団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

400m男子リレー

2008-08-24 08:08:52 | スポーツ
                400m男子リレー

                         2008年8月24日(日)作成

 北京オリンピック陸上100m・200mで、完全に話題を独り占めした感がするジャマイカのウサイン・ボルトであるが、400m男子リレーでも世界新記録を出す圧勝で3冠を達成した。ボルトの躍動感ある走りは、鳥肌が立つほどの興奮を覚える。

 私に、そのボルトよりさらに興奮と感動を与えてくれたのは、日本チーム(塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、浅原宣治)の銅メダルだ。(38秒15)
 私は、3位というより2位のトリニダード・トバコに肉薄したと評価している。何故なら、4人の自己ベスト記録を合わせたら全くかなわない相手なのに、0秒09差まで迫ったのだから。

 この銅メダルは、日本チームのバトンパスワークが他の国のチームに較べて、優れていたからだと見るべきだろう。
 世界ではバトンの受け手が手のひらを上に向けるオーバーハンドパスが主流だが、日本では手のひらを下に向けるアンダーハンドパス(バトンを渡す側が次の走者の手に下からはめこむ)を01年から取り入れていた。今回バトンミスで失格となった国はどこもオーバーハンドパスだったから、アンダーハンドパスの安定性が証明された。しかし、その反面タイムがかせげないという難点がある。日本チームはそこを「練習」により克服したのだ。
 これは、リレー競技におけるバトンパスワークの日本型スポーツモデルの勝利ともいえるものだろう。

(参考)日本が5位になった昨年の世界選手権のデータ。(朝日新聞より)
 バトンの受渡しをしなければいけないゾーン(20m)の日本の所要タイムはパス3回で計5秒66。これは優勝した米国より0秒13、2位のジャマイカより0秒33速かった。

 ところで、
 企業活動では、グローバル・スタンダードという名のもとに、アメリカ型の個人単位の成果重視型ビジネスモデルが流行っているが、私は日本に合っているとは思わない。スポーツにおいて、日本型ともいえるべき方法が成果を上げたのだから、企業活動においても、日本の特性に合わせたチームワーク重視型のビジネスモデルが存在すると思うのだが、どうだろうか。
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200ボルト

2008-08-22 17:11:20 | スポーツ
                  200ボルト

                         2008年8月22日(金)作成

 100ボルトが200ボルトにパワーアップだ!!。
 北京オリンピック、20日行われた200m男子決勝で、ジャマイカのウサイン・ボルトが19秒30の世界新記録で圧勝した。2位に6メートル以上の差だ。

 100mのときは、記録は狙っていなかったようだが、200mは記録も狙ってたのだろう、最後まで力走した。

 「ここで世界記録を破るとは思わないな。スピードを持続する練習が十分じゃないと思うし、コーナーをもっとしっかり回らないといけない。」これは、前世界新記録保持者のマイケル・ジョンソンがボルトについて語った言葉だが、これがボルトをパワーアップさせたのか。

 ボルトが記者会見で語った言葉が印象的だ。
 「ジャマイカにとって大きな結果になったと思う。国の人々、路上にいる人もすべて含めて喜びを分かち合いたい」。
 「路上にいる人」とは、ホームレスのことだろうか。
 22歳になったばかりのこの若者は、貧しい人々に対する思いやりも具えている。

 来年は、世界選手権に出る予定という。条件(追風等)がうまく合えば、100mは9秒50台、200mは19秒20台が出るのではなかろうか。

 ボルトは、人間は限りない可能性を持っていることを証明し、そして人類に夢と希望を与えてくれた
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ボルト 9秒69

2008-08-17 14:02:40 | スポーツ
                 ボルト 9秒69

                         2008年8月17日(日)作成

 1964年東京オリンピック男子100mで優勝したのは、10秒フラットの世界タイ、オリンピック新記録を出したボブ・ヘイズだ。「褐色の弾丸」という異名を取り、猛牛が突進するようなその走りは、私の脳裏に焼きついている。
 市川崑監督の「東京オリンピック」を見て、改めてその迫力を感じた。

 北京オリンピック100m男子で優勝したウサイン・ボルトの走りは、私にはバネが弾んでいるように見えた。10秒69。自らが持つ世界記録を0.03秒短縮する世界新記録だ。

