今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『菜根譚』の知恵

2021年09月02日 | 作品・作家評

心理学の知識は、メンタルヘルスなどには役立つが、残念ながら”人格の陶冶”には向かない。
人間の完成を目指すには、参考になるべき人類の知恵といえる書物がたくさんある。

その代表は東洋では『論語』だが、それと並んで江戸〜昭和の日本人に影響を与えたのが『菜根譚』だという。
本書(『菜根譚コンプリート』野中根太郎訳・解説 誠文堂新光社)の前書きによると、著者である洪自誠は明末の人で(徳川家康と同世代)、まず中国で刊行され、それが日本に伝わって加賀藩の儒者・林蓀坡によって復刻版が広められ、結局、地元中国よりも日本人の精神性に深い影響を与えたらしい(菜根譚の愛読者:新渡戸稲造、五島慶太、田中角栄、野村克也など)。

著者・洪自誠は、儒家を任じているが、道教(老荘の教え)と仏教(特に禅)の視点にも立って、東洋の知恵をバランスよく配置している。 
このバランス感覚は、ややもすると常識的な適応主義に見えてしまうが、威勢のいい極論に走らず、また高尚すぎて実践困難な理想主義でもない、等身大の行動指南を与えてくれる。

まず感心したのは、すでに500年前からパワハラを諌めていること。

「厳に難からずして悪(にく)まざるに難し」(厳しい態度で接するのは易しいが、人格を否定するのは難しい)、とパワハラ・モラハラになりがちな事は認めている。
だからこそ、慎まねばならない。
どうすればいいか。
「人の悪を攻むるは、はなはだ厳なることなかれ、その受くるに堪えんことを思うを要す」(人の悪を責めるときは、厳しすぎてはいけない。相手が受け容れられる程度を考えよ),ということである。
パワハラが日常化していた昨今の日本を見ると、本書の教えは庶民の間には浸透していなかった事を痛感する。

それから共感したのは、突き詰めない、満ち足りた状態を目指さないという態度。
「花は半開を看、酒は微酔に飲む」と、楽しみに溺れない(満開の桜の下で大酒飲んでどんちゃん騒ぎをしない)。
これは小笠原流礼法における「残心」に通じる(まだ居たいという心が残っているうちに訪問先を辞去するのがよい=まだ居てほしいと家人が思っているうちに客は帰るのがよい=互いに名残惜しい気持ちを残して別れるのがよい)。
まずは節度を守るわけだが、かといって節度を守ることを自己目的化しない(「操守は厳明を要して、しかも激烈なるべからず」)。

もちろん禁欲を勧めいてるわけではなく、
「欲にしたがうも是れ苦、欲を断つも亦た是れ苦なり」と、そのどちらにも傾かない釈尊の”中道”を紹介している。

基本は精神の自由を謳歌し、「家庭に個の真仏有り、日用に種の真道有り」(家庭に一個の仏がおられ、日常に一種の道がある)と、俗世間の中に道(タオ)を見出し、隠遁主義・超俗主義の自己満足性を批判する。

それでいて「安きに居りて危うきを思う」と、日頃の防災の心得もできている。

人格の陶冶を目指すのはいいが、高尚さが出過ぎるのもよくないという。
さすがバランス感覚。
「行誼は宜しく過ぎて高かるべからず」とあり、行誼を行儀と読むと、礼法の話になる。
小笠原流礼法の教えに「躾とて、目に立つならばそれも不躾」とあり、正しいからといって作法通りの所作をこれ見よがしに示すのは、場の雰囲気を壊し人に違和感を与えるという理由で、高次の不作法とされる。
正しい作法は、”作法が見えて”はいけないのだ。

あと自分の心に響いたのは、「水木落ちて石痩せ崕(がけ)枯れて、わずかに天地の真吾を見る」ということば。

茶の湯の祖・珠光の美意識「冷凍寂枯」は、利休的な「和敬静寂」に比べて理解しにくいものだが(わが小笠原流の茶は珠光直系)、
このことばによって、花も葉も落ちた冬枯れのその姿こそ、余分なものをすべて削ぎ落とした真実の姿であり、一見最も美から遠いそこにこそ美を見出せ、ということだとわかる。

本書のような箴言集は一気に読み進めるべきものではなく、
日めくりカレンダーのように、一日一文ずつじっくり"噛みしめて味わう"のがいい(なので”菜根”譚)。

 ただし、原文(漢文)の書き下しだけでは、現代日本と表現が異なるため、意味が通りにくい。
本書のような、用語解説と現代語訳が必要。


意識は3000年前に誕生した?

