乱れた感情を整え《心のマスター》になる方法
ボキには身寄りがない。昨日の知人の入院でいろいろと考えさせられた。独居だからだ。まだ若い。50代だ。もしかしてもしかしたら、どうするのかと考えてしまったからである。ボキだって人のことは言えない。長男と長女はいるが、それぞれ独立している。
家人がそばにいてくれるだけでありがたいと考えるべきなんだろう。それにしても、家人に感謝して生きてきたかとなるとなにもしてこなかった。迷惑をかけたことは多々あったが、そのお返しをしたという記憶はなにもナイ。亡母、亡父にもない。なにもしてこなかった。親が育ててくれるのは当然だとうそぶいていた。反抗期もすごかったからなぁ。つまり、これが内観療法の肝心要なところである。つまり、心の変革である。
営業のバイト先も同じだ。迷惑をおかけしたことが多々ある。失敗もある。うぬぼれた精神状態で営業のお客様にも迷惑をおかけした。慣れない営業で、しかもセールスマンのようなしゃべりもできない。偉そうに威張っているお客様にも反抗した。アカン。
そりゃそうだ。ボキの方が少なくとも経験だけは相手より数倍上回るからである。もう半世紀やっているではないか。中学、高校、大学と。定年後も雇ってくださるバイト先があるから、今のボキがあるのだ。
実にありがたいことである。しかも7種類やらせていただいている。コロナでできなかったが、辞めればぁ~~~とは言われていない。腰を骨折しても、クビにはならなかった。これまたありがたいことであった。
原稿の依頼もいただいてきた。歴史書もそうだった。さらに、昨日は教育カンリショクの挨拶集の原稿執筆依頼もいただいた。もう連続で9年目である。相手をしていただけるだけでもありがたいものである。しみじみそう思う。
一人でうぬぼれて、他人を睥睨して、オレはたいしたもんであるとうぬぼれていたらドンキホーテではないか。ドンキホーテという名前の安売り店があるが、あれと一緒である。なんでも売っているけど、安い。存在価値はそれしかない。100円ショップみたいなもんだ。
価値のある後半生を送りたいもんである。
今日は塾のバイト。昨日行っていた別のバイト先に、小学校4年から教えてきた生徒が、母親と一緒にやってきた。いろいろと話をしていた。進路のことである。今日の塾はその生徒と平方根の学習をする。タノシミである。ささやかな。
現状に感謝してバイト生活を送らせていただこう。内観のおかげでボキは変わってきたなぁ。
ありがたいものである。
BYE-BYE!