団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

ニコン(話題)

2007-12-31 11:30:35 | Weblog
                ニコン(話題)

                           2007年12月31日(月)

 今日(31日)の朝日新聞によると、
 「市場が急拡大しているデジタル一眼レフカメラ市場で、07年の国内販売はニコンがキャノンをおさえ、市場が本格的に立ち上がった05年以降で初めて首位に立つことが確実になった。」
 「今年1月~11月のデジタル一眼レフカメラの国内販売のメーカー別シェアは、ニコンが43.3%で首位となり、キャノン(39.9%)をかわした。」
 とある。

 1か月くらい前、広島のヤマダ電機では、もっと凄かった。
 「今デジタル一眼レフは、ニコンが70%、キャノンが25%、その他5%となっています。木村拓哉効果ですヨ。」とは販売スタッフの話である。「木村拓哉が宣伝するようになって、ニコンを指名買いする客が増えました。ポスターを欲しいというお客さんもいます。」

 ニコンと言えば、極限での使用条件を考え、高くても、選ぶカメラという、「硬派」のイメージがある。
 しかし、「軟派」でも選ばれるようになった!

 一個でも二個ン。硬派でもニコン、軟派でもニコン。

 しかし、こういうムードでのシェアアップは、何時覆るか分らない。特に一眼レフといえども「消耗品」になったような現在では。


(関連ブログ)「デジタル一眼レフカメラ」(2007年8月26日(日))
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消費税論議(話題)

2007-12-30 18:36:08 | Weblog
              消費税論議(話題)

                          2008年12 月30 日(日)

 消費税の増税の「カウントダウン」も間近になるような気がする。世論も「増税容認」が増えてきた。
 そういう中、2007年11月25日のTV放送「たかじんのそこまで言って委員会」で、注目すべき発言を聞いた。

 発言者は、立命館大学の高橋伸彰教授である。
 テロップによる教授のプロフィールは、
「教授の専門は、日本経済論、経済政策、早稲田大学政経学部を卒業後、日本経済研究センター、通産省企画室主任研究官などを経て、99年より立命館大学教授に、構造改革や郵政民営化などに反対」
となっていた。

 余談だが、教授は竹中平蔵氏とかつて職場が同じことがあり、竹中氏のことを「大嫌いだ」と言っていた。私も氏が大嫌いなので、教授を大好きになった。単純(笑)

 教授の説明では、次により、消費税を増税する必要はないという。

1 相続税の増税
  約120万人が死んでいる。遺産が年間約30兆円。現在1兆5千億円の相続税を7兆5千億円に、6兆円増税する。

2 赤字企業の雇用税創出
  企業が280万社あるが、税を払っているのは80万社。払っていない200万社の総人件費250兆円に2%の税率を掛けて、5兆円。

3 個人の給与所得の増税
  1年以上雇用の正社員は、給与所得が200兆円あるが、10兆円しか税を払っていない。これを、①課税最低限の引下げ、②最高税率の引上げにより、15兆円にし、5兆円増税。

 合計16兆円増税で、消費税の5.2%分になる。

 私は、教授の提案には、基本的に賛成である。ただし、「課税最低限の引下げ」は、生活費課税になるのなら反対だ。
 次に反対というより、「相続財産は年金財源に繰入れる」というのが、私の提案である。遺産の2/3の20兆円を年金財源に繰入れれば、年金問題は一挙に解決するだろう。

 税にしろ何にしろ、「国民負担」の問題は、「確固たる理念」が必要である。

 「相続財産は年金財源に繰入れる」という私の主張の「理念」はいずれ書こうと思っている。
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年末・年始

2007-12-29 09:29:18 | 家族

年末・年始


2007年12月29 日(土)


 昨夕(28日)、新幹線に乗って、東京へ向かった。今年も、年末・年始を関東圏に滞在することにしたためである。長男家族が千葉県、次男が東京都に住んでいるから、私達夫婦が行くのが「効率的」なのだ。
 昨年も行ったから、「も」だ。

 一番の楽しみは、孫に会えることだ。小学校2年生だが、サンタさんをまだ信じているので、幼稚なものだ。孫との触合いは、気持ちが癒される。

 目的もある。長男の嫁が計画してくれ、「還暦祝い」をしてくれるという。6人で皆であるが、29日から30日にかけて一泊で房総半島へ行くそうだ。子どもを前にすると、つい「小言」が出そうであるが、この日ばかりは「チャック」だ。