2021年08月07日 | 作品・作家評

意識は3000年前に誕生したと主張するのは、『神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之訳 紀伊国屋書店)の著者ジュリアン・ジェインズ。

原著は1976年に刊行されたものの、不勉強ながら淺野孝雄氏(文末参照)の著作で知った
著者は心理学者で、日本の心理学者にはないスケールの大きい発想と分野を超えた広い視野に感心した。
不勉強の言い訳になるが、たいていの心理学者は、”心”を自明視して、より細かい部分が関心領域となるため、心や意識そのものを問う視野をもたない(心理学の教科書でも、「心理学」の定義はするものの、「心」の定義はしない)。
そんな自分もそろそろ研究人生の集大成のつもりで、心そのものを問うようになりはじめたというわけ。

本書は訳書で600ページに及ぶので、ポイントとなる部分を私なりの用語で簡単に説明する。

本書の主張は、意識(システム2)は、現生人類になって自然発生的に誕生したのではなく、文明という人工的環境下での学習(後天的)によるものだという。
そして意識の誕生は、神の声(幻聴)が聞こえなくなる現象に付随したものだという点がユニーク。
すなわち、意識の誕生は宗教の発生と関係があるのだ。

先天的に言語能力をもつ現生人類にとって、意識の元となる”内なる声”は、左脳のウェルニッケ野に対応する右脳の部位に発生し、紀元前千年紀(3000年前)以前の古代人は、その声を頼りに行動していたという。
だから当時の人は、個人であれこれ思い悩む、すなわちシステム2で思考する必要はなく、日常行動は習慣化されたシステム1の反応にかませ、自分で判断できない時は「神の声」に運命を委ねた。
この心の状態を著者は「bicameral mind(二分心)」と称している。

以上の論拠は、楔形文字などによるこの時代の碑文が、もっぱら神との対話や事実の記述に終始され、個人の内面を語るものがないことによる歴史心理学的考察による。

そして、紀元前千年紀に入って、文明の発達によって、人々にとって神の声が次第に聞こえなくなり、聞くことができるのは一部の預言者・シャーマンに限定されるようになり、あるいは占いなどの外在的な方法で神の意思を探るようになった(この間の変化過程は『旧約聖書』によく表現されているという)。
この二分心の現象は現代では、幻覚(幻聴)として統合失調症患者にみられるにすぎない。

これに並行して、システム2が左脳において確立し、自己を内面から捉えるようになった。
紀元前6世紀頃には、ギリシャ、インド、中国において、システム2は現代に引けを取らないレベルに発達し、深い内省にもとずく普遍的な思想・哲学が誕生した(孔子の『論語』は現代にも通用!)。
そして現存の宗教は、神の声が聞こえなくなって久しくして発展したもので、神の声の代わりに、人間が記した聖典(律法)に準拠している。

現生人類は能力的には最初からシステム2を発動させることができたのだが、その能力の使い方が、進化的に慣れ親しんできたシステム1からは異物(他者)として扱われてきた。
それをようやく我が心の一部として使いこなしはじめたのが紀元前一千年紀(3000年前)ということだ。

確かに、潜在能力が文明の力で後天的に開発されるのは、”識字能力”がいい例だ(識字処理を担当する側頭葉の部位は決まっているが、言語と異なり人類すべてが文字を使ってきたわけではない)。

言い換えれば、沈黙してしまった右脳の”言語野”を、われわれは使わないままでいる(私は左利きだが、言語中枢は右利きと同じ左脳にあることがわかっている)。
われわれはまさに知恵の実を食べたが故にエデンの園を追われたアダムとイブの子孫なのだ。
元に戻ることはできない。

でも二分心でない現代の健常者も、幻覚(幻聴)すなわち右脳からの語らいはほぼ毎日経験している。
夢という特殊状態下で。
夢は、現代人において、左脳(自我)と右脳(別の自己)との秘私的な邂逅の場だ。

もっとも、本書の説自体が、限られた歴史資料を材料にシステム2によって構築された壮大な「物語り」(フィクション)である可能性は拭いきれないが、
意識(システム2)の相対性、後天的発生の可能性を示した点では刮目に値する。

