近江八幡で水郷めぐりをした後、バスで40分程で彦根城に着きました。
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駐車場の側に滋賀県の護国神社がありました。
駐車場から中堀に沿って、たくさんの松の木が植えられていて、「いろは松」と呼ばれている所を過ぎ、
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二の丸佐和口多門櫓(国重要文化財)。
1767(明和4)年に火災で類焼し、明和6年から8年にかけて再建された建物です。この道の突き当りにあった櫓門は、明治になって失われました。
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中堀の外側のこの中央辺りに、幕末の大老、井伊直弼が藩主の14男として産まれ、まだ部屋住みの時代に住んでいた「埋木舎(うもれぎのや)」がありました。
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佐和口から入り、重臣達の屋敷がある二の丸に「馬屋」がありました。(国重要文化財)。城内に馬屋が残る例は彦根城だけであり、平成27年度に本格的な文化財保存修理を終えました。
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藩主などの馬が21頭つながれていた場所で、レプリカの馬さんがいました。
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内堀には観光船が進んでいました。
ここから、彦根城天守閣に登るグループと玄宮園庭園を見学するグループに別れました。天守閣には昔登ったことがあるので、玄宮園に行くことにしました。
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途中、井伊直弼像がありました。彦根城を訪れた観光客は、大河ドラマ「花の生涯」の時が最も多かったそうです。
国の名勝・玄宮楽々園は、大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と、御殿に続く池泉・枯山水庭園である楽々園を合わせた総称で、天守閣のある本丸、西の丸と内堀を隔てて、彦根城東北部分に広がり、その外側には琵琶湖の内湖が広がっていました。
江戸時代前期には作庭されていましたが、10代直幸の頃に初めて「玄宮園」という名で呼ばれています。
彦根城天守閣と玄宮園セットなら大人800円ですが、玄宮園だけなら200円で入ることができます。
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復元された水田。藩主が領内の五穀豊穣を祈って、田植え神事が行われていました。近くに藩主が競べ馬を見物した馬場もありました。
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玄宮園の中には4つの茶屋があり、藩主の慰安や社交の場として使われました。
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一番高い所にある茶屋で、500円でお茶とお菓子で休憩することができます。
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茶屋から広い池と庭を見下ろす素晴らしい眺め。
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槻御殿(けやきごてん)。
楽々園の中心的建物で、「奥向書院」とも言います。第4代藩主が1677年に着手して下屋敷として築造され、第13代直中が1812年に隠居するにあたり、大きく増改築しました。井伊直弼は1815(文化12)年にここで生まれました。
この書院から連続して、御茶座敷「地震の間」があります。石畳みの土台の上に舟形状の木製枕が置かれ、その上に平屋建ての建物がのっていて、地震の時には建物の底が土台の石畳みの上を滑る免震構造になっています。
この時は、楽々園の一帯はまだ修復中で、遠くから建物を見るだけしかできませんでした。
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庭園から天守閣を見上げると、池に天守の影が映って見えます。
池泉回遊式の大名庭園、池と緑の静かな景観が素晴らしく、時によって、蛍を鑑賞する会や、秋の虫の音を聴く会などが開催されているようです。
14時半から16時くらいまで彦根城を見学した後、バスで彦根を出発、琵琶湖大橋を渡り、比叡山を超えて18時過ぎに京都に帰ってきました。