と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

応援歌

2010年07月12日 20時03分17秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 土曜日、都会で炉辺談話をさせていただいておりました。

 いろいろなことを、資料を元に話をさせていただいていたのです。基本的には対話法でこうした時には、進めます。そうすると思わぬ反応が返ってきます。

 自分では斬新なことを言っているつもりでしたが、中に「最も基本的なことを再確認」したと言う方もおられました。核心はひとつであります。そしてそれを別の面から表現する。これでいいのではないでしょうか。さらに、自己満足がどこかにあったのだなぁと反省もしました。愚生ごときのやっていることなぞ、世間にはいくらでもあります。問題は手法ではなく、本質であります。プラトンの洞窟の寓話ではありませんが、現象と実体を見誤ってはならないわけです。このことも、炉辺談話では申し上げました。最後に。

 嬉しかったのは、愚生と対話を行うことで、やる気になったと言われた方が複数いたことでした。人生の応援歌だとも。ありがたいことであります。

 これは学校の生徒諸君にもそうです。
 応援ばかりさせていただいています。
 それが使命です。

 みんな応援歌に反応し、そして努力していただきたいものであります。本当に努力はあなたを裏切りません。

 それを自らを否定し、チャレンジすることを忘れて、縮こまっていてはならんですぞ。

 人間はモノではないのですから。身長とか、体重とか、成果とか、数値とか、学歴とか、ナントカとか、そんなものでは人間を知ることはできないのです。あくまで、実体で人間を知るべし。それがプラトンの言ったことであります。否、すくなくともそう愚生は解釈してきました。

 主観の大切さをもっと知るべし。

 そんなことを思いました。

 しかし、スポーツは点数で勝負がつきます。
 これはこれでいい。
 むしろすっきりとしている。
 妙なしがらみで決まっていたのでは、たまったものではありません。

 ですから、体力を失った柔道家は速やかに世を捨てるべしと思っているのです。童子たちと稽古をさせていただくだけでいい。実にしあわせであります。毎日が実に楽しい。

 本校に柔道部が無いのはちょっと残念でしたが、ね。もう作る気もありません。所詮趣味でやってきたのですから。

 動画もそうです。
 このブログにたくさんアップしてあります。
 かなりの方から見ていただいております。
 ありがたいかぎりです。

 広報の楽しさをほんとうに知るようになりました。

 県銚で待っています。
 中学生の皆さん!
 応援しますよ。
 本当に。

 

 また明日。

 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉科学大学高大連携授業画像

2010年07月09日 19時32分18秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
































今日は3年生が千葉科学大学の先生方の授業を体験させていただきました。

大変に勉強になりました。

ありがとうございました。

薬学部と危機管理学部で体験させていただきました。

なお、動画については準備中であります。

お待ちください。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

期末試験が終了

2010年07月08日 23時14分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 一昨日の学事出版編集部の方とライターの方とのお話はほんとうに、ショックの連続でありました。文章を書くということにおいていかに愚生なぞ素人かということでありました。まだ感動中であります。実にためになりました。いいものです。文章を書いて食べておられる専門家といろいろとお話をさせていたくことが、どれだけこちらの意欲を向上させていただけるか、はかりしれないものがあります。

 今日で期末試験が終了しました。
 部活動が再開されました。

 運動部の撮影も滞っています。まだ登場していない部の生徒諸君に申し訳ない。最近は愚生が直接撮るよりも機器を生徒に預けて生徒自身に撮ってもらった方がいいと思っています。しかも、これがなかなかいい写真が多い。

 ところがです。
 実に困った現象が起きました。
 デジタルムービーを新機種に変えましたから、茅屋のパソコンでないと全く反応しないのです。つまり遅すぎるのです。ハイビジョンですから、これはコンピュータも困っているんでしょう。それに使っている愚生がコンピュータの素人と来ている。コンピュータも嫌がっているのだろうなぁとかわいそうになります。よって、愚生の部屋で処理することになります。毎日、夜遅くまでです。これも困りました。愚生は、どうしたって活字派ですから、古典に親しむ時間が無くなります。ま、しょうがないのですがね。学校のためですから。優先事項は学校のためです。

 今日もある部活動の活動風景を撮ってもらって、夕方部員がデジタルムービーを届けに来てくれました。預けましたから。そして再生を試みましたが、校長室のコンピュータでは処理できません。再生も相当の時間がかかります。笑ってしまいました。これじゃまるで愚生のようなもんじゃないかというわけです。

 う~ん、処理速度の速い頭脳が欲しいと真剣に思ってしまいました。
 それで、自分の部屋でこの記事を書いておるのです。

 しかし、これもまた楽し。
 いつもいつも学校のことばかり考えています。
 生徒諸君のことを。ですから実に楽しいのです。生徒諸君のためになることを考えるからです。

 故に、愚生の期待を裏切ることなかれ、と思います。

 決して完成した学校だというつもりはありません。時々期待はずれのこともあるからです。本校の周囲の方々のご期待に添えないのではなにもなりません。心せよ、心せよであります。



 名古屋の方で何かが始まります。連日マスコミに取り上げられています。コメントはしません。残念なことであります。それにつけても、愚生のようにできなかったのでしょうか。

 賭け事なんぞ一切できません。麻雀すらできません。ゴルフもやらないのではなく、できません。才能が無い。やる気もない。パチンコもそう。まったくできません。花札もです。トランプもできない。正真正銘なんにもできないのです。まったくの無能。そういうのに向いていません。自称石部金吉であります。

 昔、珍獣のようだと言われたことがありました。事実珍獣でしょう。貧しくて、苦学をしてやっと大学を卒業させていただきました。乏しい収入の中から書籍を集め、能力のない頭脳で処理速度も遅くそれでも努力の有効性を信じて励んできただけでありますから。

 だからこそ広瀬淡窓先生に憧憬するのでありましょう。江戸時代の俊秀たちは本当に真剣に学んでおりました。

 最近、藤沢周平先生の「雲奔る 小説雲井龍雄」(文春文庫)を、少しずつ読んでおるのです。幕末の時代を生きた米沢藩士雲井龍雄のことです。安井息軒の三計塾きっての俊秀と言われたこの人が、やはりというか藩校米沢興譲館にも学んでおったというところに、非常に激励されました。要するに愚生の先輩ではないですか。評価のいろいろ分かれる雲井龍雄ですが、時間を常に意識して行動していたのは間違いない。それに、高畠町の屋代というところで役目をこなしていたというのもびっくりしました。愚生の亡母が最後に勤務していた小学校がそこにあったからです。そこの学校のご出身の知人もいますし。


 要するに時間が無い。残された日々と時間が。残日録であります。くだらない事で翻弄されたくはない。それよりもやるべき事、やらねばならぬことは山ほどあります。

 ハイデガーが、イワンイリッチの苦悩を取り上げています。今日の午後それを考えていました。トルストイがイワンイリッチを書いているのです。それは病気になって欺瞞的な日々を送っていたことをイワンイリッチは気がつき、自分の人生などいつでも交換可能なそんなものでしかなかったということについてです。死の直前まで彼はそのことに気がつかなかった。愚生は、この人にケアということで関心があるのです。彼を面倒みる若い男の子の心がまたすばらしいのです。ですから有限性があるということに気がつかないと、いかんと思うのであります。現象面のことですべてと思っていてはいかがなものか。人間は誰しも例外なしに死ぬのですから。

 つまらんことにうつつを抜かしておると、自分も駄目にしますぞ。

 せっかく期末試験が終わったのに、なんということを校長はいうのだろうかと思われるかも知れませんが、ね。

 やかましいくらいでちょうどいい。誰もなんにも言ってくれなくなったらこれは恐怖ですぞ。



 勉強なさいませ!
 

※関東大会に出場する水泳部の練習風景をアップしました


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タフに生きよう

2010年07月07日 21時06分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 「日比谷高校の復権」(学事出版)という内容の本を読了しました。

 在校生諸君はこの高校のすごさを知らないでしょう。もっともです。これは愚生くらいの年齢ですと常識なのですが、あるときを境に学校の様子が一変してしまったのです。そのことには触れませんが、幾多の俊秀を輩出した学校ですらあったのに、なぜにここまでなったのか。理由を知っているだけに残念なことであります。

