団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

川棚のクスの森

2008-05-31 18:57:43 | 
                川棚のクスの森

                         2008年5月31日(土)作成

 目の前に開けた巨大なクスノキに圧倒された。
 「川棚のクスの森」という。一株であるにもかかわらず、遠めには「森」のごとく見えるその姿からこの名は付けられたそうだ。

 山口県の川棚温泉の近くの立石山に生息している。
 樹齢およそ千歳余!
 日本三大樹の一つ
 樹幹の周囲 約11メートル
 樹の高さ 約21メートル 
 樹枝の最長 約27メートル

 山頭火が詠んだ歌の石碑が建っていた。
 大楠の
 枝から枝へ
 青あらし

 もう一人、
 ひと木にて森をなしたる
 大楠を仰ぎつつ来て
 その蔭に入る
  中西輝麿(私はこの人は知りません。)

 このクスノキを仰ぎ見て、つくづく人間の存在の小ささを感じた。

 車に帰ると、ベートーベンの「ミサソレムニス」がかかっていた。この曲はミサ曲にしては力強い曲で、木と音楽という全く違ったものでも、先ほどのクスノキの枝ぶりの力強さと合い通じるものがあった。
 しかし、このクスノキとミサソレムニスで、最も両者に合い通じるものは、「敬虔な気持ち」にさせられるということだった。

 土曜日にもかかわらず、誰もいなかったので、妻と手をつないで、クスノキの周りを歩こうかと思ったが、「敬虔な場所」として相応しくないと、思いとどまった。

(写真)川棚のクスの森。2008年5月31日撮影しました。全景では幹が見えにくいので、近づいて写しました。根尾谷淡墨桜(2008年4月19日ブログ参照)にも圧倒されましたが、このクスノキの方がより存在感がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船場吉兆の廃業

2008-05-29 17:36:49 | 社会
                船場吉兆の廃業

                         2008年5月28日(木)作成

 産地偽装などが相次いで発覚した高級料亭「船場吉兆」が廃業する。
 客の食べ残した料理を使い回していたことが今月初めに発覚し、客離れが加速していたというから、当然の帰結だ。

 私は、船場吉兆に対して、ブログで痛烈に皮肉った。(2008年5月4日、「きっちょる」)実は、そんな船場吉兆を贔屓にする「客」に対しても皮肉った。さすがに「客」も、「使い回し」の店を贔屓することを「恥」と感じたのだろう。

 女将社長は記者会見で、今月2日に使い回し問題が発覚し、「山から転げ落ちるようにキャンセルが相次いだ。」と声を震わせたという。
 これまでも、この女将の記者会見はTVで何度も見たが、今回は皮肉にも「真実味」があった。


 ところで、偽装といえば、「賞味期限」を改ざんした石屋製菓株式会社がある。
 私は、この会社に対して、ネットで意見を申し上げた。「内部通報制度を設ける必要があるのではないでしょうか」というものだった。
 それに対して石屋製菓株式会社は、2008年1月10に次の回答を寄こした。

 「ご提案のあった内部通報制度ですが、昨12月から実施しております。通報先は内部と外部夫々設けております。
 今回の反省を踏まえ、弊社としては、良いと思われること、出来ることは何でもやろう、という考えで様々な対策を講じてきたつもりです。但し、組織や仕組を作ったり変えても、中にいる人の意識が変わらなければ何の意味も持たないと思いますし、加えて、間違いは間違いと言える環境・雰囲気を作ることも大変重要なことと思っています。そういう意味では、まだスタートしたばかりで、これから会社風土として定着させる努力を続けていかなければならないと考えています。
 今後共、ご指導ご鞭撻頂きますようお願い申し上げます。」

 船場吉兆が、当初からこの石屋製菓株式会社のように真摯に対応しておれば、違う展開になったのではないかと思う。
 何事も最初が肝心だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極細麺ラーメン

