今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

心の多重過程モデルで理解する仏教:序

2020年03月19日 | 仏教・寺巡り

『般若心経』を含む(大乗)仏典て、確信犯的に論理的矛盾を犯した表現に満ちているので、普通の論理的思考で読むと、頭がこんがらがる。

そこで、(論理的)思考が心の全てではないという心理モデルに立って、仏典のメッセージを理解してみよう。
すなわち、私の「心の多重過程モデル」を使ってみる。


このモデルをとても簡単に説明すると、「人の心は、以下のサブシステム群の多重作動による複合システムだ」というモデル(より詳しくは、本ブログの「心理学」カテゴリー内の記事「システム0:二重過程モデルを超えて」。あるいは「多重過程モデル」と検索すれば論文をダウンロードできる、と思う)。
以下、サブシステムを(位階を1段上げて)システムと表現する(その場合、心はメタ・システム)。
システム0:覚醒・自律神経などのほとんど生理的な活動。生きている間は常時作動
システム1:条件づけなどによる直感(無意識)的反応。優先的に作動
システム2:思考・表象による意識活動。S1で対処できない場合に作動
システム3:非日常的な超意識・メタ認知、マインドフルネス。ほとんど作動せず

これらのうちシステム1とシステム2が既存の「二重過程モデル」で、私がそれに システム0とシステム3を追加して”多重過程モデル”とした。
すなわち、既存の心理学が「心」と見なしているのはシステム1,システム2だけで、私はその心の範囲を身体側と超覚醒側の両側に拡大した(実はシステム3の次のシステム4まで視野に入れているのだが、ここでは省く)。
以上が前置き。


さて、仏教は、2500年前に人類で最初にS3に達した人の教えである(なんと、私のモデルより2500年早い!)。
実はシステム3はホモ・サピエンスに備わった能力なのだが、それまでのそしてそれ以降の人類は、システム3を作動せずとも生きていけたので、ほとんどの人類はシステム3とは無縁だった(だから今の心理学でも視野の外)。

でもその人(釈迦)は、なんでわれわれ人間だけが他の動物と違って、悩み苦しんで生きているのだろうと疑問に思い(自分も苦しんで)、あれこれ試行錯誤の結果、それは人間に固有なシステム2の作動によるためだと、悟った。
そして、その解決はシステム2に頼らない心の使い方、すなわちS2ではなく自分自身が到達したこのシステム3をベースにすればいいとわかった。
われわれ現生人類にとっては、システム3は普段のままでは作動できないが、皆システム3を作動できる能力があるはずなので、それを作動する訓練をすればいいということになる。
それが仏教の教えと実践(行)である。

ただ困ったことには、3次元空間を2次元平面で正しく表現できないように(なんとか表現はできる)、より高次の認識であるシステム3は下位のシステム2の言語で正確には表現できない(なんとか表現はできる)。
その理由で釈迦は一旦は人々に伝えることを諦めかけたが、気を取り直して伝えることにした。

その教えの文字による伝承が仏典である(ここでは、釈迦の直伝でない大乗仏典も含める)。
これって、量子力学の現象を古典力学の論理で説明すべきとしたN.ボーアの覚悟と似ている。
われわれが量子力学を理解しがたいのは、古典力学的論理では整合性がつかないからだ
(概念と物理的実在とを同一視しなかったボーアもまた、システム3に達してたといえる)。

ということで、仏典が伝えたい内容はズバリ、システム3のことなのだが、それをシステム2の言語論理で記しているため、理解しがたいのは当然である。
量子力学では、実際の実験結果がその妥当性を証明しているように、仏教の場合も””という実践によって各自がシステム3を体現することで、納得が得られるはず。
そのの1つがマインドフルネスというわけだ(禅やその他の行でもかまわない)。

長くなってしまった。
ここまでを前提として、次回は実際の仏典にあたってみる。→次回へ


浄楽寺の阿弥陀三尊に祈る

2019年10月19日 | 仏教・寺巡り

台風19号は、強風を脅された東京においては肩透かしをくった感だったが、東京以外の各地で死者が80名を越す大きな災害となってしまった。

防災的な考察をする前に、まずは不慮の水害で溺死した人たちに祈りたい気持ちになっていた。

そんな折りの今日、横須賀市にある勝長寿院浄楽寺の運慶仏(国重要文化財)が半年に一度の開帳日が重なった。


私は”秘仏巡り”も趣味としており、また鎌倉の寺巡りで、訪れていない唯一の寺(運慶仏は鎌倉の寺にあった)といってもよい。
そしてここは浄土宗なので、死者に祈りを捧げるには最適。

ここへの公共交通機関のアクセスは逗子からの京急バスなので、品川から京急に乗って新逗子に行き(山手線の田端から848円、JRで逗子までだと1100円)そこから逗子発のバスに乗ることにする。