ここから先は、本書を受けての私の所論だが、
意識(システム2)と同じように、システム3(超意識)もほとんどの人類はそれを使っていないが、作動可能であることは確認済である。
システム2の作動が当然となった現代人は、21世紀という新たな千年紀に次なるシステム3の作動を目指してよいのではないか。
さらにシステム4は、超個的(トランスパーソナル)な心なのだが、それは左脳にとっての超個であり、それが実は同じ自分の右脳にすぎないのだとしたら、結局われわれは意識(左脳)を超えた大きな心(両脳)の中に住んでいることになる。
その大きな心は、フロイト的無意識を超えた、「阿頼耶(アーラヤ)識」なのか。
というところで、淺野孝雄氏の所論に繋がる。→心とは何か:淺野孝雄氏の著作紹介


『養生訓』を読んでみた

2021年07月18日 | 作品・作家評

貝原益軒の『養生訓』といえば、現代の健康本にもたびたび引用されるほどの、いわば日本の健康本の嚆矢といえる書だが、だからといって江戸時代の医学レベルの書が、現代医学に準拠した我々の健康観にどれほど情報的価値があるか疑問だったので、しばらく読む気にはなれなかった。

最近、自分が東洋医学に親しむようになり、84歳という、江戸時代ではかなりの長寿※を実現した益軒のノウハウにも普遍性があるのではないかと思い、この書(『養生訓:すこやかに生きる知恵』前田信弘(編訳):全訳ではない)を手にした。
※2019年での日本男性の平均寿命は81.4歳

まず、益軒その人だが、本の解説によると、5歳で母親に死別し、12歳で次の継母とも死別した。
こういう幼少期をすごせば、現代では「愛着障害」に分類されてもおかしくないが、親に恵まれない歴史上の偉人がいかにそれを克服したかは、皮肉な事に『愛着障害』(岡田尊司)という本を読めばわかる。
それから、彼は晩婚ながら愛妻家で、その22歳年下の妻が没した翌年に彼も寿命が尽きた。
妻に先立たれた彼は、人を遠ざけ、家に篭り、一人静かに死を迎えたという。
ちなみに彼の例だけでなく、封建時代にも全うな夫婦愛が存在していたことは確信している。

益軒は、本来的には儒者で、医師を兼ねていた(東洋医学=気の陰陽論なので、当時の医者は易経などの儒教経典も必読)
その医学はもちろん伝統的東洋医学(鍼灸、漢方)だが、それらを盲信せず、無闇に医術に頼るなと言っている。
まずは日常の養生が大事なのだ。

なぜ養生を勧めるのか。
儒教や道教を生んだ古代中国では、長寿を求めることは善であった。
儒教では、人として「在る事」それ自体が幸福とされる(在る事は苦だという仏教とはここが異なる)。
だから儒教では、自分を幸福に在らしめてくれた親(そして先祖)に感謝すること(孝)が第一義となる。

さて、その養生の極意は、節度を守る、すなわち恣(ほしいままま)にならないことである。
もちろん儒教の「中庸」の教えに基づく。
それは決して禁欲ではなく、「楽」を肯定する。
その楽(在る事)をより長く確実に味わうには、恣ではなく節度が必要なのである。
同じ楽でも求めるのは、尽きない(激しい、一時的な)快楽ではなく、満ち足りた(程よい、持続的な)安楽である。

より具体的には、心を安定させ、体を動かすことだという。
気を安定させ循環させる、動的平衡を維持するためだ。
病気の原因は気の乱れであり、気の乱れは外邪(寒暖など)か、心の乱れからくる。

気を安定させるには、下腹部の丹田に気を収めて、気の上昇(交感神経興奮)を防ぐこと、すなわちリラックスして副交感神経優位に保つことである。

体を動かすのは、気の停滞を防ぐためで、益軒は「座りすぎ」を戒めている(現代人も耳に痛い)。

食の節度、すなわち食事中に満腹を求めないのは、実は食べ終ってから満腹感がやってくることを知っているためである。

益軒の養生論に通底している、欲に対して節度を求める、という態度は確かに情報としては今さら感がある。
だが、それは結局、普遍的な法則だからだ。

なのでそれを改めて解説したい。
節度は健康法だけでなく、同じ儒教に基づく「礼法」の極意でもある(礼節)。
節度と対立する放縦(恣)は、君子に対する小人が取る態度で、一方向にひたすら進む。
これを数学的に表現すれば、一次関数的態度である。
すなわち、単調増加(減少)関数であり、直線的、(直線)相関関係である。
直線的に進む態度はやがて先鋭化し、思想の奴隷(原理主義)になりやすい。
かように極端化する危険性があるものの、論理的に単純なので、受容されやすい。
すなわち素朴で幼稚な思考態度である。