2008-05-28 22:06:48 | 食べること
                 極細麺ラーメン

                         2008年5月27日(火)作成

 昨日26日は、いつも行くスナックで軽く飲んだ後、ラーメン店に行ったのですが、いい店を発見しました。

 広島市の中央通に、「七福神」という「らーめん横丁」があり、その中の店です。「豚光豚」と書いて、「とことん」と読ませます。

 この店の特徴は、麺が細いことで、特注すると、ソーメンより細い極細麺があるそうです。
 私は、普通の「とんこつラーメン」を食べましたが、太さは丁度ソーメンくらいでしょうか。心なしか、食感はソーメンに似ています。

 とんこつスープが、私にぴったりでした。店の主人によると、とんこつスープと謳っていても鶏がらも使っている店が多いそうですが、ここはとんこつのみ。脂っこくなく、コラーゲンが口の中でフワッっと膨らむ感じです。
 一番感心したのは、スープが塩辛い店が多いのですが、この店は全く塩辛さを感じません。
 味の基本は、「いい塩梅」というように「塩」だと思いますが、正にいい塩梅でした。

 ただ、ラーメンに定番のチャーシューではなく、炒めた豚肉をのせていました。やはり、チャーシューの方が良いですね、私は。

 これで、550円也は、満足でした。今度は「極細麺」を是非食してみたいです。


(写真)麺の細さが十分分かりませんが、チャーシューの替わりに、こんな豚肉がのっていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義足のランナー

2008-05-27 17:12:02 | Weblog
                義足のランナー

                         2008年5月25日(日)作成

 南アフリカのオスカー・ピストリウスという義足のランナーが、北京五輪への出場が可能になったという。

 ピストリウス選手は、生まれつきの障害があり、1歳前に両膝から下を切断している。
 アテネ・パラリンピックで、二百㍍金メダルを獲得し、百㍍など三つの世界記録を持っている。

 彼が使用するカーボン繊維製の義足が、健常者に比べ、推進力を与えるということで、国際陸連は参加を認めていなかった。しかし、彼はCASというスポーツ仲裁裁判所に判断を仰ぎ、「有利とはならない」ということで、出場が可能となったのだ。

 しかし、出場できるとは限らない。北京五輪に出場するためには、参加標準記録を突破しなくてはならない。彼が目指している四百㍍は、45秒55。そして彼のベストは46秒56だ。あと少しだ。
 1600㍍リレーも目指しており、自国の選考会で上位に入る必要がある。

 結果はどうなるか分からないが、仮に出場が決まったら、身体障害者を含め全ての障害者に、大きな励ましになるだろう。


 ところで、障害者に対する差別意識は、少なくなったとはいえ、以前根強いものがある。
 私が、障害者対策を担当していた人から聞いた話であるが、障害者に対する差別意識が強い人間ほど自らが障害になった場合の「ショック」が大きいという。つまり、差別する側から差別される側に「転落」したように感じるのか。

 私のブログにも、精神障害者に対する差別意識を感じるような「コメント」を投稿する人があった。

 オスカー・ピストリウス選手の活躍は、こうした差別・偏見を持つ人たちの意識をも変えるものになることを、私は確信している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姥捨て山

2008-05-26 20:37:16 | 政治
                  姥捨て山

                         2008年5月24日(土)作成

 児童文学者の松谷みよ子さんは言う。
 全国各地で民話や伝承の形で伝わっている「姥捨て山」は、「棄老」という悲劇だけでなく、長い人生を生きてきたお年寄りの深い知恵を大切にするという先人の思いも込められている、と。

 民話のあらすじ・・。

 年をとって働けなくなくなった60歳以上のお年寄りを山へ捨てなければならないきまりがある国がありました。
 ある息子が、泣く泣く年老いた母親を背負い、山に捨てにいきました。
 山奥に置いて帰ろうとする息子に母親は声をかけます。「お前が道に迷わないように、木の枝を折って落としておいた。たどって帰りなさい。」それを聞いた息子は、母親を家にかくまうことにしました。
 しばらくすると、隣国が「灰で縄をなえ。さもないと攻め込む」と難題をふっかけてきました。息子からこのことを聞いた母親は「藁でかたく縄をなって焼きなさい」と解決法を伝授。息子は言われたとおり殿様に伝え、国の危機は回避されました。
 「褒美は何がほしい?」と聞かれた息子は、かくまっている母親から聞いたと話しました。殿様は、お年寄りの知恵の大切さに気づき、それからはお年寄りを大事にする国にしていったのです。

