モアイがあるイースター島の空港&LATAM航空ビジネスクラス搭乗レビュー
今年は、海水浴客があまりいない。梅雨が長かったからだ。おかげで海の家関係者は困っただろう。8月に入ってからは、暑くなった。持ち直してくれただろうか。景気が悪いと九十九里浜居住者としては困る。活気がなくなるからだ。
やはり、海のそばの人間は多少とも活気があるほうがいい。乱暴でもいい。クチのきき方は乱暴だけど、どことなく明るい。明朗である。なんでもそうである。明朗でなくちゃパワーが出ない。偉そうにしているアホもいない。みんな親しみがある。
ボキは、自分がちっとも偉くないから威張らない。偉そうにしていたら、天に笑われる。説教もしない。他人にこうせい、ああせいと言えるような人間かという自戒が常にあるからだ。したがって、舐められることもある。ボキの汚い顔でも舐めたいのであるならば、ど~~~~ぞ・ど~~~~ぞ!である。
わはっはははっははっははっははっははははっはっはははっはははっは。
そして、せせら笑っているのじゃよん。舐めてきた相手を。
こういうのは良くないと言われたこともあった。ヒトを観察しているのかと言われてしまったこともあった。確かにそうだ。じっと見つめていると、おもしろいからである。ヒトはそれほどおもしろい。ジジイになったのに、まだドンファンのようにしているアホもたくさんいる。かっこ付けやがってと思うのだ。服装も派手である。そして、一番笑うのが酒を提供している店でチークダンスなんかやっているジジイたちだ。アホの極まりである。
現役生活のときには、先輩でそういうのがいた。変わった先輩だった。同僚とチークダンスをすぐ始めるのである。今なら、セクハラだ。優秀だったが、そういうことには抜け目なく取り組んでいた。ボキは呆れていた。アホかと思っていた。つまり、ボキにはチークダンスをやってくださる相手もいなかったからで(^0^)。
なにしろ美味い酒を無駄にしてまでダンスなんかやりたくなかったからである。無駄な動きは、人間をダメにしてしまうのじゃよ。酒は味わって呑むものであって、動きの中で呑んでいたら悪酔いするからである。
昨日、ちょっと海を見に行った。
浜の砂が流れていた。波に呑み込まれて。そして二度と同じ砂はあらわれてこない。流されっぱなしである。
波も同じ波は来ない。あらわれては消え、消えてはまたあらわれる。その繰り返しである。
まるで、人間の繁殖のようである。生まれてきて、死んで、死んではまた新たな生が生まれてくる。
その繰り返しである。そうやって人間は繁栄してきたのだろう。
今日はお盆である。さっき亡くなった義母の墓参りにいってきた。朝早くである。ボキは歩いていった。往復6キロ。唯一お世話になった九十九里浜の姻族である。
祈ってきた。その内容は書けない。自分のことだから。それに祈りが通じて実現したとしても、すぐに消え去るものでしかないから。
BYE-BYE!