空海、いわゆる弘法大師の著書は多い。単行本は言わずもがな、文庫本でも相当なものである。それをいちいちノートにとったり、文庫本に書き込みをしたりしていた。しかし、どうしても理解できない部分がほとんどであった。
当たり前である。専門の学者でもないし、研究者でもない。それでも理解したかった。成田山新勝寺にも行って、仏教講座を聴いているのもそれである。
なぜか。
真言宗の寺院に墓地を買ったからである。つまり、死後の居場所は決まったからである。だったら、この宗派のことをもっともっと理解したいではないか。なんでもいいというわけにはいかない。それこそ、死後墓地から這いずりだして読書でもするしかない。
マジに、そう思っていた。
しかし、空海はそういう文字からの理解を戒めておられる。最澄との闘いがそうだ。最澄は、空海の持っている経典や書物(密教関係)を借りたがっていた。実際、自分でもその当時京都にいた空海のところに出かけている。弟子にして欲しいと言ったのである。当時、最澄の方が僧侶としての位は高い。それでも最澄は、自分から出かけていった。知的欲求が高いのである。たいしたものだと思う。
しかし、空海は密教は実践によるとして、ある時期から最澄に書物を貸し出さなくなった。
このことは、非常に凡人を励ましてくれる。
実践なのである。
僧侶にいろいろと聞くことも、なるほど勉強になる。書物もそうだ。それでもって、自分なりに工夫していくことが大事である。
そういうことを森敦に学んだ。
曼荼羅のことも実にわかりやすく書いてくださっていた。
「一即一切 一切一即」という対談集から得るとこと大であった。
一度はまると次から次へと興味が出てきてしまう。
今回も森敦である。それに、彼はドストエフスキーを高く評価している。これもまたボキの感触とあっている。
今も、自宅コンピュータから図書館に予約を入れた。森敦の書物である。
こういう態度を空海は戒めているのだろうけど。
わははっはははっははっはははっははっは。
ヾ(*´∀`*)ノ