この程度の宗教心なのだよ、話にならないですなぁ。
盂蘭盆経というのがある。盆の墓参りと関連している偽経でもある。
仏教誌によると、「お盆」の語源は、インドの古語サンスクリット語のULLAMBANA(ウラムバナ)の音写「盂蘭盆」の略と記すそうな。
実は、ボキのゴミ論文にふんだんに出てくる経典である。九十九里浜に近い横芝光町の虫生という地区に伝わる「鬼来迎」という農民芸能のもとになったという仮説のもと、かなり読み込んでみた。中国福建省にも伝わる目連救母劇というのに着目してみたこともあった。
あったというのは、結局ゴミ論文はゴミのままで挫折したからである。健康を損ねた。健康だったら、実際に中国に行って映像にしてみたかった。
ま、これもまた夢であった。夢だから、実現しなかったわけである。
今日は墓参りに行く。孫と一緒である。92歳で亡くなった義母のところにである。
こういう風習は、唯物論で凝り固まった共産主義国家では考えられないのだろう。毛沢東が徹底的に排除したから衰退した。
しかし、同じ共産主義国家であったロシアは違っていた。宗教を大事にしている。東方教会の方のキリスト教である。実際、6月に行って見てきたからまちがいない。
だからロシアの文化はレベルが高いと感じてきた。中国も文化は高いけど、現代中国にはまったく興味がない。政治には興味がないからである。
で、我が日本である。
文化的にはかなりのレベルにある。されど、お盆の風習は宗教ではない。
みんな行くから行くというレベルの「世間宗教」なのである。世間に笑われないようにしようという世間が、底辺を支えている。なんでもかんでも世間が気になるのが、日本人である。だから、一億一丸となって行動するのだ。
オリンピックもそう。3年後に東京である。一億総動員である。こういう画一性が、戦争をしかけて玉砕まで考えてしまった潜在的な理由であろうと思う。
3年後のオリンピックには出かけないつもりである。テロの警戒がどのレベルでできるのかというのが、不安である。海外旅行を何回かやってきたが、日本が一番入国に関しては容易である。なんの警戒もしていない。これじゃぁやられる。アメリカなんか、空港で靴下まで脱がされたからである。
楽観的なのである。善人主義なのである。我々日本人は。警戒心がまたくない。
あまり他人を信用しちゃいけないとボキなんかは思っているのだが。土地を買う場合でも、登記所で調査してからボキは買うか買わないかを考える。常にトラブルになったらどうするかというのが、前提にある。
そういう人間なんだなぁ~~~~。
なんでか。
それはボキがよそ者だからである。
流れ者であるからだ。
土着の人間ではないからである。
もっと言えば、義母の墓も義母のことしか知らないのであるから、どうもお盆の風習はなじまいのである。
この程度の宗教心なのだなぁ。ボキは。
話にならないのだよん。
ヾ(*´∀`*)ノ