『般若心経』を含む(大乗)仏典て、確信犯的に論理的矛盾を犯した表現に満ちているので、普通の論理的思考で読むと、頭がこんがらがる。
そこで、(論理的)思考が心の全てではないという心理モデルに立って、仏典のメッセージを理解してみよう。
すなわち、私の「心の多重過程モデル」を使ってみる。
このモデルをとても簡単に説明すると、「人の心は、以下のサブシステム群の多重作動による複合システムだ」というモデル(より詳しくは、本ブログの「心理学」カテゴリー内の記事「システム0:二重過程モデルを超えて」。あるいは「多重過程モデル」と検索すれば論文をダウンロードできる、と思う)。
以下、サブシステムを(位階を1段上げて)システムと表現する(その場合、心はメタ・システム)。
システム0:覚醒・自律神経などのほとんど生理的な活動。生きている間は常時作動
システム1:条件づけなどによる直感(無意識)的反応。優先的に作動
システム2:思考・表象による意識活動。S1で対処できない場合に作動
システム3:非日常的な超意識・メタ認知、マインドフルネス。ほとんど作動せず
これらのうちシステム1とシステム2が既存の「二重過程モデル」で、私がそれに システム0とシステム3を追加して”多重過程モデル”とした。
すなわち、既存の心理学が「心」と見なしているのはシステム1,システム2だけで、私はその心の範囲を身体側と超覚醒側の両側に拡大した(実はシステム3の次のシステム4まで視野に入れているのだが、ここでは省く)。
以上が前置き。
さて、仏教は、2500年前に人類で最初にS3に達した人の教えである(なんと、私のモデルより2500年早い!)。
実はシステム3はホモ・サピエンスに備わった能力なのだが、それまでのそしてそれ以降の人類は、システム3を作動せずとも生きていけたので、ほとんどの人類はシステム3とは無縁だった(だから今の心理学でも視野の外)。
でもその人(釈迦)は、なんでわれわれ人間だけが他の動物と違って、悩み苦しんで生きているのだろうと疑問に思い(自分も苦しんで)、あれこれ試行錯誤の結果、それは人間に固有なシステム2の作動によるためだと、悟った。
そして、その解決はシステム2に頼らない心の使い方、すなわちS2ではなく自分自身が到達したこのシステム3をベースにすればいいとわかった。
われわれ現生人類にとっては、システム3は普段のままでは作動できないが、皆システム3を作動できる能力があるはずなので、それを作動する訓練をすればいいということになる。
それが仏教の教えと実践(行)である。
ただ困ったことには、3次元空間を2次元平面で正しく表現できないように(なんとか表現はできる)、より高次の認識であるシステム3は下位のシステム2の言語で正確には表現できない(なんとか表現はできる)。
その理由で釈迦は一旦は人々に伝えることを諦めかけたが、気を取り直して伝えることにした。
その教えの文字による伝承が仏典である(ここでは、釈迦の直伝でない大乗仏典も含める)。
これって、量子力学の現象を古典力学の論理で説明すべきとしたN.ボーアの覚悟と似ている。
われわれが量子力学を理解しがたいのは、古典力学的論理では整合性がつかないからだ
(概念と物理的実在とを同一視しなかったボーアもまた、システム3に達してたといえる)。
ということで、仏典が伝えたい内容はズバリ、システム3のことなのだが、それをシステム2の言語論理で記しているため、理解しがたいのは当然である。
量子力学では、実際の実験結果がその妥当性を証明しているように、仏教の場合も”行”という実践によって各自がシステム3を体現することで、納得が得られるはず。
その行の1つがマインドフルネスというわけだ(禅やその他の行でもかまわない)。
長くなってしまった。
ここまでを前提として、次回は実際の仏典にあたってみる。→次回へ