父さんは、倒産してしまったメーカーが作ったビデオを買い換える
この春から、ある大学で週一回授業をさせていただくので、その準備をずっとしていた。そうなのである。また今年もやらせていただくのである。感謝している。
しかし、去年とまったく同じではしょうもないから、新たにノートを作った。合計で5冊である。シラバスもあるし、テーマは一貫しているから、なにもそこまでしなくてもいいだろうとは思う。しかし、それでは私の良心が許さない。学生がもっと増えるから、楽しみである。私の生きた証になるからである。看護学部の学生が増えるそうである。だからである。だから、心身二元論と教育との関わりとか、新たなテーマが私の意識にのぼってきたからである。このことはこれくらいにする。あまり書けない。そのつもりもない。
ま、それはそれでいい。縦横無尽に学生相手に対話をするつもりでいる。来年もやれるとは限らないからである。一瞬という「ただいまの現在を生きる」というのが私のstyleであるから、やるときはやる。そうである。これでも結構まじめなのである。自分で言うかと笑われるが。
昨日、更に別の学校で、ある仕事をしたのでバイト代をいただいた。これで台湾に行く足しになる。今日は、そのバイト代でビデオを買う。今まで使っていたデジタル・ビデオが壊れたからである。もうずいぶん使った。職業人だった時代から使い込んできたものである。最後に退職した高校を動画で宣伝させてもらった。全教職員の協力があって動画による学校広報をやったのである。これはこれで画期的なことであったと今でも思っている。
しかし、倒産してしまったメーカーが作ったビデオである。だからもうバッテリーが売っていない。Amazonで買ったけれど、汎用型であるからもたない。モテないではなく、モタナイのだ。バッテリーだけでも、5つ持っているのだが、ダメになってしまった。
さらに、在籍大学の中国人留学生から中国語を教えていただいていたので、それの映像教材もそのビデオで自分で作った。受講生が初級で七人くらいいたのである。今年もあるそうだ。また、行くつもりである。成東駅まで行かなくちゃならないけれども、こっちも楽しみである。毎週一回、成東駅までドライブである。全部で総計3000円という社会人講座を在籍大学がやってくれているのである。ありがたいものである。
中国語をやっているのは、目的があるからである。目連救母劇を見たいのである。撮影もしたい。中国福建省に行かなくてはならない。しかも、ツアーではやってくれない。完全オプションツアーならOKなんだろうけど、カネがない。だから安いツアーを探しているのだが、なかなかない。会話もできない。一人では行けないからだ。マイッタね。だいいち中国のホテルにも一人では泊まれない。だらしないねぇ~。中国からの留学生は一人で日本にやってきて、一人で暮らして、一人で勉強しているっていうのに、爺の私は怖じ気ついているのだから。情けない。
目連救母劇になぜこだわるかというと、ある研究誌に「鬼来迎と目連救母」というタイトルで論文を投稿したからである。その「あとがき」に実際見ていないし、見ることが喫緊の課題であるということを書いたからである。だから拘っているのである。
そうなのだ。一度書いたことは守らなきゃならないと思っているからである。ま、そんなに大したことはやっていないから、キューキューと生きているつもりもないが。
どうせいつかは死ぬのだし。
そんなに頑張って生きても、時間が来たらハイさようならである。なんの拘りも持たない方がいい。拘っていると、死にたくなくなる。いつまでも、勘違いして、青年のように思っていたらアホである。
爺になってからは、バイト専門で生きているだけである。時々、思い出したようにゴミのような論文を書いてうれしがっているだけである。
で、その論文であるが、今年はさらに別の学会に所属して、投稿を続けようと考えている。テーマは一貫している。一貫しているが、連続で3年も掲載することができないというのが、たいていの学会誌の規則なんだそうだ。だからである。だから、ちょっと方向を違えることにした。チャレンジである。チャレンジ。ダメだったら、それはそれ。
挫折しても、何してもいいのである。チャレンジすること自体が楽しいのであるから。成果主義ではないからである。なにも、ダメだったら処罰されるわけではないからだ。もうそんな世界とはオサラバしたのであるから。気楽にやっていけるのだ。
以前からの友人知人たちは言う。
「元気だなぁ~」って。
「ホントに病気したのか?」って。
違うのである。やることがないことほど、危ういものはないからである。やることがないと本当に病気になる。なってしまう。
病気なんてなるときは誰でもなる。避けたくとも、あちらからやってくる。それが病気である。病気になりたくてなるヒトはいない。いくら追っ払っても、病気は襲ってくるのだ。
だから健康なうちに、やれることはやっていた方がいいのである。少なくとも私はそう思っている。
こういうことを拙ブログに書いてみて、そして改めて、自分自身の潜在意識を整理してみるのである。そうするとこれから私がやるべきこと、やりたいことが明確になってくるから不思議である。ブログの効用である。いいものを教えていただいたと感謝している。
Internetもよくわからないから、四苦八苦である。退職したから周囲にInternet
のことを教えてくださる方があまりいない。在籍大学の院生だけだ。それも今は周囲にまったくいない。講義は終わってしまっているからである。
残り一ヶ月である。学年末まで努力するつもりである。
学費は払ってあるのだから。
(^w^)
さ、これから時計店に行って、午後は市営のgymに行く。それからビデオを買う。一番安価なものだが。間で、数学と英語と古文書にチャレンジである。
楽しい、楽しい。
夜は塾のバイトがあるし。こっちも楽しみである。生徒が私を待っていてくれる。全部男子生徒である。わははははっはは。
じゃぁね~。
(^_^)ノ””””