 予選、それに続く準決勝で、ボルトの世界新記録の樹立は十分予測された。最終盤は明らかにスピードを落とし流しているのに、9秒85(準決勝)のタイムを叩き出したのだから。

 オリンピックのゲームで、私が最も興奮させられるのは、この男子100mだ。わずか10秒足らずの時間だが、熱い凝縮されたドラマが展開される。
 号砲とタイムラグを感じさせないロケットスタート。頭を前傾させ身体を左右に揺すりながら突進する様は、レーシングカーが発進間際にスピンしながら加速するような感じだ。身体を起こしてからの加速は、ターボの加給が乗ってきて、身体をぐいぐいシートに押し付けるように強力だ。

 最後の15メートルくらいで、ボルトは、もうこれで十分ターボに乗ったというように、アクセルを緩めてしまった。最後は胸を叩く余裕を見せて、フィニッシュした。
 
 誰もが、最後まで加速し続けたら、もっと驚異的な世界新記録が出せただろうにと思っただろう。しかし、ボルトに言わせば、世界新記録は何時でも出せますよ、ということだろう。
 
 次は200mだ。圧倒的な強みで、驚異的な世界新記録を見せ付けてくれるだろう。
コメント (2)
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08 8 8 8

2008-08-11 17:12:17 | スポーツ

08 8 8 8


2008年8月8日(作成)

 「08 8 8 8」は北京オリンピックの開催年月日時だ。
 中国では「8」が縁起がよい数字と言われており、そのため、「8」のゾロメを開催時刻にしたのだろう。

 実は、私は「8」という数字が「異常」に好きだ。小学校の頃からである。そのため、自分にコードが振られる際に「8」という数字が付くと嬉しかった。36年勤めた職場の職員番号の末尾番号が「8」だった。「8」で縁起をかつぐこともある。数字には個性はないのに、特定の数字が好きになるというのは「変だ」→「変人だ」。

 「8」という数字が好きな根拠は特に思い当たらないが、「8」は他の数字と違う特徴を持っている。
 1から9までの算用数字を書き、何らかの線を書き足すと、一応「8」と読める数字ができる。他の数字ではこうはいかない。

 1から「8」を除く9までの数字に、9の一桁から九桁までの数字を「×」と次のようになる。なんとも見事な美しさである。

 12345679×9=111111111
 12345679×99=1222222221
 12345679×999=12333333321
 12345679×9999=123444444321
 12345679×99999=1234555554321
 12345679×999999=12345666654321
 12345679×9999999=123456777654321
 12345679×99999999=1234567887654321
 12345679×999999999=12345678987654321

 どうしてこのようになるのか、図表等でいろいろと解明を試みたが、私の数学力では当然、できなかった。

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朝青龍

2007-08-16 18:16:05 | スポーツ

朝青龍

2007年8月16日(木)


 このところ、毎日のように、朝青龍の処分に関することが報道されている。
 報道されていることが事実だとすると、一つだけ、気にかかることがある。
 それは、日本相撲協会の処分は「私刑」の部分があるのではないか、ということである。

 朝青龍が処分を受けた訳は、診断書を提出し夏巡業には行かないのに、モンゴルに帰ってサッカーをしたということだ。いわば、夏巡業をサボったと見られたのである。

 朝青龍は、これまでも、多くの問題を起こしている。私は、稽古で相撲仲間に怪我をさせた、という件に関しては、許せないと思った。

 さて、処分の内容だが、2場所出場停止、4か月の減俸というもので、さらに「自宅謹慎」ということも言われている。
 「自宅謹慎」の内容は詳しくは知らないが、外出することも制限されるようだ。
 
 私は、朝青龍に厳しい見方をする方だと思うが、「自由に外出する」ことすらできないような処分は、いかがなものかと思う。
 大げさな言い方になるが、「市民的権利と自由」を奪うようなことを、私的団体が行うことは、「私刑」ではなかろうか。

 もっとも、仮に外出が自由だとして、あれだけ報道陣が待機していると、結果的には自宅にこもることになるのだろうが。

 高校時代、交通事故を起こし、停学処分を受け、自由に外出ができなかった。
その経験から、私なりの意見である。
 
 交通事故を起こしたのは、高校2年の3学期のことでした。
 人生時計「11時55分頃」 チン  
 

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