなかったが。
それで、その話をある先輩としたことがある。電車のなかである。その先輩もゴルフはやらなかった。道具はもっていたが。結局、止めたのだと言われていた。ちょっとうまくなると、他者に指導したがる輩が多いから、止めたと言われていた。「指導したがり症候群」というのだろうなぁと二人で大笑いをしていた。
ちなみに私は道具すら無い。買う気もなかった。あれは自然破壊の極地であるからだ。海外旅行から帰ってくると、房総半島の上を飛行機が飛ぶ。飛行機の窓の下を見ると、房総半島はゴルフ場だらけである。森林が破壊されている。よくまぁあれで環境問題がどうのこうのと言えるもんだよと思う。私は、自然を愛している。だからやらない。そういうことである。そういうこと。
ゴルフをやらない理由は、もう一つある。誰にでもある「指導したがり症候群」である。ちょっとうまくなったからと言っては、他人に指導する輩が多いのだそうだ。そんなもんなのだろうなぁ~。ゴルフの話は知らないけど。
それに「ご指導をお願いします」とクチさえ開けば言っている輩。指導を願っている相手よりも、オノレの方が実力があると思っているくせに、言葉だけは謙虚を演じている輩。たくさんいる。そういうの。
そんな輩が多い。だから、私は相手にしない。嘘だからだ。
これに関しては、もう一つある。
それは老人大学もそうだが、私がおかげさまにて、4月から老人大学でお世話になりますというと、「センセでいくのか?」とたいていの人が言うのだ。「ちがいまっせ、生徒でいくんでっせ」と申し上げると怪訝な顔をされる。
こういうのは言った方の前提に、上昇志向がある。
退職した時もいろんなヒトに言われた。「退職後はどこにお勤めで?」と聞くのである。たいていの人がそうだった。「学生をやるんでっせ」と申し上げると、バカにされた。絶句したのもいる。
前提に、退職したらどっかで働くのが前提になっているのである。それはおかしい。ま、私だって、微々たる稼ぎではあるが、アルバイトはしている。塾と、学生でないほうの大学である。しかし、マイッタな。そんなに私も上昇志向があると思われていたんだねぇ~と、残念でならない。再就職したってもう使い物にならない。だいいち、雇ってくれるところがない。後輩の人々に邪険にされて、なんであんなのがいるんだ?いい加減、死んでくれよと言われてしまう。目に見えている。本当にそう思う。私なんぞ、家のものに同じ教育職で再雇用をしたらいけないと厳しく言い渡されていた。お世話になった仕事は仕事。退職してまでしがみついている必要はない。だから、学生になった時点で、過去を振り捨てたわけである。もう消去したのである。過去を。
そう思っているのだから、それでいいのである。
しかしである。
この間、趣味にしている古文書講座に「生徒」で行った時に、最後に言われたことがある。「今後ともご指導を」と言われたのである。うんざりした。ただの趣味である。釣りとか虫取りと一緒で、好きだからやっているのであって、指導するためにやっているのではない。もう指導なんて金輪際やらない。しかも、古文書は、まったくの素人である。なんの実力もない。あるわけがない。影印本はたくさん持っている。それは仕方がないだろう。それで飯を食ってきたのだから。影印本をコピーしてノートに貼り付けて、解読をしていく。それが18歳のころからの私の趣味だ。趣味だから、私だけの世界である。楽しいからやっているだけだ。だから、お願いだから、邪魔しないでほしいと思っているのだけれども。
そしたら、「今後ともご指導を」と言ったのは、前段で書いた電車の中でゴルフ談義をした先輩だったのである。思い出したら、そういうことであった。
まったく、まったく。
マイッタね。
マイッタ。
さ、これからwalkingに行ってくる。
ダイエットも趣味になってきた。
毎朝の体重計が楽しみだ。
もう、体重計そっと乗ってもデブはデブと言われなくても済む。理想的な体重になってきたからである。
じゃぁ~ねぇ~。
(^_^)ノ””””
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8時間、ぐっすり寝た
久々のパーソナルトレーニングがきいたかな
下半身を鍛えること、有酸素運動、ストレッチ、食生活に気をつけることをまず実践しよう。あとは肌のケアかな。
今日は確定申告の準備、お部屋の掃除、日経で講演
頑張る
ow.ly/i/8y1ao
私は哲学を読者に教えるという気はまったくもっておりません。そうではなくて、哲学というものと私との付き合いの理由は、哲学が私を変えるところにあります。その変わった自分自身を物語の形で表現したいのであって、哲学の教えそのものを誰かに伝えたいとは決して思っていないのです。 『物語と夢』
なまりは、隠す必要もない
私はなまっている。つまりみちのくの言葉がいつまでも抜けない。アクセントがである。むしろそれを誇りとしている部分もあって、妙な爺である。自分でそ... goo.gl/sXDfG0
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