今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

新海誠展を観る

2017年11月27日 | 作品・作家評

新国立美術館で開催中の「新海誠展」を観に行った。
もちろん『君の名は。』の作者・監督の新海誠。
「安藤忠雄展」も同時開催中なのだが、2つ一緒だと満腹すぎるので、別個に観ることにする。

入場者は若い人ばかりかと思っていたが、年齢層はまんべんなく広かった(平日昼ってこともある)。

新海誠は美大出ではなく、普通の大学の文学部出だった。
自宅のMacで自作したデビュー作『ほしのこえ』 から、作品別に絵コンテを含めた制作過程が詳しく展示されていた。

あの写真と見まがう風景描写は、写真をそのままデジタル加工したのではなく、ロケ写真をもとにしているものの、絵はパソコン上で描いたものだった。
絵の一色ごとPhotoshopのレイヤーにして、 レイヤーを幾重にも重ねて一枚の絵にした。

あと個人的に気になっていた雲の描写は、やはり彼自ら手を入れていたという。
Photoshopのカスタムブラシで透明感のある薄い雲が描かれていることがわかった。 

彼の作品は、光、雨、雲の表現が特徴的で、それ自身がストーリーと関係している。
彼は自分が育った長野県佐久の自然の中で、雲を眺めるのが好きだったそうだ。

彼の映画には「積雲」が多い。
好晴積雲(綿雲)から雄大積雲(入道雲)までで、「積乱雲」はない※。
積雲は青空の中に突然出現する雲。
そして積雲から雄大積雲へは強い上昇流によって成長していく。
だが雄大積雲は成長の極致ではない。
それ以上上昇を続けると積乱雲になってしまう。
積乱雲になってしまうと、烈しい雷雨となって、破壊的となる。

※いくつかの作品に積乱雲(雷雲)があった。ただ遠雷でたいした存在感はない。


土屋嘉男氏を悼む

2017年09月06日 | 作品・作家評

俳優の土屋嘉男さんが今年2月に亡くなっていたとの報。

思い出深い人がまた逝ってしまった。

たぶん世間的には、黒澤映画の傑作「七人の侍」での出演が有名か。
私にとってリアルタイムで最初に観たのは、自分が年端もいかない頃に観た「マタンゴ」 (1963年)。

幼少時に私が一番熱中したのは「キングコング対ゴジラ」(これには出ていないが他の怪獣映画には出演)だが、いちばん強烈な印象だったのは、このマタンゴだった(それ以来、キノコに神秘的な憧れを抱くようになって現在に至る)。

 彼についてのWikiを読むと(すでに死去とされている)、趣味は登山だったという(かつての私と同じ)。
そういえば「ある遭難」という映画(松本清張原作)では登山経験者の役で出ていた鹿島槍ヶ岳での現地ロケシーンも印象的だった。 

私自身、東宝映画とともに育ってきたので、彼が出演した映画はたくさん観てきた。
ここしばらくは、彼の出演作品を観て、偲ぶことにする。 


「君の名は。」DVDで観た

2017年08月17日 | 作品・作家評

昨年”思いもかけず”(失礼!)大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』をレンタルDVDで観た。

そもそも昨年の公開時は、同時期の『シンゴジラ」を2度観に行ったが、こちらは全くスルー。
そりゃゴジラ世代の私だから、ゴジラは外せないのは当然だが、こちらは、まず批評レベルの評判がよくなかった。

漏れ聞くストーリーも、高校生の男女が入れ替わるというものなので、私の世代だと大林宣彦の『転校生』が頭に浮かび、その焼き直しかと勝手に想像し、この年齢で高校生の恋愛ものに感情移入はできそうもないので、観たいという気持ちにはなれなかった。
もっともアニメ自体は毛嫌いしてはおらず、少し後に公開された『この世界の片隅に』 は映画館で観て、本ブログに感想を載せた。
ようするに、上の観たものと見比べると、私はこの映画を観る”世代”でないという気持ちだった。

だが、批評家の低評価をものとせず、ロードショーで快進撃を続け、すなわち一般の人々からは熱く支持され、聖地巡礼まで出現するという事実に目を背けることはできず、DVDが出たらレンタルで観ようと思っていた。

そして、観た結果、

いい意味で予想が裏切られた。
まず『転校生』の焼き直しではまったくない。
ありきたりのハッピーエンドではない。
面白いことに、アメリカでの評価ではもっとハッピーエンドを期待したらしいが、日本人の感想ではこれでも充分ハッピーエンド。
だから”ありきたり”=ハリウッド的定型という意味。
空間だけでなく、時間も超えている(物語を複雑にしている)。
単なる恋愛ではなく、”存在”(在ること)にまで達している。
”存在”こそが私のツボなのだ。 

そして映像が美しい。
オープニングの幾層にも重なる雲の映像だけで、気象予報士にして雲が大好きな私は満足してしまった。
飛騨の里山風景だけでなく、東京の風景も美しい
(周囲に街がある円形の湖は、一目見て諏訪湖がモデルと確信)。