一方、節度は、二次関数的態度である。
すなわち、最適(極大)値があり、極大値を挟んで関数関係、たとえば価値評価が逆になる。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」(論語)、ヤーキース・ドットソンの法則(心理学で数少ない法則)、バランス感覚、相関比(曲線相関)、最適工学である。
世の多くの事象はこれに該当しており、現実妥当性が高い。
だから生存価すなわち健康度も高くなる。
論理の単純さより現実性を重視した、成熟した思考態度である。

二次関数的な節度とは、欲を追究し過ぎず、最適水準に留まる態度である。
それは、”満足”、すなわち満腹を求めない「腹八分目」の態度であり、
いうなれば二分目の不達成を残しておく態度である。

益軒は、一次関数的態度を勧めない理由として、「楽の極まれるは悲の基なり」と言っている。
これは陰陽理論の「陽極まって陰になる」論理に基づいている。
二次関数では増加曲線が極大値を境に減少曲線に転じるように、楽の追究(極致)は苦に変換してしまうのだ(仏教も苦の原因を渇愛としている)。
だからピーク手前の上昇位置にあえて留まった方がいいというわけだ。

この節度を益軒は食だけではなく、人づきあいにも適用している。
もう少し食べたいという所でやめるように、もう少し居たいという時点で帰るべきという。
これは礼法での「残心」※につながる。
※剣術での残心は、納刀の際も油断せず攻撃心を残しておくことだが、礼法では、お辞儀が終っても相手に対する敬意を残しておくこと。
残心、すなわち「心残り」という満たされない状態を大事にする。
まだ居たいという、後ろ髪引かれる気持ちで帰るからこそ、「また会いたい」という気持ちが残る。
長居しすぎて、もう顔を見たくない気持ちにならずに済む。

放縦にならず、節度をもつとは、二次関数的態度によって実現する残心という主観的には満たされないが客観的には最適状態を引き受けることができるかにかかっている。
目先の欲にとらわれない、成熟した心ならできる。


”半沢直樹”を観る意味

2020年07月20日 | 作品・作家評

7年も待たせた、半沢直樹の第3クルーがやっと昨日(7/19)放映された。

私はとっくの昔に出向後の原作『ロスジェネの逆襲』を読んでいて、原作があるのだからドラマ化も間近だと思っていたら、こんなに月日がかかった(第2のクルー最終回→家族で観た半沢直樹)。

7年のブランクは大きすぎ、TBSもビジネスチャンスを棒に振ったかと思ったが、ブランクを忘れさせてくれた(視聴率22%〕。

我々はなぜ「半沢直樹」を観るのか。

水戸黄門的勧善懲悪のカタルシスも確かにあろうが、それだけではない。

むしろ彼に振りかかる尋常でないストレスが問題。
普通の人間なら、くじけてしまうストレスを、周囲の力を借りて見事に振り払う。
このドラマを見ていると、今、自分が抱えている仕事のストレスなんて、たいしたことないと思えてくる。
そういう活力、元気を与えてくれるのがありがたいのだ。
日曜の晩の放映というのも価値があり、元気に月曜を迎えられる。

そもそも、われわれ人間は、物語を求めている、
物語性の前には、フィクションか事実かという違いは問題でなくなる。
だから、フィクションに完璧なリアリティは求めていない(重箱の隅をつつく批判は無意味)。

仮に事実であっても、(アカの)”他人の事実”は、所詮自分にとっては、”お話し”の1つであって,フィクション(物語)との違いにほとんど意味はなくなる。

言い換えれば、他人の事実は、”物語”としての価値によって評価される。
物語性のない”事実”なんて、つまらない日常と同じで、屁みたいなもの。

単なる事実よりも、事実性の背後にある真実(本質)にこそ反応するためだ。

実際、物語性のあるフィクションの方が、どれだけ感動するか。
感動こそが、自分の心を深く彫琢し、自分を変えていく、すなわち実質的な意味がある。
だからこれからも、物語が廃(スタ)ることはない。


「天気の子」に感謝(ネタバレあり)

2019年08月23日 | 作品・作家評

私が映画館で映画を観るのは年に一度くらいになってしまった(もっぱらレンタルビデオで鑑賞)。
今年は、平日の昼に「天気の子」を観に行った。
やはり映画館で観るとその世界に入り込め、非日常の貴重な時間を過せる。
改めて、映画は映画館で観るべきだと痛感(若い頃は映画館に入り浸っていたのに)。
そして映画を見終った後の日常のつまらないこと。 

そもそも映画に”災害もの”というジャンルがあるアメリカでは、気象災害が主題の映画はたくさんあるのだが(ほとんどが竜巻。お勧めは「デイ・アフター・トゥモロー」)、
実際の災害数では世界に冠たる日本では、 残念ながらこのジャンルの映画にお目にかかれない。
あったとしても地震に限られ、気象がテーマになることはなかった。

