今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

気象記念日に思う

2021年06月01日 | 歳時

今日6月1日は、気象記念日
明治8年(1875年)のこの日に、当時の東京気象台が設置され気象と地震の観測がされた日(wikiによる)。
実は、勤務先の大学の創立記念日でもあるので、私らだけ仕事は休み。
なので、東京にいて国会図書館で仕事をした。
帰りに皇居の反対側の気象庁に足を伸ばそうと思ったが、庁舎1階にあった気象科学館は虎ノ門に移り、また昔からあった書店も閉店したという。

以前は、あこがれの気象庁に用もないのに行き、書店で専門書を買ったり、科学館で時間をつぶし、食堂で昼食をとったりしたが、最近はご多分に漏れず入館チェックが厳しくなった。

この日にちなんで、中公新書の『気象庁物語』(古川武彦)を読んでいる。
うらやましくも気象に人生を賭けた「天気野郎」たちの物語。

そもそも気象観測の最大の目的は、気象災害を減らすことに尽きる。
今では精巧な数値予報によって、明日の最高気温まできちん予測できるのはすごいことだ。
これがいかにすごいことであるか、世間には理解されないのが悔しい。
そのすごさは台風の上陸時に発揮され、数日前からの予想とリアルタイムの実況が逐次公表される。
だから、本来なら気象災害による死者は無くせるはず。

ところが現実には、気象災害による死者が毎年出ている。
問題は住民による情報の活用だ(気象庁からの「警報」だけでは大ざっぱすぎる)。
東日本大震災で津波で無くなった人たちが、地震と津波の間の30分の(避難するには充分の)猶予を活かしきれなかったのは、まずは不足していた情報のせいだ(停電のせいで、地元の人たちだけが仙台湾に向って沖合から大津波が進んでいる自衛隊機からの実況映像を見れなかった)。

気象庁のサイトの「各種データ・資料」のページには詳細な普通の人には手に余る情報が載っている。

気象庁が発表する高度な情報と住民との間をとりもつのが、われわれ気象予報士・防災士の役割だ。

わが勤務先の大学は震災後、防災の授業「安全学」を立ち上げ、先週の土曜に私も防災情報の活用の講義をしてきた。

日本は治安はいいほうだが、自然災害の頻度は世界的にも多い。
そういう国に生きているからこそ、自分と家族の命を守るために、防災情報のリテラシーを高めてほしい。
その役に立てるよう、講義以外でも情報発信していきたい。


文京の桜を見に行く2021

2021年03月27日 | 歳時

満開の桜に浮かれた心は簡単には鎮まらない。
3月末の晴天の土曜に家に篭っているわけにもいかず、今日は地元文京区の桜を見に行く。

文京の桜といえば、ネットでは”江戸の二大庭園”であった六義園(柳沢吉保の庭園)と小石川後楽園(水戸光圀の庭園)が紹介されているが、これらの名園にとっては、桜は植込の木の1つでしかなく、決して主役ではない(個人的には、六義園は紅葉、後楽園は梅が見所)。

区民にとっての”文京の桜”と言えば、「文京さくらまつり」の会場となる小石川の播磨坂(松平播磨守の屋敷跡)の桜並木。
天気がいいので、ここに歩いて向う。

途中、白山神社に立ち寄って「白山旗桜」という名木(江戸三名桜の1つで、現在はその後継木)を見る(写真:右下に人が立っている)。

さらに小石川植物園(五代将軍綱吉が幼い藩主時代の御殿で、その後御薬園となる。日本最初の植物園となり、もちろんここにも桜がある)の脇を抜けて、播磨坂の坂下側に出る。
ここから始まる桜並木は、「環三通り」(環状三号線の計画道路)と言われていた広い通りで、通りの中央部に歩道帯がある(名古屋の広すぎる道路にあるやつ)。
道路の両側と中央の歩道帯にいずれも桜並木になっているので、計3列の桜並木となる(写真)。

例年の「さくらまつり」なら出店も出るのだろうが、今年は道路脇の店だけで、歩道帯の見物客はマスクをしての漫(そぞ)ろ歩き。
といっても、なかにはベンチに腰掛けワイングラスを手にしているカップルや、道脇にシートを敷いて弁当を広げる家族連れがいる。

考えてみれば、道路脇の店内で食べるより、こうした方がまだ感染リスクが低い。
ここは遠方から人が来るような有名処ではなく、地元民だけで楽しむ所なので、密になることもない。

