今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

10連休最終日を家ですごす

2019年05月06日 | 歳時

長すぎると思っていた史上初の”10連休”も、とうとう最終日を迎えた。

前半の平成期間中は、ミュージアムにはしごし、茅ヶ崎の寺社を巡った。
令和にはいってからは、この期間中に放り投げていた仕事を家でこなし、鶴見川の上流部を歩いた。
昨日で期間中にすべき仕事もほとんど仕上がったので、最終日の今日は、家で冬物の洗濯と、読書に充てる。

連休中は、山にこそ行かなかったものの、予定していた外出先と仕事をこなし、同時にのんびりもできた。
数日間でも仕事から完全に離れることができたのは、この10日間、仕事のメールが一通も来なかったおかげでもある。

もっとも、社会は人々の”仕事”によって動いているのだから、われわれは仕事をしてこそ社会人たりうる。 
みんなが一斉に休み続けるわけにはいかない。 
そろそろ、社会を動かさなくては。 

仕事再開の準備はできたので、連休最後の休日は家に篭って読書を堪能したい。


嬉しさも中くらいなり10連休

2019年04月25日 | 歳時

皆さんは、きたる「10連休」をどうすごすご予定か。
わが勤務先も、土曜に授業がなければ、そして5月6日の月曜は授業日なので(月曜に授業日数が足りなくなるため)、
月曜にも授業がなければ、10連休となり、私も該当する。 

正直言って、長過ぎるよね。
春と秋に5連休ずつ宛てがわれてくれたら、嬉しかったのに。
10連休は5連休の2倍嬉しくはならないのだ。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」 という至言どおり、
人間の身心は最適値のある二次曲線で変化するのであり、
クソ単純な直線ではない、ということを為政者はわかってほしい。

すなわち、長過ぎるとあれこれ弊害が発生するので、
ありがたいのは半分であって、残り半分は、生活物資の調達や時間の使い道などいろいろ困ることになる。 
経済的にも、余暇による消費が活発化しそうな反面、仕事という経済活動自体が停滞するおそれがある。

かくいう私は、旅行の予定はあえて立てない。
どこも混んでいるし、第一宿代がバカ高いうえに予約も取れず、そもそも一人客は受け付けてくれない。
しかも往復の交通も混んでいて、いい事ない(私はGWでなくても連泊できる)。
昔だったら、残雪の春山に登って、下界の混雑からは脱出できたが、
今はそれが出来ない体になってしまった。

なので、たまった仕事を、どんどん10連休に放り込んでいる。
そう、皆が観光地に繰り出している間に、秘かに仕事を片づける、これが私の予定。
かくして私自身は消費を控える期間となるため、経済の停滞の方に貢献してしまう。

ところが、私の”仕事場”である国立国会図書館がなんと自ら9連休となる(休日が休館日)。
行き場がない

実家にいると、幼稚園が休みの4歳の姪の遊び相手をさせられることは必定(たぶん「プリキュア」ごっこ)。

国民を一斉に過分に暇にさせるこの政策の犠牲者が、ここにも出現してしまうのだ。


縁日の川崎大師

2019年02月21日 | 歳時

帰京した翌日、最近真言宗づいている私は、
川崎大師(神奈川県川崎市)が縁日だというので鉄路で訪れた。

まず腹ごしらえに、門前の蕎麦屋「松月庵」で天ぷら蕎麦を食べる。
ここはでかい海老天が評判なので、空腹を抱えてまずはここを目指した。
幸い昼前で並ばずに入れた。
海老天は確かに食べでがあったが、海老を食べると後は”かけそば”状態になってしまう。
天蕎麦には”かき揚げ”が一番だな。
汁(つゆ)は江戸っ子の私にとっても辛(濃)かった。

そもそも今日がなんで縁日かというと、
21日が弘法大師が遷化された日なのでその”縁”の日なのだという。
では普段とどう違うのか。
まずは本堂で「大般若経転読会(テンドクエ)」なる行事がある。
これは幾人もの僧侶が折畳みの大般若経典(計600巻)を分担して、
左手から右手に空中でパラパラ開きながら大声で教典の題目を唱えるというもの。
この行事を目指して来たわけではないが、境内を一通り見学し終ったら丁度始まるタイミングだったので、本堂内に入って法会に参加した。