そういう不満の中、 雲を見るのが好きだったという新海誠が「天気の子」を製作すると聞いて、彼だったらやってくれると思っていた。

まずは気象予報士として、天気が主題の映画を作ってくれて「ありがとう」と言いたい。

そしてもうひとつこの映画を身近に感じられるのは、IR田端駅南口の坂(右写真)※が重要なシーンとして複数回登場するのだが、この駅は自宅の最寄り駅で、幼少期によく父とこの坂で電車を眺めていた(幼少期の家の方がここに近かった)。
ウチの近所というとても見慣れた風景が映画に登場すれば、誰だってうれしくなる。

※映画を観た帰り、さっそく立ち寄った。もう”聖地”になっているのか、主人公ほどの年齢の男子が数人カメラを携えてたむろしていた(鉄道ファンかもしれないが)。

私自身は年齢的に高校生の主人公(森嶋帆高)に同一化できないが、テーマと場所でこれほど身近に感じる映画(しかもアニメ)はなかった。

まず、雨の描写ではすでに前々作「言の葉の庭」で定評があっただけに、そして雲の表現が前作「君の名は。」で評判だっただけに、それらの表現の進化形を楽しめた。
それにしても、真っ青な快晴のシーンを悲しい気持ちで見たのは初めて。 

巷の評では、個人的恋愛を東京の災害よりも優先する主人公の姿勢に批判があるようだ。
だが、今後の気候変動によって、東京の下町一帯が実際に冠水する可能性があることは忘れてならない(数年前に鬼怒川氾濫があったでしょ)。

江戸川区の洪水ハザードマップに「区から逃げて」と記してあることが話題になったが、それが厳然たる災害予想なのだ。 

つかぬまの晴れを喜んでいる中、思いもよらない大水害がやってくることをリアルに描いてくれたことは、防災上価値がある(防災の話ってリアリティがないと他人事に思われてしまう)。

東京の下町は、海抜が0mを下回り、そのど真ん中に荒川という大河川が家の屋根よりも高い所を流れている。
この荒川が、赤羽の水門から南で決壊したら、下町一帯(銀座まで)が数m

の高さで冠水する(民家は水没)。
0mを下回っているので海に排水するのも困難だ。

この冠水地帯はJR京浜東北線の東側に相当する。
だから田端駅の高台から冠水域を見渡すことになる(写真)。
映画のあの風景はありえることなんだ。
少なくとも、巨大隕石が落ちて町が陥没するよりは…。 

ついでにいえば、下町(墨東)は首都直下型地震の震源域とされている(津波もやってくるかもしれない)。

そういう災害危険性をきちんと描く映画が災害大国・日本では皆無だったのだ。
ということで、今度は防災士として、「ありがとう」と言いたい。 

ちなみにアメリカの”災害もの”でも、必ずラブストーリーを絡めてくる(そうしないと客が入らないから)。
この映画の客もラブストーリー部分ばかりに反応しているようだ。 

100%晴れ女は実現可能?に続く


『「リベラル」という病』の克服を望む

2019年07月15日 | 作品・作家評

日本の主たる野党勢力が「リベラル」と称されることに疑問を持っていた。

リベラル、すなわちリベラリズムとは自由主義のことであり、少なくとも国民の自由を抑圧する(現実の)共産主義と対極にある概念である。
だからそちらに接近する勢力をリベラルとはいえまい。
むしろアメリカの「ティ・パーティ」のような、政府の介入を拒否する人たちこそリベラリズムの極北だと思う。

今では使われなくなった「革新」という呼称も、共産主義こそが”進歩的”であるというマルクス的唯物史観による偏ったイデオロギーに由来していた。
まぁ、”保守”に対立する概念が必要であったための呼称なのだろうが、日本の「リベラル」はちっとも言葉の正しい意味でリベラルではなく、思考停止した「反知性主義」(「ガラパゴス左翼」)に過ぎないことを看破したのがこの本。

『「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義』 岩田 温  彩国社 2018(電子書籍版)

少なくともその「リベラル」勢力にあえて与しない多数の国民には、彼らの発想の問題点は判っていることなので(政党支持率を見れば一目瞭然)、あえて読む必要を感じない人もいようが、
本来は常識的といってもいいこの言説が、テレビ・新聞のマスコミ界隈ではほとんど取り上らず、「リベラル」の方が大手を振っているのが現状だ。

