実の親に殺されてしまう子どもたちがいる。なんということであろうか。中高一貫校に入学させるために、自分の子どもの足を切ったり、虐待の限りをやってしまう親がいるのだ。殺されてしまった子どもたちもいる。
今朝の産経新聞にも出ていた。実の父親が我が子を殺してしまった。お受験のことである。優秀な長男を、やはり中高一貫校に入れたくてスパルタをやっていた。そして、殺してしまった。
いつも思う。これって学歴信仰の最たるモノではないのかって。要するに、「一流大学を出て」「良い仕事について」「老後も安心して」生きるためには、高学歴が必要だというわけである。
そんなのウソだ。
まったくのウソ。
良い証拠がある。ボキである。ボキは、学歴がない。私立の三流大学出身だし、しかも苦学生である。大学院の修士課程も出たが、それは仕事をしながらのながら勉強であった。博士課程は中退。3年も通ったのにである。
だからなんの心配もないのである。こんなボキでも生きているからである。ただし、ちょっと変わりモンかもしれないけど。
親に能力がなければないで、けっこう子どもはそれを見て育っていくのである。なんの心配もないのだ。安心して子育てをした方がよろしいでっせ。マジに。
教えすぎ、構い過ぎも良くないのである。
結果的には自分で考え、自分で勉強していかなくちゃアカンのである。こちらもマジに。
大学で学びたいとなれば、自分で考えてその方法を編み出していくのが、子どもである。必要性を感じてくれば、それなりにやっちまうのだ。これもまた経験しているからそう言えるのである。
亡父は、東京六大学ならどこでも良いと言ったっけ。バカを言えと思った。ゼニも出さないのに、ふざけたことを言うなと口答えもしたのだよん。
東京六大学よりも、専門性においては、すぐれた大学はいくらでもある。教授のレベルが違うのである。憧れの大学というのならば、それくらい自分で調べる。それが真の意味で知ることにつながる。
ボキもそうだった。確かに、三流だった。しかし、教授は一流が多かった。だから、大学の名前で選ばないことだ。しかも、ボキは学費を自分で捻出していかなければならなかった。つまり、真剣に検討したのである。育英会奨学金の申請資格もなかったしねぇ。成績が悪くて。
そういう悪い頭の持ち主だから、生涯学習を始めたのである。悔いはない。むしろ、ジジイになってから大学院博士課程に入学したことを、誇りに思っているからだ。論文の書き方も徹底して鍛えていただいたし。
今、ある夢がある。
それは宝くじに当たったら、またまた大学院に復帰したいと思っているからである。
どこまでいっても博士に魅力があるからである。
こだわっているのじゃよん。
わははっははっははっははっははっはははっははっはははっはははは。
BYE-BYE!