そう、真言宗の寺は法会に参加することで、内陣に入れてご本尊を間近に拝めるのだ。

転読会はけっこう長く、われわれ一般参加者が唱和する場面も少なかったので(「南無大師遍照金剛」のみ)、
少々しびれを切らしたが、最後に内陣に入れてもらって本尊の弘法大師を間近に拝めた
(本尊の向って右に不動明王、左に愛染明王と創建者の平間兼乗の像も拝める)。

本堂を出ると、今度は境内鎮守の福徳稲荷の(ウマ)祭りのフィナーレに遭遇し、
今から”餅まき”が始まるという。
まず狐の面の舞があり、その後法会を終えたばかりの貫首を始めとする僧侶が餅を撒く。
貫首が最初に投げた餅を、私は片手で空中キャッチしたので、これで満足して場所を譲った。
門前は咳止め飴の店が並んで、俎板の上で餅を包丁で切る軽快なリズムが通りに響く(写真)。 
咳込んでいた母へのみやげに1袋購入。

家に帰って、折畳みの教典類として分厚い「神道大祓全集」を使って、
転読会のまねして左手から右手に向って空中でぱらぱら開く動作をやってみた。
その動作をじっくり観察していたせいで、難なくできた。
これで1巻全部唱えたことになるのだ。 


節分の昼と夜

2019年02月03日 | 歳時

昨年に続いて今年も節分に実家にいるので、近所の神社の節分会(豆まき)に、4歳の姪を連れて行くことにした。

行事の開始時間を探るために、ネットで検索したが載っていない(たとえば区のイベント案内)。
有名どころの成田山とか浅草寺ならそのサイトに載っているのに… 
仕方なしに、外に出て、町内会の掲示板を探すと、そこには載っていた。
なるほど、理由がわかった。
膨大な参拝者の賽銭収入がある有名どころと違って、近所の鎮守社での行事は祭礼と同じく町内会の寄付が中心。
なので、あくまで町内会の行事であって、寄付をしてない部外者に、豆を含めた物品を投げ与えることは経済的損失でしかない、ということだ。

それで近所のどこに連れて行くかというと、
一番近い富士神社は、豆まき式だけだが、少し遠い諏方(≠諏訪)神社では、鬼が登場する。
なので、諏方神社に連れて行く。
ただ、4歳では「鬼が出る」ということは怖いらしく、
赤い面の”鬼”が登場すると後ずさりする。

それと近所の神社の豆まき式では、投げる側が非力な人ばかりなので、前の方以外は、何も飛んでこない。
これは改善の余地がある(もらう側も前後交代するとか)。
幸い、渡り廊下の下にいた姪と祖母が豆1袋をゲットした。

夜は、家の中で儀礼的に豆まきをする(明日掃除が必要)。
玄関外に飾る鰯は買えなかったそうだ。
節分の行事といえば本来ならこれで終りだが、母が今回初めて「恵方巻き」なるものをスーパーで買ってきた。
といっても一本の半分の長さのもの(丸々一本は買う気がしなかった)。
それと鉄火・河童(鮪と胡瓜)の太巻きを一本。
通常の太巻きは普通に食べれておいしい。
それにひきかえ、恵方巻きは中身は豪勢だが、いかんせん太すぎて丸かじりはできない(中身がこぼれる)。
不必要に割高だし、これでこりごり。 


1月は長く感じる:

2019年01月31日 | 歳時

1月はもともと31日あるわけだが、それにしても他の31日ある月よりも長く感じる。
子どもの時からずっとそう感じている。
それは”一年の計”たる正月という濃いイベントが月始めにあり、それが済むと1月は気分的に終了なので、残り25日ほどはただただ残余にすぎないためであろうか。

ところが、続く2月も、たった28日しかないのに、(その割に)長く感じる。
節分はたいしたイベントではない。
なので、1月で使った理屈は当てはまらない。
つまり、真の理由は1月と2月に共通する部分にあるはず。

