ケネス・タナカの仏教教室Ⅳ 【第6回「つながりの中で生きる我々―これこそ縁起―」】
なぜ感情が激するのか?
若い時からの欠点である。ボキは。表面上はおだやかでありたい。なぜこうなるのかと思うと、ハタと思い当たることがある。それは、ボキが教師の子どもだったからである。
旧弊な山奥の温泉町で育ったからだ。亡母が師範学校出の教師だった。愚息のボキから見ても優秀だっだ。師範学校出の教師には二種類あって、いわゆる旧制の中学校や女学校を出てから入る組と、旧制中学校(女学校)レベルと同等の組があった。亡母は、前者だった。
だからというわけではないが、優秀な母親からかなり影響されてしまった。なにしろ周囲の目が厳しかった。
だから仮面をかぶっていなくちゃならなかった。辛いもんがあった。こういうのはトラウマになってしまう。ボキも親の期待はよくわかっていた。決まったように旧制の師範学校に進学することになっていたのである。親戚一同全員そう思っていたし、実際クチに出して言われたこともある。
ずいぶんなプレッシャーであった。そして、自分で自分を縛っていたのである。情けないことであった。
なぜ情けないと思うかというと、楽しめなかったからである。学校生活を。勉強を。部活を。
なにをイマサラである。しかし、実際そう思う。塾や学校とか少年院での講話とかいろいろとバイトをしているが、マジに楽しめなかったボキがいるからやっていられるのだなぁと思う。
こういう育ち方をしないでほしいと思っているからである。中途半端な秀才になって、結果、人生に失敗して欲しくないからである。他人を、世の中を恨んで復讐するようなひねくれモンになって欲しくないからである。つまり、ボキのようになって欲しくないからである。
慈愛という言葉がある。
どうもボキは、その慈愛が不足している。さも慈愛のあるようなフリはできる。しかし本物ではない。潜在意識にどろどろとしたもんが隠されている。だからこそのオロカモノなのである。
ううううううううううううううううううううううううううううむ。
(_ _ )/ハンセイばかりの日々である。