調査能力
2016年9月24日(土)
小池百合子東京都知事は、豊洲の盛り土問題にかんする職員の調査について、苛立ちを表しています。確かに、問題が発覚して、2週間経つのに、知事の要求する資料を作ることができないというのは、「優秀な役人」としては恥ずかしいことと思います。しかし、本質的には、都として調査能力があるかないかということですから、それは、組織のトップである知事の調査能力が問われているということなんです。ここのところを小池氏は認識しているのかしら? ちゃんとした調査ができないというのは、あ~たの責任なんですよ!
職員がどのような方法で調査をしているか、無関係者の私に分かる訳はありません。ただ、ひょっとして性善説に立っているのかしら?と思います。「性善説」とは、調査対象職員が話すことを信用しているのではないかということです。
ここで、私の独善ですが、私なら次のように調査します。
役所は、文書主義といって、組織として意志決定する場合は、必ず文書にします。盛り土をしない仕様書の意志決定をしている訳ですから、その起案責任者に尋ねれば良い訳です。「あなたが、盛り土をしないという案を考えたのですか?」それに対して起案者が、「自分ではありません。誰から指示されたか、覚えていません。」という答えだったら、その起案者に、挙証責任を求めれば良いでしょう。指示した人間を特定しなければ、起案者が考えたという推定をするということです。そりゃそうでしょう。極端な話、全員が「私ではありません。」と答えたら、仕様書の起案責任者が考えた案だと考えるしかないではないですか。
自動車評論家の国沢宏光氏が、「どっかの国だったら、石原氏は監獄にぶち込まれるような話だ」という趣旨のことを言っています。私ゃ、さずがにそこまでは言えず、「懲戒免職100回に相当する」と言った表現にしましたが、国沢氏の方が正解かも知れません。 注 知事には「懲戒免職」というのは制度上はありません。ただ、それだけ、罪が重いということを言いたかったのです。
石原氏は、盛り土をしないという契約書に決済印を押していると思われます。(三桁億の契約ですから、副知事以下の決済ということは考えられません。)その契約書には、盛り土をしないことが書かれています。ここで、若干余談ですが、マスコミでは石原氏がその契約書を読んでいないという前提で問題が論じられていますが、読んでいるかも分からないのです。読んでいるという前提で論じないと、話しが進みません。というのは、決裁者は文書を読んでその内容を確認して決済するのが本来の姿なんですから。石原氏が読んでいないというのであれば、石原氏に読んでいないということを挙証してもらえば良いでしょう。それができないのなら、読んでいると推定するしかありません。
石原氏は、「全面的に協力する」と言っています。そんな、受動的立場ではなく、石原氏に疑惑が集中している訳ですから、自ら進んで記者会見を開いて記者の質問攻めを受ける必要があります。随分威勢の良い方ですが、記者の質問攻めを受ける勇気はないようです。若干余談ですが、その質問には、何故週に2回程度しか登庁しなかったのか、その言い分を問うてもらいたいですね。この給料ドロボー!
盛り土をしないという内々の意志決定は、2011年3月から6月の間に行われているようです。一部マスコミで指摘されていますが、東日本大地震で液状化したことが理由ではないかと言われています。
東京都の職員は、「優秀」ですから、液状化する等何か問題が起こった場合に備えて、地下空間を作った方が良いのではないかと考えたのではないかと思います。でも、何故、それならその理由を示して地下空間を作るということを公けにしなかったの?という疑問が出ますが、それは、そもそも豊洲には土壌汚染問題がある訳ですから、それが再燃し、やっかいな問題になると考えたのでしょう。
仕様書を決済した岡田至元市場長ですが、この方も書類を見ていないと言い張っています。・・な、馬鹿な。この方は「優秀な」都の職員の中でもエリート中のエリートでしょ。決済するというのは、文書の中身を確認して決定印を押すというのは、むしろ職員に垂れる立場のお方ですから、百も承知のことです。ここもでマスコミは、岡田氏の言を信用して読んでいないという前提で問題を論じていますが、これでは、マスゴミと言われても仕方ありません。
文書にハンコを押している人間は全て知っていたという前提にしなければ、大袈裟に言うと、役所の意志決定システムが崩壊することになります。