実写と見まがうほどの精彩な映像は、かえってアニメで表現することの意味を考えてしまう。
この作品がハリウッド版になれば、例のごとくCGふんだんの迫力映像になるだろうな
(この作品を観る前に、同じくレンタルした『キングコング:髑髏島の巨神』を観て、CGに食傷していた)。
アニメ(絵)は必要な部分を強調し、不要な部分をカットしても不自然でない点が、すなわち知覚的なリアル(実写)に依存しないでリアリティ(現実感)が表現できる点が有利なのだ。 

特定の世代ゆえに観た他の2作(シンゴジ、この世界)と異なり、むしろこちらの方が幅広く受け入れられそう。
大ヒットに納得した。  

だから、「一度観てもう充分」という感想にはならない。
今後、幾度も観ることになり、そのたびに新しい発見がある作品だ。
この作品と出会えてよかった。 

そして、最後のシーンの聖地、四谷の須賀神社(新宿区須賀町)の階段に行ってみたくなった(国会図書館の帰りに寄れる)。 →後日、聖地訪問を果たした!


書評『世界はなぜ「ある」のか?』

2017年08月05日 | 作品・作家評

刹那滅の話(直前の記事)をしたついでに、存在論の書、しかも読みやすくてお勧めの書を紹介したい。

ジム・ホルト著(寺町朋子訳)『世界はなぜ「ある」のか?』—実存をめぐる科学・哲学的探究 早川書房

この書はアメリカの哲学者である著者が、17世紀のライプニッツが発した存在論的問い
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」
に対する回答を求めて、様々な哲学者・科学者と対話していくものである(米、仏、英を渡り歩いて)。
その中には、ノーベル物理学賞をとったワインバーグや、数学者にして理論物理学者のペンローズも含まれている。
欧米人なのでキリスト教神学者とも対話をしている。

本書を読んでいる最中の感想は、「実にエキサイティング」であった。
私は通常、複数の書を同時並行的に読み進めているが(読書中の本が複数あるということ)、この書だけは、とにかく空き時間があれば読みたくて仕方なく、最優先で読み、そして読んでいて楽しく、読み終わるのが残念だった。
そういう本って、面白い小説なら度々あるが、まさか哲学書でそうなるとは…。
それは本書が堅苦しい学術書の体裁ではなく、記述(著者の思考)がノンフィクション的生々しさ・具体性に満ちているからである。

本書はタイトルにあるように、存在を「世界」側から問う。
だから、当然物理学的この世界が視野に入り、現代物理学における宇宙の開闢(ビッグバン)が問題になり、そこでは多元的宇宙やひも理論も登場し、量子論的回答に導かれる。
この回答と「無」の数学的、物理学的定義に達する中盤部分は、本書のひとつのヤマ場ともいえる。
ただし、これで終らず、あとがきによれば、結果的に83通りもの回答が出現する。

哲学的問いが真の問いとなるには、自らが暗黙の前提としている、すなわち回答を事前に用意している部分を最小にしなくてはならない。
なので、本書は「何もないことが単純で自然なデフォルト状態だ」(あとがきの表現)という前提に気づき、存在だけでなく「無」とは何かも問題にする。

やがて存在を「自己」側から問う視点(実存論)に切り替わるのは、上の探究の結果だけでなく、身近におきた死の経験からでもある(その描写には心打たれた)。
その過程で紹介される「死への恐怖」を誤魔化すことなく語る現代哲学者がいることにホッとした。
私自身、小学校4年頃から、誤魔化しのきかない「自分の死」への絶望的恐怖に襲われてきた(これに共感してくれる友人は一人もいなかった)。

そして、15章も続いた本論のエピローグに登場するのは、90歳の誕生会でのレヴィ=ストロースだった。
あの「自己は存在しない」と豪語した構造主義の泰斗。
氏の誕生会での挨拶が、その「自己」への言及であった点が面白かった。

本書を読み進めていて不満だったのは、ハイデガーの後期存在論(「性起」がキーワード)と仏教的存在論に触れられていない点だった(ショーペンハウアーの仏教的厭世論とブッダの引用はあったが)。
だが、
前者についてはヘーゲルの存在と無の弁証法的解釈がそれにつながっている事が判ったからそれでいい。
後者については、本論が終わったエピローグ(あとがき)の後半になってやっと登場した。
そこでは、本書と同じ問いをテーマにしたフランスのテレビの討論番組(このようなハイレベルな番組があることがうらやましい)の中での仏教僧侶の言葉を、最後の回答例として紹介している。
その言葉は、仏教徒にはおなじみの、言ってみれば存在(有)と無との概念的対立を止揚した上位概念である(まさにヘーゲルにつながる)。
もっとも西洋の”有”を前提にした哲学・神学的思考に馴染んできた著者には、それは素直には受け入れがたいものであり(確かに実感的じゃないし)、最後の83個目に紹介されたからといって、それが最終解とはみなされない。
ただそれによって次の新たな一歩が始まる予感がする。