 最近、「姥捨て山」という言葉をよく聞く。75歳以上の高齢者を差別する「後期高齢者医療制度」を告発する言葉としてだ。

 現在の為政者には、この民話のお殿様のように、高齢者の知恵を大切にするという「知恵」は働かないのか。


 「後期高齢者医療制度」は、明らかに社会保障制度の後退である。
 改めて、憲法を見てみよう。

日本国憲法
第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


(関連ブログ)
・後期高齢者医療制度(2008-03-12)
・長寿医療制度(2008-04-03)
・「後期高齢者医療」 誰が決めたのか?(2008-04-15)
・後期高齢者医療の保険料(2008-05-20)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広辞苑

2008-05-25 00:15:43 | Weblog
                  広辞苑

                         2008年5月24日(土)作成

 5月23日、広辞苑第六版を買った。1月に出版されることが分かった時から、買うつもりでいた。
 定価は8,400円だが、完成記念特別定価で7,875円。
 私はまず、図書カードを買いに行った。プレミアム3%である。私が買った書店では更にポイントが付くから、「相当安く」買えたことになる。(小さな幸せ)

 私が広辞苑を買ったのは、2版が始めてで、今までずっと持っていた。奥付のところに鉛筆で「1969.8/2」と購入年月日をメモしている。定価は3,200円だ。
 この当時、買いたくてもなかなか買うことができなかったという記憶がある。
 39年前の3,200円は、貧乏学生の私にとっては、今の10倍にもそれ以上にも感じられた。しかし、結果的には「安い」買物だ。3,200÷39≒82。何と1年82円!

 ところで、広辞苑のポスターに8人の人物が登場している。
 吉田美和、桑田真澄、太田光、手塚治虫、黒柳徹子、美輪明宏、高見のっぽ、椎名林檎の各氏である。(恥ずかしながら私は、吉田美和、高見のっぽ、椎名林檎の3氏は、名前は見たことがある程度でよく知りません。)
 
 おもしろいことは、新聞各紙に広辞苑のPRが全面で掲載されたが、新聞によってそれぞれキャラクターを変えていたことだ。
 それぞれ誰であったかは覚えていないが、朝日新聞は手塚治虫であった。

 岩波書店としては、各新聞の購読者を分析し、誰を宣伝キャラクターとして使うのが最も効果があるかを考慮して、このような方法を採ったと思われる。
 もしそうなら、私の場合「ぴったり」である。
 私は、朝日新聞の購読者で、手塚治虫の信奉者であるからだ。先の8人のうち、既に死んでいるのは手塚治虫だけということも興味深い。岩波書店としては、そこまでしても、手塚治虫を外したくなかったのだろうか。

 それはともかく、私はこの広辞苑第六判を棺まで持っていく考えだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年退職

2008-05-24 16:47:29 | Weblog
                 定年退職

                         2008年5月24日(土)作成

 2008年3月31日をもって、60歳で定年退職した。

 定年退職は、多くの人が通る「みち」であり、特に深い感慨はなかった。それでも、3月中旬あたりから、これで「最後か」という思いがし出し、しんみりした心境にもなった。ただ、最後の日は、思いのほかあっけなかった。(まあ、外界世界は、私の内心とは違って、変わらないのですから。)

 退職までの間で、一番の思い出といえば、途中3回退職を考えたことだ。原因はいずれも、人事に対する、組織と私との考えが違うということにあった。ただ、結果的には退職しなかった。初回は義父に止められた。2回目は、昇進という転機があった。終回は、私として「退職せざるを得ない理由」を述べ、退職願いを出したが、上司のアドバイスを受け留まることになった。その「退職せざるを得ない理由」について、その後の経緯を見ると、組織の考えが誤っていたことが明確になった。その上司が、私の「理由」に道理があると判断し、組織を変えたのだろう。
 
 最後の日の30日、日常業務はいつもと同じであったが、17時に、職場の皆さんが「セレモニー」をしてくれた。送別の辞と花束を頂いた。私は、昨年病気で休むなど、申し訳ない気持ちを述べた。