著者の岩田氏は、若手の政治学者で、「リベラル」を批判する自らの立場を、保守反動(w)ではなく、「リベラル保守」と明言している。
すなわち、保守とリベラルは対立概念ではなく、両立可能なのだ。

本書によれば、そもそもリベラルとは、国民の自由を最大限に尊重するものであるが、弱者・少数者に対する視線を忘れない。
すなわち他者の自由も尊重するものである。
一方、保守とは、祖国に対する愛情を原点とする。
祖国とは過去から未来へ続く垂直的な共同体であり(政府のことではない)、現在の家族はもとより過去の先祖、未来の子孫に及ぶ愛情を原点とする。
保守といっても改革・変化を拒むものではないが、熱狂にまかせた急進的革命には反対する。

逆に言えば、リベラルが行きすぎると弱肉強食(万人の万人に対する戦い)の無政府状態となり、保守が行きすぎると閉鎖的な国家主義となる。
リベラル保守とは、無政府主義と国家主義の両極端を拒否する、国家(政府)の役割を一定に保つ中道(バランス)の立場である。

”バランス”とは、私が人生の舵としているキーワードだ。
なぜなら人の思考(システム2)は、元来単純化が好きで、一方向(アンバランス)に傾きやすいから。

それから、リベラル保守は、敬意と愛情を原点しているのもいい。
正義という名の憎悪を原点としていないのがいい。

正直、本書前半のマスコミと野党の「リベラル」に対する批判は、そんなこと判っているという内容なので、軽く読み飛ばした。

本書の価値は、終章の「これからの「リベラル」への提言」にある。
具体的には、河合栄治郎という政治思想家の紹介である。
河合栄治郎といっても、過去の人で、マスコミにこの名が登場することはないが、
私自身は、高校生当時、好んで読んでいた社会思想社の現代教養文庫に著作があったので、少なくとも『学生に与う』は読んだ記憶がある。
本書によると、河合栄治郎は、主に戦前に共産主義と国家主義(軍国主義)を痛烈に批判した、真正なリベラリストでしかも愛国者である。
すなわち日本の「リベラル保守」の象徴といえる人。
本書で紹介されている彼の思想は、現代の日本人にとっても、常識的基盤にしていいくらい至極まっとうなものである。

われわれは、”リベラルか保守か”という二者択一を迫られる必要はない。
”リベラルも保守も”という選択こそ最適解だと思う。

ただ、このスタンスの政党があるか、というと現実は厳しい。
立憲民主党の枝野氏は「リベラル保守」を自称しているようだが、その「リベラル」が問題だし、どこが保守なのだろうか。
自由民主党も、その名称こそリベラル保守的だが、リベラル(自由)を苦々しく思う復古主義・国家主義に偏る人たちが混じっている。
今の「リベラル」野党の連合・再編は無意味なので、今一度の与野党の再編で、真の「リベラル保守」を目指す政党を作ってほしいものだ。


『現代オカルトの根源』が私の必読書である理由

2019年06月22日 | 作品・作家評

自分の心理学探究において、スピリチュアルの方向を解禁し、トランスパーソナル心理学に接近している(≠入り込む)今、
その方角で口を開けている暗黒面に落ちないために、読んでおこうと思ったのが、
大田俊寛著 『現代オカルトの根源—霊的進化論の光と闇』 2013年 筑摩書房 

著者は宗教学者で、グノーシス主義(キリスト教の”異端”とされた)が専門なので、オカルトが専門ではないというが、
現代オカルトが共通する問題点を客観的視点で論じている。

まずオカルトとは「この世は不可視の存在によって支配されている」という発想をさす。
そもそも人間を動かしている”心”は不可視だし、霊魂も神も不可視だ。

そして著者のいう「現代オカルト」とは、霊的進化論(人間の霊のステージが上る)をベース理論とする空想的言説で、
有名どころではルドルフ・シュタイナーやエドガー・ケイシー、それにUFOで有名なジョージ・アダムスキーなどが名を連ねる
(そして「オウム真理教」や「幸福の科学」に至る)。
実際、私が読もうとする本をアマゾンで検索すると、これらの人の著作が一緒に紹介される。
私が積極的に読んでいる本山博氏も現代オカルトの系譜に連ねられていた(私は氏の科学的態度に一目おいているのだが)。

彼らの言説が、古代宗教(古代に創作された物語)と異なるのは、宇宙人(金星人!)などが登場し、人類史を数億年単位に拡張するSF(空想科学)的要素が入っていること。
また発祥はヨーロッパ、そしてアメリカながら、インドのヨーガやチベットのラマ教が共通ベースになっている点も特徴的か。 