本書には、訳者によって、日本語で読める参考文献も紹介されているのがありがたい。
今では文庫本になっているので廉価で手に入る(私は電子書籍版を購入)。
量的に500頁におよぶが、エキサイティングな知的探求の話をそれだけ長く読めるのだから、むしろ喜んでいい。
ただし、実はキリスト教神学者による回答箇所に限り、退屈だったので読み飛ばしたことは正直に述べておく(本書の理解にとってそこは重要でない)。 


渡瀬恒彦の「震える舌」

2017年03月18日 | 作品・作家評

俳優の渡瀬恒彦が亡くなった。
低音の声が印象的だった。

早速、彼の俳優人生を偲ぶため、主演映画を観たい。
「皇帝のいない八月」もいいが、私がお勧めするのは「震える舌」。

この映画は、渡瀬恒彦だからという理由に限らず、一度は観るに値する(レンタル DVDになっている)。
内容は、”破傷風は恐ろしい”、というそれなりに啓蒙的価値のあるテーマなのだが、その子役の演技のリアルさに、映画館で観た私は、スクリーンを正視するのがこれ以上ないほどつらかった。

そういうわけで幾度も観たい映画ではないが、”一度”は観るに値すると断言できる。
私がここまで言うのは他にない。

この映画に出演した渡瀬恒彦のためにも、できるだけ多くの人が観てくれることを期待する(たぶんテレビ放映は難しい)。


「この世界の片隅に」を観た

2016年12月12日 | 作品・作家評

今話題となっているアニメ映画「この世界の片隅に」を観にいった。

平日の昼をねらって予約したら、客席はガラガラだった。
客層は、年配者が多い(働き盛り世代は来れない時間帯)。

アニメながら当時の考証が評判だというだけあって、実写やCGでなくてもリアリティにあふれ、自分の幼少期(昭和30年代)にあった生活用品の記憶も呼び覚まされた。

主人公よりいくぶん年少にあたる母から、戦争当時の生き様を聞いてきただけに、母の少女時代と重ね合わせて観た。

しかし、この作品は1回見ただけでは、 受けとめきれていないものが多く、したり顔で論じることはできない。

素朴な感想だけにしておくと、主人公は絵を描くのが好きということもあり、絵のような風景画面がよかった。
ほんとに昔の日本は、素朴ながらも美しかったと思う。

その主役の声を担当しているのは”のん”こと能年玲奈。
彼女を応援したい気持ちはもとからあった。
声だけとはいえ、まっとうな主役に巡りあえてうれしい。
感情表現の抑揚がよかった。

一番印象に残ったのは、砲撃の爆音。
これが場内に響いた瞬間、戦争というもののリアリティが全身を走った。

実際、主人公たちも今までのささやかな幸福を維持できなくなる。

そして戦争の悲劇・苦難を乗り越えて、人は生きていく。
私の親の世代は、そうやって生き(サバイブし)てきたのだ。
なるほど、人生がドラマなんだな。


「終わらない人、宮崎駿」を観て

2016年11月13日 | 作品・作家評

  NHK大河「真田丸」の後、そのままテレビをつけていたら始まったNHK特集「終わらない人、宮崎駿」に思わず見入ってしまった。

 短編の試作に見せた氏の生命(毛虫)の動きに対するこだわりがすごかった。

論文原稿の締め切りを前にした私自身が、その妥協しない姿勢に叱咤されたようで、思わず襟を正した。

そして、人工知能による CGアニメのプレゼン(身体の一部が欠落した人体の不気味な移動)に対して、身障者の知人の例を挙げての批判が心にしみた(ただし身障者差別だとかいう通俗的正義感によるものではない)。

氏のこだわりの根底にあるのが、そして人工知能技術に完全に欠落しているのが、”存在”という奇跡的な現象に対する敬意だとわかったからだ。
存在に対する敬意が、その表現が、われわれに感動を与えるのだ。
人工知能が使えるとしたら、どうでもいいつなぎの部分だけだろうが、作品の全てに妥協しないアーティストにとってはそういう部分は存在しない。 

宮崎氏の目指すアニメは一瞬一瞬において”存在”が具現されている。
その具現があればこそ、ピクサーのフルCGに負けない感動をもたらしている。 

というわけで、宮崎氏は彼なりに”存在”の探究をしているのだなと、私自身のこだわり(ハイデガーによって開かれた存在論)にかこつけて解釈した。
ちなみに、その存在論は、古東哲明氏の『在ることの不思議』『瞬間を生きる哲学』 に敷延されている。
特に後者の書はアニメ作品に通じる(ただし前者を先に読まないと、軽い内容と思われてしまう)。


ジャージの二人・三人:映画と小説

2016年09月14日 | 作品・作家評

「ジャージの二人」という映画は、すでに私の”夏用映画”(毎年夏に必ず観る)のリストに入っていた。

北軽井沢の別荘(本人たちは”山荘”と言っているレベル)でジャージを着て涼しい夏をすごす50代の父(鮎川誠)と30代息子(堺雅人)の話なのだが、この映画はほとんどのシーンが群馬県の嬬恋村なので、てっきり地域の宣伝を狙った村おこし映画の類いだと思っていた。