 身辺の荷物と花束で、「大荷物」となったので、この日ばかりはタクシーで帰った。

 妻は、退職のことは当然知っているが、そのことについては触れず、「こんなにたくさんの花をもらって!」と、持て余し気味のことを言った。
 これは、ひょっとして、私の退職という「おお荷物」を感じて言ったのではなかろうか。

 定年退職は、何時か決まっているし、他者が決めるものだ。
 次の、人生の定年は、何時か決まっていないし、自らが決めるものだ。


 2008年3月31日、定年退職しました。
 私の人生時計、17時ジャスト。 チン


(写真)私がいた職場に咲く「しだれ桜」。2008年4月1日撮影。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エアーカー

2008-05-23 19:30:36 | 
                 エアーカー

                         2008年5月23日(金)作成

 「エアーカー」というのを、初めて知った。私は、自動車に関しては、多少とも知識のある人間だと自負していたが、それが打ち破られた。

 5月24日付けの「週刊東洋経済」によると、インドのタタ自動車がエアーカーを1年以内にインドで発売するという。

 エアーカーは、圧縮空気によりピストンを動かし、それを動力とするというものだ。何のことはない。今のガソリンエンジンの、ガソリンを燃やしてピストンを動かすという工程を、圧縮空気で替えるというものだ。

 先の「週刊東洋経済」によると、圧縮空気だけで、100kmの航続距離があり、補助エンジンを使うとそれが800kmまで延びるという。
 しかし、私はにわかには信じ難い。自動車には、瞬発力が必要で、その時に凄まじいエネルギーを必要とするのだ。エアーカーがそれに対応できているとは思えない。 

 私は、これはタタ自動車一流のプロパガンダだと思う。タタ自動車は、後発の自動車メーカーとして、目立たなければならない。

 発表されているスペックを見ると、全長3.4m、全幅1.65m、全高1.7m、重量320kgという。確かに、特に重量は特筆すべきものがある。しかし、安全基準からして、到底先進国の基準を満たすものとは思えない。これは、インドの固有の事情で許されるものだと思う。

 しかし、しかしである。今全世界の自動車メーカーが「タタ自動車」に注目している。それは、コストである。タタ自動車は「ナノ」という日本円で28万円の自動車を発売するという。日本で売り出されても、全く脅威ではないが、所得水準の低い新興国でこれが爆発的に売れるようだと、世界の自動車メーカーの勢力図が変わるかも知れない。

 トヨタを初め、世界の自動車メーカーはタタ自動車のこれからの動向に注目している。

 たったの一社ではあるが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホンダのスーパーカブ

2008-05-22 03:00:26 | 
              ホンダのスーパーカブ

                         2008年5月22日(木)作成

 1984年にホンダのスーパーカブが登場して50年、そして2008年4月末に累計生産台数が6,000万台に達したという。
 基本設計が変わらず、50年もの間生産が続けられ、しかもこれだけの台数を生産したことは、驚嘆に値する。勿論、過去現在を問わず、同一車種で最多であり、これからも、これを超える車種は登場しないだろう。

 改めて、本田宗一郎の天才に驚かされる。

 このスーパーカブでは、強烈な思い出がある。

 私が中学校2年生の時だったので、1985年のことだ。
 本田技研工業が、全国の全ての中学校(注 小学校や高等学校も含まれていたかもしれません。)に、スーパーカブを1台ずつ寄付したのだ。本田宗一郎という人は、そういう突飛もないことをする人なのである。

 生徒数十人が見守る中、先生が試乗して見せた。
 中学生である。乗りたくてたまらない。3年生の悪がきが、その先生に、どうしても運転させてくれとせがんだ。先生は、ためらっていたが、とうとうそれに折れてしまった。
 そうすると、歯止めがきかなくなる。2人目の悪がきにも許してしまった。今度は二人乗りで発車した。