 昨日は孫の家に着いたのは23時過ぎと遅かったため、孫は寝ていた。
 今朝8:30頃起きたら、孫はもう起きていた。
 恒例になっている「むぎゅ」の儀式をした。

 「むぎゅ」とは、私が孫を抱きしめながら、孫に「Yちゃん、大好き、大好き」とか、「大事、大事」と耳元で囁くのである。
 孫を抱きしめると、気持ちが癒される。

 2歳頃から続いている私と孫との儀式であるが、いつまで続くのやら。いずれ、孫が嫌がる時期が来ることがあると思うが、それは「成長」の証か。

 


 

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たんす株(話題)

2007-12-28 16:51:46 | 経済
                    たんす株(話題)

                                          2007年12月28日(金)

 たんす株が140億株20兆円あるという。20兆円というのには、びっくりした。1万円札を積んで、約200kmの高さ。

 2007年12月28日の朝日新聞によると、
 紙の株券が無効になる株券電子化の全面実施が09年1月に迫った現在も、紙の株券のまま家庭内で眠っている「たんす株」が全国で約140億株残っていることがわかった。・・現在の時価総額から換算すると20兆円分になる。
 という。

 ところで、年金問題にもあるように、この140億株のうちにも、「宙に浮いた」株券もあるのではなかろうか。
 例えば、株主の住所が変わって、企業が配当金を配ろうにも配れないといったものがあるだろう、ということである。

 その場合、その配当金はどうなるのであろうか。また、そもそも株券の所有権はどうなるのだろうか。
 常識的には、時効により国庫に帰属するということだろうが、これだけ、偽装の多い世相である。誰かが、どこかで悪事を働いていないかと心配である。

 09年1月頃には、「宙に浮いた」株券問題がきっと話題になるだろう。
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ディーゼル粒子(話題)

2007-12-27 18:03:32 | Weblog
             ディーゼル粒子(話題)

                           2007年12月27日(木)

 ディーゼルエンジンが見直されている。それは、ガソリンエンジンより燃焼効率が良く、CO2の排出量が少ないからだ。排出ガスの浄化装置の技術革新が、その前提にある。

 ところが、12月23日付けの中国新聞に、「ディーゼル粒子」と題して、気になる記事が載っていた。

 (ディーゼル粒子とは)ディーゼル車の排ガスに含まれる黒鉛の正体で、炭素の小さな粒子の周囲にさまざまな有害化学物質が付着している。ぜんそくやアレルギー、肺がんのほか、循環器への影響や流産の増加、精子数の減少などを招くことが多くの動物実験で指摘されている。最近では粒径が1万分の1㍉から100万分の1㍉程度と小さく、肺から血液中にまで入り込む超微粒子による汚染や生物への悪影響も注目されている。
 とある。

 現在、最新鋭の排出ガスの浄化装置が、どの程度の大きさまでの粒子を除去するのか知らないが、一部の自動車評論家によると、「走れば走るほど、都市部の大気を浄化する」そうだ。
 注 都市部の大気は最新鋭の浄化装置を付けた車の排出ガスより汚染されているから、最新鋭の浄化装置で「浄化」するという理屈だ。

 しかし、本当だろうか。
 聞いた話であるが、ガソリンエンジンでは、ディーゼルエンジンから出る排出ガスより、更に微粒子の物質が出る、と言う。測定限界値以下であるため、科学的に立証できず、問題にしようがないとか。(注 裏付けはとっていません。)

 現在の科学の到達点では、解明できていないことを、我々は想像力で補う必要があるのではなかろうか。

 今は、先の新聞記事にあるように、「超微粒子」までは問題になっている。
 しかし、ゴク近い将来ではないかもしれないが、「極超微粒子」が問題になる時がくると思われる。
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NISSAN  GT-R

2007-12-26 08:55:01 | Weblog
            NISSAN GT-R(話題)

                           2007年12月26日(水)

 今年の東京モーターショー(10月26日~11月11日)で、カーマニアの注目を一番集めた車は、NISSAN GT-Rだろう。
 数年前に、カルロス・ゴーンCEOが「復活宣言」し、今年12月6日ようやく発売になった。

 この車の前進は、スカイラインGT-Rである。プリンス自動車が造ったが、日産自動車に吸収合併され、ついに今回から「NISSAN」へと名称を変えた。ゴーン氏は日産の「象徴」にしたかったのだろう。

 プリンスという会社は、前進が航空機会社であり、技術力は優れていた。スカイラインGT-Rは、当時の日本グランプリで、無敵を誇った。
 この流れを受け、NISSAN GT-Rという車は、凄い車である。最高時速が320㎞。加速の速さを示す指標の、0→100㎞までの時間は、3.6秒(10秒を切れば、一般には速いとしたものだ)。777万円からのプライスタグだが、同等の性能のポルシェより、1,000万円安い!という。
 これらの高性能を誇示するかのように、先のモーターショーで、日産のブースにゴーン氏が運転して登場するという力の入れようだった。

