お江戸に行っておりました
ふうう、疲れました。お江戸に行っておりました。しかも全く予定にないお江戸。もしかしたらあり得るかもしれないとは思っていたのだけれども、まったく案内のメールもなにもいただいていなかったから、まさかのまさか。行ってきて良かったですな。はじめからオレは人数の中に入っていたので。
どうも最近こんなことが多い。
つまりオレだけが知らないのだ。他のヒトは連絡があるのに、オレのところには無いってやつ。参ったね。Wifeはオレがボケているからだと云うのだが、どうもそうでもないらしい。そもそも、オレは長いこと公務員をやらせていただいたので、文書主義になっていて、文書がないと行動に移せないという悪癖を持っている。37年もやったのだから、そういう体質になっている。仕方がないではないか。
しかも文書主義だと仕事は確実である。致命的なミスはしない。当然である。それが今はメールになっているっちゅうだけの話である。
ま、いいか。
そんなことは。
それより、お江戸の帰りは古書店街を散策するのだ。これが何より楽しみである。今日も行った。そして、「教訓抄」という古典を買ってきた。なんと500円だったのだ。悲鳴が出そうだった。ありがたくて、ありがたくて。今、この古典について、駄文を書いているからである。県立図書館から借りてきていたのだが、これで返却することができる。
東陽堂という仏教書専門店では、西本願寺の貴重本を1000円で買ってきた。しかし、書店の奥様と話をしていて、カード支払いがokと聞いたのに、柳田国男全集37巻を7000円で売っていたのに、買ってくるのをワスレテしまった。シマッタと思った時には、東京駅からバスに乗っていた。シマッタ!
また今月中には行くつもりだ。
そう、今週の土曜日だ。西千葉の千葉経済大学で、研究発表が終わったら、速攻で行く。37巻、7000円だ。民俗学を標榜している以上、ゼッタイに欲しい全集である。マジに。
それにしてもアレだなぁ。
オレは本当に若いよん。
見た目は完全にじじいだが、行動的なのだ。
今日も神田から駿河台の明治大学の前を通って、明大の中に入って暫し、休憩をした。オレが、このあたりを徘徊していたのは1970年ごろだったから、なんともまぁ大昔だ。そのころ生まれた方は、40代ではないのかな?ま、どうでもいいけど。
お茶の水界隈もきれいになったもんだ。
学生しかいないようなくたびれた町だったのが、今はもう見違えたようになっている。駿河台から中央大学がいなくなっちまったのも寂しいねぇ。変わったもんだよ。東京医科歯科大学は歴然とそびえていたが。お茶の水の駅から、その東京医科歯科大学の偉容を見上げていたら、小中学校も高校も2年先輩だったKさんのことを思い出して、しんみりしちゃったですな。
あんな奥羽山脈のド田舎から上京してきて、K先輩は、よくもまぁこんなエリート大学で勉強する気になったもんだって思ったのだ。やっぱり、やる気のある人は最初からものが違いますな。まったく。
神田に行くと、我が青春を思い出すのだ。しんみりと。もう過ぎ去った過去だけどねぇ。
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