実はそうではなく、長嶋有という芥川賞作家の小説が原作だったのに気づいたのは今年になってから。

確かに、地域宣伝映画としては、室内にカマドウマ(便所コオロギ)が跋扈するし、携帯の電波は届かないし、散歩に出たら道に迷ったりして、なんかこぉー、どう見ても”あこがれの別荘ライフ”にはなっていない。

ただ、キャベツ畑を前景にした浅間連峰の風景は美しく、そのシーンだけはうっとりする。

映画としては、ストーリーを追う内容ではなく、それぞれ夫婦関係がうまくいってない父と息子の別荘内でのぎこちない会話が続いていく。
彼らの周囲の人たちもまた対人関係につまづいていたりしているのだが、それらが解決したり、さらに込み入ったりするわけでもない。

映画内で唯一解決するのは、ジャージに張ってある「和小」(小学校のジャージ)のロゴの読み方が判明することだけだ(まさか「わしょう」じゃないよね。という所から出発する)。

このまったり感がなんともいえず、一度レンタルしてすぐに「毎年、夏になったら観る映画」のリスト入りを果たしたのだが、今年はロケ地の北軽井沢で(持参して)観たせいか、やけに心に染みてしまった(作品への距離がぐっと近づいた感じ)。

それで、原作の存在を知ったのでさっそく読んでみた。

原作は「ジャージの二人」と「ジャージの三人」の二部構成(この二部がともに映画に対応)で、合わせて文庫本になっている。

原作を読んで、不思議に思ったのは、普通なら書かないような日常の動作があえて丁寧に記されている点(これは映画になかった)。

たとえば、パンを食べたあと立ち上がる時、服に着いたパンの粉を払うとか、車の助手席に乗った時、シートベルトの差し込み口を探すとか、確かに日常なにげなくやる動作だが、文学的記述として、何かの布石や暗示、あるいは人物の性格や他者との関係性の描写としての意味があるなら分るのだが、それがまったくないのだ。

この点が不思議で、このような一見冗長な記述にどんな文学的効果があるのか気になってしまった(気になったのは私だけではないようで、文庫本解説の柴崎友香氏も問題にし、解釈している)。

それに一人称で書かれている主人公が作家志望だったり、実際この著者は北軽井沢に別荘(というか山荘・山小屋)を持っていたりするので(別の著作で知った)、小説(創作)というより、作家自身の随筆か日記を読んでいる感覚になる。

だからどうでもいい身辺雑記がそれなりに存在感をもってくる。
これがあの記述の効果なのか。

われわれの日常は、それぞれが有機的に繋がってなんかしておらず、先の用事と後の用事がそれぞれに別個に存在するのだ。
その非連続の事象にそれぞれ律義に対応して生きるのがリアリティ(別荘での生活)なのだ。

文学とは、そのような生(セイ)のリアリティを表現すればいいのであって、なにも人工的な「物語」を作る必要はないといえる(この態度はつげ義春の漫画に通じる)。 

われわれはある事をする時、その周辺の些事もやらざるをえないのだ。
読者はどうでもいいと思っていても、作者がそれをどうでもいいと思っていないなら、 その作者の意図を理解することが読書だ(おおげさに言えば、他者の視点の獲得)。

これにインスパイアされて、私も最近のブログをあえてそのように書いてみた(どの記事でしょう)。

かように原作は原作として味わえた。

ただこの作品は、映画にしてこそ、価値が発揮される。

なぜなら、二人がずっとジャージを着ているのは映像でこそ継続的に表現されるが、テキストだと「ジャージ・ジャージ・ジャージ」って書き続けないと、二人がジャージを着続けていることが失念されてしまうからだ(作者がどうでもいいとみなしているように思えてしまう)。
実際、映画に比べると、原作でのジャージの存在感は小さかった(タイトルが「ジャージ」でなくてもいいくらい)。

だから逆に、映画を先に観ると、原作を読んでいる時も、父(鮎川誠)と息子(堺雅人)はずっとジャージを着続けていた。 


「シンゴジラ」を観た(ネタバレあり)

2016年08月31日 | 作品・作家評

8月最後の日、中一の甥と「シンゴジラ」を観にいった。
そもそもゴジラ映画(以下、「ゴジラ」)とともに生きてきた私。
だが正直、裏切られることの方が多かった(なので「ゴジラ」を見放していた時期が複数期間あり、すべてを観たわけではない)。

今回は、2014年のハリウッド版「ゴジラ」を受けての本家日本版(庵野監督)。
実際、今回のは評判がいい。
なのであえて映画館で観たいと思っていた。

8月とはいえ平日の昼なので、客席には空きが多い。
昔の「ゴジラ」と違って子どもはほとんどいない。
なぜか女性客が多かった(平日の昼間だから?)。

さて「ゴジラ」の一貫した構成は、ゴジラが都市を襲い、それに対して人間側がどう反撃するかというもの。
今回は、ゴジラヘの対応(不測の事態)にどういう法的根拠にもとづいて対処すべきかという、政治的シミュレーションから出発しているのが面白い(痛烈な揶揄ともとれる)。
過去の「ゴジラ」ではその過程が省略されていた。
こういう視点が、大人にも受けている理由だろう(逆に子どもが少ない理由)。
それと自衛隊の全面協力(これは以前からだが)によって、ゴジラと直接対決する準主役が自衛隊になることも協力し甲斐があろう(ゴジラと他の怪獣とのバトルが主題になると、存在感が激減する)。