 注文も殺到しているし、中古車のオークションでは、早く乗りたい人が新車より高い1,000万円を付けたそうだ。
 車単体で言えば、順風満帆のようであるが、こういう車を「象徴」にしようとする日産の将来には、「?」を持つ。今、車に求められるのは、「CO2の削減」であり「安全性」であり「小型化」である。

 私は、日産には、従来の技術の延長線上での高性能ではなく、新しい革新的技術による高性能を追及して欲しかった。例えば、BMWは従来のレシプロエンジンに水素を燃料とする車を開発している。(CO2が出ない。)

 日産は、かつては「技術の日産」と言われていた。ゴーン氏は、「技術の日産」の「復活宣言」をすべきであった。
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スタッフサービス(話題)

2007-12-25 09:59:17 | Weblog
             スタッフサービス(話題)

                           2007年12月25日(火)

 「オー人事 オー人事」。このキャッチコピーで有名になった派遣業界最大手のスタッフサービスであるが、リクルートに買収されるという。(12月20日付け日本経済新聞他)
 いや、私は「買収される」というのではなく、スタッフサービスの創業者で、株式の8割を所有する現会長の岡野安次郎氏が、「売り抜けた」というのが、真相ではないかと推察している。

 岡野会長は、次のようなことにより、自ら興した会社が「身の丈」を超えるようになったと感じ、そして今が売り時と判断したのではないかということである。

1 事業規模の急拡大
スタッフサービスの事業の急拡大は凄まじいものがある。同業他社との比較で見ると、
マンパワー・ジャパンというアメリカの企業の日本法人があるが、2006年度売上980億円で第6位にしか過ぎない。(マンパワーは世界では2位。)
私と同年の従兄弟の1年先輩が、マンパワー・ジャパンに就職したという話を聞いたことがあるが、その創業は1966年である。
一方、スタッフサービスは、創業は1981年で、同売上3,234億円であるから、15年も後に生まれた企業が売上では約3.3倍もある。
マンパワー・ジャパンの「停滞」もあったのかもしれないが、どちらかというと、スタッフサービスの急成長が特筆されることだろう。

2 経営環境の悪化
 いわゆる「規制緩和」により、人材派遣業界は急成長した訳だが、その結果は、ワーキングプアであり、格差社会の問題である。付随して違法派遣のようなことも起こっている。
 これから、「規制緩和」が見直される可能性がある。
 また、雨後の筍のように林立した派遣会社は、これからはM&A等による「淘汰」の時代になることが予想される。
 つまり、これまでと違って、経営環境は厳しくなるはずだ。

3 コンプライアンスの問題
スタッフサービスという会社は「コンプライアンス」に問題を抱えている。
大阪支店で過労による自殺者が出たこと。
残業代の不払いがあったこと。
宮崎支店長が、ネットで内部告発されたこと。
派遣契約書の偽造を行ったこと等々。
数多の同業他社を押しのけて首位になったのには、相当グレイのことをしている可能性がある。この体質は一朝一夕に変わるはずはない。
つまり、何時危機的問題が噴出するか分からない。

 とまれ、岡野氏は、「創業者利益」として千数百億円を手にすることになる。私は、引き際が実に見事と思う。
彼は、この資金を基に次の「一手」を考えているのだろうか。「言って」欲しい。
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薬害肝炎訴訟(話題)

2007-12-24 19:39:15 | Weblog
               薬害肝炎訴訟(話題)

                           2007年12月24日(月)

 「薬害肝炎訴訟」の原告弁護団の弁護士2人と話をしたのは、昨年の10月頃だったと思う。当時、職場でたまたま、私が、そういう来客の担当者であったからである。

 その時は、率直に言って、フィブリノゲンという薬剤名を初めて聞くなど、この訴訟について、今のような深刻な認識はなかった。

 2人の弁護士は「ある要請」のため、大阪から来た。内容は専門的なことがあり、十分理解できない部分もあったが、熱心さは十分伝わってきた。その要請は、結局組織の方針で受けることはできなかった。しかし、当時私が今現在の認識があれば、もう少し力になることができたのではないか、という悔いがある。

 ところで、各種メディアによると、福田首相が一転、「被害者全員を一律救済する方針」を23日表明した、という。
 「被害者全員の一律救済」は、原告の一貫した主張であるが、私は原告の「一律」の思いと首相の思いが一致しているかどうか疑問がある。