私が生まれて最初に海水浴をした(かすかな記憶のある)葉山海岸を抜け、「浄楽寺前」というバス停で降りる。
もちろんバスを降りたら寺の門前。

まず本堂に上り、この寺(鎌倉武将和田義盛が建てた)の本尊である阿弥陀三尊を拝観。
はじめ、この三尊が運慶仏だと勘違いし、運慶作にしてはあまりに凡庸な造作だといぶかってしまった。
目指す運慶仏は本堂背後の収蔵庫にあった。

収蔵庫前で、住所氏名を書かされ、拝観料200円を払う。


ほぼ等身大の阿弥陀三尊(両脇侍は勢至菩薩、観音菩薩)が中央にあり 、その左に毘沙門天像、右に不動明王像が加わる。
この五体すべて運慶作。
これほどの運慶仏が一堂に居並ぶのは、東国はもとより、運慶の地元奈良にもないだろう。
この寺が元は鎌倉の地にあったためだ。 

じっくり鑑賞する前に、まずは阿弥陀仏の前で合掌して、台風19号の犠牲者に思いをはせながら弥陀の名号(南無阿弥陀仏)を十遍唱えた。

顔や胴体の筋肉がリアルな毘沙門天と不動明王は、精巧な仏像フィギュアを販売しているイスムのラインナップになっている(私はここで観心寺の如意輪観音のフィギュアを買った) 。

私にとっては、きりっとした表情(でも硬くない)の阿弥陀三尊がよかった。
中でもとりわけ勢至菩薩のお顔がよかった(右、寺の絵葉書から)。
憤怒を示す毘沙門天や不動明王と違って、如来や菩薩は無機的な顔立ちに作られがちだが、運慶が作る仏は、中立的ながらも生きた表情があり、生命感がある。

ということもあって、生の人間いや仏様と対面しているようで、いつまでも見飽きず、立ち去りがたい。
写真撮影はもちろん禁止だが、五仏の絵葉書が売られているので、それを買うことにして、やっと離れることができた。

ついでながらこの寺の墓地に、日本の郵便事業を創設した前島密の墓がある。  


自室の霊的浄化を確認

2019年06月30日 | 仏教・寺巡り

東京宅の我が部屋には、イスムの如意輪観音像(観心寺の模像)をはじめ、たくさんの仏像を飾っている。
形の上では、如意輪観音をご本尊にし、その周囲に四天王や金剛力士などの天部を配置している。
ただ、フィギュア・コレクションとして飾っているだけで、宗教的行為はしていなかった。

その下にばけたん霊石※を置いていたら、幾度か赤く点滅した。

※過去「お化け探知器」として開発された製品の最新版。私は初期モデルから全て購入済みで、自分の霊感はこれで鍛えられた。いわば私の”師匠”。

ばけたん霊石は、スイッチを入れなくても自動的に霊を探知し続けており(それなりの論理アルゴリズムによる)、たとえば悪い霊の接近を探知すると、勝手に赤く点滅して、警告を発するのだ。

仏像を飾っている空間にそんな反応が出たことにいささかショックを受けた。

それで心を入れ替え、毎朝、線香を焚き、灯明をかかげ、般若心経を唱えることにした(これらの仏具類は備えていた)。
ご本尊としている如意輪観音は、灯明に照らされて妖艶な雰囲気を醸し出している(写真)。
読経の前後に、愛知万博のネパール館で買った(チベット仏教用の)大きなガンモモを鳴らす(ものすごくいい響き)。
読経の後は、五鈷杵(密教の法具)で、周囲の邪気を振り払う儀式をする。 
このようにして、密教的法力による霊的浄化を期待した。

そしてこれを繰り返した結果、ばけたん霊石 から青い光が点滅するようになった。
これは「良い霊を探知した」という知らせ。

室内の霊的浄化に成功したようだ。

後日;これ以降、ばけたん霊石は毎日自発的に青く光るようになった。
ちなみに唱えるお経はより呪力の強い大悲心陀羅尼に変更。 


高尾山薬王院の火渡り祭に参加

2019年03月10日 | 仏教・寺巡り

3月の第二日曜は、高尾山薬王院の火渡り祭の日。
この行事、とても有名で(都民で知らない人はいなかろう)、しかも高尾山にはよく行く身ながら、一度も参加しなかった。
今まで、高尾山は軽いハイキングの対象でしかなく、そして真言宗に対して距離感をもっていたためだが、
最近、高尾山を霊山として再認識し、同時に真言宗がぐっと身近になったため、にわかに参加する気になった次第。
そう、真言宗の儀式は”参加することに意義がある”のだ。


うれしいことに開始が13時と遅めなので、都心部に近い自宅からでもゆっくり起床して行ける。
しかも場所は麓の広場なので高尾山口駅から近い。

今回のように山に登らずに訪れる時くらいは、高尾山口で名物の”とろろ蕎麦”を食べたい。
高尾山口は、深大寺に並ぶほどの名物蕎麦店の密集地なのだ。

その中で甲州街道沿いのオリジナリティある土産物屋を併設している日光屋で”山芋天ぷらそば”を食べた。
そしたら粗品として火渡り祭の刻印のあるキーホルダーをくれた。


開始30分前に広場に達する。
まずは300円出して「火渡証」のお守り札を買う(必須ではないが皆買う)と、足ふき用のウエットティッシュ(高尾山温泉提供)を1袋くれた。
この札は長い紐がついていて、首から下げる。