初作「ゴジラ」(1954年)へのオマージュが散見されたもの、オールドファンの心をくすぐる。
品川の八ツ山橋陸橋の横を驀進する映像。ゴジラ研究者が”大戸島”出身。
そしてゴジラはかつて電車を襲うのが定番になっていたのに、今回はなんと電車がゴジラを襲った。
電車のこのような活用は相手がゴジラだからだろう。
それとエンディングで流れるモノラルの音楽も1954年版の音源。 

ゴジラが通り過ぎた後に放射能が撒き散らされるのは本来当然なのだが、これも今まであまり問題視されてこなかった。
今回はまさに原発事故を彷彿させるように、その問題も取り上げられた(ただご都合主義的扱いになったが)。

実際、「ゴジラ」は、その設定からして核技術の問題と切り離せない。
ただ、「ゴジラ」は政治的メッセージが主題の映画ではなく、あくまで娯楽としての怪獣映画のカリスマであるべきだ。
もちろん後者に傾きすぎて子どもだましの正義の味方になってしまった過去の失敗は繰り返せない。

映画としては、暴れるゴジラを、最後に人間が倒さねばならない。
だが、それが人間側の知恵と技術の勝利という人間礼賛では許されないのが「ゴジラ」たるべき。
ゴジラは、荒ぶる神(呉爾羅)なのだから、それを鎮めるには人間側のなんらかの犠牲・贖罪が必要なのだ。
ゴジラは人間の業が具現化したものだから。
少なくとも私は、それがあってはじめて「ゴジラ」に深い感銘を受ける。
「ゴジラ」は「トレマーズ」(人間の知恵と爆薬で撃破。計4作。これも好きだが)とは違う。


ペリー提督が見た幕末の日本

2016年08月27日 | 作品・作家評

ここ数日、夢中になって読んでいた本がこれ。

『ペリー提督 日本遠征記』マシュー.C.ペリー F.L.ホークス編(宮崎壽子訳) 角川出版

幕末維新当時の日本のリアルな姿を知るには、当時日本を訪れた外国人の記録が参考になる。
数あるその種の記録の中で、第一級の価値をもつのは、
日本の運命を変えた黒船来航事件の主役・ペリー提督による遠征記であろう(個人的著作ではなく、アメリカ議会への報告書)。
実際の著者は、ペリーの依頼を受けた牧師で歴史家のホークスなので、ペリーを三人称で描いている。
この本は文章だけでなく、同行した画家の写実画にも歴史的価値があり、日本の教科書などにも採用されている。

ここでは、書評というより、この本を読んで私なりに感心した箇所を紹介したい。

まずこれは自分の不勉強なのだが、ペリー一行は太平洋航路ではなく、大西洋・インド洋経由で日本に来たのだ。
つまり、アフリカ・セイロン島・シンガポール・中国・沖縄を経由してきた。
なので彼の日本への印象はそれらの地との比較の視点が入っている。

それから日本については可能な限り勉強してきているということ。
それに関して印象に残ったのは、ペリーが一番参考にしたのはシーボルトの記録であるが、
ペリーの日本遠征を聞きつけたそのシーボルトが同行を求めても、ペリーは断固として断った。
その一番の理由が、シーボルトの人間性にあったという。
私は、島崎藤村の絶筆『東方の門』などを読んで、シーボルトに親近感を抱いていただけに、
彼の性格的欠点がこのような歴史的史料で酷評されたのは意外だった。

それと、私は当時の日本人はアメリカについてほとんど無知だと思っていたのだが、
ペリー一行が接した日本人(浦賀や江戸の役人)はワシントンとニューヨークを知っており、
またジョージ・ワシントンの事も知っていた(オランダ経由で耳学問は結構豊富だったようだ)。
蒸気船に接したのは始めてだが、機関室を見学してその動力原理を理解したらしい。

アメリカの船員たちが測量船に乗って横浜に上陸すると、周囲にいた庶民は、
初めて見る西洋人を恐れることも排斥することもなく歓迎ムードで、水や桃を率先して提供してくれたそうだ。
尊王攘夷の志士が出現する前はこんなもんだった。

また交渉にあたった日本の役人たちは、交渉こそ難航したものの、
その後のアメリカ主催の船上での宴会はおおいに盛り上り、洋酒はもちろん平気で肉食したのにも驚いた。
これより少し前の漂流記では、日本人は決して獣肉を口にしなかったのに。

ペリー側も人種的偏見はもっておらず、南北戦争(および奴隷解放宣言)前なのに、
一行を壮麗に見せるためにハンサムな黒人船員を提督の護衛に活用した。
また挿し絵では日本人はアメリカ人とほぼ同じ身長で描かれている。
日本女性に対しては、他の記録のように絶賛することはなく、むしろ既婚女性のお歯黒の醜悪さを述べているが、
女性の地位については、若い女性のはつらつとした振るまいから、欧米ほどではないにしろ、
他のアジア諸国よりはきちんと敬意を払われていると評している。