法治主義ではなく礼治主義者※の私にとっては、感染対策は、個々人が頭を使って実施すべきで(決して難しくはない)、無思考者を前提とした一律の禁止で縛る必要はない(店舗の営業もしかり)。
※:一律の法(ルール)ではなく、状況に応じた礼(マナー)で社会の安定を目指す儒教的理想主義。
少なくとも、地元限定の桜の名所はそれでいいと思う。

私自身は、桜は見て撮るだけでいいので、桜並木を通り抜けたら、そのまま茗荷谷の駅に向う。
昼時で空腹になったが、昨日のように店で食べる(そのため昨日は体重アップ)ほどではないので、駅前のスーパーで惣菜の焼そば(290円)を買い(レジで箸をもらい、レジ外のレンジで温めて)、店前のベンチに腰掛けて食べた。
体重コントロールを心がけると、かように食(費)も軽く済む(実際、体重が戻った)。

茗荷谷から地下鉄を乗り継いで、最寄の本駒込で降り、帰路につく途中に立ち寄った吉祥寺(曹洞宗の栴檀林:駒澤大学の前身だった)の境内の桜も、これまた地元の名所で、カメラを手にした人が集まっている。
まず山門を入った参道沿いの枝垂れ桜の枝垂れ具合が人間がすっぽり入るほど大きく、また文化財建築の経蔵をバックにした満開の桜もいい(写真)。

こういう名所だけでなく、近所の邸宅の庭から出て道路を覆っている区の保護木の桜や、児童公園内の年季の入った桜も、すなわち単独の木も、それぞれ思い切り満開なので見栄えがする。

”壮観”でなくていいなら、外出すればこうして至るところで桜を楽しめるのがこの時期の日本だ。


桜を見に行く2021

2021年03月26日 | 歳時

梅や紅葉などはその季節になっても「絶対見なくては」とまでは思わないが、桜だけは違う。
「開花」さらには「満開」の報に接すると、もう居ても立ってもいられなくなる。
しかも単独の木ではなく、桜の花がずらりと空間を占める状態を見たい。
桜は”壮観”でなくては。

と、日本人だれもが思っているから、並木状に植えられた桜の名所が各地にでき上がる。

わが東京宅の近所では、まずはソメイヨシノの発祥地の染井墓地(豊島区)、
そして江戸時代から桜の名所だった王子・飛鳥山公園(北区)がある。
もちろん都内第1の名所・上野公園(台東区)も遠くはない。
家から最も近い六義園(文京区)も名所に数えられるが、本数的に”壮観”ではないので私は選択外。

他にないかとネットで探していたら、「舎人(とねり)公園」(足立区)は桜が1000本もあるという(この数、都区内ではトップクラス)。
ここなら舎人ライナー1本で行ける。

土日は混むだろうから、晴天の金曜の昼前に、舎人ライナーに乗って舎人公園を目指した。
この自動運転の車両に乗ったら、座席にPASMOカードの忘れ物があった。
不埒な者の手に渡ると無断使用されるので、私が預かり、有人駅の西日暮里駅で駅員に預けた。
その時思ったのは、なくした場所はたいてい思い当るので、持ち主が自分の所有物と確認できるために、カードのナンバーを控えておくとよい、ということ。

さて舎人公園で降り、広い園内に入ると、桜が並木と点在の中間の密度で拡がっている(写真)。
ここは広い公園なので、密度的には低く、また木が若いので、本数の割りに”壮観”というほどではない。
ただ、密度がゆるいせいで、グループごとに木の下での場所を確保できる。
もちろん今は、通行のみでシートを敷いての滞在はダメという御触書きがあるのだが、木の下にシートを敷いている人たちがいる(備付けのベンチ・テーブルを使うのもNGか)。
客観的には三密にはなっていないため、私は目くじらをたてるつもりはないが、家族連れならまだしも、グループでの宴会はいかがなものか。
私自身は、昼間の酒宴には抵抗あるので、桜は花を見れれば満足。
この公園の線路を挟んだ反対側には、レーガン大統領夫人から寄贈されたワシントンの桜(元は日本から送られた木の二世)が「レーガン桜」の名で植えられていて、名所になっている。