 校庭の楕円になっているコースを軽快に走っていたが、どうも様子が変だ。スピードが上がる一方で、コーナーにさしかかっても、減速しない。後部に乗っていた生徒はその様子に危険を感じたのか、飛び降りた。
 それでもスピードは落ちず、とうとう第三コーナーで、「カブ」は「カーブ」を回りきれず、少し斜面になっている土手にぶつかるというか乗り上げてしまった。
 スピードが出ていたので、カブはその斜面沿って空中に舞い上がった。
 不思議と、その生徒は大事に至らなかった。

 その当該先生であるが、見ていて気の毒になるくらい、真っ青な顔をしてうろたえていた。

 当時私は、既にオートバイに乗った経験があったので、なぜ、こんなことになったのだろうと不思議だった。


(写真)スーパーカブC100(1958年 初代 )。ネットから引用しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酔撮

2008-05-21 17:44:23 | Weblog
                   酔撮

                         2008年5月21日(水)作成

 5月17日は、瀬戸内海にある広島県の江田島に行った。従弟会があったのである。

 写真を400枚程度撮ったが、後で見て、半分くらいは心当たりがないものだった。
 つまり、酔っ払って、忘れているのだ。

 しかし、その中に、私にとっては注目すべき一枚があった。

 撮影時     20:15:44
 焦点距離    35mm
 F値       4.2
 露出時間    2.5秒
 ISO速度    1600

 以上の撮影条件で、江田島から広島市の夜景を写したものだ。
 夜景はもちろん綺麗だが、釣りをしている人がアクセントになっていて、それがこの写真に生命を与えているかのようだ。自画自賛。(苦笑)

 しかし、何よりも、驚いたのは、露出時間2.5秒で「ブレ」ていないことだ。相当酔っていたことを考慮すると、私自身、信じられない。

 ジャッキー・チェンの「酔拳」という映画があった。酔えば酔うほど強くなるというものだが、それにちなんで、酔えば酔うほど写真が上手く撮れるという意味で、「酔撮」とこの写真を名付けた。(ばほ)

 注 「ばほ」とは、「ばか」と「あほ」を足して割ったようなイメージです。


 しかし、真面目な話、今度よく酔っ払って写真を撮ってみようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後期高齢者医療の保険料

2008-05-20 18:02:44 | 政治
               後期高齢者医療の保険料

                         2008年5月20日(火)作成

 後期高齢者医療の保険料を今頃調査するという。

 この調査に関しては、5月18日(日)のTVで、日本共産党の小池政策委員長が、厚生労働省の通知文を示し、本来なら制度を始める前にやるべきを、野党から指摘されて、あわてて5日間で全国調査をするのは、あまりに無責任だ、と同席していた与党議員を追及した。(私はそれで、この調査のことを知りました。)

 舛添厚生労働大臣は、7割~8割の人は従来より保険料が安くなる、という趣旨の発言をしたが、後に国会でその根拠を追及されて、明確な根拠がないことが分かった。

 制度を変える場合、その根幹となる費用負担がどのようになるのかを把握することは基本中の基本と思うが、それをしていなかった。(厚生労働省の役人は、医療費を抑えることばかり考えていて、国民負担がどのようになるかは、関心がないのでしょう。)年金事務と同様杜撰だ。
 
 一方、高まる後期高齢者医療制度に対する批判から、政府は、低所得者に対する保険料の軽減を検討すると言っており、そのためにも、「調査」が必要になったのだ。

 締め切りは、19日の午後5時ということだが、厚生労働省としては都合の悪いデータは出したくないので、その対応のために時間を要し、発表は今月末といったところであろうか。

 ともかくも、舛添大臣の言う7割~8割という高い割合にはならないだろう。(私が、市町村の担当者に感触を確認した結果です。)

 調査結果についての、舛添厚生労働大臣の説明如何では、舛添大臣が「国民の立場に立った政治家」であるかどうかが問われることになる。

 保険料の比較は、主要には市町村国保とのそれになると思うが、市町村国保は、その自治体独自で国保料の軽減措置を採っているところがある。
 今度の後期高齢者医療の保険者である、県単位の広域連合では、そういった軽減措置を採っているところはないと聞いている。

 厚生労働省が、従来の保険料を「軽減措置がなかったと仮定」したもので比較するのであれば、それは国民の立場に立ったものではないと言える。
 なぜなら、国民としては、軽減措置があろうがなかろうが、またその軽減措置が自治体であろうが国であろうが、従来の保険料との増減が問題なのだから。