彼らが最も賛美したのは、浦賀の背景となる三浦半島の景色の美しさである。
それは、自然と耕作とが合わさった、いわゆる日本的な里山の美である。
この日本的風景の美しさは、日本を訪れる外国人が一様に賛美する(残念ながら、現在の日本には当てはまらない)。

一方、日本人側も死亡したアメリカ船員のキリスト教式埋葬場面に接しても、それを容認し、
その後、日本人僧侶が自発的に仏式葬儀をした(日本人なりの死者への追悼行為と思われる)。
また、日本には砕石を敷きつめた舗装道路があり、街道には公衆便所もあったという。
とにかく、日本が清潔であることを幾度も繰り返している。
下層階級の人は(琉球を含む)他のアジア諸国のように奴隷状態ではなく、町に乞食はほとんど見ないという。

ペリーの示した政治的態度が日本にとってこの上ない利益をもたらした一件がある。
それは小笠原諸島の帰属問題である。
鎖国中の日本はこの島にはなんら関心をもたず、当時すでにアメリカからの移住者が生活していた。
ただ、領土的野心を示したのはイギリスで、幸いにもアメリカにはその野心がなかった(捕鯨船の寄港先としての関心のみ)。
日本の歴史をくまなく調べていたペリーは、この島の領有を最初に主張したのは200年以上前の日本であるから、
日本にこそ領有権があるとイギリスに対して文書で主張している(これは島に住んでいたアメリカ系住民も認めるところである)。
かように、ペリーの公正な目は自国の利益がからんでも曇ることがない。

吉田松陰らの黒船密航未遂もきちんと記されている。
彼らの無謀な計画をなじることをせず、国禁を犯してでも海外を知りたいという若き日本人の知識欲を賛美し、日本の将来を有望視している。
さらに日本人の手工業技術(手先の器用さ)を賛美し、日本が近代化したら、強力なライバルになることを予測している。
ペリーは日本の潜在力を正しく見抜いていたわけだ。

日本側も、ペリーが強引に成し遂げた成果に対して、「ペリー提督の名は、永久に日本の歴史に名を残すだろう」と挨拶した。
ペリーとの交渉過程で、日本政府側も西洋近代社会の価値観・論理をトレーニングされたのである。

だが、これによって日本が内戦状態となり、政府が転覆し、価値観の大転換が起こることになろうとは、こう述べた人も予想できなかったはず。 
外国人排斥の種は徳川幕府自らが蒔いたものだから自業自得ともいえるが。 

ペリーに接した日本人たちの態度の変化を見ると、日本はもっと平和裡に(多くの優秀な人材を死に至らしめる事なく)、政治・社会の近代化を成し遂げられる事も可能だったのではないかと、くれぐれも残念に思う。 


「コンビニ人間」を読んで

2016年08月14日 | 作品・作家評

155回芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の「コンビニ人間」を読んだ(雑誌『文芸春秋』所収版)。

コンビニは我々にとってほぼ毎日利用する、とても便利な”定型化された空間”。
その定型性がやや不満でもあるが、その不満を打ち消すほどの圧倒的な安心感を与えている。

その安心できる定型空間を演出しているコンビニ店員を描いたというのだから、それだけで読みたくなる(書かれるべくして書かれた現代小説だ)。

内容は、ネタバレになるから語らないが、

”普通”であることへの距離感をいだきながら、それをやっとなんとか、コンビニという定型的空間においてのみ(おいてこそ)演じることができる、われわれの仲間を描いている。
少なくとも私自身は、普通の人よりこの主人公に共感できると断言できる。
私が社会心理学を研究し、また作法を学んだのも、自分とは異質の”普通”の人の”適切な”行動を学びたいと思ったからだ。
すなわち、私もそちら側の人間なのだ。 

問題は、そうやってなんとか普通の境界付近にへばりついている側の人間に対する、周囲の”普通”の人々の態度(私にも主人公と同じような質問が浴びせられる)。 

コンビニできちんとバイトをしている36歳独身女性の主人公に、「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。」と言い放った相手役である白羽という男のセリフは思わず筆き写してしまった。
だが、深刻ぶった純文学ではないのでご安心を。 

読んでいて、笑い声もあげてしまった。
つまり、 楽しく読める。

小説に入り込むと、今自分が文字を追っているということを忘れて、文字が自動的に映像変換され、まるで映画を観ている状態になる(音声はドルビーサラウンドではないが)。
こうなったら読書という本来的にはとても不自然な行動も苦痛ではなくなる(読者をここまでもっていくのがプロの作家としての力量だ)。

この作品も、読み終わって、一編の映画を見終った感覚が残った。

ちなみに、私の映像で白羽を演じたのは、アンガールズの田中卓志だった。
作者がもともと彼を想定していたかと思うほど、ハマっていた。


アリストテレスの『心とは何か』

2016年03月03日 | 作品・作家評

古代ギリシャの「万学の祖」といわれるアリストテレスについては、大学の時、哲学の授業で読めと言われた『形而上学』に挫折して以来、ずっとおさらばだったが、
心理学の授業をやる側になり、心理学史も触れることになって、現存する最古典の心理学書といえるアリストテレスの『デ・アニマ(霊魂論)』を紹介する立場上、それを読まないわけにはいかなくなり、
講談社学術文庫になっているこの書の最新訳書『心とは何か』(桑子敏雄訳)を読んだ。