以上で舎人公園の桜を堪能したので、舎人ライナーで西日暮里に戻り、駅近くの中華屋で定番の”五目焼そば”※を食べ、次の桜を見に諏訪台に上がって谷中に行く。
※:私が中華屋で食べるのは、もっぱら見た目も豪勢で栄養バランスのいい五目焼そば。ラーメンは食べない。
高台にある谷中霊園(台東区)は、中央の道路沿いのこじんまりした桜並木が"壮観”未満ながら”名所”に値し、周囲の寺と墓で和風の趣(おもむき)があるためか、着物姿の外国人女性が歩いている(写真)。
カメラを構えている人の数も舎人公園(あちらは宴会向き)より多く、私もその一人となり、貫録のある巨木(老木)に向ってシャッターを押す。
本来なら桜並木沿いに五重の塔が建っていて(心中の放火によって焼失)、それが残っていれば見事な桜の名所になっていたろう。
桜を見るだけでなく撮るなら、桜の周囲のたたずまいも大事で、壮観だけの公園よりは、石搭や木造建築がある寺や墓地の方が撮り甲斐がある。
なので、私のお気に入りの桜の名所は、近所のここ谷中霊園。


極寒の人日の節句

2021年01月07日 | 歳時

1月7日は、1年最初の五節句である人日(じんじつ)の節句。
旧暦ならば立春後なので、春の兆しを感じれる※のだが、本日の名古屋郊外は、午後4時に氷点下に急降下。

※:私は、可能を受け身や尊敬と同一表現にすることに反対する確信犯的”ら抜き”主義者で、「られる」は受け身のみに使う。

極寒の中、帰宅し、すでに買っておいた春の七草※セットに市販の五穀米の粥を入れて、七草粥を作った。

※:「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」と覚える

これでは動物性蛋白質がないので、カニカマを追加し、茶漬けの素を味付けに加えた。
実に低カロリー。

人日の節句のイベントはこれだけのシンプルなものだが、古代中国(5世紀の東晋の頃)の『荊楚歳時記』に載っている節句を、21世紀の日本で執り行っているわけで、
単なる(おいしくもない)七草粥だが、大和朝廷ができるかできないかの頃の伝統をこうして維持しているって凄い。


意地の三が日を終える

2021年01月03日 | 歳時

おせちと着物で通した「意地の三が日」(2019年のブログ記事名)を終える。
おせちも着物も正直三日が限度だ。
しばし仕事を忘れて趣味の読書に集中できたのはありがたかったが…。
印象に残ったのは、本日の箱根駅伝のどんでん返し(沿道の観客の多さも気になった)
夜には屠蘇や雑煮のセットを片づけた。

5日から会議で、6日から授業と母の入院(残りの膝の手術のため)。
明日4日は、それらの準備に充てる。
もう正月気分は終了。


元日をすごす2021

2021年01月01日 | 歳時

新年あけましておめでとうございます!
 皆様にとってよい一年でありますように

元日を迎え、例年のごとく、まずは自然の起床の後、和服(羽織袴)を着て近所の二社一寺に初詣。
参詣客は多くはないが、間隔を空けているので列は長め。

一家が揃ったら、お節料理の前に、我が家で欠かせない正月儀式「屠蘇の儀」を執り行なう。
烏帽子・直垂(ひたたれ)という武家の正装に着替えた私が、BGMに越天楽(えてんらく)が流れる中、式三献のやり方、すなわち三つ盃で、幼順に屠蘇を注ぎ、三三九度で飲む(小児は口をつけて飲むマネでよい)。

我が家のお節料理は、重箱ではなく、おせち専用の大皿に盛り付ける。
ただお節料理って、酒の肴中心なので、大人は喜ぶが、子どもには受けが悪い。
義妹が作ったローストビーフで子どもたちは満足。
私にとっては市販の具材よりも母が作る煮しめが一番の楽しみ。
〆は、すまし汁の雑煮
我が家では、餅は雑煮でも必ず焼く
そうすれば必ず噛み切るので、咽喉に詰ることはない。

正月三が日だけの行動様式がある。
まず、昼間から堂々と酒を飲む(本日は、越の雪椿の「月の玉響」)。
そして室内でも和服で通す。
あと、意地でも仕事はしない。

そして、歴史書を読むことにしている。
好きなのは、関東の戦国前期(足利成氏、太田道灌の時代)。
最近、その期の”享徳の乱”(命名は峰岸純夫)が注目され、本が次々出ているのがうれしい。
先年の『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明、2015年)に続いて、今回は『享徳の乱と戦国時代』(久保健一郎、2020年 )。
関東だけでなく、東日本全体に視野を広げた本で、最新の研究結果(いろいろな説)が紹介され、道潅に縁(ゆかり)のある文化人や、暴悪な印象しかなかった茶々丸の情報が参考になった。
ただ傑出したヒーローがおらず煮え切らない時代なので、同好の士は多くはないだろうな。