著者は、霊的進化論が単純な二元論思考(精神と物質、善と悪)に基づいていることを指摘する。
そしてこの二元論が、悪が暗躍する「陰謀論」と善と悪の最終戦争という「終末論」へと導くことを、同工異曲のあちこちのオカルト言説から示す。
これを私の「心の多重過程モデル」〔既存の二重過程モデルを包含)で表現すれば、心のサブシステムの1つであるシステム2(運用論理)のバイアス(=二元論的思考)にもとずく、自己正当化のための脱現実的空想化である。
素材は多彩でも、構造はシンプルなおとぎ話。
だからこそ、多くの人が受容してしまうわけだが。
そういえば、映画「スター・ウォーズ」の物語世界(これも二元論的)をあえて”宗教”として信じようとする人たちがいるらしい。
言い換えれば、多くの人が信じている宗教的神話も、実は作者不明のSF的創作話に等しいことを意味している。  

言語論理に拘束されるシステム2は、空想的理論(空論)でもかまわず現実を解釈しようとし、辻褄さえ合えば、証拠も再現性も無視して信じてしまう。
このシステム2の限界(欠点)を乗り越えようとする方向、すなわちシステム3以降を志向することが本来進むべき方向といえるのだが(私がスピリチュアルを志向するのもそのため)、
その方向での解釈図式(論理)がシステム2の空想で成り立ってしまうというパラドックスこそ、”教祖様”や導師(グル)を含む多くの人が陥っている暗黒面なのである(このあたりの心理学的説明は別の機会で)。

この本はその暗黒面(闇)を詳しく紹介しているので、私と同じくスピリチュアル方向に関心がある人は、オカルト面に陥らないために読んでおくとよい。
代わりに、(すでに数冊持っている)シュタイナーやアダムスキーはまじめに読む必要はないことがわかった。

また、暗黒目に陥った事例研究として、著者の『オウム真理教の精神史』 も読んでみたい。→んだ


『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(石平)を読んで

2019年04月21日 | 作品・作家評

私は、いわゆる儒教経典の四書の1つの『論語』は学生時代に読んで以来ご無沙汰だが、
五経のうちの『易経』と『礼記』は研究にも関係しているため精読しているので(『大学』『中庸』も読んでいる)、
”儒教”について少しは理解していると思っていた。

私自身、儒教は”孔子の教え”だと思いながら、いつのまにか後々の(孔子ではない)儒家による経典に基づくものであることを当然視してきた。
つまり儒教全体あるいは孔子と儒教との関係を見渡す視点をもっていなかった。

そんな中、目に止まったのが2019年3月に出たばかりの石平(せきへい)氏による本書。

テレビでおなじみの石平氏は、日本に帰化してからは中国共産党政府を厳しく批判しているので、
政治学者かと思っていたら、もともと哲学専攻なので、このよう思想批判の書を書く理由も理解できた。

まず孔子に直結した資料である『論語』から、
孔子は思想家や哲学者でも、ましてや聖人ではなく、常識知に長(た)けた一知識人である(にすぎない)ことを示す。
そして孔子以後の孟子・荀子によって思想的に体系化されて儒学となり、
前漢の董仲舒に至って、儒教という皇帝統治のための御用教学となる。
そこで制定された儒教経典の”五経”は、上の2つをふくめていずれも孔子の著作ではない(この時点で孔子と無関係)。 

さらに儒教は、南宋の朱子によって人間性(人欲)を否定する抑圧的なものとなり、
その朱子学が明・清の5百年間、中国人民を苦しめ、
とりわけ清朝では夫を失った女性に殉死を強要する、すなわち”殺”を奨励するようになり、
その犠牲者は260年間で500万人に達したという。
これを「悪」と言わずにおれようか、と怒るのが氏。
要するに、孔子の教えと、その孔子を始祖にまつり上げている儒教とは、
内容的にも価値的にもまったく異なるということを主張している。

孔子の教えが儒教に発展したという系譜づけは、董仲舒や朱子が捏造したもので、
それを最初に見破ったのが、なんと日本近世の儒学者・伊藤仁斎だという。
仁斎は、人心とは無縁の天の理を第一義とする朱子学が、孔子の教え(=論語)、すなわち第一義とするのが人の愛(仁ではなく”愛”と記した)であるそれとはまったく接点のないものであることを看破した。

