源信が15歳の時、村上天皇の前で比叡山の若手のホープとして「法華経」を講義したことがあった。15歳といえば今の高校生である。天皇に褒められて褒美の品を頂いた。その品を奈良に住む母親に天皇に褒められたことなどを書いた手紙を添えて送った。するとしばらくしてその褒美の品(絹織物)が送り返されてきた。そこに添えられていた歌がこれである。
後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となってたもれ
「私が安心して死ねるようにと思って、あなたを比叡の山へ送ったのに、あなたはこの娑婆を渡る僧に成り下がったのか、お母さんは悲しい。まことの僧になって下さい」と言っている。
これである。これぞ真理である。すばらしい母上である。こうでなくてはならぬ。メリットとか、デメリットなんてぇふざけたことばかり言っていると、すべてが「世渡り」のためだけになっちまう。これじゃぁアカン。死ぬに死ねない。
20:05である。
居住地の納涼祭があって、今帰ってきた。町内の役員をさせていただいているからである。いろんな芸能を見ていて、そんなことを感じてきた。
それだけだが。
さ、風呂入って寝よう。
ちょっと早いが。
(=゜ω゜)ノ