2020年を私的に振り返る

2020年12月30日 | 歳時

正月準備の合間を縫って、毎年恒例、”今年の振り返り”をやろう。
もちろん、広く世間のではなく、狭く極私的に。

このために今年1年のブログ記事を読み返すのだが、わが記事ながらこれが結構多量でつらい。
読み返す価値のない記事(特に仕事ネタ・時事ネタ)はいずれ削除しようと思う(この手の歳時ネタは1年のまとめ情報となっているので、残しておこうか)。

今年はもちろん地球規模での”コロナ禍”の一年で、私もその影響を被(こうむ)り続けた。

実は何を隠そう、私の2020年は、元日からインフルエンザで丸2日間寝込んで始まった。 
ようやく起き上がれた3日になって口にした”おせち”は、塩の固まりの味がして食べれず、味覚異常を体験した(翌日には解消)。 
6日になって初めて外に出たので、今年は”正月”を体験できなかった。

そして1月末には、日本もコロナ禍に見舞われるが、記事では政府の対応の遅さを嘆いている。 
これ以降、ブログも「新型コロナウイルス」のカテゴリーの記事が続く。
3月は、新型コロナウイルスの恐怖に日本中が巻きこまれていく。

大学でも卒業式は中止(3月)。 
マスク不足の中での志村けんの感染死には私もショック。 
そして入学式も中止(4月)。 
新入生は入学式前のガイダンスを受けただけで、 これ以降は自宅待機。

結局、前期授業は完全に遠隔授業(オンデマンド型)となった。 
私も在宅勤務となり、会議も遠隔。 
在宅勤務といっても決して楽ではなく、日々遠隔授業の教材づくりに追われる。
そして書類に押印するためだけの出校。
授業だけでなく、仕事の在り方も考えさせられた。

第1波の時は、GWが正念場だと思っていた。
この後、いまだ続く”我慢する系”のストレスに耐えることになろうとは…

自分を含めて周囲に感染者は出ていないが、
高血圧の持病を持つ身で、血圧の高止まりが続いた(3月〜)。 
そして、10月に狭心症の発作に見舞われた(今は投薬中で安定)。
母は、5月に軽い脳梗塞を再発し(軽症で回復)、また外出しなくなったせいで長年の膝痛が悪化し、血清療法を試しても効果が出ず、最後の手段の手術をした(12月、年末に退院)。
ということで身体にはコロナの間接的な影響を被っている。

毎月1回は行っていた温泉旅は、アカの他人との接触を避けるため行く気になれなかった。
その中でも定宿としている中津川の温泉宿には例年以上に5回も行った。
こういう時こそ応援したい宿だから。

年2回通っている茶臼山カエル館(真正パワースポット)は例年通りに通い(6月、11月)、オタマジャクシの孵化や水質のデータを得た。

あとは日帰りの小旅行ばかりで、結果的に埼玉によく足を運んだ。
草加(1月)は、ホントに煎餅の町で、手焼きせんべいがおいしかった。 
鴻巣(2月)では日本一の川幅と川幅うどんを堪能。
狭山湖(6月)ではトトロの森で”パワー”を実感した。
高坂(11月)に行って岩殿観音に参拝。

山の方はなんと高尾山(12月)だけ。
あと、しいて上げれば高坂に行った時の物見山(135m)も。
これはコロナ自粛のせいだけでなく、従来の腸脛靱帯炎に狭心症が加わったためで、ますます登山に向かない体になってしまった。

その代わり、近場の寺巡りはコロナ中でも気楽に実行(御朱印コレクションのためではない)
こんにゃく閻魔などの地元文京の寺(3月)、定宿途中の東濃の薬師巡り(4月)、
東京・西大井(6月)、神楽坂(8月)、鶴見の総持寺(10月〕、そして高尾山薬王院に、日の出町の鹿野大仏(12月)。

仏様ついでに、記事にはしなかったが、自室内の仏像が充実した。
今年加わったのは、不動三尊(作家作品)、勢至菩薩・観音菩薩・弁財天(以上は中国製の美しい木造)、軍荼利明王・風神・雷神(以上はリアルな和製フィギュア)。
外出できない間は、室内を充実させたい。
お篭り生活の中で、Amazonでの買い物が楽しみになってしまったためでもある。

