と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

こだわり人物伝

2011年01月13日 20時31分56秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

ある先生に生徒会出版委員会から出ている「絆」という冊子に原稿を書いてほしいと言われたのが、午後の3時。それからつらつら考えておりました。

そしてふと思い出したのが、「こだわり人物伝」です。
これを扱おうと思いました。で、今晩はこのことについて書いています。


 


NHK教育テレビで「こだわり人物伝」という番組があり、これまで二人の人物について紹介をしていただいています。テキストも安価で売っていますから去年のうちに入手しておりました。

遠藤周作先生のことを最初やっていて、これは全部録画しました。好きな作家ですから。それと思想的にも。この先生のことは、初めて拙ブログに書きました。まだ、記事としてはとっておきましょう。実に思い出多い作家であります。

今回、1月の12日(水)のは宮澤賢治の第二回目でありました。
「自然には物語がある」というテーマでありました。こちらも録画して見ています。
ちなみに第一回は、1月5日(水)でした。これも録画しました。

語り口も実にテレビ番組らしいし、構成も見事であります。タイトルも実にテレビらしい逆説めいた人目をひくものであります。

宮澤賢治は、思想的に扱いの難しい方ですから、内容には触れずに感想を書きます。

最初に、「物語」の部分。
この番組の意図は、言葉が自然から物語を引き出すという意味ではないのだ、むしろ自然が物語を作り出しているのだと言っていると思いました。微妙な問題がありますから、そこのところは避けていきますが、興味を持ったのが言語は物語る、物語ることが可能なのかということです。

言語は物語ることと距離があります。
言語は絶対的に信用できるものなのでしょうか。
そんなささやかな前提があるからです。


これもあまり書くと拙ブログを止めなくてはなりませんから、よしましょう。


さらに宮澤賢治の慈悲という傾向性。
これもまた興味があります。おそらく生涯かけて追い求めたであろう彼の慈悲とはなんであったのかということであります。

彼の作品を読んでいると、先鋭的であると感じてしまいます。行動的なのです。すくなくとも慈悲に関しては。すばらしいことです。慈悲心を持っているということは。それはそれで賛同します。妹のとし子さんのことを書いた「永訣の朝」は、米沢の高校で初めて教えていただき、尊敬する国語の平先生の名講義ぶりに思わず授業中に落涙してしまったこともありました。

行動で追求していったら、これは苦しいことになるだろうと思います。宮澤賢治は、そこを突き抜けて行った稀有な人ではなかったかと思います。むろんわたくしにはとてもできません。

言語で語ることは簡単でありましょう。慈悲という言葉で。しかし、これを行動で示すとなると実に苦しい。苦難の連続になります。

凡夫であるが故に、慈悲心をもってだれにでも接することがわたくしには不可能だからです。だから宮澤賢治を尊敬しているのです。




よく良寛さんのように生きたいと言われる方がいます。不肖わたくしも好きな方です。この方もまた慈悲心を持って、幼子達と接しておられる。ところが、良寛さんの言語というのは実に怖い。ただのんびりと過ごしていた方ではありません。好きではありますが、非常に語ることの難しい方であります。彼もまた行動で示した方であるから、怖いのです。わたくしには不可能なことをなされたからです。

良寛さんの父親である橘以南(1736-95)と若い小林一茶が、慈悲というテーマで俳句の詠み合いをしたそうです。

一茶の方は、
「やれ打つな蠅が手をすり足をする」
と有名な俳句を詠みます。


橘以南は
「そこふむなゆふべ蛍の居たあたり」
と詠みます。

勝負あったりであります。これは確かではありませんが、物の本によると、一茶も参ったのだそうです。
つまり「そこふむな」という究極のことが、慈悲心ということになるからであります。だとすると人間は外に出られなくなります。どこでも蛍のいた可能性が道にも、草にもありますから。

難しいことであります。ある種の閉塞状況を示しているのではないかと思うからです。

天下のNHKがどういうように扱うのか、楽しみであります。
「無知の知」をまた経験させていただきます。

ありがたい限りであります。



また明日!


 


 


 


 


 


 


 


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人間は述語で規定されて

2011年01月12日 21時23分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

学校の中では、なにかとセンター試験のことが話題になっております。

いよいよです。いよいよ。本当に3年生諸君の頑張りを祈っております。それぞれが進路を実現させて巣立っていってほしいものであります。こころからそう思っています。それからどう生きるかは、努力次第。



「*****は、**である」というように人間は述語で規定されています。このことの確立無しには、なかなか困難になります。


これは、個人を特定します。AAAは高校生であるという規定が可能です。したがって、この規定はいろいろな行動も縛ることにもなります。逆に、BBBはCCCの高校生であるから優秀であるという規定にもなりかねない。これはちょっとおかしい。優秀であるという概念規定は、よって立つところの前提がなんであるかということで、ぐらつきます。見事なまでにそれは言えています。議論の無限地獄に陥ります。この間の月刊のビジネス書で、全国の高校実力ランキングが発表されましたが、あの雑誌も前提がなんであるかによって、受け取り方が違ってきます。ですから、注意しなくてはならないのです。発言に。全校集会でも申し上げましたが。


しかし、その述語による規定がいくつあってもいいのだろうかと今日は考えておりました。生徒に語りかけていたいからです。わたくしの話は、難しいだろうと思いつつも、どうしても語りたいことが多々あります。

ところで、その規定があまりたくさんあっては、それこそ引き裂かれてしまいます。高校生なら、高校生という規定は単一でもいいのではないかと思うからです。つまり今の時期に勉強しなくていいのかということです。せっかく10代の後半に、こういう学びの時期をさせてくださる保護者の方がおられるわけです。感謝しましょう。こころから感謝しましょう。


もっとも、その引き裂かれた自己を見つめ、自己とは何かという命題を考えるというのなら話は別でありましょう。立派な学問であるからです。それもまた。最近知った思想家の著書に啓発されましたが、こちらはかなりの秀才だからこそ可能なのでしょう。ご自分でも苦しいと言われています。ある意味仕事にもなっているからです。

フワフワと付和雷同型で生きていくのも問題がなければいいのでしょうが、どうも一抹の不安があります。

しっかりとした基盤を持って、高校生活を送っていただければと思います。
いつもクチやかましく「学問への精励」「健康体力の向上」「人物を鍛える」と言っていますのも、基盤づくりであります。まだまだ課題の多い学校でありますが、生徒のために頑張りたいものであります。



さて、なぜそんなことを考えたかと言いますと、NHK教育で興味ある番組が始まりましたからです。

「Q~わたしの思考探究」という番組です。新番組です。
1月8日(土)に「自分とは何か」というタイトルで放送されておりました。録画して、数回見させていただきました。なかなかのものであります。冨永愛というモデルさんが登場してきて、大阪大学の総長鷲田清一先生と対話をするのです。自分とは何かということでありました。哲学カフェという場所も鷲田先生は用意されている。一度行ってみたいくらいです。

述語で規定されているわれわれですが、この番組の意図するところはなんなのだろうと興味を持ってきました。毎週やるのでしたら、また見たいくらいです。



ほんとうに自己とはなんなのでしょうか。
また読書の範囲が広がってきました。


 


 


 


勉強なさいませ!
在校生諸君。




 


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「学校事務」(School Business Management)

2011年01月11日 22時30分32秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 

 

 

 

学事出版様から出版されている「学校事務」(School Business Management)という教育誌に掲載をさせていただきました。全国から確か明日の発売です。2月号であります。今日入手させていただきました。詳しくはここに書くわけにはいきませんから、紹介のみ。またまた県銚を紹介させていただいております。本当にありがたいかぎりであります。

 


この教育誌の書名に注目していただきたいと思います。英語の方にです。高校の事務官は、まさにSchool Business Managementをやる職種だということを言いたいのです。今回の掲載にはそのことを書かせていただきました。年来のわたくしの主張でもあります。

また、大学でもそう。大学アドミニストレーション学というのが、桜美林大学大学院にあります。ここで、大学の経営や、運営について、主として大学事務系のご担当の方々向けに教えてくださるのだそうです。通信制ですから、職業を持ちながら充分学べるわけです。

 


大学を高校に置き換えても充分通用するのではないかと、ずっと思ってきました。大学の経営に、あるいは広報に学ぶというスタンスでもってすぐ近くにある千葉科学大学の方々に学んで参りました。まさに生きた教科書であります。現在進行形の。ほんとうにありがたいかぎりであります。


しかも、今月号には非常におもしろい記事がありました。

本多信一先生(現代職業研究所長)という方の記事であります。
この方は、ビジネス書をたくさん出しておられて、一時期ファンでもありました。なかなかの慧眼をお持ちでいろいろと参考にさせていただきました。ノートもとってあります。タイトルが「できる人考」というもの。

これもあまりここに書くと学事出版様に叱られますから、感じたことだけを。

「できる人」というのは、自分が仕事ができるからと言って、それでもって社員を育成することを忘れてはなりませんぞ、というようなことでありました。松下幸之助翁のことも出て参ります。翁も、なかなかの人育ての名人であられました。

ともすれば組織を率いる方は、自分が一番、なんでもできるスーパーマンだと思いがちであります。強烈なリーダーシップが要請される現代にあっては、ある意味それは仕方のない面もありましょう。しかし、そのスーパーマンがまさかの病気になったら、組織は壊滅する。また、強烈なリーダーシップは、反面カリスマ性にもつながる。怖いのは、カリスマが組織を育成しているとは限らないということです。一人のスーパースターは、自分が見えなくなります。周囲はただひたすら吾関せずになる。いわゆる裸の王様になってしまう。強烈なリーダーシップがあるんだから、リーダーの好きなようにしてくれということになる。オイラには関係がないというようになります。そういう事例をたくさん見させていただきました。経験上。あ、学校のことではないですよ。一般的な事例です。高校の同級生にも、会社の経営者はたくさんおりますので。聞いた話ですが、ね。


しかし、この記事は、具体性に富み実におもしろい。時事通信の会社員時代のことも書いてあります。これもまた非常に「できる人」であった当時の社長さんのことが書いてあって、実におもしろい。リーダーのあり方ということ、組織をどうするのかということを考えさせていただきました。

 

学校事務という誌名ですが、英語名ではまさにManagementの単語が入ってきます。これがこの教育誌の本質を現していると思っている次第です。




もっとも、「できる人」とは真逆の「できない人」であります懶惰なわたくし風情では、偉そうなことは一切言えませんが。

また明日!











 

 

 

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銚子半島駅伝動画をアップ

2011年01月09日 19時49分19秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 



 



 



 



 



 


今日の銚子半島駅伝大会は、我孫子中学校が優勝しました。

おめでとうございます。

それにしても、それにしてもなんという走る速さ。
準備をしているアップの段階から、目を見張っておりました。そこら中を中学生がもの凄い速度で走っているからです。

あんな速さで区間を走るのですから、まさに驚異的。
こういう主観的な書き方をしてはいけないのでしょうけれども。
あの速さは見た者でないとわかりません。

印象に残ったのが、県立千葉中学と渋谷幕張中学が出場していたことです。
まさになんでもできるんだなぁと感嘆しておりました。この中学も尋常でないスピード。

単純なわたくしは、昨日の柔道で寒い寒いを連発してしまったので、情けなくなり今日のジムでのトレーニングは、3年ぶりにベンチプレスをやりました。ドクターに禁止されているのです。無酸素運動はやっていけないと言われているのです。しかし、どうしてもやりたくなって、やってみました。今日の夕方に。そしたら、なんと45キロしかできません。20回で力尽きました。がっくりきました。昨日の記事にも書きましたが、数年前まで45+100を本当に上げることができたからです。なんということでありましょう。

情けなし。
全く情けなし。
こんなんでは、柔道部に入っていたとは冗談でも言えなくなりました。

それと昨日の記事には書かなかったのですが、普段尊敬申し上げている柔道の先輩の鍛え方に触発された面もありました。60代後半なのに、筋肉モリモリなのです。柔道着を通してそのマッチョぶりが伝わってくる。わたくしの方がずっと後輩なのに、なんというじじむさいことでありましょうや。反省、反省であります。

よって今日はジムでもいい汗をかいてまいりました。



大会の帰り、今日は学校に車を置いて、会場の市役所まで歩きましたので、疲れた足取りでよれよれと駅前通りを歩いておりました。
そうしましたら、すれ違ったご婦人が「ア、トヤマセンセイデハナイデスカ」と言われる。振り向きました。
なんと、なんとわたくしが24歳のころの中学生であった方でありました。
フルネームがクチから出てきました。旧姓の方がです。部活動と学級担任をさせていただいた方は忘れません。部活動で一緒にさせていただいた方でありました。なんとわたくしは中学校でバレーボールの顧問をさせていただいていたのですよ。素人も素人。まったく何がどうなってそんなことになったのか、不思議なことであります。したがって、その当時一緒に部活をさせていただいた方々の方が、立派なバレーボールの専門家です。

看護師の姿をしておられました。
県銚の卒業生だったはずです。
わたくしが県銚にいるのを知っておられたそうです。
立ち話ではありましたが、懐かしい話をちょっとだけさせていただきました。

こんなことも教員をさせていただいていることのささやかな喜びであります。


さ、これから茅屋で読書タイム。
今年は、私人としても新たな目標を設置しましたから、やるっきゃない。
4万字のレポートを書きます。
教員生活の総仕上げとしてチャレンジします。

ベンチプレスのようにならないようにしたいものであります。



いつもバレーと同様まったくの素人レベルでありますが、動画をお楽しみください。
本校生徒の活躍ぶりを少しでも堪能いただければ幸甚であります。
あと、一年だけやらせてくださいませ。
来年の今頃には、完全撤退をいたしますから。


 


また次回に!!!


 


 


 


 


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明日は銚子半島駅伝

2011年01月08日 23時13分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日は実に寒かったですね。

さきほどちびっ子柔道教室に参加させていだいて、帰って参りました。足が冷えて、どうにもなりません。それでも、一生懸命学ぼうとされている小さな子どもたちに学ばせていただきました。たいしたものであります。これは保護者の方々の人生に対する姿勢もあります。この親にして、この子ありであります。昔から、これは言えていることでありましょう。孟母三遷ではありませんが、それを思っておりました。生徒たちを見ているような格好をしておりまずが、実は付き添いで来ておられる保護者の方々の視線を分析させていただいているというのが正直なところであります。しょうがないのであります。職業教員(プロ)でありますから。


幼稚園時代から一緒に柔道をさせていただいている某福祉施設の職員の20代の男性(体重はゆうに100キロを超える偉丈夫です)とずっと打ち込みをしたり、しゃべったり、間でちびっ子に投げられたり、寝技をやったりしていました。彼はずいぶん鍛えました。まだ現役の指導者でありましたから。しかし、実に寒い。そして、ここまで体力が無くなったことを慨嘆しておりました。



しかし、どこかに甘えがあります。
今日はそれに気がつきました。

わたくしは、太りすぎでありましたから、かなり病気には留意をしているつもりです。
健康に注意をしているつもりです。

ところが、これがなかなか難しい。
食生活の維持という点では、本当に難しい。
かつて94キロの重量級の柔道選手でしたから、今の体重が自分でも信じられません。

また斗酒なお辞せずであったのが、今はまったく駄目であります。処理能力が落ちております。もう下戸と言ってもいいレベルであります。内臓がそれなりの働きをしておりません。体重も70キロしかありません。柔道選手としてはもうすでに失格であります。重量級のときの技しか覚えていないからです。たとえば大外刈り。140キロのベンチプレスを30回はやっていましたから、かなり効いた技でありましたが、今ではまったくできません。寂しいの一言であります。以来、人間が変わってしまいました。


いわゆるつきあいの悪い人間でしかない。ゴルフもやりませんし、本当に社交性に欠けます。

さらに、屁理屈が好きで、定義にこだわります。
わたくしは、自分のような人間とはできるだけつきあいたくありません。(笑)
だいいち疲れます。
観察されているような気がしますから、ね。

柔道生活からきているような気がします。
相手を分析して、いかに勝つかということを高校生のときからやっていましたから。

また、講道館に通っているときに、そんなことばかり考えておりました。所詮田舎柔道。お江戸の柔道総本山の講道館の柔道のすばらしさに接してからは、本物の柔道、本物の実力ということにいつも思考をしておりました。



明日は、銚子半島駅伝大会があります。
城西国際大学様からのご指導の下インターネット中継を銚子市内の高校生諸君が行います。むろん、県立銚子からもインタビュアーとか、中継担当で参加させていただきます。コンピュータによる映像処理もあります。こちらはわたくしも非常に興味があります。中学校の職員であったときに、市教委で専門に勉強をさせていただいたからです。

楽しみです。
実に楽しみ。

教育は、どういう展開をしていくかわからないからです。
固定化したらそれでおしまいです。
むろん不易と流行という概念はありますよ。こんなわたくしにすら。




今日はひさしぶりにアクセスというリレーショナルデータベースソフトにさわりました。
今日のNHKの番組で100歳になる国語学者を拝見させていただいたからです。岡山大学の名誉教授です。「100歳バンザイ」という番組で、大坪併治先生の紹介をしておりました。岡山大学名誉教授で現役の国語学者。

平安初期の言語を紐解く研究をされているそうですが、背中をぴっと伸ばし、言語明晰。しかも表情は感情表現が豊かでありました。奥様も87歳。おふたりで暮らしておられる。ある意味、これからのわたくしの理想であります。

現在でも7時間は机に座り、
100歳になられても日々コンピュータに向かって、研究をなされておりました。
非常に感動しました。

わたくしなぞ、小僧っこでありまする。
一丁前のことを、ほら吹きのごとく言っていたらそれこそ笑われます。



「深みが無い」と、日頃、師匠とお慕いしている年長のドクターにご指導をいただきました。
わたくしの亡父のシベリア抑留体験を扱ったレポートに対してでありました。
亡父に対する尊厳の気持ちが希薄であったようです。

これはある意味衝撃でありました。

本当かもしれないと思ったからであります。

だんだんと亡父の亡くなった年齢に近づいています。
あと一年であります。ちょうど60歳で亡くなったからです。

師匠の指摘で、誤解していたことに気がつきました。
亡父は、ニヒリストであったのかもしれないという愚かな息子であるわたくしの理解を訂正していただきました。
ここにも固定観念の固まりであるわたくしの姿を分析されている師匠の慧眼に接して本当にわが身の幸福を思ったしだいであります。






明日は銚子駅前から、動画を撮ってきます。


待っていてくださいね。










 


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始業式レジメ

2011年01月07日 05時27分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

おめでとうございます。
なによりも、諸君たちの元気な顔を見ることができたことに安心をしております。


さて、元旦は全国的に荒れ模様の天候であったようでした。幸い、関東地方だけが元旦の朝、天候に恵まれて初日の出を見ることができました。拙ブログに載せるため太陽の姿を撮影しようと、車で海岸まで出かけました。多くの方々がおられました。だんだんと明るくなってくる時間と共に、歓声も上がります。すばらしい大自然の光景に、感動をしておりました。
波も静かでありました。実に見事なまでに、ひたひたと押し寄せていました。
このような一年でありたいものであります。平常心を失わずに、冷静に、かっとならずに、こころ静かに日常を送りたいものであります。荒い波のような振幅の大きい生き方は永続しません。一時は良いときもあるかもしれません。ひたすら牛歩のごとく、努力したいものであります。
そんなことを初日の出を見ながら考えておりました。

ところが、この同じ日に、また同じ時間帯で、銚子の君ヶ浜では海が違った姿を見せていたのだそうです。銚子在住の方にお聞きしました。ちょっと北の茨城県の海岸では高校生による防波堤での事故もあったと知りました。なんということでありましょう。保護者の方々の哀しみを思うと、ほんとうに安全な生き方をすることについては、何度でも諸君たちに申し上げなくてはならないと考えます。こころからお願いいたします。命だけは、大切にしてください。
そして思ったことは、あまり距離も離れていないのにも関わらず、同じ海が、同じ日の同じ時間帯でどうしてこのように全く違った姿を見せるのでありましょうか。片方の海は、こころ静かに、波穏やかに姿を見せている。別の場所では、波が高い。
非常に不思議な現象であります。自然界のことについてはよくわかりませんが、また理科的には説明がつくのでしょうけれども、まったく門外漢のわたくしには理解できないことでありました。

しかしながら、太陽はわずかな時間に、どんどん上っていきました。あっという間の初日の出撮影でありました。自然のすばらしさを見ながら、「本校のますますの繁栄」「3年生諸君の進路実現」「本校を志願してくださっている中学生のみなさんの健闘」を思いました。

また新しい一年が始まります。3年生は、卒業を、進路実現を目指してください。2年生も1年生も、あと一年、あと二年で今の3年生と同じような心境になることでしょう。ぜひ、立派な成績を残して、立派に進級してください。すべては回り回って、同じような経験をしていくのです。海は海であって、現象的には凪の時もあれば、荒波の時もあります。しかし、海は依然として海であることに間違いはありません。何が本質で、何が枝葉末節なことであるのかをわきまえて行動をしてください。その一つが、否、最も優先されるべきことが、あらゆることに「学ぶ」であります。路傍の石にも、雑草にも学ぶことができます。なぜ、そこに石があるのか。なぜ雑草があるのか。それを考えることもまた学問であります。自己満足せず、けっしてうぬぼれることなく、自己の不完全さを思い、知識のたらざるを憂い、健康体力をより向上させて、自己の人格を鍛えなさいませ。
それが世のため、他者のためになるからであります。期待しています。

最後に新年にふさわしい和歌を紹介しましょう。


のどかにもやがてなりゆく景色かな 昨日の日影今日の春雨
伏見院、玉葉集18番
いまはまだ寒いけど、春は確実に一歩ずつ近づいてくる。だから身を縮めていないで、のびのびしよう。そんな気分にさせてくれるというような意味であります。。
今年がみなさんにとってよい年でありますことを、祈念して始業式の挨拶とさせていただきます。
                                   (平成二十三年 三学期始業式レジュメ   外山日出男)


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明日は始業式

2011年01月06日 23時17分50秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日もいろいろと世間のしがらみで、多忙でありました。
それでも基盤は、本校の生徒の向上しかありません。

今日はいろいろな講演をお聞きしておりました。


こういう状況を、江戸時代の広瀬淡窓先生ならどう思われたのかと考えてしまいました。


あるいは毒舌で鳴らす評論家諸氏がどうのたもうか。。。。

こういうのを楽しみにしているようではいかがなものかとは思いますがね。



現代の教育の諸相は、本当に江戸時代に表層的に現れています。
さすがの広瀬淡窓先生でも私塾のいじめ問題について悩んでおられる。
もしかしたら、これは前提がいろいろと違ってくるのかも知れないと考えたしだいでありました。


教育は現象面だけを扱っているものでもありませぬ。
常に根本に立ち返り、哲学を考えなくてはなりませぬ。


すくなくとも、現場実践人であるならば、そういう覚悟はある筈であります。


そういう意味で、この間の日本語暗唱教室のボランティアは良い経験でありました。
こんどはこれを「分析批評」をしていただくつもりです。

若手の教員に、わたくしの拙い講座を見ていただいて、それを自由に批評していただく。
相互に、批評しあう。


これはいい刺激です。

こういうのが向上の源となるのです。




明日は始業式です。
準備は済ませました。


明日の朝五時頃には、始業式のレジメがアップされます。
懶惰な校長ではありますが、どんなに多忙であっても、在校生諸君のことをいつも思っています。

こんなに尊い仕事であったとは、あまり考えてもみませんでした。経験が人間を成長させるようであります。代々教育一家でありました。ですから、余計にそんなんでいいのかと悩んだ時期もありました。でも結局は、遺伝子どおりの生き方でありました。後悔はありません。ありがたいかぎりであります。




ただし、生活綴り方教育に一生を捧げた亡母のような生き方はできませんでしたが。


 


 


 


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今日も予定が

2011年01月05日 22時53分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日も予定が大幅に違ってしまいました。
非常に多忙な時期に突入しております。
さらに、始業式の資料も作成したいと思っておりましたが、これも家でやるしかなくなり、先ほど原稿を作成し終わり、関係の先生方にチェックを依頼してようやく拙ブログの記事にかかっております。

いつもは家で読書をするのが、習慣なのですが、今日はまったくなにもできませんでした。
ネットから購入した古本を今日は読んでみたかったのです。秋田県の古書店様から送っていただいた書籍です。アメリカで売れた本で、それを翻訳してくださった先生がおられて、新本ですとかなりの値段です。古本ではそれほどでもなかったものですから、いつも使っているサイトから送っていただきました。

それができませんでした。いい本ですから、こういうときはちょっとがっかりします。

さらに健康体力の向上のために、スポーツジムにも行っていますので、ますます時間が厳しくなります。
拙ブログも趣味、ジムも趣味ですからあまり苦にはなりませんけれども。

ところで、拙ブログの動画で初日の出を紹介させていただきました。
この穏やかな波が、ちょっと離れたところでは、違っていたのだそうです。

驚きました。
自然界の不思議さに、です。

理科的には説明できるのでしょうが、まったくの門外漢であります。
同じ海なのに、ちょっと距離が違うと波の高さまで違ってくるのですから、ほんとうに不思議なものであります。
こういうところにも、「無知の知」ということを考えてしまいます。
全く知らないことが多いものです。

なにかの記事にも書きましたが、路傍になにげなく転がっているどこにでもあるような石がなぜそこに存在しているのかということもまったくどうやって説明するのでしょうか。そんなことは、石に聞いてみたまえとでも言われるのでしょうか。笑い話のようなものかもしれませんが、けっこう重要なことかもしれません。こんなことから存在とは何かというテーマに興味を持っていただくこともあり得るのかなぁと思っています。



三学期は実に多忙な時期になります。

こういう時に、体調を崩さないようにすることもまた何かの智慧であります。
風邪をひかないようになさいませ。


 


また明日。
(明日はちょっと更新が困難かもしれません・・・・・・・・・・・・)


 







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銚子テレビで紹介されました

2011年01月04日 21時08分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年




日本語暗唱教室(NPOのBeCOM様主催)を生徒4人と共に、体験させていただきました。昨年の12月18日でした。広瀬淡窓先生をやりました。

まったくのボランティアでありました(再度申し上げます=完全無報酬ですよ)。

国語の授業らしきものを行ったのも15年ぶり。浅学非才を恥じるのみでありました。唯一、長い期間にわたって遅々たる読書をしてきただけであって、本当に面の皮が厚いなぁと慨嘆しておりました。

広瀬淡窓が専門ではありませんし、いまだもって「無知の知」を求めて、修行中の身であります。英語の単語もどんどん忘れていく有様であります。

本当に世の中の真のインテリ達や真のエリート達がうらやましいのであります。無知の知などということは考えてもみないでしょうから。

今日は、学校で、地元銚子テレビ様が、やはり昨年の12月29日にこの日本語暗唱教室をニュースで取り上げてくださいました録画を見ました。それをボランティアをしてもらった本校の生徒達に見せるべく一枚のDVDにしました。著作権があるので、学校に来ていただければお見せすることが可能なのですが。差し上げることもできません。法律で禁じられていますからね。

さすがに映像のプロの作り方に感動しておりました。
わたくしの動画なぞ、まったくの素人であります。

ここでも「無知の知」を求めて、再勉強をしなくてはならないと思った次第です。




今日もセンター試験目指して、3年生の諸君が自学自習をしておりました。
いい姿であります。
実にいい姿であります。

自学自習とは言え、わたくしはこれを他者のために飛躍しようとする若者の基礎力鍛錬と受け止めております。自分のことしか考えられない自称インテリや、自称エリートでは所詮器が小さい。そんなものでは、人生の結果は見えています。ゴールに到達したときにどうなっているかが、ポイントであります。人生の終末期にどうなっているか。これがわたくしのレポートの執筆対象でもあります。老年学、死生学、ケア学、人間学とやってきました。悔いはありません。このことの解決無しには、生涯に悔いが残りまする。まったくそう思っています。

やはりわたくしは亀のようにたゆまぬ努力が大切であると思います。

今日も生徒達に学びました。
いつまでも勉強するしかないのであります。
生涯学習であります。

これでオイラは仕上がったと思った時が慢心。あっと言う間の下り坂。
そんなことを感じました。



今日は、東奔西走でありました。
仕事始めから、実に多忙でありました。

到底、仕上がったなどと、わめいている暇も時間もありません。
これから今日もインターネットで注文してから、自宅に送られてきた古本を読んで、情報収集であります。明日も配送されてくるようです。そんなメールが来ていました。便利なものです。実に便利。欲しい本は書名がわかっていますから、どんなに大都会の大書店に行っても殆ど入手困難な本ばかりです。

専門外ですから、大学の学部レベルの教科書を取り寄せました。
こうでもしないと、とてもついて行けないグループに所属してご指導をいただいているからです。

周囲の知的欲求に圧倒されてばかりです。本当にすばらしい方が世の中には多いものであります。大学や大学院を出ても、さらにさらに向上を目指して努力なされているのです。職業を持ちながらです。これは実にすばらしい。本当に頭が下がります。専門分野をさらに拡大されようとしているのです。10代後半に大学に学んだからといって、停滞をしていません。たった4年だけ、あるいはその後の修士課程に自己満足をしていない方々ばかりです。そこに充実した向学心を見るのです。すばらしいことであります。しかも、向老期にむかっているわたくしに、実に丁寧にアドバイスや、ご指導をくださる。

ありがたいかぎりであります。

凡夫はいつまでも修行するしかないようであります。もっとも、これが生き甲斐なのかもしれません。正直に言ってです。趣味の分野に所属しています。実感として。


 


 


また明日!


 


 


 


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初日の出動画アップ

2011年01月01日 17時56分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年





正月は、全国的に天候がおもわくしくなかったようです。

関東だけ初日の出を見ることができたようです。

朝の散歩の時に、ラジオで言っておりました。

それで急いで撮影したのが、動画と、この静止画。
他県の方々も見ていらっしゃるようですから。

なかなか九十九里の海岸から見る初日の出はいいものです。


基本的に、宗教的雰囲気を書くわけにはいきませんし、またなんとか詣でとかお参りとかも私人としては全くやりませんので、この程度でご勘弁を。理由も書けません。

太陽の昇る姿にただただ感動しておりました。

日の出の勢いで隆盛していきたいものであります。
わたくしの名前も日の出の男と書きます。
なぜそんな名前を亡父がつけたのか、だいたいはわかっているのですが、これも書けません。
亡父は、シベリア抑留を体験した軍人でありましたから、戦後の退廃的な雰囲気にあきれかえっていたようでした。このことは去年のレポートにさんざん書かせていただいたので、これもこれくらいに。

さて、新年になりましたから、ことしの抱負とか、信念とか、目標とかは、もう50年続いている日記にまとめました。

ことしも新しい日記を購入して、いろいろと書きました。

楽しいものであります。

夢を追い求めて、努力するというその過程が楽しいのです。

私人としての目標です。自分だけで、そっとあたためておいて実現を目指して努力したいと思っています。


動画に校長としての目標は書かせていただきました。

自他共に成長したい。

三年生の合格を。

本校のますますの繁栄を。


そんなことを動画に書きました。

しかし、最も優先事項の高いのは「こころ静かに、波静かに」でありましょうか。


穏やかな心境でありたいものであります。
無知を自覚しながら、知を追い求めていきたいものであります。ソクラテスのように。他の多くの知識人やエリートたちに、学びたいものであります。また、そっと咲いている路傍の草花にも。ただそれだけであるという「存在すること」の定義について。あるいは、「ある」ということの意味について。最近は、実にここらへんについて、非常に苦慮していますから。


学びの対象はなんにでもあります。

さ、これから正月ですから、読書三昧です。

24日あたりまで、たくさんの中古本が茅屋に配送されてきました。

待っていてくれると思うとわくわくしてきます。
4月からまたいろいろレポートを書くために、第一次資料を収集しなくてはなりません。
国語の教員免許しかありませんから、どうしても学校経営に関する教育学的な素養に欠けます。心理学もそう。教育法規もそう。教授法もそう。教育相談もそう・・・・・・・・・・教員というのは本当に広範囲な素養がないとやっていけないと実感として思います。だからやるっきゃないのです。年をとっている暇がない。でも、それでも楽しいものです。

楽しみ、楽しみ。


基本的に土日は投稿をしないのですが、正月ですからお許しを。

またの機会に。




※在校生諸君、餅を食べ過ぎて体調を崩さないようにしましょう!

外に出るときはマスクをしたほうがいいですよ。わたくしもやっていますから。




コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/