火渡りの行場はすでに見物客に囲まれている。
火渡りに参加する人の行列は、その奥に2列で延びている。
かように見物と参加は別の配置なので、参加の列に加わる。

 13時となり、法螺貝の合奏が響いて、僧侶たちが入ってきた(ベースは修験道なのだ)。
ただし、行列からは遠いし、見物客たちの人垣でよく見えない。
読経が始まり、不動像の前から濃い煙が勢いよく上がる。
着火したわけだ。
やがて、赤い炎が高く舞い上がる。
不浄を焼き尽くす炎だという。
望遠でその写真を撮ったら、炎に顔があり両腕を上げている姿となって燃えているではないか(右写真)。

ただ、これからが長く、1時間半は続く。
行場では、行者たちがいろいろな事をやっているらしいが、
それがまったく見えないわれわれ行列者たちには退屈な1時間半となり、
立ちっぱなしの私はiPadminiを取り出して電子書籍の読書をする。 


やっと行列が動きだした。
すると見物客たちもぞろぞろと行列の後尾に加わってくる。
最初から行列に加わるより、見物→行列の方がよかったか。
なにしろ、火渡りは次々と進むから。

行列が進み、火渡りの行場の手前で、
皆いっせいに靴を脱いで裸足になり、ズボンの裾を上げる。
地面は小石が散乱しているので、足の裏が痛い(これも修行と思って我慢)。
行場内は撮影禁止なので、デジカメのカバーをかぶせ、帽子を取って鞄にしまう。 

2列だった行列が左右に分れ、それぞれの列が火渡りに向う。
行場内では、山伏姿の人たちが「オンバロダヤソワカ」と水天の真言を合唱している。

その真言の合唱が響く中、まず入口で雪に見まがう白い塩が敷かれた所に立って足の裏を浄め、
合図に従って、一人ずつ左右に炎が残っている整地された通路に向って足を運ぶ。
緊張の瞬間だ。
動揺を鎮めるため、自分も「オンバロダヤソワカ」と真言を連呼する。
真言を唱えながら通路の上をスタスタ進む。
足の裏はちっとも熱くない。

歩いた先にまた塩が敷かれており、それを踏み、目の前の不動像に賽銭を入れて合掌する。
出口に向うと、僧侶がいて、言われるままに左肩を向けると、左肩に金色の五鈷杵を当てられ、行場から出る。
出た所で、ウエットティッシュで足を拭き、靴を履く。 


行場内では撮影禁止だが、外からは撮影できるので、iPadに装着できるサーモグラフィで火渡りの現場を撮影した。
温度分布を見ると(右写真)、通路両脇の炎が見える所(画面で白く飛んでいる所)はさすが、150℃以上で計測不能と出た。

そしてその白い部分に挟まれた通路上(+印)は45.9℃だ。
これなら心頭滅却しなくても大丈夫だったな。 


阿字観の講習

2019年02月23日 | 仏教・寺巡り

坐禅をはじめとするいくつかの瞑想は今までやってきたが、
真言密教の阿字観(梵字の阿字を観想する瞑想)はやったことがない。
学生時代にやっていた尺八に「阿字観」という曲があり、吹いたことはあるんだが…。

以前、阿字観の丁寧なテキスト(CD付き)を買ったものの、
その頃はヴィパッサナー瞑想を優先していたので、
しばらく手をつけないままだった。

最近になって(日に日に真言宗づいてきているので)、
やっと阿字観にトライしようという気になり、
阿字観に必要な「阿字」の図版(月輪の中、蓮の上に梵字の阿)を入手した(右図はその縮小)。

テキストによると、結構手順が複雑(阿息観→月輪観→阿字観)なので、
自習するのを戸惑っていたら、なんと偶然に高野山の東京別院で、
今度の土曜に「阿字観実修」 があるのをネットで見つけた(高野山別院が東京にあるはずだと思って検索した結果の発見)。
しかも参加自由で無料。 

予約確認のために電話したら、予約は不要だが初心者は開始30分前に来るようにとのこと。


高野山東京別院は港区の高輪にあり、 JR・地下鉄の駅から遠い。
でも紀州の高野山に上る手間に比べれば…。
けっこう早出したのだが、着いた時は、初心者講習が始まっていた。
20名以上いた初心者は本堂の内陣側に横に並んで着座。
一方、場慣れしている経験者は外陣に阿字の絵札を各自正面に設置して坐っている。
経験者はマイペースで阿字観をやっているようだ。 

指導担当の僧侶が、内陣で初心者にむかって、終了後の礼拝の所作を説明する。
つまり、瞑想中感覚が麻痺した脚をいたわりながら立ったり坐ったりを繰り返して皆で一緒に礼拝するのだ。
その所作は、立位から片足づつ跪坐を経由して正座にいたる小笠原流礼法の所作とほとんど同じ。
言い換えれば、武家礼法の所作は身体に丁寧な動作なのだ。