来年は、冠動脈と腸脛靱帯をかばいながら、もう少し山に行きたいものだ。


賀状書き

2020年12月26日 | 歳時

12月25日は我が甥っ子の誕生日。
なので東京宅では、クリスマスパーティは事前に済ませ、25日はイエス様でない誕生パーティ。
これで我が家もホリデー週間に突入。

26日の今日は、気分一新、賀状書きにいそしむ。

はっきり言ってめんどくさい。
いっそ”賀状じまい”にしたいのだが、今年は普通に会う人とも会えなかったから、延期する。

すでに作っていた賀状の原稿を、年に一度の稼働となる実家のプリンタ(hp)でハガキ印刷すると、なぜか印刷位置がずれてしまう。
その調整(プリンタ本体での印刷位置調整と紙送りガイドの掃除)をして、やっと正常位置に印刷できるようになる(これを毎年繰り返す)。
ただ、カラーインクの出が悪いので、インクジェット対応の賀状なのに、写真の印刷は大昔のプリンタのように横に帯が入る。
裏面と表の自分の住所氏名を印刷したら、次は手書き作業。

私は、表の住所・宛名は手書きにしている。
そうすることで、相手をしっかり心に思い浮かべることができるから。
そして、思い浮かべたその相手に向って、裏の余白に、手書きで一言書き添える。
相手の住所氏名を印刷で、しかも裏も100%印刷だと、そりゃ楽だろうが単なる流れ作業になってしまう。
それこそ無意味ではないか。

ただ、書き添える一言が思い浮かばない相手には困る。
何しろ、たった一回会っただけで賀状のみの関係でしかないと、顔すらまともに浮かんでこない。
日頃顔を合わせる職場の同僚との賀状も意味ないと思うが、このような相手もほとんど意味がない。
ただ、昔の知り合いで、いまや賀状だけが唯一の接点となった相手には、それこそ年に一度だけ心に思い浮かべて、今どうしているのか思いをはせる。
といっても浮かんでくる一言は、「お元気ですか?」以外に出てこない。
会う気がないのに「久しぶりに会いたいですね」と書くのも白々しいし(男同士の定型的挨拶で「今度飲みましょう」というやつと同じ)

印刷した裏面には、毎年旅先の写真に解説をくわえている。
定型的な賀詞ばかりでなく、個別情報(近況)を加えた方がいいと思っているから。
もらう側としても、凝ったイラストなどよりも、その人ならではの情報があった方がいい。
だから家族写真も歓迎(毎年、子どもの成長がよくわかる。ただ子どもが成熟すると、家族写真そのものがなくなる)

いずれ、虚礼部分は廃止して、年に一度顔を思い浮かべたい相手だけのやりとりにしたい。


フランス・ワインの新酒祭を日本で祝う

2020年11月19日 | 歳時

本当は熟成がものをいう赤ワインだから、荒々しい新酒など賞味するに値しないというワイン通のご意見もご尤もだが、晩秋に一年の収穫を祝うというのは、農耕民族にとっては一年で最大級の祝祭事であり、食への感謝は基本中の基本だから、これを祝わないわけにはいかない。

ワインは人類が生んだ最高傑作の酒(の1つ)であり、その本場フランスのワインの収穫(新酒)の喜びを、遠く離れた日本でも同時、いや真っ先に開催できることはこのうえなく嬉しい。
それでなくても酒はそれ自体が人の心に幸福感を与える人生の友である。

夜まで続いた授業を終えて、終点の駅に降り立ち、”やまや”でボジョレー・ヌーボーを買う。
今回は酸化防止剤無添加のを選んだ。
そして、パスタの夕食の前にコルク栓を抜き、あっという間に瓶の半分ほど空け、いささか酔って、実にいい気分(アルコール度数が13%なのでちょっと高め)。

どうせなら、日本酒の新酒(あらばしり)祭も大々的にやればいいのに。
酒をおおっぴらに飲める記念日を増やしてもらいたい。

ついで本日、名古屋東端のわが愛する”藤が丘”(名東区)の”やまや”の並びに書店が開店した。
このご時世で、閉店ではなく”開店”だ!
レジ前には行列ができていた。
住民みんなで応援したい。

住む町に本屋があること、これも私にとって重要。


1月25日は八甲田忌

2020年01月25日 | 歳時

毎年1月25日を、私は勝手に「八甲田忌」としている。

明治35(1902)年、青森の八甲田山中で、青森5連隊199名が遭難した日。
一度の遭難死で世界最大。
山岳遭難最大の惨事である。

青森五連隊210名は1月23日に駐屯地を出発し、徒歩で八甲田に入った。
しかし悪天候のホワイトアウトで道を失い、24日にはすでに山中で遭難状態となった(28日まで続く)。