 つまり言いたいことは、油断してはならんということです。
 思い上がったり、伝統にあぐらをかいていてはならんのです。

 常に向上していくしか無いわけです。

 だからこそ努力は尊い。
 ある意味学問をしていくのも、30代、40代になって平気で働くことができるように、そういうタフネスを持つことが大事なのだとある人から教えていただいて、目から鱗でありました。どんなに超一流大学を出ようとも、社会的役割を果たすという意味での、働く力=生きる力が無くては何もなりません。「平気でおること」というのは正岡子規も言われている。多少の挫折とか、不安とか、苦言とか言われても、それに平気でいることがもっとも大切なのではありますまいか。
 
 正岡子規は肺病で本当に苦しみます。 
 耐えられないような苦悩であったことでありましょう。
 文庫本で彼のいろいろな文章に接して、それでもなおかつ子規先生には生きる力がある。
 それが「平気でいること」の」神髄であります。強くなくてはこんなことは言えません。見かけの強さではありませんよ。それだったらボディビルダーが最強になる。そうではなくて、精神的タフネスです。そうでなくてはいかんのです。むろん健康が最優先です。それでも尚且つ愚生は精神的なタフさを問題にしたいのです。

 これは本当に在校生諸君に申し上げたいことの最優先課題であります。

 「心を強くなさいませ」と申し上げたい。 





 今日はプラトンのイデア論のことを考えておりました。
 
 ギリシア哲学というのは、実におもしろくてためになります。しかしある意味実に単純な傾向があります。現象を非常に重視するからであります。ソクラテスの対話篇に出てくるのですが、洞窟の寓話というのがあって、我々人間は陰を見て、光源をみることが無いということがあると言うのです。これは実にシンプルなのですが、ちょっといただけない部分もあります。全てを知の対象として、経験を過大評価する傾向があります。経験しないと、全ては価値がないとするならば、それはちょっといただけない。抽象論から逃げているからです。このあたりは大学のレベルなら立派な授業になるのでしょうね。実体と現象についてなどという一こまの授業になると思います。

 つまり何を言いたいかというと、タフネスということが、現象だけの問題になってしまうということを申し上げたい。表面だけタフであってもそれはいかがなものか。

 だからこそ、心を問題にしたいのであります。

 男性こそ、非タフネスであると実感するからであります。つまり「弱きもの」「そは男性なり」と言うことなのです。くよくよ、くよくよつまらんことに悩むのは男性の方が多い。シンプルさに欠ける。学問ばかりであってはなりません。武もやっていただきたいと思うのは、心の分野も鍛えていただきたいからです。つまり人物を鍛えるということです。

 県銚は、日比谷高校のような学校ではありませんし、そういう方向に行けるわけもありません。

 そうではなくて、タフネスさを持った生徒を育成したいものであります。
 学問も、体力でも、人物でも。

 

 またあした! 
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある新聞記事から

2010年07月07日 20時57分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
☆驚きました。下記の産経新聞の記事に。
 ここまで進んでいるのですね。
 どうなっていくのでしょうか。
 非常に興味のある展開になるかもしれません。
 コメントできないのが残念であります。




デジタル教科書導入へ、モデル校で検証 「本の方が…」慎重論も
2010.7.7 18:32

このニュースのトピックス:ネット社会
 文部科学省は7日、デジタル教科書の実証研究するモデル学校設置などを盛り込んだ「教育の情報化ビジョン」骨子案を示した。パソコンやインターネット機能を利用したデジタル教科書の導入へ向け、来年度から学校現場で検証を進めていく方針。

 ただ、教育効果への疑問や問題点を指摘する声もあり、今後の議論が注目される。

 デジタル教科書は、パソコンやネットでさまざまな情報にアクセスできるほか、児童・生徒のデータ管理などで教師の指導の効率化も期待される。

 骨子案では推進・検討のため「モデル地域・学校で総合的な実証研究を行う必要がある」とし、児童・生徒に1人1台パソコンを持たせることなどを検討している。

 ただ、「子供は、パソコンを利用するよりも、まず本でじっくり学習する方が効果的」という意見があるうえ、ネットのいじめなど問題点を指摘する声もある。骨子案も、こうした慎重論に配慮して「情報化の影の部分への対応も講じる必要がある」としている。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学事出版様に取材を

2010年07月06日 23時47分27秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 期末テスト二日目でありました。
 粛々と過ぎていく時間に、感謝です。
 こんなにありがたいことはない。
 
 残っている在校生諸君は実に勉強熱心。こういう姿こそ理想であります。

 どうも基本的に江戸時代の学者に憧憬しておりますから、こういう努力する姿に弱い。たいしたものです。愚生なぞとてもこんな風に努力するわけにはいきませんでした。


 さて、今日は全国的な販売網を誇る教育専門の学事出版様に取材を受けておりました。
 学年主任のある先生と、教頭先生。それに付け足しで愚生。
 ほんとうに、マスコミの方々の切り込みにすばらしいものを感じておりました。教育にこういう視点で迫ればいいということを教えていただきました。これはノートにしてまとめてみたいことの一つであります。項目は複数ですが。
 
 ライターの方も超一流。
 教育学についてのスーパープロでありました。
 
 自己満足で生きているような愚生には考えられないような教育に対する切り口でありました。
 どんな記事になるか、楽しみであります。
 月刊の「高校教育」に約6ページにわたって掲載される予定です。
 
 ありがたいことであります。
 感謝です。

 ほんとうにいつもいつも周囲の方々に感謝ばかりしております。

 これこそが人間関係の基本なのでありましょう。



 「影響力の武器」なる本を座右の書として置いておりますが、本当にそう思います。
 つまり、教育というのは影響力を駆使しているというその一点において。

 この本は基本的に柔よく剛を制すという教えそのものであります。
 柔道精神の外国版。

 親になるということ、教育者になるということ、あるいは経営者になるということを教えてくださいます。本当にそれを思いました。ありがたいことであります。本を読んでいればこそであります。



 学事出版の編集の方とは、長くおつきあいいただいておりましたから、どこでどういう関係で再会するか。
 人間関係の不思議さに思いをいたしておりました。

 在校生諸君もそうです。

 入学式や、卒業式でお会いする保護者の方々の中で、かつて青年教師であった愚生のいわゆる教え子という方々がおられます。こんなにありがたいことはない。そして久闊を懐かしむ。これこそ、江戸精神であります。涙の出るような経験を本校に来てからさせていただいております。

 こういうのが教育の良さでありましょう。

 けっして、恩を売るつもりはありません。
 一時を共にすごさせていただいたということを感謝するばかりであります。
 
 昨日、スポーツジムの駐車場から入り口に急いでおりましたら、ある方に声をかけていただきました。なんとかつての教え子でありました。ジムの先生をしておられました。エアロビというものでありました。実にかっこよくなられたその教え子に時間の経過をしみじみ感じました。あちらが大人になれば、必然こちらは老ける。当たり前ですが、ね。

 時間は残酷であります。


 そんなことを感じました。



 明日も試験です。
 まだ寝ていないのでしょうか。

 がんばりましょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放課後残って

2010年07月05日 21時07分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 期末テスト一日目です。
 夕方4時過ぎに校内をぐるっと見ておりましたら、残っている、残っている。在校生諸君が一生懸命に残って勉強をしています。男女別もあり、グループ別もあり、沈思黙考している教室もあり、楽しそうに教えあっている教室もあり。

 去年よりも多いような気がしました。
 たいしたものであります。
 さすがに写真は撮れません。
 圧倒されました。気力に。

 これでこそ県銚であります。

 頑張りなさいませ、頑張りなさいませとぶつぶつ言いながら校内を巡ってきました。すれ違った先生は????でしたでしょう。笑い話のようなものですが。

 これが独学ですと、なかなか困難な面があります。カリキュラムがきちっと決まっていて、優れた先生方のご指導で、その計画の下しっかりと学習していけば相当の実力がつきます。県銚のように。これは間違いない。なぜそう思うかと言いますと、独学でいろいろこれまでやってきてしまったからです。通信教育も相当ありがたいもので、こちらもいろいろやってきましたが、通学制にはかなわないと実感しています。

 この日曜日には、ちょっとレポートを書いておりました。
 なかなかこれが完成しません。最初から完成したものを書き上げたいと思うからです。それを欲得と言います。他人の視線を気にしているから、つまり評価を気にしているから先に進まないのです。わかっているのですが、参考文献をあっちこっちひっくり返してそしてパソコンに向かっているのです。

