あまりハラを立てていると、よくない。精神的に危機に陥る。庭の樹木でも切って、ゴミとして捨ててくるくらいがいいのである。
高齢者になるとすぐハラを立てるようになるらしい。ボキも定年退職直後はそうだった。なんにも縛りがなくなったからである。今思えばそういうことだった。
特に、定年退職後すぐ某大学大学院博士後期課程に入学したから余計にストレスがあったのかもしれない。なにしろ能力もねぇのに、博士を目指していたのだ。笑われるけどねぇ。
そういうのをヤメタ。撤退した。病気である。短期勝負で論文を書いていたから、病気になっちまった。
?
アタマの病気にもなっちまったけどねぇ。
わはははっはははっはははっはははっははははっは。
イライラしていたって、何の意味もない。特に、老後は夫婦二人きりである。それでもって配偶者にハラを立ててみたり、反対に立てられたり、キレタリ、キレラレタリしていたんじゃ身が持たない。
特に奥様族は、定年後の旦那がメシしか食わない、文句ばかり言っている、働かない、家事一切をやらないというのにハラが立つのだそうだ。ボキも例外ではないが。毎日怒られてばかりいるからだ。それなりに対応策を講じて、今は皿洗いからやっているけど。掃除も、掃除機くらいならできるから。タオルバサバサもやっている。
ボキが他人にハラが立つというのは、あまりなくなった。しかし、例外はある。エラそうにしている奴を見るとハラが立つ。昔からそうだった。こっちがエラくないからである。ある種の劣等感でござるよん。
これは今でもそうなのかもしれない。
古文書講座(居住地の方)でもそうだった。知ったかぶりをしている御仁を見ると、いちいち間違いを見つけては直したくなる。ハラも立った。でも、そんな時には文句を言わないでいた。それが実に良かった。それで良かったのである。人間関係が破綻するからである。
所詮、ボキも素人である。それをよくわきまえていないと大失敗をする。Dangerである。
他にもいろいろあった。ハラの立つ機会は。家庭内だけではなかった。新聞もテレビにもである。人間ばかりではなかった。
要するに不機嫌なのであった。なんとなく不機嫌というやつ。老年生のうつ?
ううううううううううむ、ちょっと違うような気もする。
原因は、やることがないからであった。だから、やることを見つける。でないと精神的な危機をもたらす。
積極的に自分から捜してでもやることは見つけなくてはならない。このブログもそうである。誰も読んでくれないだろうけれども、ボキ自身の惚け防止にもなるかもしれないからやっているだけである。
つまるところは、自己満足である。それでいいと思っている。
所詮、生涯学習ごっこなんて言っても「遊び」である。遊びの延長である。学問もそうだと、先日gymで一緒になったKO大学出身の同年の友人が言っていたが、まさにその通りである。
今日は、ボキンチの庭の樹木を夫婦二人で昨日半日かけて切ったのでその後片付けであった。切った木々を塵芥処理組合に持っていった。愛車で二回。ちなみに有料である。お間違えのないように。
ふううううううううう。
疲れた。
(^_^)