 舛添大臣が、軽減措置後となかったと仮定した場合と、どちらに比重を置いて説明をするかが、私としては非常に関心がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この男の子をさがしてください

2008-05-18 10:49:07 | Weblog
            この男の子をさがしてください

                          2008年5月18(日)作成

 昨日17日のことである。30歳くらいの女性が私を追っかけてきて、声をかけた。その女性は私に興味があったのではなく、私のカメラに関心があったのだ。もっとも、私は移動の際は大抵カメラを持っているので、分身のようなものではあるが。

 「6日の日に、写真を撮られませんでしたか?」と尋ねられた。

 話を聞くと、5月6日の午後3時すぎ、(広島県)江田島町切串の人工干潟で潮干狩り中に行方不明になった子ども(木村洸希君 6歳)をさがしているのだという。お母さんだったのだろうか。

 木村洸希君が行方不明になっていることは、新聞や、電車内の掲示で知っていた。広島港から瀬戸内海の江田島に渡るフェリーの中でもつい先ほど見たばかりだ。

 行方不明になってから、もう既に、10日以上経っているが、このお母さんとしては、必死の思いなのだろう。
 たまたま偶然に、行方不明になった場所近辺を歩いているカメラを持っている人に声をかけ、手がかりを探ろうとしているのだから。
 注 私は、何か良い被写体がないかと、うろついていただけです。

 親の子どもを思う熱い気持ちに打たれた。
 しかし、私としてできる有効な手立てはない。せめて、ネットに載せるくらいだ。

 木村洸希君 6歳
 (身長)115cm位、(体重)19kg位、(特徴)短髪。
 (当時の服装)迷彩柄のカウボーイハット、青のTシャツ、黒の半ズボン、銀縁のめがね。
 連絡先:江田島警察署 0823-42-0110
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホンダ恐るべし

2008-05-17 07:13:05 | 
                ホンダ恐るべし

                           2008年5月17日(土)

 実に、「ホンダ恐るべし」である。
 2007年12月14日の日本経済新聞によると、ホンダは新興国市場で、2輪車の生産を大幅に増やすという。

 ホンダの事業戦略は、2輪車でまず進出し、ブランド力を付け自動車市場に進出するというものだ。
 モータリーゼイションは、まず2輪車から始まるので、この戦略は、2輪車で世界一のホンダにとって、好都合だ。

 私は、日本で自動車メーカーが1社残るとしたら「トヨタ」、2社残るとしたら「ホンダかスズキ」と予想しているが、2社目の当確は「ホンダ」のようである。(注 もっとも、スズキも2輪車メーカーでもあるので、ホンダと同様の戦略がとれるのだが。)

 ホンダはもともと、エンジンに強いメーカーである。私が中学校時代、イギリスのマン島GPで、日本メーカーとして最初に優勝したのは、記憶に新しい。
 F1においても、一時無敵の時代があった。
 また、環境エンジンでも、1980年代のアメリカのマスキー法を最初にクリアしたのは、ホンダだ。余談だが、その時トヨタはホンダのCVCCの技術を買わざるを得ないという屈辱を味わっている。

 そして、自動車メーカーとして、環境問題の解決が最大の課題になっている現在、ホンダが「エンジン」で再び元気を出そうとしている。

 ホンダがとっている、自動車の環境戦略のキーテクノロジーは、オーソドックスであるが、「エンジン」である。トヨタが「ハイブリッド」と言っているのに対して対照的である。

 ホンダの環境エンジンは、気筒休止エンジンである。負荷がかからない時は、一部の気筒を休止させることで、燃費を低減させようとするものである。
 これまで、いろんなメーカーが取り組んできたが、あまり成功しているとは言い難い。
 ホンダは、2007年に、V6エンジンで、6-4-3と3段階に気筒数を切り替える新型の気筒休止エンジンを発売した。ホンダは、気筒休止エンジンを本気でものにしようとしている。