1 今日、職場でも話題になったのだが、首相の方針転換は内閣支持率の低下に影響されたという見方が大勢だ。つまり、動機が不純なのだ。「不純」なものから良いものが出るだろうか。
2 議員立法というのが、うさんくさい。国の責任を認めたくないという思いが「見え隠れ」する。

 一方、原告・弁護団は同日、「大きな一歩であると評価し、解決につながることを期待する」との声明を発表した、という。
 こうして、ともかく、事態の打開に向けて動き出した。

 今後のポイントは、「国の責任の範囲」だと思う。それにより何時から救済するかということが決まるのだから。しかし、この問題は、そう簡単ではない。
 私は、今後も「紆余曲折」があると予想している。
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キレる(話題)

2007-12-23 18:14:59 | Weblog
                キレる(話題)

                           2007年12月23日(日)

 「キレる大人たち」という記事が、2007年11月16日から3日間、朝日新聞に連載された。
 私の職場にも、かつて、キレる職員(ここではその人の口癖が「yameru(辞める)」ということだったので「Y」とする。)がいた。
 
 このYの特徴は、自分の気に入らないことがあると、「キレる」。そして、攻撃的になるということにあった。
 「記事」に書いてある内容と、私が日頃Yと接していて感じていたことが実に「符号」することに、驚いた。

1 「記事」によると、「幼児期の願望が満たされないまま大人になっているので、不満や怒りがどんどんたまり、ある時点でコップから水がこぼれ落ちるようにしてキレる。」とある。
  私が、ある精神科医にYの日頃の行状を説明すると、「幼児期の発達障害による人格形成に問題があったのではないか」という趣旨の意見だった。

2 「記事」によると、「根本の攻撃衝動は、他人など外側に向かって爆発するだけでなく、内側に向かってキレると、うつ病・・に至るとみる。」とある。
  Yの場合は、外側に向かっての攻撃が主要なものだったが、一日中部屋に閉じこもるなど、内側にも向かったこともあった。
  私は、Yはかつて「うつ」状態になり、職場を休んだりした事もあったのではないかと、推察している。

3 「記事」によると、キレた人の体験談として、「家に帰っても「まだ言い足りない」という思いが残り、次のキレにつながる・・」とある。
  Yの場合も、ある日ある事でキレある人を攻撃したことがあり、翌日もそのキレた状態が続いており、再びその人を攻撃したことがあった。

4 「記事」によると、「キレる」は攻撃型で対処する行動で、「ぼやく」「ののしる」から・・幅広い」とある。 
  Yの「ぼやき」は、異常なもので、何時も「クッソー」とか「乱暴な言葉」を言い、皆が気にして、職場環境を悪くするほどのものであった。

 一方、同じ朝日新聞の11月1日付けの「コラム」に著名な精神科医である和田秀樹氏が次のように書いている。
 「場合により、イライラ感が増したり、攻撃的になったりするタイプのうつ病もあるが、薬物療法で改善するし、最近の分子生物学的研究では、うつ病の早期治療は神経細胞の変性を防ぎ、病気の長期化や後遺症を減らすとも言われている。最近は抗うつ剤も進歩し、通電療法の有効性も明らかになり、治療効果もあがっている。」
 
 Yは、和田秀樹氏が指摘する「イライラ感が増したり、攻撃的になったりするタイプのうつ病」ではないかと思う。

 素人である私が、Yに対して、「診断を受けたらどうですか」という話ができないことが、残念である。
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音楽浴

2007-12-22 18:27:14 | 音楽

音楽浴


2007年12月22日(土)


 12月20日付けの毎日新聞に、作家の光野桃さんの「コラム」が載っていました。その美文をぜひ、紹介したくて・・。

 光野さんが、イタリア人で初めてチャイコフスキー・コンクールで優勝したというチェロ奏者のマリオ・ブルネオのコンサートを聴いたことのエッセイです。

(前略)溢れんばかりの色彩に満ちたブルネロの音楽が、頭の上からシャワーのように降り注いでくるのである。それは、聴く、というより、まさしく、浴びる、と言った感覚に近かった。音の粒が、一つ一つはっきりと感じられ、それが、身体の中心に響き、奥底から揺さぶってくる。音楽が色となり形になって、ストレートに身体に入ってくるのだ。
 音楽とは確かに振動なのだ、と、そのとき実感させられた。振動の細かな粒が、体内の水を揺らして、マッサージする。身体と心が一体となって「気持ちいいっ」と叫び始める。
 いい音楽を聴いたときはエンドルフィン(気分を高揚させる脳内物質の一つ)が湧出されて、脳波がアルファ波になる、とはよく言われることだが、演奏する音楽家に近い場所で聴くことは、まさしくその効果が強められるのかもしれない。