私は恥ずかしながら、江戸時代の儒学者たちにはほとんど関心がなかったため(例外は中江藤樹と山鹿素行)、
仁斎の名前だけは知っていたがその功績は知らなかった。

そして仁斎以降、日本の知識人たちは、幕府によって”異学の禁”まで出された官学の朱子学の欺瞞性に気づいて、
ことごとく朱子学から離れていった。
このように脱朱子学を達成した日本と、朱子学支配に屈した明・清そして李氏朝鮮との違いが、
近代以降の両者の”道徳の格差”につながっていると氏はいう(これが本書の副題—日本と中韓「道徳格差」の核心—になっている)。
そして氏は自らを仁斎の後継として(仁斎は孔子と儒教とを分けるには至らず)、孔子の血の通った『論語』を愛し、孔子を騙る偽物の儒教を断罪する。

私自身は、董仲舒の悪影響、すなわち陰陽に迷信的五行を合体させ、また本来対等な陰陽を”陽尊陰卑”に序列化し、それが”男尊女卑”の論拠となったことは実感しているが、
朱子学(宋学)については、むしろ宇宙論的で面白いと能天気に思っていたのだが、これは日本で朱子学の悪影響が軽微だったためかもしれない。

そして何より、儒教への関心の割りに、孔子その人を軽視していた自分に気付かされた(諸星大二郎の『孔子暗黒伝』は大好き)。
孔子その人の情報は『論語』においてほかはない。

朱子学から脱した江戸期の日本人は正しくも『論語』に回帰をしたという。
そういえば、新一万円札になる渋沢栄一も『論語と算盤』という本を書いていた(明治以降も日本の道徳は『論語』に準拠した)。 

実はその本、王子の渋沢栄一記念館で数年前に買ったまま読んでいなかった。
私の中に『論語』を軽視する心があったためだ。
『論語』は儒教の入門書で、『易経』や『礼記』のような専門書ではないと位置づけていたから。 
それでも孔子の教え(『論語』)にこそ、私が求める「礼」があることはわかっている。
初心に立ち返って、『論語』 を座右に置くとしようか。

→関連記事:湯島聖堂孔子祭に行く


東博の顔真卿展を観に行って

2019年02月05日 | 作品・作家評

姪の手術が成功裡に終り、私の採点も順調に進んだので、息抜きとして、
東京国立博物館(以下、東博)でやっている『顔真卿(ガンシンケイ)※展』を観に行った。
※唐代の書の大家(東晋代の王羲之と双璧をなす)。 

実は”書”には全く関心がないのだが、台湾の故宮博物院の秘宝が日本に出展されることが中国で問題化されていて、
しかも春節の休暇を利用して中国・台湾から大勢押し寄せるというニュースに接して、
にわかにミーハー的興味が湧いたという次第。
東博は言ってみれば私の散歩圏内だし、 空海の書も展示されるというので、
最近密教に傾いている自分が呼ばれている気がしたせいもある。

顔真卿は高校世界史での記憶しかなかったが、
この目で王羲之の書と見比べることができたのはよかった。
とにかく現代の楷書のベースとなっている書体なので、
われわれ漢字文明圏の者にとっては、影響力絶大である。
彼の書風には「顔法」、その特徴は「蚕頭燕尾」(書き出しが蚕のように丸っこく、跳ねが燕の尾のように二つに分れる)と名がついている。

館内は確かに、中国・台湾人が少なくとも半数は占めている
(家族連れが多いのは、やはり春節休暇旅行か)。
なにしろ、イヤホンガイドも中国語版があるほど。
最大の見所は、甥の死を悼んだ「祭姪文稿」 の肉筆で、ここだけ行列で30分かかる。

次いで人気があったのは、同じ唐代の僧・懐素の「自叙帖」(右図:東博のサイトから)。
その大胆な草書(「狂草」 と称される)は、前衛的書ともいえる筆致で目を見張る。

最後の”日本への影響”コーナーでは、空海の書がいくつかあり、王羲之の影響を受けたものの独自性を確立した様子がみてとれる。
改めて思うのは、空海(弘法大師)って、真言宗ではまるで仏様のようにあがめられているが、かように直筆が残っている実在した人物だったのだ。

ついでに、あの懐素の影響を受けた日本人は、藤原佐理(スケマサ)という人で、
彼の草書はもはや”ひらがな”に達している。

実は、この展示を観て、内容とは別に気になったことがある。
 展示物を隔てるガラスのあちこちに人が触れた跡があって
その汚れによって作品の観覧が妨げられているのだ。
いったい誰が触るのか、観察していると、実際にガラスに指を触れている現場を3度見た。
いずれもオバサン(日本人)である。
このオバサンたちは、同性の連れとおしