宮沢賢治記念館
2013年11月27日(水)
(一昨日の続きです。)
宮沢賢治記念館へは、1988年11月27日に行ったことがあります。でも、その時のことはあまり印象に残っていません。同時に訪れた高村光太郎記念館の方が、ショッキングだったことによるのかも知れません。
宮沢賢治の生きた時代(1890年・明治29年~1933年・昭和8年)は、第一次世界大戦(1914年)、ロシア革命(1917年)、戦後恐慌(1920年)など激動の時代でした。そのようななか東北にあっては、度々の飢饉により身売りなどの悲劇が繰り返されていました。
劇作家の平田オリザ氏は、その「悲劇」について、次のように書いています。(2012年7月18日、朝日新聞)
かつて奥州は、平泉に金色堂を建てるほどの富を持っていたはずなのだ。南部一藩は米本位制の徳川幕藩体制に組み込まれなければ、デンマークのような酪農国家になる可能性を秘めていた。南方由来の稲作を無理に行ってきたために、この地は毎年のように飢饉におびえなければならなかった。△宮沢賢治は・・「農民芸術概論綱要」のなかで、以下のようにも書いている。△曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成り楽しく生きてゐた/そこには芸術も宗教もあつた/いまわれらにはただ労働が生活があるばかりである
賢治は、このような苦しい東北農民の生活を豊かにするための実践活動のなかで、病により身体を壊し、志半ばで倒れてしまいました。
賢治の残したものをみると、知の巨人とも言うべきで、詩や童話、教育や農業、環境、信仰、科学、芸術など実に多彩です。アインシュタインの相対性理論に関することとか、熱量に関する論文を書いていたなど科学に関することまで、関心を示していたのには感心しました。
昨日10に泊まった宿の女将さんから、花巻へ来たのですから賢治記念館へ是非行ってくださいと勧められました。私は今日訪れる予定の、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町の行程を考えると非常に厳しいと思ったのですが、訪ねてきて正解でした。感銘を受けました。
記念館は、小高い山の上にあります。
賢治の童話のキャラクターでしょうか。賢治の童話には猫がよくでます。
そんなに山奥ではないのですよ。クマったものです。
このふくろうの彫刻は光が当たると色が変化するといいます。
イーハトーブが岩手県という意味だということを初めて知りました。
紅葉と賢治の人生に気持が高揚しました。