 「クライマックス」へと続きます。

 演奏が終わったあと、友人の顔を見ると、つやつやと、まるでエステに行ったみたいに輝いている。お互いに肌がきれいになったことを確認し、これこそ「岩盤浴」ならぬ「音楽浴」効果だと発見した思いだった。(以下略)

 私も、最近「音(楽)浴」を感じることがあり、10月27日付け「アジアン・ユース・オーケストラ」で触れたのですが、文章力がなくて・・。

 ところで、私はベートーベンの第9の合唱団員として歌ったことがあります。
 そこで感じたのは、「音の礫」なのです。
 私の後ろの人が歌う声が、「固い音の塊」になって、私の後頭部を直撃するのです。合唱指導の先生も、「前の人の頭に唾を飛ばすように声を出しなさい。」と言っていました。繰返しますが、「音の礫」です。

 合唱団員は、その「音の礫」を投げつけられると、アドレナリンが湧出され、自分も誰かに投げ返そうと「戦闘モード」に入ります。合唱団全体が「戦闘モード」になることにより、あの迫力ある合唱になるのです。
 「音の礫」を感じるのは、多分、オーケストラの団員も同じだと思います。

 ということは、ステージでの音の「礫」がフロアーに伝わる間に、「て」が消え、光野さんの言う音の「粒」になるということなのでしょうか。
 どうして、「て」が消えるのでしょうか? 私は、なんとも、想像力をかき立てられ、ロマンを感じるのです。

 「なるほど」と思った人は、私の「目くらましの礫」に惑わされた?の?か?な?

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ふるさと創生事業

2007-12-21 14:05:05 | Weblog
              ふるさと創生事業
 
                           2007年12月21日(金)

 最近、たまたまヒットしたものに「ふるさと創生事業」というのがあった。その中に、何と1億円全てを宝くじ購入に充てた自治体があったというのには、開いた口がふさがらなかった。