この訳書の解説にある通り、この本はアリストテレス哲学を知悉していることを前提に書かれたものなので、難解である。
しかし、そこかしこに古代ギリシャの知的水準の高さに感心する所もあり、確かに苦闘はしたが結果的にためになった。
アリストテレス自身ではなく当時の知的水準の高さに感心したのは、たとえば以下のことがすでに知られていた点。
●視覚の対象は色でそれを可能にするのは光である。
●聴覚の対象は空気の振動であり、音の高低は、空気の振動数の違いである。
●味覚は触覚に属し、触覚がもっとも根源的で必須の感覚である。
●知覚の中枢は大脳にある。
●太陽は自分たちのいる地球よりずっと大きい。

私はこれらは近代になってはじめて発見されたものだと思っていた。
古代ギリシャおそるべし。 

そして本題であるアリストテレスにとっての”心(プシケー)”とは、栄養摂取や感覚・思考、運動能力のことであり、それぞれについては植物や動物にも備わっている。

生きる能力としての心は、身体とともに「生きていること(生命)」そのものであり、身体なくして心はありえない。
すなわち心身一元論である。
心が”存在”と密接にかかわっているというこの視点こそ、私が現代心理学に足りないものだと思っていた。
それでハイデガーの存在論に接近していたのだが、実は彼の哲学自体、アリストテレスに遡ることが明言されている。
ということは私自身もアリストテレス哲学をきちんと読まねばならないわけだ。

ちなみに心理学史としてアリストテレス以降に紹介する、デカルトの『情念論』、スピノザの『エチカ』も感情論としてとても参考になった。
古典てバカにできない。 


2016年の正月は長尾景春を読む

2016年01月03日 | 作品・作家評

毎年の正月は、歴史もの、とりわけ関東の戦国史の本を読むことにしている。
ただし、北条・上杉・武田の三国志的バトルが展開する、いわば関東が周囲から蹂躙される戦国後期(16世紀)よりも、
太田道灌(江戸城を造った)が活躍した頃の、関東内部での抗争にあけくれた戦国前期(15世紀)に絞りたい。

私がこのあたりに強く惹かれたのは、はるか昔の西多摩の高校時代、地元の史跡に関連した歴史を知ろうと『東京都の歴史』(山川出版)を読んでからで、
そこでは、関東管領上杉氏を中心とした数代にわたる抗争劇が続いて、その後に箱根を越えてやってきた北条氏や越後の上杉謙信が関係してくる複雑な経緯を知った。

といっても、歴史書ならともかく、時の人物を生き生きと描いた小説となると、太田道灌(大名ではなく、扇谷上杉氏の家宰)が数点あるだけで、
確かに人物的魅力となると、謙信・信玄が出てくる時代にくらべて、地味な感はいなめない。

そういう折り、この時代の唯一のヒーロー太田道灌に比肩しうる人物が浮上してきた。

長尾景春である。

長尾景●ときたら、越後の長尾景虎(上杉謙信)が最も有名だが、景春はその景虎と遠い縁戚である白井(上州)長尾氏の1人。
これらの長尾氏はもとは相模の長尾(横浜市栄区の長尾台)の出である。
高校時代に読んだ前掲書で「景春の乱」は知っていたが、その歴史的意義(インパクト)については、たぶん当時は専門家の間でも重要視されていなかった。

それが、研究が進んで、景春の乱こそ、関東に(室町的秩序を破壊し)戦国時代をもたらした魁(さきがけ)であるという評価が固まってきた。
実際、関東管領職の山内上杉家の家宰職をめぐる内部抗争にすぎなかったら、いとも簡単に潰されて、関東中を何年も巻込む大騒動にはならなかったはず。
景春の乱は、関東に散らばった管領上杉家の所領に関係する国衆(国人)たちの支持を得ての蜂起だからこそ、一斉蜂起が可能で、しかも幾度負けても復活できた。

そこで本を紹介しよう。
景春を主人公にした貴重な小説は伊東潤『叛鬼』(講談社文庫)。
そして研究書は、黒田基樹編著の『長尾景春』(戎光祥出版)。 
まずはこの2冊でいい(後者は6000円もするのでご覚悟を)。
小説にはフィクションが混じっているので、これだけだとまずい。 
あと、西股総生『東国武将たちの戦国史』(河出書房新社)の第一章が「長尾景春と太田道灌」で、入門的ならこれだけでもよい。
ちなみに、国衆に注目した本は、黒田基樹『戦国関東の覇権戦争』(洋泉社)、大石泰史『全国国衆ガイド』(星海社) など。