冬(寒い、夜が長い)が時間を長く感じさせるのだろうか。
いやむしろ、年度末の作業が始まる、けっこう忙しい時期だからかもしれない。

だが普通は、忙しいと時間が短く感じられるはず。
といってもそれは時を忘れるために”現在”(時・分)が素通りされる感覚であり、
業務が詰っていると、これからやる事(未来)・すでにやり終えた事(過去)が月・日レベルでぎっしり蓄積されている。
生きられた時間(時分)は短くても、後ろ向きに展望された時間(月日)が長くなる。 

1月の終わりに「1月は長かった」と感じるのも、月始めの”元日”がはるか彼方にあるように、時間を展望した結果だからかもしれない。


追記:1月以外に、その月の「一日(朔日)」を思い返す(展望する)月って他にない。そのためかもしれない。2月は「この月だけ特別短い」という先入観の効果かもしれない。


「人日の節句」を忘れないで

2019年01月07日 | 歳時

今日1月7日は「人日(じんじつ)の節句」。
明治政府が1000年以上行われてきた伝統行事「五節句」※を廃止して以来、
人々の間から、それまで盆と正月の次に重視されていた節句の行事が衰亡の危機に瀕している。
※:人日(1/7)、上巳(3/3)、端午(5/5)、七夕(7/7)、重陽(9/9)の五つ

人日の節句と言えば「七草粥」を食べるのだが、
近所のスーパーを見回ってもその材料たる”七草”が売っておらず、
伝統でもなんでもない「恵方巻」とやらにご執心。 
その中で、松坂屋ストアだけは、きちんとした七草セットが並べられていた。 
これは賞讃に値する。 

春の七草は次の和歌で覚えるとよい。
「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」

これらが入った七草セットに、レトルトのお粥を買って、自宅で七草粥を作る。
レトルトのお粥は 85Kcalしかない。 

先日の記事に示したように、私は正月に数キロ肥えてしまった。
そんな私にとって、正月松の内の最後に「七草粥」を迎えることで、
正月太りを解消できる仕組みになっていることは実にありがたい。

ただ七草粥だけだとタンパク質が足りないので、追加が必要。
卵を落として卵粥にするのが一番楽だが、
今回買ったのがカニ風味の粥だったので、カニカマをほぐして混ぜた。

この七草粥を食べる人日の節句は、発祥元の中国では五世紀の東晋時代に書かれた『荊楚歳時記』に載っている。
すなわち1500年以上の歴史があるのだ。 
日本に伝わったからこそ、この伝統が守られたといえるのだが、
それが風前のトモシビであることも否定できない。
かくして、明治維新以前の伝統文化を守りたい私は、
恵方巻やハロウィンは無視して、五節句をアピールしていきたい。


箱根駅伝を見てしまう理由

2019年01月04日 | 歳時

2日、3日にかけて開催される正月恒例の箱根駅伝
今年は視聴率30%を超えたらしい。
関東ローカルのイベントなのに全国放送されている。

私自身、格別関心あるわけではないのに、つい見てしまう。
といっても見入るのではなく、テレビのチャンネルを合せる程度。
2日続けて、計10時間も見入ってはいられない。 

出身校が出ていないので、応援する大学があるわけではない。
また、ルートの沿線に住んでいるわけでもないので、わが家がテレビに映るような興奮もない(東京・横浜の街中、湘南の海沿い、そして箱根の山中と景色が変わるのは、他の駅伝より見ていて楽しいのは確かだが)。 

なのになんで毎年見てしまうのか。
まず、より魅力的な番組が他にないためである。
そして、駅伝という競技は、マラソンよりも短い中継点のため、ゴールシーンがより頻繁になって、 その分退屈しない(トップ以外に、予選会クリアの順位、繰り上げスタートに間に合うか!などの要素もある)。
かといって、攻守が突然入れ替わるサッカーと違って、目を離せないわけではない。
”流して”見れる。 
たとえば、復路で東海大が東洋大を追い抜く”決定的瞬間”を放送が捉えられなかったが、前後の流れによって各自が頭の中で再現できる。
そのため、お節の準備、談笑しながらの食事中、後片づけの間も流したまま見れる。

私などは、読書しながら見れる。 

そして何より、暇ですることがない時間に合っている。
その長い時間を救ってくれるのは、今は駅伝しかない(昔は正月用の長大な時代劇ドラマがあった)。 

箱根駅伝がない10時間を考えると、そら恐ろしくなるほどだ。


意地の三が日

2019年01月02日 | 歳時

実は私の定型行動は元日に限るものではなく、三が日を通して持続される。

意地でも、特別な行動パターンを通すことにしている。
すなわち、意地でも①着物を着続け、②昼から酒(日本酒)を飲み、③仕事には手をつけず、④歴史(武士)ものの本を読みふける。

①は、せっかく着物があるのに着ないのはもったいないが、日常的に着るには不便だから、せめて三が日だけは堪能する。
②は、お節料理と一緒に酒を飲むから(屠蘇の儀を含む)。そして③だから。
④は、仕事を忘れて趣味の本を読みふける貴重な三日間をあえて設けたいから(仕事としての読書もしない)。 

逆に言えば、これらの行為は三が日以外ではしない。
とりわけ、②と③を続ければ生活が破綻する。

私は休肝日は年に一日(健康診断前日)しか設けないが、アルコール依存にならないために、無節操には酒を飲まないようにしている。

④については、『関東戦国史』(黒田基樹)と『上杉謙信』(今福匡)を読み終え、今『武士の起源を解きあかす』(桃崎有一郎)を読んでいる。
かように、毎年この三日間は、酒の入った頭で、着物を着ながら、仕事を忘れて武士の時代に思いをはせている。


元日をこう過す

2019年01月01日 | 歳時

謹賀新年
元日からさっそくブログ発信。

毎年、私の元日のすごし方は定型になっている。
武家礼法を取り入れている点が、世間とやや異なろうか。

まず、自然な目覚めで起きたら(前の晩夜更かししていたら、それなりに遅い時刻)、湯舟に新湯を入れ、
水垢離ならぬ湯垢離をして、体を温めて清める(この時ばかりは入浴剤を入れない)。
元日用の絹の下帯を締め(通常は綿)、羽織袴(江戸時代の庶民の礼装)を着て(帯の結びは一文字)、

仏前・神前に礼拝(ネパール製のガンモモの響きがよい)。
腰(腹ではない)に白扇を差し、白足袋に草履を履き、近所の氏神様(二ヶ所)に初詣に出かける。

帰宅して、届いている賀状を整理し、
母がお節料理を盛っている間、手持ちぶさたに酒の準備をする。

そして、武家の礼装である烏帽子・直垂(ヒタタレ)に着替え、腰に白扇を差し、和室の上座に構えて、弟一家(5人)が来るのを待つ。
家族全員が揃って和室に着席したら、おもむろに「越天楽」のBGMを流し、烏帽子・直垂姿の私が、家族全員に対して、屠蘇の儀を式三献に則って執り行う。
すなわち、年少順に盃に屠蘇を注ぎ、それを盃を替えて三度行なう、いわゆる三三九度の儀式だ。
儀式だから、幼児には入れるふり、飲むふりで構わない。
屠蘇は前の晩から屠蘇散を金箔入りの日本酒に浸けておいた。

それを終えたら、一斉に「おめでとう」と挨拶し、子どもたちにお年玉を渡す。
私はもちろん、ポチ袋ではなく”折形”に包んだ。

この後は烏帽子をはずして、お節料理を嗜む(お節って子どもには不評で、大人には酒の肴にぴったり)。
くつろぐために、直垂を脱いでまた小袖(江戸時代の和服)に着替える。
これで、幼子たちと再び近所の寺社に参拝に行ける(さすがに烏帽子・直垂姿では外出しない)。
小袖姿になっても、武家として扇と袴は必ずつける(扇は刀代わりなので左腰に差す)。

日中にお節と雑煮を食べると、腹にたまって夕食もいらない。
夜は歴史物とりわけ(武士が大活躍の)関東戦国ものの本を読むことにしている(これも定型)。

こうして、新年初日の元日は、あえて儀式的にすごす。 


2018年を振り返る

2018年12月31日 | 歳時

今日大晦日、私の担当である実家浴室の大掃除を済ませ、早めに(体調の悪い子どもがいるので)菩提寺に亡父のお参り(霊廟の正月準備)を済ませ、あとは実家のメンバーそろって夜に年越し蕎麦を食べるだけとなったので、年末恒例、”今年の振り返り”をしたい。

今年の漢字は「災」とされたように、確かに自然災害が目についた。
今年の1月から大雪の被害が北陸を中心に発生し、 6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨(それに猛暑)、9月には胆振東部地震と台風21号と24号。
とりわけ気象災害の恐ろしさ(豪雨と強風)を痛感した。

実際、気象災害は毎年死者を出している。 
人々の防災意識が地震に偏っている現状を憂いていたが、これで気象災害にも対処する意識が熟成されることを期待する。
何しろ、気象災害は、実況と予測の詳細な情報を得られるのだから、人的被害を防ぐことが可能だ。

自分の話題に移すと、私設「星が丘気象台」(名古屋市千種区)が2年ぶりに復活できたのが嬉しい。
台風21号による風速35m/sで既設の「日進」の観測器が倒壊したため、 補強をより頑丈にした(たぶん風速40m/sまではもつ)。

4月から職場で役職付きになったため、会議と書類作成の業務が増えた。
そのせいにするわけにはいかないが、毎年2本をノルマにしていた論文執筆が1本だけとなったのは、わが研究人生で初めて。

さらに個人的な問題として、左脚の腸脛靱帯の故障で、私の登山先が最低ラインの高尾山(599m)まで後退した(3月)が、ZASMTの専用サポーターを得て、毎月リハビリ登山を開始し、4月の高水三山、5月の芦ケ久保丸山と徐々に標高を上げ、6月は茅の丸で標高1000mを超えることに成功。 
ただ9月の丹沢大山(1252m)で残念ながら痛みに見舞われたためもあり(これが限界か)、ストイックなリハビリ登山だけではなく、山上でのんびり煮炊きをする”炊(カシ)き登山”を始めて、あえて低山を楽しむようにした。
山のほかに毎月行くようにしている温泉旅は、固定した宿ばかりで、新しい宿は開拓していない(仕事のストレス解消が目的だから、気に入った宿に泊りたい)。

年に2回訪れている茶臼山高原のカエル館(長野県根羽村)でのパワーの計測については、長野朝日放送から電話インタビューを受け、長野県内で放映された(今年のマスコミ露出はこれだけ)。

川歩きは東京東部を流れる荒川を河口から赤羽まで2回に分けて歩き、あと渋谷川を渋谷から晴海埠頭まで歩いた。

研究としてはまだ未成熟だが、生活に取り入れているのが”気”の訓練。
もともと外気(ガイキ)を感じたいために始めたのだが、あちこち不調があることもあって内気(ナイキ)にも関心が行き、体内の気の流れもコントロールしたくなった。
そのために追加した装備は、オーラが見やすいオーラグラス(海外から購入)、自分の経穴がわかる良導点測定器、それに電子鍼。
さらに耳鳴り治療を期待して漢方にも接近。
まさに「中医学」に浸かる。

このように自分の関心領域が大きく方向転換しつつあることも、論文が書けなかった理由の1つ。
来年は、スピリチュアルな領域での論文、しかも実証研究を目論んでいる。

でもその前に、気功と経絡刺激と漢方で自分の内気(ナイキ)を調整できるようになりたい。 


年末の緊張感を味わう

2018年12月30日 | 歳時

クリスマスを過ぎて、いよいよ正月を迎えるための年末モードに入ると、心の中でカウントダウンが始まり、にわかに”時”に対する緊張感が出てくる。

この時期特有のこの緊張感が、残された数日間、特別な充実感を与える。
この時期だけ、日々・刻々を噛みしめるように生きるから。

ハイデガーに言わせれば、この在り方が時間存在たるわれわれ”現存在(存在を了解できる存在者)”の本来の姿なのだ。

言い換えれば、年末以外の、時間をやりすごして生きている日常は現存在のくせに「存在忘却」している状態。

自分が存在していることを実感しながら年末をすごし、いよいよ大晦日の深夜、新年に切り替わる瞬間を迎える。
その瞬間をはさんだ数日間、われわれは、これまでの一年間自分が存在してこれたことを感謝し、新たな一年を存在の延長として迎える覚悟をする。
まさに、現在・過去・未来という時間性を味わう意味のある期間なのだ。

正直いって、年に一度の限られた時期だからこそ、あえてそれを実感しようとする気になれる。
これを一年365日続けられないのが、”日常の忙しさ”に頽落して存在忘却してしまうわれわれ現存在の悲しい性(さが)。
だからこそ、新年=歳神(時の神)様を迎えるというオンオフの切替え儀式に意味があるのだ。 
諸外国と違って、この歳時の儀式をきちんと味わえる日本にいて良かったと、存在論の立場からもつくづく思う(西洋はカウントダウンでおしまい。東洋では旧正月の方が盛ん)。


賀状を書いて思うこと

2018年12月26日 | 歳時

クリスマスが過ぎ、いよいよ今年最後の一週間の”年末モード”に入る。
私も学生と同じく冬休みなので、昼から賀状書きに専念。
といっても、ご時世にもれず、裏面と自分の住所氏名はプリンタで印刷。

裏面は、儀礼的挨拶よりも、自分の近況報告と今年の写真を添えることにしている。
儀礼的挨拶のみ(あけおめ、ことよろ)の賀状って、情報量が0に近く、ほとんど意味ないと思うから。
なにせ実際には、昨年はまったく「お世話」していないし、「今年も」会わないだろうから。

年に一度だけの挨拶なのだから、むしろ近況報告を載せてほしい。
家族写真ももらって楽しいので(お子さんの年々の成長がよくわかる)、私は歓迎。

表の宛名は印刷にせず、手書きにこだわる。
印刷でも失礼とは思わないが、手書きにする理由の1つは、印刷してから出す相手を決めるから。
それから、裏面に一言書き添えるようにしており、
それとともに相手の氏名を手書きで書くことで、年に一回だけ、出す相手をしっかり想い出し、はがきを通して語りかけることになるから。
両面印刷でそのまま自動的に投函だと、この語りかけがないだろう。

ただ正直、上の作業そのもの(はがきを通しての語りかけ)自体が苦痛になりかけている。
実際、賀状の交換だけの相手が多い。
もちろん旧友やかつての職場仲間が多いが、中には一度名刺交換をしただけの相手もいる。
こういう相手は、語りかける言葉も浮かばず、第一顔が思い出せない。
たった一度の接点だけで、その後延々と賀状交換が続くのもへんな関係だが、交換自体は安定してしまって、止めるきっかけがつかめない。

賀状交換の意味がなくなった相手と交換をやめるいい機会になるのが、相手の定年と喪中。
これは当事者にとっても出す相手を整理する機会になっていよう。

年末忙しい人の中には、年明けに賀状が来た相手に出すパターンがあるようだが、できたら私もそれに倣いたい。
ただ、全員がいっせいにそのパターンを採用すると、賀状の流通がピタリと途絶する。
情報量のない儀礼だけの賀状なら、それでもいいか。


ボジョレーの新酒に乾杯!

2018年11月17日 | 歳時

今週末(土日)は推薦入試に公募制入試が続いて休みがない。
その前半が終わった17日は、ボジョレー・ヌーボー解禁日。

お盆と意匠が重なるハロウインは日本には不必要だが、農耕民なら最大行事であるべき収穫祭(新嘗祭)の代表として、この日は祝いたい。
何をおいても新酒の収穫祭だし。

といっても日頃ボルドーなどを賞味しているリッチな人にとっては、ボジョレーの軽いワインなど初心者向きにしか思えないだろうが。

メルシャンの Bistro(濃い赤)をテーブルワインにしている庶民の私にとっては、この日ばかりは、 新鮮なフランスワインを味わいたい。

というわけで祝儀を兼ねてボジョレーの中でもあえて「シャトー」ものを買って、 前菜の生ハムやチーズとオリーブたっぷりのパスタの前でコルクを抜いた。

ボジョレーの新酒ではなく、新酒そのもの乾杯!

新酒ならではのブドウの風味が口の中に拡がる。

酒の味には酔っても、酒の精に酔う前に、コルクを締めねば。
明日も朝から入試業務だから。 


わが家の節分会:恵方巻きは食べない

2018年02月03日 | 歳時

実家で迎えた節分。

3歳の姪は、桃太郎の話が好きで、鬼退治に憧れているので、近所の神社での豆まきに連れて行った。

連れて行こうとすると、鬼がいると思い躊躇していた。

神社の豆まきは、氏子の年男・年女が上からお菓子を放り投げる。

下で構えているのだが、大人までが本気になって取ろうとするので、幼児には近づかせず、母(姪にとっての祖母)と遠くで見守る。
私は、菓子の1つを素手でキャッチ。

幼児には、特別に箱入りビスケットが配られた。

家に帰って、玄関に鰯ならぬ煮干しを飾り(飾り用の鰯が売っていないので)、玄関で再び豆まき。
今度は私が鬼の面をかぶる。

姪にとっては初めての節分行事を楽しんだようだ。

夜に名古屋に帰るので、私は早めの夕食。
母はスーパーで巻き寿司を買おうとしたのだが、割高の恵方巻きしかおいてなく(しかも山積み)、ばからしいので、刺し身を買ってきた。

国民の多くは実はシラケている愚かしい「恵方巻き」狂騒曲 。
食べ物の無駄でしかないので今年の在庫の山を最後にしてほしい。 


2018年の元日

2018年01月01日 | 歳時

2018年の元旦は腹痛で目が覚めた。
腹痛は腸内に排出したい異物がある場合だと大腸カメラ体験時で”痛感”したので、幾度かトイレを往復したら、なんとか納まった。

さて、元気を取り戻し、例年の元旦のように、まず湯垢離をして、絹の下帯をつけ、羽織袴姿になって、氏神の神社に初詣に行く。
第一氏神の天祖神社は人が少なめですぐに参拝できたが、第二氏神の八幡神社は階段まで行列。
氏子の数の差ではなく、こちらは谷中七福神の起点の寺に隣接しているためか。

参拝者たちが打つ柏手の中でいい響きを発するのは、その打ち方のコツを身に付けた私だけなようだ。
持参した小型のダウジングロッドを取りだし、富士講の”富士山”にかざすと、左右に開いた。

自宅に帰れば、母と姉がお節料理の盛り付け。
私は酒と屠蘇の準備。

3歳の姪が、着物姿を私に見せにきた。
近ごろ急に女の子ぽくなり(プリキュアにハマっているため)、私を「いちろーさん」と呼ぶ。

私は、屠蘇の儀のための、烏帽子・直垂(武家の正装)に着替える。
さて、今年は姉が来ているので総勢8名。 
和服なのは姉と姪と私。
例年のように、雅楽「越天楽」の調べが響くなか、烏帽子・直垂の私が厳粛に屠蘇の儀(家族全員での式三献)を執り行う。
姪も今年からは主体的に参加して、屠蘇に口を付ける(写真)。
一方、14歳の甥は、これが一番の楽しみだと。
姉がスマホでイタリアに生中継する。

全員の三献が済むと、一同で「あけましておめでとう」と挨拶。
これで儀式は終り。
子どもたちにお年玉が渡され(今年はくれる大人が一人多い)、
いよいよお節料理に舌鼓。
”かまぼこ”はわが家系出身地の山口の萩製を西武池袋店で買ってくる。
母が作った煮しめが私の大好物。
酒は「獺祭」と「越乃寒梅」。
獺祭のスパークリングが女性に好評。
私は寒梅が口に合う。

〆の雑煮の餅は必ず焼いて入れる。
そうすれば粘性がなくなり必ず噛み切るため、咽喉に詰ることがない。 

だらだら食べて、だらだらして終る。 

3階に帰った弟一家の中で一人居残っている3歳の姪と、日没後に鎮守の初詣(私は2回目)に行く。 
3歳児にとっては草履は歩きにくそう。 

昼をたっぶり食べたから、夜は餅の磯辺焼き2個ですむ。 

かくして、2018年の元日がすぎゆく。