この「ふるさと創生事業」について、レポートを作成したことがある。以下にそれを掲載する。


         自ら考え自ら実践する地域づくり事業について

 昭和63年12月21日自治省が発表した新規施策の主題の事業(いわゆる1市町村1億円配分による事業「ふるさと創生」)については,全国の市町村に複雑な反応を呼び起こしている。手放しで歓迎のところ,使い道をどうするか困惑するところ,国からいろいろ注文をつけられるのを警戒するところ等々。マスコミの興味本位の取材も始まっている。
 「ふるさと創生」論は,竹下首相の持論といわれ,一昨年の自民党総裁選に当たって出版された「素晴らしい国・日本 私の『ふるさと創生論』」(講談社)のなかで展開されている。
 この本のなかで「ふるさと」という言葉は,本来の人びとの生まれ育った郷里という意味以上に自由自在に使われている。竹下首相によれば,「ふるさと」とは,「私の生まれた故郷は,今も目を閉じれば,炭焼きの煙が青空にすうっと吸いこまれる島根県ののどかな山村」という意味での生まれ育った故郷でもあり,「日本列島全体」でもあり,地球は「人類共通のふるさと」でもあるといったような,とめどもなく広く用いられている。それだけに無内容であり,政策構想全体をソフトにつつむための修飾文句だけの性格が濃厚である。「創生」という言葉も,日本語の辞書にはない意味不明のものであり,「言語明瞭・意味不明瞭」といわれても仕方ないものである。
 この構想は,地方の自主性を尊重し,地域振興を支援するという売出し文句であるが,はたしてそうであるのか。
 第一に,この財源に充てるとされているのは,昭和62年度決算剰余金精算分として地方交付税に追加されることとなっている1兆808億円と63年度の地方交付税の自然増収見込額1兆484億円合計2兆1,256億円のうち一部3,000億円である。
 この財源は,本来地方自治体の自主財源として,国が自動的に交付しなければならない財源であり,国が恩恵的に与えるという筋あいのものではない。
 「ふるさと創生」のためとして,あたかも,竹下首相の特別の配慮で授けられるというような印象をふりまく配分のやり方は,参議院選挙目当ての「全国規模の利益誘導」(「日経」社説62.12.13)といわれても仕方ない。
 地方交付税法第3条にも「国は,交付税の交付に当っては,地方自治の本旨を尊重し,条件をつけ,又はその使途を制限してはならない」と定めている。
 特定個人の政策名を冠して,「自由に使ってほしい」といいながら,実際は,県に推進のPRや監督をやらせ,自治省に推進本部,内閣に関係省庁連絡会議をもうけて推進各自治体から使い道について報告を求めるというのだから,地方交付税の交付の原則を無視したやり方である。
 第二に,一律配分というやり方も,一見,小規模自治体ほど交付金の割合が多く配慮されているかにみえる。しかし,公共の金をつかみ金的に「自民党の派閥の領袖が子分に配るモチ代」(「AERA」64.1.31)のように配るやり方は,現行の交付税の交付が厳密な計算基準に従って,計算されるというたてまえを完全に踏みにじるものである。こういう恣意的な公金の配分は,財政の私物化ともいえるもので,許されないことである。
 一方,政府は昭和60年以来すでに5兆円近くにのぼっている臨調行革に基づく補助金カットを,来年度も継続あるいは恒久化し,地方自治体への負担を強化することを行おうとしている。地方自治体首長が,「税制改革で地方財源を取り上げた口止め料(斎藤・栃木県栗山村長 「毎日64.1.29」),「余裕があるならなぜ地方への補助率カットの復元ができないのか(畑玉県知事 同上)という批判の声をあげているのも当然といえる。
 次に,1億円配分を前にして,市町村ではその使い道について,いろいろの「アイデア」がだされ,マスコミの話題にもなっている。
 そのなかには,兵庫県津名町のように,1億円の金塊を買って役場に展示するというような突飛な案もだされている(「読売」64.1.24)。竹下首相自身が「いい案がなければ,それを金融機関に預けておくだけでも毎年4・5百万ずつ金利がつきます」(「自由新報」64.1.3・10合併号)という調子だから,津名町のようなアイデアがでてくるのも当然である。自治省が“ソフト事業”を中心にせよと指導している点からも,イベントやプランづくりのノウハウをもつ業者が,アイデア競争に乗って儲けをせしめようと手ぐすねひいている。
 以上,「ふるさと創生」は問題に満ちたものであるが,ともかく実施される運びとなった。
 もともと自治体の自主財源として,住民の福祉の向上のために使われるべき財源なのだから,「ふるさと創生」事業の名で勝手気ままな無駄づかいや,企業のもうけのタネにさせるなどをしてはならない。
 地方自治体にとっては,この1億円が配分されてきた場合,住民要求をまとめて,真に地域の振興に役立つ支出とすることが重要になってくることはいうまでもない。すでに,この配分金をねらって「ソフト事業」のノウハウをもつイベント企業,PR企業,計画づくり企業が手ぐすね引いているということも伝えられている。この1億円の財源は,竹下首相が恩恵的に地方自治体に分け与えるというような性格のものではなく,地方自治体に本来配分されるべき公金であるのだから,地方自治体は,これを竹下流「ふるさと創生」の宣伝普及に使わせず,住民の総意に基づく有効な活用を行う必要がある


 「ふるさと創生事業」のレポートを書いたのは、1989年。
 私の人生時計「14時53分」 チン
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中傷コメント(3)

2007-12-21 10:32:48 | Weblog
             中傷コメント(3)

                           2007年12月21日(金)

 私は、2007年9月5日付のブログで、要旨次の通り書きました。

 今日から21日まで、(自立神経失調症で)職場を休ませてもらうことにした。
 上司はメンタルの病気について、非常に理解のある方だった。
 職場の皆には、迷惑をかけるので、心苦しかった。

 それに対して、亀さんという方が次のコメントを寄せてくれました。

上司の方に理解して頂いてよかったですね。
職場の皆様もぼんやりだけどお分かりになるでしょうよ!21日迄ゆっくり、(心苦しい、押し付け 迷惑等考えていたら調子が逆行しますよ!)しましょうよ。

 問題は、「第三者」という方が、上記二人のやりとりに関して寄せてきた「コメント」です。忠実にそのままを記載すると、

「現象を陳腐な同情で一方向のみから判断するのは非常に情けない話です。社会は常に相対するもので構成されています。
 これを機会に、自分のことも、相手のことも、落ち着いて見つめ直す機会とされてはどうですか。
 それが両者には必要ではないでしょうか。」

 この「第三者」という方の「コメント」は文章として、私には非常に分かりづらいのですが、辞書を引きながら、解釈してみました。

 まず、「現象」とありますが、「私がメンタルな病気で休む」ということと考えられます。続いて、「陳腐な同情で一方向のみから判断するのは非常に情けない話です。」とあります。
 「陳腐」とは、広辞苑によると、①古くなってくさること、②ふるくさいこと、③ありふれていること。とあります。
 亀さんという方が私のことを「心配して」寄せいただいた「コメント」を読めば分かることですが、ブログで知った私という人間に対して、非常に共感を抱いてくれた「コメント」であり、私には非常に「新鮮」で、勇気付けられるものでした。「第三者」という方には、そういう感性がないのでしょうか。

