老後をどうやって過ごすかとなると、基本的には群れないことである。そういう基本的な認識を持っていないと、老後の人間関係が苦しくなる。
せっかく群れなくてもいい人間になれたのである。自由奔放、気ままに生活したほうがいい。しかし、それは家庭外である。
家庭内では、奥様を大事にしてできるかぎり生活をすべきである。
ボキは、皿洗いは率先してやっている。皿洗いから、料理への興味関心が出てくるかもしれないからである。
これって、大事なことでっせ。
しかしである。
あまりにも、孤高を守っていると誰も相手にしてくれなくなる。
それを言っているのである。前職にこだわり、管理職であったからと言ってなんにも関係のない他人に威張り散らしてそれがなんになろうぞ。そんなアホなことはヤメタ方がいい。下手な横文字を使って、得意がっているバカがいくらでもいるが、それもヤメタ方がいいのである。
ただし、相手からしかけられたら正々堂々反論することである。前職のことをバカにしてきたり、今やっているアルバイトのことを誹謗中傷されたら、完全に論破してあげることである。
知ったかぶりをして、そうやって言ってくるバカがいたからである。ボキのアルバイトでも、何をやっているのだい?と聞いてくるから教育工学と申し上げたらまったく理解できなかったのもいた。むしろほとんどがそうだ。
誰にでもわかるように説明できないボキもボキだが(⌒▽⌒)。
塾もそうだ。ま、こっちはわかるように説明はできる。国数英でやっているからである。こちらも国語だけやっているんだろ?と言ってくるヤカラもいる。ボキが国文科出身だということを知っているからである。たいていはへぇ~~~とか言って、半信半疑である。そうなのである。ボキのアタマの程度を疑っているからである。
わはははっはははっはははっははっはははっはは。
なんでもいいんだけどねぇ。
つまり、簡単にヒトを評価しないということである。そんなオノレの経験だけで、他人を評価し、判断しないことである。
以上をわかっていて、「あえて群れてみる」のである。
老人大学とかの老人たちのグループにも所属しているのは、そういうことなのである。仲良しにならなくてもよろしい。ただの世間話をしているだけでも楽しいではないか。
同窓会にも行ってみるべきである。
しかし、ボキには大学学部時代の同窓生はいても、小中高時代の同窓生はまったくいない。これがナガレモノの宿命である。したがって、可能なかぎり同窓会には出席させていただいている。高校だけは気が重いが。なんでかというと、ボキ以外の同窓生は、みんなエライからである。ボキは、高校でも劣等生であったからである。そういうわけで、気が重いのだ。しかたがない。それだけ悪業三昧を繰り返していたからである。
今朝も、Metsで6300歩であった。walkingである。
快調である。
快便である。
快眠である。
快調でないのは、頭脳だけだ。
ああああああああああああああああ!