私がその中で25日を忌日としているのは、その年のこの日が、日本の最低気温を記録した日でもあるから。
青森五連隊が雪の八甲田山中を天幕もなくさまよっている25日、太平洋側に発達した低気圧が、シベリアの大寒気を引込み、北海道の旭川で-41℃を記録した(この記録は約120年たった今でも破られていない)。
北海道の少し南、青森も当然この異常な寒波の中(-20℃は有にあったろう)。
発達した低気圧だから、気温だけでなく、風も強く、そのため極低温下の大暴風雪となる(体感気温は風速1mにつき1℃下る)。

ああ、なんとタイミングの悪いことよ。
よりによって、数百年に一度の大寒波襲来の中、太平洋と日本海の風がぶつかり、地形が複雑な雪の八甲田に風雪をしのぐ天幕もなく入り込むとは(もちろん初日から温泉宿に泊る予定だった)。
まずは、気象情報の軽視を遭難の第一原因としたい。

といっても、ほぼ同時期に八甲田に入っいる弘前35連隊38名は、ほとんど無傷で走破している(ただし25日は、平地の三本木(現十和田市)にいて、八甲田に入る前だった)。
その対比が、新田次郎の小説『八甲田山 死の彷徨』、そしてそれをもとに作られた映画『八甲田山』(1977)に描かれている。
原作もいいが、映画がすばらしい(俳優陣のレベルの高さ、凍傷者を出したロケのリアルさ,音楽が芥川也寸志)。
私は八甲田忌にあわせて、毎年この映画を観る事にしている。

できたら、読者のみなさんも、映画だけでなく、一度、青森の幸畑(資料館と墓がある)を経由して、馬立場(記念像がある)へと八甲田の北麓を訪れてほしい。
私もかつてこの地をレンタカーで訪れ、山中の酸ケ湯温泉に泊り、翌日は十和田湖に向った。


七草粥の代り

2020年01月07日 | 歳時

世間に一日遅れて、私も今日から仕事始め。
まずは会議を2本(うち1つは私が議長)。

今晩は、七草粥を食べようと、地元スーパー3軒に立寄ったが、七草粥セットが置いてない。
昨年まではあったはず。
売れなかったのだろうか。

確かに、春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を材料にした粥って、はっきり言って侘びしく、ちっともワクワクしない。
仕方ないので、スーパーで98円のレトルトの粥と、七草の代りに緑豊かなベビー・リーフを買って、あと七草の代表としてダイコン(スズシロ)を入れ、鶏卵を1つ落としてそれなりに栄養のある粥を作った。
これだけでは味がないので、茶漬け用にとってあった丸美屋の「梅茶漬け」の元を適当に入れた。
テレビを見ていたら、キャスターが昔、七草粥セットをバイトでパックしていたことがあって、それは神経を使うたいへんな作業だったという。
つまり、労多い割りに、有り難がられない商品なようだ。

そもそも七草粥は古代中国由来の1500年の歴史ある風習(五節句の中では最古)。
これが廃れるのは惜しい。
でもおいしくない。


2019年を振り返る

2019年12月30日 | 歳時

東京宅での大掃除と正月用の買い出しもほぼ完了し、いよいよ新年を迎える準備が整った。

そこで毎年末恒例の”今年の振り返り”をしてみよう(本ブログの主旨に則り、極私的振り返り)。

今年は、なんといっても天皇の生前譲位という、明治以降初めての出来事があり、祝賀ムードの中で年号が替り、新天皇の即位の儀式が執り行われた。
むしろこのパターンを標準にしたらどうか(ただし大嘗祭はもう少し質素でいい)。

それと昨年に続いて”災”害が続き(昨年の漢字が「災」だった)、特に9月と10月の東日本の台風被害が目立った。
人災では、なんといっても7月の京アニ放火事件が痛ましい。
これらを受けて防災への意識が私の中でも高まった。

さて、個人的には、昨年に続き、大学院の研究科長の職務が重くのしかかったが、一番の懸念だった研究科改革案の見通しがつき、まずは最初の壁を突破した。
同じ立場でも二年目になり、初年度の昨年よりは精神的に余裕ができたせいか、論文は例年通り2本書き上げた。
その中で、茶臼山カエル館でのパワー現象の実証研究を論文にできたことが大きい(2020年3月発行)。
今後はスピリチュアルな領域(私の「心の多重過程モデル」ではシステム4)に入って行くつもりで、その第一弾だ。

この研究に関連して、私自身が中日新聞に載り、中京テレビで流れた。
世間受けは悪くなさそう。
その他に、青森の”キリストの墓”関連で読売新聞関西版に載った。

昨年末の年筮で、今年の卦が「水山蹇」と出て、歩みが止るとされたが、それが一番当ったのはわが一番の趣味であった山についてで、今年はさらに山から遠ざかってしまった。
行った山は、高尾山、尾高山(鈴鹿の前山)、都幾山(慈光寺裏山)、津具丸山(奥三河)、丹沢大山、御岳山の低山ばかりで、このうち丸山だけは道なき道を行く私にとって理想的な登山だった。
山が減った代わりに増えたのが寺で、秘仏開帳に合せて拝観したのが、荒子観音(愛知)の円空仏、護国寺(東京)の如意輪観音、竹成大日堂(三重)の双体大日如来、慈光寺(埼玉)の千手観音、長楽寺(京都)の准胝観音、浄楽寺(神奈川)の運慶仏。

振り返りをわが親族にひろげると、重度の障害者である12歳の姪が2月に8時間に及ぶ脊椎の大手術を無事終えた。
成長期を迎える前に必要な手術をやり終えることができ、後遺症もない。
4月に15歳の甥が高校に進学した。
9月にはイタリアから姉が、10月には姉の息子である甥も日本にやってきた。
母の90歳の誕生日を祝うためだ。
その母は、すこぶる元気で、体の不具合をむしろ克服してきて、年々元気になっている。

私自身も後発白内障を発症したが、通っている眼科のレーザー治療で簡単に治った。
慢性的な高血圧と耳鳴り・難聴は相変わらずだが、あとは、左脚の腸脛靱帯の故障が治らず、日常生活はまったく支障がないものの、大山や御岳山の下りで痛くなってしまう。

物関係では、3月に名古屋宅でずっと使っていた布団を打ち直して新品同様にしてもらい、また3箇ヶ所目立った傷がついていた愛車(FIAT500)が保険できれいに修理された。
いうなれば、持ち物の健康は回復した。
そして12月に人生で手に入れたい最後の物であったLeicaのカメラを手にした。
もう、これといって欲しい物はない。

こうして見ると、今年はむしろ懸案事項が解決され、望みがかなった一年だったことに気づいた。
昨年の振り返り記事で「来年は…」と願ったことも実現したし。→2018年を振り返る
年筮が衰運だった割りには、(おとなしくしたせいか)結果が良かった。
感謝して終りにしたい。


私が買う宝くじは

2019年12月26日 | 歳時

12月に入り、余興に宝くじでも買ってみるか、と思った12月2日のことを記す。

もちろん、隕石の直撃を受ける確率に期待することはしない。
億万長者を狙って大枚をはたくのは愚の骨頂、みすみす大金をドブに捨てるようなものだ。
なので本気ではなく余興としてスっても痛くない額=10枚を限度とする。

今月売り出されるのは、年末ジャンボ、ジャンボミニ、それにちょっと遅れて東京初夢なるものもある。
この3つの中から1つ選ぶとすればどれか。

まず、一等の高値に釣られるのは、胴元のいいカモでしかないので、
私は一等はハナから期待せず、視野の外におく。
その代わり、当る確率がもっと高く、もらってうれしい額として百万円(百万長者)を目標規準にする。

ということで、3種の宝くじの百万円当る率で選ぼう。

それぞれの当り籤(くじ)の数がすでに発表されており、連番で10枚に1枚当る最下位籤数が発行数の1/10と見当がつくので、これを分母にしてみる。
分子はもちろん百万円の籤数。
これを3つの宝くじで比べると、以下になった。
年末ジャンボ:2300/46000000=0.00005
ジャンボミニ: 1800/18000000=0.0001
東京初夢  :50/500000=0.0001
(百万円が当る確率はこれらのさらに1/10と思えばいい)。

分子だけを見ると、年末ジャンボの当り籤数が多いが、それ以上に分母(発行枚数)が多いので、確率は1桁分少ない(半分)。
ジャンボミニと東京初夢が同じ確率で並んだ。
ではこの2つのどちらでもいいかというとそうではない。
1枚当りの単価がジャンボミニでは300円に対して、東京初夢は200円。
すなわち、東京初夢の方が、コストが 2/3ですむ。
あるいは1000円当りの当籤確率が高くなる。