 次に、亀さんが「同情」(広辞苑によると、「他人の感情、特に苦悩・不幸などをその身になって共に感じること。」してくれたのは、確かだと思いますが、「一方向のみから判断する」という意味が分かりません。
 具体的に、どういう方向があるのかを示さないと、そもそも趣旨が伝わらないです。
 次に、「社会は常に相対するもので構成されています。」というのが、難解です。何回読んでも、趣旨が理解できません。「相対」とは広辞苑によると、①向きあっていること。向かいあうこと。②相互に関係を有すること。対立すること。また、相対的であること。③他に対して在るもの。他との関係において在るもの。一定の関係、一定の状況においてだけ妥当するもの。とあります。
 
 解釈するに、次の段落で、「相手のことも、・・」とあり、「相対」とは「相手のこと」という意味かもしれないのですが、
 具体的に、私の場合は、その「相手」は誰なのでしょう。亀さんの場合は、誰なのでしょう。

 そして、なおさら分からないのが、「これを機会に、自分のことも、相手のことも、落ち着いて見つめ直す機会とされてはどうですか。」と書いてあることです。
 ここで、「自分」とは、私及び亀さんのことと思われますが、「相手」というのが誰を指すのかが、前記同様分かりません。「相手」とは一体誰なのでしょう。

 最後に、「それが両者に必要ではないでしょうか。」と結んでいますが、「相手」が分からない状況で、何を「落ち着いて見つめ直す機会」とすべきと主張するのでしょうか。

 「第三者」という方は、思考回路が交錯しているのでしょうか。電気製品なら回路基盤の交換が必要といったところでしょうか。

 「第三者」という方がもし、このブログをお読みになられたら、堂々と趣旨の伝わる平易な文章で再「コメント」をお寄せください。
 そうでなければ、それこそ、「第三者」という方の「コメント」は「陳腐」で、「一方向のみからの判断」で、「相対」という意味を理解せずに書いておられるようなので、ご自身の「コメント」を「落ち着いて見つめ直す機会」が「必要」になるということでしょう。
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中傷コメント(2)

2007-12-20 23:57:17 | Weblog
               中傷コメント(2)

                           2007年12月20日(木)

 ブログに対する中傷コメントは他のブログニストも経験するのかも知れないが、随分執拗に中傷して来る人もいるものだ。しかも、私に対してだけでなく、コメントを寄せた人に対しても。

 私は、2007年9月3日(日)のブログで、要旨次の記事を書いた。

 ①今日精神科医に受診したところ、「自立神経失調症」と診断され、休養をすすめられた。②休むということになると、職場の皆に迷惑になるので、抵抗感がある。③Dr.は気分転換が良いということなのだが、なにが良いのだろう。

 これに対する、Unknown氏の中傷コメントは次のとおりである。

 「「大した仕事をしているわけではないが・・・」からすると、もしかして、Windyさんは公務員では。そんな気がします。気分転換に旅行でも行かれるんですかね。いいですね。」

 この中で「気分転換に旅行でも行かれるんですかね。いいですね。」と言っているが、これはメンタルの病気に対する認識欠如で、精神病患者に対する人権侵害発言である。誰も、好んで病気になっているわけでもないのに、それを「いいですね」とは!交通事故で大怪我をして入院している患者に「仕事を休めていいですね」と言っているに等しいことだ。

 一方、私のことを心配して、frommybeatlesさんが次のコメントを寄せてくれた。

「仕事も大事ですが、仕事は代理がききます。自分自身は、自分以外の人には代理がききません。自分を大事にする人が、私は好きです。」

 ところが、こともあろうに、このUnknown氏はfrommybeatlesさんにも攻撃の矛先を向けた。次のとおりである。

 「「仕事の代理」を押し付けられた方の重圧感を考える余裕だけはお持ちください。「自分さえよければ」という世の風潮が恐ろしく思えます。」

 この「コメント」に対する私の考え方は次のとおりである。

 仕事は組織でするもので、そもそも、「仕事の代理」を押し付けられたとしたら、それはその組織の問題であり、病気で休んだ者に対して言うことではない。
「「自分さえよければ」という世の風潮が恐ろしく思えます。」とのコメントは、「自分さえよければ」の「自分」は誰を指しているのか。仮に病気で休む私に対して言っているのであれば、人権侵害もはなはだしい。つまり、病気でも出て働けと言っているのに等しいようなものだから。