景春の乱の平定に三面六臂の阿修羅のような活躍をした道潅(だけ)は、さすが、景春の乱のインパクトを理解していた。
道潅は景春が挙兵するおそれのある事を景春の主君や長尾の本家筋に伝えたが、室町的秩序内にある彼らはとりあわなかった。 
道潅は、戦国的な「下克上」という選択肢を、少なくとも”他者”の可能性として理解していた。
実際、景春は、道潅には叛意を打ち明け、意見を求めた(当然、協力を求めたはず)。
ただ、景春にはその意志と戦略眼はあっても、個々の戦いの突破(戦闘)力が不足していた。 
当時戦闘力で抜きんでていた道潅だけが、その突破力を秘めており、だから景春は家宰という同じ立場の道潅に相談したのだ。 
でも道潅には下克上を実践する意志がなく、凡庸な当主(扇谷上杉定正)におおいに不満がありながら、秩序維持に努めた。
その意味で道潅には時代を切り開く歴史的な突破力はなかった。 

その結果、景春と彼に呼応した蜂起は、道潅によってことごとくねじ伏せられ、 景春は敗退した。
ところが皮肉なことに、乱の平定を一人でこなした道潅が、その実力ゆえ、当主筋から「下克上」の可能性を疑われ、当主宅に招かれ殺害されてしまう。 
道潅は絶命の時「当方滅亡!」と叫んだという(当方=当主)。
この時、やっと景春の意志に達したのかもしれない。

景春はその後も まさに”叛鬼”となって、ひたすら反抗し続けた(その生き様は小説で表現されている)。
そして彼が最後に頼った先は、最初の戦国大名となる伊勢宗瑞(北条早雲)であった。
宗瑞に続く小田原北条氏は、この後、道潅を殺した扇谷上杉氏を滅ぼし、景春の元主君、山内上杉氏を関東から追出す。 

ちなみに、景春が立て篭もった城(日野城あるいは熊倉城)と、彼の墓と伝えられる石塔が秩父の奥にあるという。
暖かくなったら訪れたい。 

さて、道潅、景春に続く、3人目は誰だろう。
 父と兄を殺した幕府に反抗し続けた関東争乱の張本人、古河公方こと足利成氏(しげうじ)をおいてほかになかろう。


つげ義春のロングインタビュー

2015年12月05日 | 作品・作家評

荻上チキのポッドキャスト番組「Session-22」で、12月1日の放送「特集・水木しげるさん」(追悼モード)を聞いていたら、
水木しげるのアシスタントとして昔作画を手伝っていたということで、
なんとあのつげ義春が電話取材のロングインタビューに答えていた。

つげ義春といえば、私がこの世で一番好きな漫画家だ。
しかも氏の生声など、映画『ゲンセンカン主人』の最後に一言しかもほとんどセリフになっていない音声を聴いたくらいだった。

そういうこともあり、この番組は、「つげ義春のロングインタビュー」特集として、無条件に永久保存版だ。

それによると、アシスタントというと多くは背景などを描くらしいが、当時すでにプロであったつげは、
鬼太郎の漫画で、主人公以外の人物(?)を担当したという(ひたすら生活費のため)。
ならば、鬼太郎に出てくるキャラのいくつかはつげ義春の絵なんだ
(インタビューでは具体的なキャラが判明できなかったのが残念)。

彼はもともと画力があるので、手塚、白土、小島(剛夕)、石ノ森、そして水木などの画風の摸写ができた。
ただ、彼が描く女性(少女)は独特なので、それをたよりに探れないだろうか…。

彼自身もすでに老齢だが(そして残念なことに作品を描かなくなって久しいが)、漫画に対する見識は確かで、
インタビューでも荻上が持っていきたいありきたりな方向を見事に裏切った。

彼のアシスタント時代については、『ある無名作家』という作品が参考になる。


水木しげるの訃報に驚く

2015年11月30日 | 作品・作家評

漫画家水木しげる(敬称略、以下同)の訃報をネットニュースで見つけた途端、
  思わず「えっ!?」と声を出あげてしまった。
高齢とはいえ、それほど唐突で、しかもショックが大きかった。
少なくとも、今年の訃報では声を出した物故者は他にいない(以前を含めると、ナンシー関くらいか)。

自分が物ごころついた時はすでに漫画家として活躍していたわけだから、まさに人生をともにしてきたことになる。

私にとって忘れられないのは、「墓場の鬼太郎」(「ゲゲゲの鬼太郎」の前身で、少年雑誌の連載だが鬼太郎が正義の味方になっていない頃)で、始めて死後の地獄の風景というものを見たことだ。
それを見た時分はまだ幼かったこともあり、これが死後の世界なのかと素直に納得してしまった。
地獄といっても伝統的な地獄絵図ではなく(それならリアリティがなく、受け入れなかったろう)、生命感のない無機的な風景で、死の世界にふさわしかった。

この時の印象がとても強く、私が死をリアルなものとして受け入れたきっかけかもしれない。

小学生ながらマンガを画くようになってから、「河童の三平」の主人公とシーンを拝借したことがある。

 

そういえば、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌(自分のiTunes内に収録済)を歌っていた熊倉一雄も今年の物故者の一人。 

ああ、昭和は遠くなりにけり。