瞑想初心者用の坐位姿勢として、踵を脚の付け根に着けるいわゆるシッダ・アーサナが推奨された(私は半跏趺坐)。
頭部をややうつむきにすれば首の筋肉の緊張を解くという。
手は法界定印を組み、目は半眼に開ける。
合掌と礼拝の仕方はテキストと違っていた。

そしてまずは「アー」と声を出し続ける阿息観。
というか、指導は阿息観だけで終り、あとは無言となり半眼での瞑想。
私は頭の中で阿字を浮かべた(図版をタブレットの壁紙にしているので頭の中に入っている)。
これで終了。
実際には1時間を要したのだが、短かく感じた。
後は、部屋に戻って茶話。

 なんでも瞑想の体験内容は、人によって異なるので、他者の書を絶対視しなくてよいとのこと。
 ならば阿字の図版はあるので一人でもできるな。


護国寺の如意輪観音を拝む

2019年02月18日 | 仏教・寺巡り

音羽(東京都文京区)の護国寺は、真言宗豊山派の本山で、
東京(江戸)では寛永寺(天台宗)・増上寺(浄土宗)の2トップに次ぐ格式の寺といえる
(歴史が古い浅草寺は庶民の寺だから格式は低い)。
文京区民である私は、護国寺を小石川の伝通院、駒込の吉祥寺と並んで”文京の三名刹”と認めている。
五代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願による寺で、本尊の秘仏・如意輪観音は、桂昌院の念持仏だったという。

その如意輪観音は、毎月18日に開帳される。
今月は運良く在京と重なったので、国会図書館でひと仕事終えた後、
16時からの閉帳の法会に間に合うように地下鉄有楽町線で「永田町」から「護国寺」に向った。

実は、以前開帳日に訪れたことがあったのだが、本堂内で遠くから拝むだけだった。
ところが法会に参加すると、内陣に入れて本尊を間近に拝むことができる。
これって、先月の高幡不動でも経験したから、真言宗特有の方式なのだろう。
つまり、18日の開帳日の、朝9時の開帳の法会か、夕方の閉帳の法会のどちらかでないと、間近で拝めないのだ。
法会に参加するので、般若心経を一緒に唱え、あと如意輪観音の真言(マントラ)は知らなかったのでうまく言えなかった。 


如意輪観音は、私にとって一番好きといえる仏様。
上半身は頬に軽く指を触れる”思惟”のポーズがまず特徴。
同じ考えるにしても、ロダンの「考える人」のように拳を頬にめり込ませるようなリキミがない。
思考に専念というより、ちょっと遠くを想っている雰囲気。
そして下半身は片膝立てた姿勢。
他の坐った仏様はことごとく結跏趺坐という真剣な行の姿勢なのに、片膝立てて頬杖をついているなんて、どうみてもリラックスしている。
しかも観音様だから女性を模しているので、まるでアンニュイな女性の姿態。
その最高傑作が、観心寺(大阪)の如意輪観音で、私はその精確なミニチュアを8万円出して購入済み(他に中宮寺の如意輪観音像のより小さなミニチュアも所持)。

というわけで女性の色気を感じるから好きだという通俗的な理由。
実際、将軍のご母堂もお気に入りだったし、
江戸時代の女性の墓は如意輪観音の石仏が多いので、私の感覚も間違いではない。 


本堂は本尊の周囲に二十八部衆+アルファが居並び、
真言宗では欠かせない不動三尊と大日如来はもちろん、四天王や苦行中の釈迦の像まである。
仏像はいずれも江戸時代の作だが、格の高い寺だけに、それなりにきちんと作られている。
都内の仏像巡りには、外せない寺だ。


荒子観音で円空仏を彫り損なう

2019年02月09日 | 仏教・寺巡り

本日午前中は大学で仕事だったが、午後は空いたので、名古屋市中川区にある荒子(あらこ)観音に行った。
名古屋に居ても、通勤と買物以外に出歩く機会がない
(週末は帰京するか車で温泉に行ってしまう)ので、この機会を逃せない。
なにしろ毎月第2土曜が、この寺が所蔵してある円空仏の公開日なのだ。

公開される円空仏の数たるや、なんと1256体!
現存している全国の円空仏の1/4がここにある勘定。
その中でも最大なのは仁王門にある2体の仁王像で 321cmと306cm。
といってもこのうち1164体は、最小3cmからの「千面菩薩」(円空の造語)。

これらが客殿内で間近に拝めるのだから貴重だ(拝観料500円)。
実際、円空はこの寺に数度逗留したという。
寺内の円空仏を説明してある「荒子観音寺の円空仏」(小島悌次)の冊子(500円)を買ったら、千面菩薩の1つ「迦楼羅」(ガルーダ)の模刻をくれた。 