 最後のUnknown氏のコメント、「いざ、佐渡?、輪島?」は、何のことかさっぱり意味不明である。
Unknown氏に、「意味不明のコメントですが、サードーしたの?」と聞いて見たい。

 ブログにコメントを寄せるのは、ネットの新しい文化として発展する可能性を大いに秘めていると思われるが、中傷コメントは「犯罪になる場合がある」ということを、このUnknown氏は認識する必要があるだろう。
注 「インターネット上のひぼう中傷」を取締るのは警察庁。今年、インターネット上のひぼう中傷の相談が8,037件。

 Unknown氏がどんな人か知らないが、氏を知る人が、以上のようなコメントを寄せていることを知ると、「やっぱり!」と思うような人だと、私は考えている。
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ジャガー売却へ(話題)

2007-12-19 17:51:16 | Weblog
             ジャガー売却へ(話題)

                           2007年12月19日(水)

 12月17日付けの日本経済新聞で、「ジャガー売却先、タタ有力に」と報道されている。
 「16日付けの英サンデー・タイムズ紙は、米フォード・モーター傘下の英ジャガーと英ランド・ローバーの売却先として、インドのタタ自動車が有力になったと報じた。売却額は十億ポンド(約2,300億円)前後とみられる。二週間以内に正式発表がある。」
 とある。

 ジャガーとタタという組合せに、私もであるが、多くの人が非常に違和感を感じたと思う。
 ジャガーは高級車の名門ブランドである。一方、タタは、インドで商用車の最大手で、2008年に3,000ドルカーという超安価な小型車で乗用車部門を拡大しようとしている。「タッタ」3,000ドル!

 高級車といわばタタの造る「安物車」の組合せとは!
 自動車評論家の徳大寺有恒氏は、私が、自動車評論家として自動車を文化として語ることのできる唯一の人だと思っているが、「ジャグワー」(「ワ」はほんとは小文字)と発音し、この車に愛着を持っている。この徳大寺氏が今回の話を聞くと、きっと嘆くであろう。

 しかも、ランド・ローバーと一緒で「2,300億円」とは!正に「バナナの叩き売り」みたいなものだ。名門ブランドも地に落ちた。

 タタ自動車としては、高級車ブランドを得て、一気に世界的にブランド力を付けたいと考えていると思うが、(ここからは広島弁)「ほいじゃがー、うまい具合にゃいかんでー。」

 英国紳士が、成り上がり者の造る「ジャガー」を買うと思いますか?
 結論は見えている。タタが作る「ジャガー」は、凋落の一途をたどるのではないだろうか。
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日産とクライスラーの提携(話題)

2007-12-18 20:24:52 | Weblog
           日産とクライスラーの提携(話題)

                           2007年12月18日(火)

 12月15日付けの日本経済新聞によると、「日産自動車が米クライスラーと完成車の相互OEM(相手先ブランドによる生産)供給を軸にした提携交渉に入った。」とある。

 要は、相互に「弱い部分」を補完するということだ。
 その背景は次のようなことだろう。

 日産は、かつてGMに提携を持ちかけたことがある。日産はトヨタのように巨人ではないから、これからの国際自動車競争を勝抜くためには、スケールが必要と考えているのだろう。

 一方、クライスラーはダイムラーからの分離後、自動車には素人のファンド会社が経営することになった。
 ともかく、何でも良いから、「良いと思われること」に「ダボハゼのように喰らいついた」ということだろう。
 「ダボハゼのように」というのは、例えば、クライスラーはトヨタ初の外国人役員を引っこ抜いたが、恥も外聞もなく何でもするという趣旨だ。

 本当は、トヨタが声をかけてくれた方が嬉しかったはずであるが、トヨタはリスキーなことには慎重な会社だ。(この段落は蛇足)

 提携には当然リスクが伴う。
日産はスズキから軽自動車のOEM供給を受けているが、どちらにリスクが大きいかというと、それは日産の方だ。なぜなら、自動車会社というのは、自動車を売る前に「造らなければならない」からだ。「自分で造らない車を売ってどうするの?」と私は思う。つまり、リスクとは、「造らない」→「造れない」になる可能性があるということだ。

 今回の、日産・クライスラーの提携は、どちらかと言えば、日産にリスクが大きいように思う。その根拠は私の「勘」。

 数年後結果が出るので、私の「勘」が当たっていたら、鐘を「カーン」と鳴らしてもらいたい。
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