昨日から孫がやってきた。長女の産んだ男児二人である。
5歳と3歳。
昨日も今日もずっと遊んでばかりいた。
公園行ったり、浅いプールで遊んだりしていた。
これもまた良し。
こうやって孫と過ごして、ボキはくたばっていくのだから。
孫の記憶に残っても残らなくても良し。
流れモンで好き勝手に生きたジジイが、九十九里浜にいただけの話である。
わははははっはははははっは。
昨日から孫がやってきた。長女の産んだ男児二人である。
5歳と3歳。
昨日も今日もずっと遊んでばかりいた。
公園行ったり、浅いプールで遊んだりしていた。
これもまた良し。
こうやって孫と過ごして、ボキはくたばっていくのだから。
孫の記憶に残っても残らなくても良し。
流れモンで好き勝手に生きたジジイが、九十九里浜にいただけの話である。
わははははっはははははっは。
拙ブログのタイトルをドラム缶日記と変えてから、生涯学習ごっこを意識しなくなった。だから書く範囲が広がっている。
好き勝手に書いている。もっともジジイが好き勝手に生きていて、好き勝手に老後を送っているだけの話である。
誰も来てくれないだろうからと思っている。それでも少ないながらも、何人か来てくださる。それはそれで感謝している。でも、まったく読み手のことを意識したことがない。最近はである。拙ブログを始めたころは、そうではなかったけど。
こんなことをやっていてなんになるのだ?と聞かれたら、即答である。なんにもならない。それだけである。
指の運動にはなっているけど。
それと、惚け防止になる。打鍵しながら考えているからである。そうなのだ。わたしは(あれ?ボキと打鍵しなかった)、惚ける可能性があるからである。
だから考えながら、打鍵しているとまとまるのである。
それにしても、月山を書いた森敦の文章はまことに完成度が高い。こういう落ち着いた文章を書いてみたいと思う。死をみつめ、生を追求した作家ならではのものがある。それに比べたら、村上春樹なんかはまだ青少年のレベルである。
太宰治も、軽みという点では面白い。夏目漱石もそうだ。正岡子規もそうだ。深刻そうにしているけど、実は軽い。軽いから、文章が楽しくなる。はまるのである。村上春樹はもっと軽い。かる~~~く読んでしまう。
軽いのをいけないと言っているのではない。
完成度が森敦とは違うと言っているのだ。
年輪とでも言ったら良いのだろうか。
こういう文章は書けませんなぁ。
ボキ?(あ、やっと元に戻った)
ボキなんかアホの類いでございますよん。
こんな程度の悪ふざけ文章しか書けないんですから。
偽悪ぶっているし。
まったくしょうもないジジイである。
わははははっはははっははっはははっははははっははははは。
【ズバリ!文化批評】近代文学の巨人、森敦の死生観 [桜H24/7/20]
鎮魂歌である。我が「月山」は。幽界でも、現世でもない世界があるからだ。
森敦の「月山」の映画を見ていた。昨夜である。塾から帰ってきてからである。寝る時間が無くなったらいけないから、分割してである。20分単位で。
ボキの書庫にあるパソコンである。
この映画のもとになった森敦の「月山」は、作者62歳で芥川賞となった。
むろんボキの故郷にある名山月山を舞台にした名作である。宗教小説とも呼ばれいる。真言宗の寺院でひと冬を過ごした時の作品である。
盟友小島信夫氏の作品紹介がある。以下に引用してみよう。
芥川賞史上最高傑作とも言われる、天才作家・森敦の名作。古来、支社の行く「あの世の山」とされた月山。「わたし」は、「この世」と隔絶されたような、雪深い山間の破れ寺でひと冬を過す。そこには、現世とも幽界ともさだかならぬ村人たちの不思議な世界が広がっていた。誰しも作者というものは、容易に語るに至らぬものを奥深く秘めているものである。そしていよいよ重い筆を執りあげてから作者もまたようやく自分の中の具体的な秘密の存在を知りはじめるものである。森さんの場合も、当初に計画されていたものと長さも違えば、ことによっては語り方もいくぶん違う結果になったようである。そういうことも、どの作者にも大体のところ、共通するものである。(解説・小島信夫)
「幽界ともさだかならぬ」という表現は、まさにそのとおりである。
彼の地は雪国で生まれ育ったものならよくわかる。冬は、厳しく辛い。それになにもない。雪が降ったらウオーキングもできない。
こういうの、わかるだろうか。
だから気鬱になってしまう。
しかし、耐えるしかない。耐えて、耐えてそれでも生きていくしかない。必然、忍耐強くなる。仕方がないのである。なにもないからだ。
九十九里浜とはまったく違う。夏も涼しく、冬も暖かい九十九里では考えられない。
環境が人間を変えてしまう。自然がと言ってもいい。
月山のような気候のもとで生きていたら、情熱とか生きる意欲とか明るいことが考えられない。
だから、18歳まで育った故郷を思い出してしまったのである。
実は、森敦が芥川賞を受賞したときに、ボキはまだ一番最初の大学学部生だった。故郷地元紙の山形新聞が大騒ぎしていた。月山が取り上げられたからである。今では、地方創生というのとつながっていたんだろう。だからである。そういうのに反発していた。だから読まなかった。その時は。
あまりにも、経済活性化というのが見えていたからである。ホンモノではないような気がしていた。
だから時間を要した。理解できるようになるまで、還暦過ぎるほどの時間を要した。
今ならよくわかる。
ボキも死を意識するようになったからである。生きているものは、必ず死んでしまう。否定しても、否定できないのである。
この小説は、無宗教者の宗教小説になっている。専門の宗教家が書いたものではない。ましてや、一宗一派の宣伝書でもない。年をとってきた主人公が、生の深淵にある死を見つめて目覚めるのである。なにかに気がつくのである。
それがなんであったか。
今ならわかる。わかったと感じている。
簡単に言えば、ジジイになったからである。
こっちが。
また読み返すつもりである。
「月山」を。書庫にあるので。
我が故郷の鎮魂歌でもあるからだ。完成度の高い文章で、しかも最近のアホみたいな芥川賞作家なんかとはレベルが違っているからだ。マジに。
ヾ(*´∀`*)ノ
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— Waishan Richunan (@tym943) 2017年8月11日 - 07:02
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連んでいなから、ボキは忘れられたニンゲンになっちまったんだろうけど。そんなもんは、どうってこたぁないんですなぁ♪
— Waishan Richunan (@tym943) 2017年8月11日 - 08:52
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