 しかもWindows7の新機種で、なかなかよく理解できていない。これはどう動かすんだろうとか、無線LANは? 光テレビは? 一度に複数枚をスキャンしてくれる愛機がどうも動きがおかしいとか、次から次へと問題が出て来ます。うなりながら茅屋でやっておりました。

 間で、今度の土曜日に都会で夕刻から炉辺談話をさせていただく予定ですので、その資料もパワーポイントで作っておりました。こちらはフリーな気持ちで書いていたのであっと言う間にできました。なかなか平常心で物を考えるというのは本当に困難なものであります。

 気がついたら、午前零時を過ぎておりました。
 慌てて寝床へ直行しましたが。


 明日は出版社の方が来校されます。
 楽しみです。

 また県銚を取り上げていただくわけです。
 ありがたい限りです。

 これもすべて意欲ある在校生諸君と、抜群の先生方に恵まれた故であると感じております。

 
 また明日!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹奏楽部員の活躍画像

2010年07月04日 23時20分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年








 本校吹奏楽部員の活躍を報じている旭市の広報です。

 NHKのテレビ「あなたの街で夢コンサート」の公開録画が5月23日東総文化会館大ホールで行われました。
 俳優の渡辺徹さん、NHKアナウンサーの首藤奈知子さんが会場を盛り上げました。
 本校女子生徒がオーボエで出場しました。
 東京フィルハーモニー交響楽団をバックに夢のコラボレーション。
 
 担任の先生と、教頭先生が応援に駆けつけました。

 活躍ぶりに拍手です。




 しかし音楽はいい。
 実にこころをなごやかにしてくれます。
 論語の孔子も君子のたしなみとせよと言われているし。

 愚生の顔からは想像もつかないでしょうが、実はほんのすこしだけピアノが弾けた時期がありました。サンタルチアくらいでしたが。亡母にずいぶん鍛えられました。信じられないでしょう?茅屋にもピアノが置いてあります。

 小椋 佳という歌手も大好きです。
 笑われるかもしれませんが、ね。


 在校生諸君は、明日から試験ですね。
 赤点をとらんように!

 がんばりなさいませ

 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ在校生諸君は期末試験

2010年07月02日 23時45分20秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 いよいよ在校生諸君は期末試験に突入します。
 勉強してくださいね。
 本当にそう思います。
 試験があっての学校です。そして、謙虚に反省をしたり、満足したりしましょう。そういうことができるだけ本当に幸せであります。保護者の方々のお力あってのことであります。感謝いたしましょう。本校に学ぶことができるだけでもラッキーなのです。世界には学ぶこともできない青少年が少なからずおるのですから。不遜なことであってはならんのです。ましてや親のために学校に行ってやっているなどと冗談でも言ってはなりませんぞ。学費を出してくださっていることが、どんなにありがたいことであるかを知るべしであります。
 
 試験準備中に事故の無いようにお願いしますね。犯罪行為もいけません。集中して勉強するときは集中すべきであります。そういう時間を与えていただいておるのですから。

 広瀬淡窓先生の私塾咸宜園では、月担評(げったんひょう)というものをつくっていました。咸宜園に入ると勉強する心が自然に生まれるようにしました。パンフレットにそう書いてありました。写真でも撮ってきました。

 月旦評では、1級から最上級の9級まで階級があり、さらに各級が上下に別れていました。級外が最下級ですので、全部で19階級ありました。級を昇進するためには試業(試験)に合格しなければなりません。毎月、書・詩・文・句読についての試験が9回あり、これに課業の成績が加えられ、合格点に達すると翌月初めに張り出される月担評で昇進していったのだそうです。

 はじめは、課業(素読・輪読・聴講・輪講)、試業(会読・質問)の得点によって進級させられていましたが、後に「消権の制」が設けられました。消権とは、生徒一人一人について行われる先生直接の試験だそうです。独見とも云われました。課業・試業の得点により一応進級しても「真」の進級とはならず、肩書きに「権」の文字が付く仮進級です。消権の試験を通過すると「権」の文字が消え、はじめて「真」の進級になる制度でした。教科の中心は、儒学(四書五経)ですが、上級になると老子など諸子の学を学びました。
 
 これはその写しを咸宜園屋内に展示してあります。
 素晴らしいことであります。
 
 
 実に憧憬の対象になるシステムであります。
 江戸時代に生まれていたら、遠路大分の地まで行ったことでありましょう。真の師匠を求めて。もっとも入学できなかったかもしれません。

 しかし、昔も今も、学校というところは厳しいものであります。

  


 さ、がんばりましょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

就職も、進学も、部活も

2010年07月01日 23時19分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 いよいよ7月です。

 教室のクーラーが作動します。PTAの皆様のおかげであります。感謝してもしきれるものではありません。本当にそうであります。校長室はアナログで、手動の扇風機でありますが。つまり団扇。たまに電動扇風機です。とうとう冷房に縁のない職業生活を送ってしまいました。40年近くも。健康を維持しているのはこのせいかもしれません。

 在校生諸君!
 保護者の方々に感謝したまえ。
 本当にそう言いたいのであります。
 本当にありがたい限りであります。


 今日はある会議に出席させていただいておりました。
 そうしたら、今年初めて校長になられた方々の研修で、県銚のことが取り上げられたのだそうです。直接、その研修に参加された新任校長先生に、しかも複数の校長先生にお聞きしました。やる気があるなら銚子まで直接行って話を聞いて来なさいと講師の先生はおっしゃったそうであります。

 感謝です。本当にありがたいことであります。意図した、あるいは意識的に広報を行ったわけではありません。自然に、あくまで自然に、普通科らしい教育を行ってきただけであります。スポーツエリート高校を標榜してきたわけでもありません。大学進学率だけを気にした訳でもありません。本当に普通の学問、体力養成、人物育成をねらってきただけであります。

 構えないということを感じました。
 構えると、必然相手も構えます。
 こちらの構えを覚られないというのも、武芸者としての必然であります。

 相手にこちらの技を覚られるようでは、いかがなものか。

 それにはこちらの能力を明らかにしないことであります。もっとも愚生ごときが何を言っても始まりません。

 いかにも秀才じみてみられるのは、ちょっといかがなものかと思います。自他共に認める心底からの秀才ならばそれはそれでいいでしょう。しかし、世の中そんなに甘くはありません。世間で成功する方は、また別の次元で生きておられます。学歴を鼻の先にぶらさげておってはならんですぞ。そんなつまらん人間を育成しているつもりは毛頭ありませぬ。愚生がいい例です。何も自慢するものが無い。自慢なんかしていたら、よその方から学ぶこともなくなります。いろいろと教えていただくだけでも本当にありがたい限りであります。
 
 今日もある保護者の方とちょっとお話をさせていただいておりました。
 こころから、県銚に進学させたことを喜んでいただいていました。ある意味、普通の教育をおこなっている県銚のような学校があまり無くなっているのではないかと感じました。勉強だけ、運動だけというよりも、人間としてあたりまえの健康で学問にも秀でている「総合的人間力」というのが、一面の理想ではあるまいかと真剣に思うからであります。

 そういう意味では文武両道も偏っています。人間は文武だけではありません。究極には人間としての格がある。人物がある。人品がある。あくまで総合力であります。世の中に出たらマニュアルだけでは生きていけません。大人になるというのは、日々マニュアルの無い時間を生きることであります。応用問題のオンパレードが世間であります、法律だけで世間全般が解決するわけでもありませぬ。この理解があれば法学部を志望している在校生も、将来立派な法曹になれます。今年の春卒業していった野球部主将はある国立大学の法学部に合格しましたが、法曹を目指しているそうであります。楽しみです。実に楽しみ。


 
 就職もできるし、国公立大学の進学も十分できるし、なんと言っても部活もできます。
 これは大きな特色であります。

 これだけは声を大にして言いたいことです。

 小手先の受験技術だけを教えているのではありません。受験技術「も」教えているのであります。
 県銚は学問を教えておるのであります。
 それは「人物」になるためであります


 人物になるためなら、どんな辛苦があろうとも、学問のつらさに耐えることができると思うのであります。

 つまり「学問、体力、人物」の育成であります。

 本当に県銚から明日の日本を背負う人物が育ってほしいものであります。


 広瀬淡窓先生の私塾「咸宜園」に参上させていただいた時にも、それは感じました。ひるがえって考えれば、本校の先生方お一人一人の学問的実績が、あるいは人格的な深みがそれを可能にすると思った次第です。楽しみな学校であります。



 また明日!











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/