千面菩薩は、円空仏の中でもとりわけ素朴(簡素)で、まさに量産型。


そしてなんと、見学者にこの千面菩薩像を彫らせてくれる。
本来は、有料の会員での彫像教室なのだが、別室で円空彫りの先生が指導してくれる。
初心者用に顔面だけが彫り残されたサンプルを手に取り、教えれる通りに、
まず鉛筆で目鼻を画き、鑿(のみ)で、おでこ、鼻、口を削り、目と眉を線状に穿つ。
円空仏を見学するだけでなく、その造形を自らの手で追体験できるのだからさらに貴重だ。

といっても、不器用ゆえ、失敗作となったのでここには披露しない(持ち帰って、簡易仏壇に置いてはいる)。
次の機会があったら、もう少しうまく彫りたい。


見学を終えて、荒子観音に近くにある、前田利家が居たという荒子城跡に立ち寄る
(Appleのマップでは城跡の位置が違っていた。Googleマップは正解)。

神社と石碑しか残っていないが、利家といえば名古屋の”三英傑”(信長、秀吉、家康)に次ぐクラス。
利家の史跡めぐりの散歩コースもあるようだ(今回は、そのうち2ヶ所をまわったことになる)。  


帰宅して夕食後「荒子観音寺の円空仏」を読んだ。
それによれば、荒子観音の3m仁王像から3cmの千面菩薩まで、
すべてが1本の巨木から造られているという。
そして、残った木屑も千面菩薩が収められていた箱に詰められていた。
木であることをあえて残しながら彫った仏に、円空は木にも潜む仏性を顕現させたのだ。


高幡不動で初不動の祈願

2019年01月28日 | 仏教・寺巡り

東京にいる本日は、初不動の日。
なので、メジャーなお不動様にお参りしたい。

検索すると、”関東三大不動”として、成田山、高幡不動、大山不動と出た。
ただし大山不動はどうもその座が不安定のよう(他の二ヶ所の不動も候補に挙がっている)。
成田山は一番メジャーだが、昨年母と行ったので、
高幡不動(真言宗智山派別格本山金剛寺)に決定。


高幡不動は、私が好きな歴史人物ベスト3に入る”土方歳三”の菩提寺ということもあり、
”歳さん詣で”として行ったことはあるが、今回は異なる目的なので、新たな気分で参詣する。

高幡不動は新宿から京王線特急で行けるので楽。
その名の駅に降り立つと右手に参道があり、その通りには出店も出ている。
さすが初不動だから道も混んでいる。
貼ってあるポスターによると、今年は土方歳三没後150年だという。
5月の歳三忌に訪れようか。 

まずは腹ごしらえにと、参道沿いの「千寿庵」で天ぷら蕎麦を食べる。 


仁王門(室町時代作の重文)をくぐって正面の不動堂に行くと、
ちょうど護摩行が開始されるので、堂内に入り、大勢の人にまじって坐る。
スピリチュアルに目覚めたからなのか、いいタイミングに巡りあえる。 

2.8mある不動三尊像の前で僧侶による護摩行が始まると、
われわれは内陣に入るよう促される。
内陣の入口で、塗香を手につけられ、それを自分の両手でこすって、
不動像の正面で次々と合掌する。

護摩壇から炎が上がり、僧侶たちが般若心経を合唱する中、内陣を一順し、外陣?に戻って坐る。
般若心経が終ると、われわれも一緒に不動明王の真言
「ノウマクサンマンダ バサラダンセンダン、マカロシャダヤ ソハタヤウンタラタカンマン」 を合唱する。


護摩行が終って不動堂を出ると、その奥に奥殿(宝物殿を併設)があり、
ここに本来の本尊・不動明王(平安時代作の重文)が鎮座している。
丈六(2m86cm)の大きさは日本一で、両側の童子(重文)も2mに達する。
この像があるがゆえにここが三大不動に入るのだろう。
拝観料300円払うと殿内に入れ、この大きな不動・両童子を正面間近から拝めるだけでなく、
幾多の寺宝を見て回れる。
その中に土方歳三の達筆な手紙もあった。

奥殿の隣にある小さな堂には、関東管領・上杉憲顕の墳墓が入っている。
この地で自刃したという。 


境内には出店の他に、初不動にちなんでダルマ市が立っている。 
その中を抜けて、境内の裏山(不動ケ丘)を登っていく。
四国八十八ヶ所になぞえられる弘法大師石像を辿って、どんどん登って、
頂きの見晴らし台に達する。
ここは高幡城趾なのだ(ただし上杉氏とは関係なさそう)。
確かに馬場や曲輪の跡がある。


再び、境内に降り、
来週に8時間の大手術をする11歳の姪に健康のお守りを買い、
また不動尊の前で焚かれる護摩木に姪の名で身体安全祈願を記した。
今日の参詣の目的はこれ。
不動尊の前で合掌して祈ったのもこのことだった。 


麻布大観音

2019年01月13日 | 仏教・寺巡り

1月の授業が始まってからの週末(3連休)に帰京した。
初雪が舞った土曜は仕事を片づけ、日曜は天気もいいので都内の寺社に参拝したくなり、
候補を探していたら、地下鉄の観光ポスターに麻布大観音(長谷寺)の観音像があったので、そこに行く事にした。


麻布大観音は、昔西麻布を歩いていて偶然出くわして以来で、
地図を見ると、根津美術館の裏手にあり、確かに判りにくい。

地下鉄の「表参道」駅から、ファッションビルがひしめく南青山の通りを抜け、
急に和風になる根津美術館の裏手に廻ると、
永平寺の東京別院である長谷寺、通称麻布大観音に達する。 

まず奥の本堂を参拝してから、手前の観音堂に入る。
ここの観音様は、大観音といわれるだけあって高さ10m、
しかも樟(クスノキ)の一木作り(写真)。
”長谷寺”だから、大きな十一面観音像でないといけないのだ。

通称「大観音」として江戸時代から親しまれてきて、
東京空襲で焼失したのを1977年に復活。
製作したのが大内青圃なる芸術家なので、造形のレベルが高く、上品で美しい面持ち。 
観音像はかように女性美が投影されているので、眼にも優しい。
撮影自由なのもありがたい。
残念なのは、像の横から背面に廻れないこと(十一面観音の背面にある暴悪大笑面が見れない)。
最近の作なので文化財には指定されていないが、作のレベルが高いので、後の時代には文化財になるだろう。

参拝者がほとんどいない中、外国人が次々と訪れていた。 

ただ、ここだけだと訪問先として物足りない。
根津美術館に訪れたついでに立ち寄るのがベストかな。


「仁和寺と御室派の秘宝展」を二度観

2018年03月02日 | 仏教・寺巡り

同じ美術展を二度観することなど滅多にないのだが、「仁和寺と御室派の秘宝展」(東京国立博物館。3月11日まで)には時期をずらして2度訪れた。
もともと表題にあるように仁和寺系のこれらの寺の仏像は秘仏なので、滅多に拝められない。
その秘仏たちがいっぺんに観られるのだから、これは行くしかない。
何しろ私は、中学以来の仏像好き。

でもなぜ2度なのかというと、展示期間の前半と後半とで、展示される秘仏が交替するから。
一度目に行った時は、この企画の最大の目玉である大阪葛尾寺(ふじいでら)千手観音はまだ展示期間でなかった。
そこで展示期間である今日に再訪したのだ。
平日なのに平成館入口で50分待ちの行列だった。 

ちなみに、仁和寺の観音堂を再現して配された江戸期の仏像群(千手観音と二十八部衆など)に限って写真撮影可(写真)。
一度目はカメラを持参しなかったが、二度目は持参して撮りまくった(ストロボ撮影は禁止なのでレベルの高いデジカメが必要)。

葛井寺の千手観音(8世紀作)は、手の数が1041本もあり真の”千手”観音ともいえる唯一の観音像として有名で、写真ではその存在を知っていたが、実物を拝める機会がなかった。
仏像好きにとってはこの観音像を間近に拝める(しかも周囲を一周できる)だけで価値がある(千の手だけでなく、その手にある目も確認しよう)。

実際、いくら観ても飽くことがなく、立ち去り難かった。 
その他各地御室派の仏像、とりわけ千手観音・十一面観音がたくさん展示され(それぞれ真後ろに廻って暴悪大笑面を確認できる)、仏像ファンにとっては、その前の「運慶展」に匹敵するくらい満足した。

とにかく、中学以来念願の本物の”千手”観音を拝めて満足。

道明寺(大阪)の十一面観音(8〜9世紀)もよかった。

あと私がこの目で観たい仏像は、観心寺(河内長野市)の秘仏・如意輪観音のみ。
これも大阪だ。


東博で2つの特別展を観る

2016年11月19日 | 仏教・寺巡り

京国立物館で開催中の2つの特別展、「禅(心をかたちに)」と「平安の秘仏(櫟野寺の大観音とみほとけたち)」を観に行った。

禅と仏像にはもともと関心があり、特に後者は9月に行き損なった近江の観音巡りとしての意味もある。
加えて、ポッドキャストで愛聴している「いとうせいこう×みうらじゅんのザツダン」での宣伝に触発されたこともある。


まずは平成館に足を運んで「」を先に見る。
今回は臨済禅と黄檗禅に限定されている。
もちろん臨済禅は日本の禅文化の中心なので、見所は豊富。
有名な一休宗純や夢窓疎石の肖像画(頂相)の他に
鎌倉建長寺の秘蔵、蘭渓道隆の尊像や奥浜名湖にある方広寺の本尊・宝冠釈迦如来を拝めたのが嬉しかった。
黄檗宗万福寺の自分の胸の中に釈迦の頭部をあるのを開いて見せる像は、
同じ黄檗宗であったわが菩提寺・五百羅漢寺(目黒)にもある。
せっかくの展示なので、各頂相にある讚の漢文を理解したいのだが、
展示の解説は美術的な部分だけで、テキスト部分には触れられていない(いつもそう)。
カタログにも載っていなかったのが残念。

そうはいっても展示だけでも充実して、けっこう満腹感。
ミュージアムショップに足を運んだが、禅画ってインテリアには向かないなぁ。


立ちっ放しだったので、館内の革のソファに腰を沈めて一休みし、
本館1階の「櫟野(らくや)寺」の方に行く。
そうそう、両方の展示とも音声ガイドを利用した(各520円)。
「禅」の方は両耳ヘッドホンで、番号ボタンを押すだけで解説が始まるので使いやすい。
ところが、「櫟野寺」の方は片耳イヤホンで、ボタンを押した後再生ボタンをまた押さねばならない旧式(聴きづらく無駄な操作)。
だが、こちらは、いとうせいこうみうらじゅんがガイドに加わっているのが楽しみ(正規のガイドとは別)。
正直、櫟野寺の仏像は重要文化財ながら美術的価値(美しさ)は少々下がる(一木造りという点はすごく、それが造形を制限している)。
楽しみにしていた2人の掛け合いももっとほしかったかな。 

でも、その寺に足を運んでも拝めない秘仏を自宅近く(東博は自宅から山の手線3駅)で観れる特別展は実にありがたい。
「秘仏」だけだと物足りないので、どうせなら「禅」(11/27まで)と合せて見た方がいい。


龍澤寺で白隠の書画を見学

2015年11月23日 | 仏教・寺巡り

勤労感謝の日は、意地でも家で仕事はしない。
せっかくなら、この日ならではのことを体験しようと、三島に行った。

白隠禅師についての本を読んでいたら、伊豆の三島の龍澤寺なる寺に禅師の書画などが多数あり、しかも毎年11月23日のみに公開されるという。
三島とはちと遠いが、新幹線を使えば東京からなら1時間ほど。
駅から離れた寺までのバスの便が悪いので、それに合わせて行く。
帰りの便がないのだが、それは成り行きにまかせる。 
天気は下り坂だが、雨は免れそう。 

予定時間通りに三島に降り立ち、10分ほど待って路線バスに乗る。
停留所に着くたびに乗客が降り、最後は私だけとなった。

年に一度の寺宝公開なのに、寺入口のバス停に下り立ったのは私一人。
今月初めの建長・円覚両寺の賑わいとは対照的。

林の中の参道をゆるく上って、境内に入る。

本当なら楓の紅葉の時期なのだが、ことしはまだ青々としている。 
見学客はそれなりにいた。
私以外の人たちは自家用車かタクシーで来たようだ。 

ここ龍澤寺は、臨済宗の修行道場で、いつもは堂内に上れないが、今日だけはちがう。
靴を脱いで方丈内に上る。
と、ここまでは鎌倉の両寺と同じだが、こちらは、観光寺院でないので拝観料を取らない。
 それがかえって好感をよび、志納の賽銭箱に奮発して500円玉を入れようと思ったが、50円玉2枚しかなかったのでそれで勘弁。

最初の部屋には、なんと一休、雪舟、遠州、光悦、探幽、応挙、大雅、若冲、良寛の書画が並ぶ。
白隠が開いたこの寺は、そういうレベルなのだ。 
そして、白隠の大胆な書画(正直、上の面々と比べると素人感は免れ得ない)。
中でも、一幅の紙に、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を二行で並んで書かかれたのが印象に残った。
相容れない念仏と題目をあえて並べた所が面白い。 
また戦前・戦後に住職だった山本玄峰の最晩年の書画もある。
二周して、見学時間は一時間強。 

さて寺を出て、時間はたっぷりあるので、三島駅まで歩く。
三島駅周辺はすでに観光済みなので(柿田川はまだ) 、帰りは在来線でのんびりしていく。


建長・円覚宝物風入れ

2015年11月03日 | 仏教・寺巡り

北鎌倉の名刹建長寺と円覚寺は11月の最初の三日間、こぞって「宝物風入れ」として、寺宝を一般公開する。

そういえば、鎌倉にしばらく足を運んでおらず、
宝物風入れには、高校時代に訪れて以来だ☞10年前の2005年に行った(記事あり)。


横須賀線の北鎌倉で降り、近い順として円覚寺に行く。
仏殿にある本尊の宝冠釈迦如来は拝み甲斐のあるたたずまい。 
国宝の舎利殿もこの時だけは間近で見れる。
内部の厨子と両脇の仏像もしっかり拝めた(写真)。

方丈に上って、展示されている宝物を拝見する。
ほとんどが絵画と文書で、高校の時は仏像しか興味なかったので愉しめなかったが、「関東御教書」などを見ると、関東に突然政権が誕生した歴史的インパクトを痛感する。


線路沿いの裏道を通り、あじさい以外に見るものがなさそうで今までスルーしてきた明月院に立寄り、建長寺に達する。

こちらは新築の大庫裡に展示されている。
休憩所にお茶と菓子がおいてあって自由に飲める。
サービスは建長寺の方がいいのは、昔からだ。

こちらの仏殿には、ガンダーラ彫刻の釈迦苦行像の模造が本尊の前に置かれてある(写真)。
改めて見ると、壮絶な姿に敬意を覚えるが、この姿は釈迦が否定したものであることを忘れてはならない。
釈迦は意味のない苦行を捨て、中道の道を選んで悟りを得たのだ。 
だから、この像だけでなく、出家前の安楽な生活時の像と並べるのがいいと思う。


建長寺向かいの円応寺にも立寄り、十王像を見る(一番造りがいい初江王は不在)。

さらに尊氏開基の長寿寺に初めて拝観(昔は拝観不可だった)。
庭がきれいだが、紅葉時期でないのが残念(写真)。 
裏に尊氏の墓もある。 

久しぶりに北鎌倉の寺を歩いて気づいたのだが、観光客のマナーが著しく低下しているらしく、迷惑を被っている様子があちこちの掲示によって伺い知れた。 
鎌倉は京都よりは”通”向きなのだが、東京から日帰りで行ける点が災いしているのか。


仏像フィギュアを大人買い

2015年09月29日 | 仏教・寺巡り

中学以来、機会があれば仏像(の模型)を買っていた。
奈良や鎌倉での安物の土産物で始まり(京都にはない)、父の韓国土産の木彫りの土産物、最近では、ガチャガチャに毛が生えた程度のフィギュアや、岐阜の長良川沿いで買った円空仏を摸した木彫りの土産など、機会あれば買い集めていた。

本当は、見惚れるような仏様を部屋に飾っておきたい。

ただ、今まで買ったものは、いかにも土産物やミニチュア模型で、そのオリジナルは国宝でも、造形や大きさはオモチャでしかない。
また、仏具店で売っている仏壇用の仏像は、見た目に個性がなく、値段の割りには欲しいとは思えない。

ネットで探して、気に入ったのはイスムというブランドの仏像で、天平や慶派の国宝級の仏像を細部まで再現したもの。
大きさも高さ30センチほどで、部屋にデンと飾るには丁度いい。

ただ、値段が8万円する。
これは大人にしか買えない。 

いつかは買いたいが、しばらくは先、と思っていたら(もういい歳した大人なんだが)、 近所の谷中にショールームができたので実物を見に行った。
そこで、11月から8万円が9万円に値上がりすることを知った。
買おうと思っていた時期を、長引かせる理由がなくなっ

た。

そして翌日、目をつけていた観心寺の如意輪観音モデル(右写真)を思いきって買った。

税込み86400円を一括払いで大人買いだ。 

観心寺の如意輪観音は、その妖艶さで人気があるものの、年に二日だけ開帳する貴重な仏で(だから彩色の保存状態が良い)、来年の開帳に合わせて大阪・河内長野に泊まりで行こうと思っていた。

それほど憧れの仏を我が部屋に安置できるのだからうれしい。
さっそく、本記事に載せるためカメラで撮影。 
見ての通りの物憂げなポーズで、台座や手にしている数珠まで本物を摸している。 

8万円もの買物なんて、めったにしないので(家や車を別にすれば記憶がない)、前の晩から迷っていたが、美術品(の模造だが)は所有し空間を共有することに意味があるのだ。

いや、美術品ではなく、私の部屋の新しいご本尊だ。(^人^)

 


弁才天詣で

2013年01月04日 | 仏教・寺巡り

さぁ、今日から活動日。
まずは、運動を兼ねて、ちょっと足を伸ばした寺社詣で。
詣でる先は、今年の干支「巳」(ヘビ)の神でもあり、めでたい七福神の1つに数えられる弁才天
弁才天は、同音のため弁””天とも書かれ、財物の神に祭り上げられているが、それは附会(こじつけ)。
本来はインドのシタールを持つ芸能の女神サラスバティなのだから、が正しい。
なので、きちんと”弁才天”として祀られているところを探す(鎌倉の”銭洗い弁天”は除外)。
こうこだわるのは、数日前からクラリネットを始めたためでもある。
音楽の技能向上を願いたいのだ!

上野不忍池の弁天堂が、それに該当する。
ここなら谷中七福神の1つで、しかも最終到達点。
運動を兼ねた徒歩に最高。

ついでに七福神巡りを兼ねる。
でも弁天様って、「ついで参り」はダメで、そこを目的として詣でなくてはならないという。
なので、途中の寺は詣でるが、本尊や福神は拝まない。

徒歩1時間もせずに、弁天堂に到着。
堂内の大提灯には「辯才天」とある。
ここではじめて賽銭を入れて参拝。
年女の母の健康と自分のクラリネット技能向上を祈る。
ついでに、母に巳の守り鈴と自分用に芸能守りを買った。

まだ歩き足りないので、別道を歩いて戻ることにした。
そして「谷中七福神めぐり」を完遂させるため、田端の東覚寺にも足を伸ばした。
片道3駅半~4駅の距離を往復したので、少しは運動になったはず。