土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終着駅・奈半利で降りて、駅のイタリアン料理店でお昼を食べてから、奈半利の町の散策に出かけました。
奈半利町は高知県の東部、阪神タイガースのキャンプで有名な安芸と室戸岬との中間、奈半利川の東岸にある交通の中心地で、古くは紀貫之の「土佐日記」でも「那波の泊」として記録され、山内一豊が土佐に入国した時にも宿泊したところです。
上流の木材を奈半利川の水運によって運搬・集散していましたが、やがて森林鉄道奈半利線ができてからさらに発展しました。さらに明治以降、樟脳や林産物・捕鯨・製糸業もさかんになって、この地域の中心地となり、その頃の伝統的建造物が今もたくさん残っています。それぞれの建物に説明文がついていましたが、ほとんどのお家が今も住み続けておられる民家です。
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高札場。
ここを起点として高知県東端の東洋町野根まで、50km余りの野根山連山を尾根伝いに越えて行く野根山街道が続き、718(養老2)年にはすでに利用されていました。
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江戸時代の旅籠屋、西尾家住宅。
主屋は江戸末期、台所・蔵・納屋・レンガ塀・便所は大正初期の建築です。
明治7年の佐賀の乱に敗れ、高知で捕えられた江藤新平が泊まったといわれています。
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このお家には説明板はついていませんでしたが、奈半利の住宅の特徴は、このような漆喰の壁に水切り瓦がついて強い雨風に当たっても大丈夫なように造られています。
土佐漆喰は消石灰に発酵させたワラすさを加え水でこねたもので、糊を使わないので水に濡れても戻りがなく、厚塗りが可能できめが細かくなっています。
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奈半利町4号津波避難タワー。海に近い町なので、このようなタワーがあちこちにありました。
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うだつのある家・浜田家住宅(増田屋)。
主屋・店舗・レンガ蔵は1903(明治36)年築、大蔵・蔵は江戸末期築です。1795(寛政7)年創業で造り酒屋と質屋を営んでいました。主屋一階になまこ壁、二階にうだつが付けられ、土間の梁は50cm角、長さ12mの松材で地域随一の大きさです。
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大蔵(酒蔵)と蔵(米蔵と道具蔵)。
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曲線を描いた塀。
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レンガ蔵。寄棟造り桟瓦葺き二階建、内部に木造の螺旋階段があります。
奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船が帰りにバランスをとるために積んできたものです。
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改田家住宅。
主屋は大正初期の建築で、敷地内に主屋・釜屋・便所・風呂棟等があり、周囲を石塀で囲っています。
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南面の石塀は、浜石を両面に埋めこんで高さ2.1m、厚さ36cm、長さ23mになっています。
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東面の石塀はこの家独特のものです。
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次は、登録有形文化財、近代化産業遺産の藤村製絲株式会社繭蔵です。
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1899(明治32)年築。当初は酒蔵でしたが、大正6年に四国で唯一の製絲会社の繭蔵となり、平成17年までここで操業していましたが、現在はブラジルで行っています。
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6段の水切り瓦は奈半利で最も大きなものです。
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敷地の周りの石塀も明治のもの。門の右側は丸石、
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左側は浜石を半割りにして小口を見せたものです。
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近くに高知県の天然記念物、二重柿(ふたえがき)の木がありました。
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樹齢は推定100年。渋柿で、内皮と外皮の二重になっています。
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森家住宅。
「土佐の交通王」と言われた実業家・野村茂久馬の元住宅で、蔵は明治中期築、主屋と東西南石塀は1918(大正7)年頃の築です。戦後は料亭が経営されていました。
主屋は入母屋、桟瓦葺、西面は下見板張り、上げ下げ窓の洋風意匠です。
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東側の塀にはレンガのアーチ門があります。
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野村家住宅。
主屋は1922(大正11)年頃、東と南の石塀は明治後期の築です。
藩政時代は年貢米を集める地主で、「倉床(くらとこ)」と呼ばれていました。門の中には曲線を描いた石塀があります。
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元奈半利町農協の米蔵、斉藤家住宅。
1938(昭和13)年築の蔵で、昭和23年設立の奈半利町農業協同組合の倉庫として利用されていました。妻面は腰壁に下見板張り、土佐漆喰の壁に水切り瓦、明かり取り用の窓に鉄製の扉がつけられています。
土佐漆喰の町・奈半利(2)に続く。