ということで、年末ジャンボたちには手を出さず、25日から発売の東京初夢をバラで10枚買うことにし、今日26日に実行した。


年末ホリデーモードに入る

2019年12月24日 | 歳時

東京に帰省した23日は、5歳の姪がいることもあって、早めのクリスマス会。
姪はプリキュアが大好きなので、その関連のおもちゃを伯父の私や祖母からもらう。
皆で義妹の手料理を賞味し、イタリアの姉が送ってくれたスパークリングワインを空ける。

そして今日24日は、もう我が家はクリスマスが終ったので、正月準備を開始すべく、正月用の日本酒を買い、銀行でお年玉用の新札を両替し、金券ショップで年賀状を買う。
家に戻って作成済みの賀状の裏面(賀詞や写真、昨年の近況など)と表面の自分の住所を印刷し、宛名の相手の住所は手書き、そして裏面に相手に応じて一筆書き加える。
この作業が実に面倒なのだが、私は賀状を書く時くらいは、まったくご無沙汰している相手と心で対話するために、宛名等は手書きにしている。

筆ペンでの手書きそれ自体が面倒なのだが、書いてつくづく思うのは、書きにくい字と書きやすい字がはっきり別れること。
書きにくいのは、「之」、「北」、「洲」。
いずれもバランスを取るのに苦労する。
たとえば「北」は、バランス上「比」と書きたくなってしまう。
「洲」は「州」部分の間隔が難しい。
書きやすいのは、「恵」(下の心がバランス取りやすい)、「春」(上の三と人がバランス取りやすい)。

いまや賀状の相手は、賀状のみで繋がっているだけ。
しかも、その相手は増える事がなく、減っていく一方。
その意味では、面倒さは軽減傾向にある。
一応クリスマスイブなので、所蔵しているバッハ全集の「クリスマス・オラトリオ」を聴きながら作業した。

我が家にとっては今日はパーティのお休み日なので、夕食は日本蕎麦。
22時すぎにやっと賀状書きが終った。
これで今日の予定終了(投函は明日)。
一年で最大の筆記作業で、いつもよりうつむき姿勢が続いたため、首の付け根が凝った。

かように大掃除をした一昨日から年末ホリデーモードに入り、これから毎日をこのホリデー週間に詰っている儀式の準備と遂行に費やす。

明日25日は家族の皆で誕生日を祝う。
12月25日に生まれた我が甥の。


根津神社の秋祭り

2019年09月22日 | 歳時

わが町の隣にある根津神社は、千年以上の歴史があり、私は勝手に「文京の三社」の1つとしている(他は湯島天神と白山神社)。

ここは春の「つつじ祭り」が有名だが、今週末の秋祭りに行ってきた。

江戸時代から伝わる神楽を観に行くため。

私は少し早めに着いて、イカ焼きの「半身」を買って、境内に腰を下ろして食べた。
祭礼の出店群を見ていつも思うのは、それぞれの店が半分の量で半額だったら、こちらも買い食いのはしごを楽しめるのに、ということ。
特にお好み焼きは丸々一食分の量なので、どうみても多すぎる(特に「広島焼」。見た目はおいしそうだが)。
なので、イカ焼きも丸々一身は多すぎるので、半身が丁度いい。 

もう一つ、気になるのは、食べたあとのゴミの始末。
地域によっては、共通のゴミ入れ を用意していある場合もあり、便利ではあるが、美観を損ねるし、後片づけがたいへんそう。
根津神社の場合は、共通のゴミ入れをあえて用意せず、 その代わり、店が持帰り用の袋に入れる。
つまり買い手各自が持ち帰るということ。
これが一番いいかもしれない。

さて、神楽(演奏は、松本源之助社中)だが、演目は「三座の舞」という、三柱の神が交代に出て来て舞うもの(写真:頭部が光っているのは照明効果)。

神楽を聴いていてつくづく思うのは、リズムもメロディも変則的で面白い。
太鼓が乱れ打ちになったりする。
この音楽が”神”を表現しているわけだから、なおのこと面白い。
三柱の神で序・破・急の構成になっている感じ。

神楽奉納はこの後も断続的に続き、夜にもあるのだが、
今夜は我が家で姪と弟の合同誕生会(誕生日が一日違い)をやることになっている。

他の演目は次の機会とする。