 ハイブリッドは、エンジンと電気モーターという二つのパワートレインを必要とすることから、その点では非常に非効率なのだ。エンジンそのもので、低燃費が実現できればそれにこしたことはない。
 ホンダは、気筒休止エンジンで、その課題に取り組んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島交響楽団第279回定期演奏会

2008-05-15 23:05:57 | 音楽
             広島交響楽団第279回定期演奏会

                         2008年5月15日(木)作成

 ブルックナーは、金管の咆哮にエクスタシーを感じる。

 今日5月15日、広島交響楽団第279回定期公演が、広島厚生年金会館であった。
 一曲目は、シューマンのピアノ協奏曲で、ピアノは、若林顕。私はこのピアニストは知らない。
 ホールのせいか、ピアノの中高部と低部の音のつながりが、ちぐはぐな感じがした。

 メインは、ブルックナーの第4番「ロマンティック」だ。
 出だし、ホルンがやってしまった。ひっくり返るのだ。今日のホルンは、終始調子がよくなかった。しかし、それでも演奏終了後、指揮者が最初にホルン奏者を立たせて紹介した。ホルンの難しい曲なのだろう。

 私が一番感じたのは、第2楽章だ。ブルックナーにこんな叙情的な部分があるとは、今まで気付かなかった。しかも、その主役はビオラだ。ビオラが旋律を奏で、他の弦は第一ヴァイオリンを初めピチカートで拍子を取っているのだ。
 平生、ヴァイオリンとチェロの間にあって目立たないビオラであるが、少なくとも、第2楽章は「主役」だった。
 この曲、ビオラ奏者は、平生の実力を発揮するための練習が大変だったろう。人間でも、平生目立たないが、いざという時、実力を発揮するのは、「かっこ良い」。

 しかし、ブルックナーはやはり、金管だ。弦の分厚い旋律に乗って、乾き気味の金管楽器が咆哮すると、戦慄が走る。
 終楽章のクライマックスは、圧巻だった。私は99%燃焼した。マイナスの1%は、金管の調子が良くなかったことだ。

 指揮者は、何処のドイツのヘンリク・シェーファー。演奏のし易い、指揮棒だった。

 広響との付合いは、約40年で、妻とのそれ以上だ。しかし、臨席の妻を見ると、それ以上の付合いに思えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツリーハウス

2008-05-11 09:21:00 | Weblog
                 ツリーハウス

                         2008年5月11日(日)作成

 今は広島県廿日市市に合併しているが、旧吉和村へはよく行った。
 吉和へ向かう186号線の渓流沿いのワインディングは、特に紅葉の季節は、オートバイで駆け抜けるのに、かっこうの場所だった。

 その吉和に、「魅惑の里」というリゾート施設がある。4月29日に行き少し散策した。

 「ツリーハウス」という見慣れない標識が目についた。
 行ってみると、「小屋」が10棟くらい建っている。
 ちょうど、「小屋」を建てていたご夫婦がいたので、聞くと、廿日市市から100㎡の土地を年3万円で借り、建築確認の要らない10㎡未満の「小屋」を建てているのだという。

 トイレと炊事場所は、廿日市市が設置しており、共同で使用する。電気は、炊事場所からケーブルを引っ張って使用している。本当はいけないのだが、廿日市市も黙認している。

 「小屋」を建てていたご夫婦は、私たちと同じ世代だ。私たち夫婦と話をしながら、木を切っていたご主人が、「アッ、切りすぎた!」と言った。話に「気」をとられたのか?でも、木を短く切ったことを気にする風もなかった。大らかなお人柄なのだろう。

 近くには、渓流のせせらぎが聞こえ、山鳥との合奏は、ベートーベンの「田園」を思わせる。


 子どものころ、夏休みに田舎に行き、裏山の木の枝や葉っぱで、「小屋」を作っていた。2人も入れば、精一杯の広さであるが、一人寝転んでいると、不思議と気持ちが落ち着いたものだ。

 「小屋」を作るのは、何時になっても、男のロマンだ。
 しかし、妻は、ツリーハウスは嫌だと言っていた。


(写真)広島県廿日市市吉和の「魅惑の里」にある「ツリーハウス」。2008年4月29日撮影。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする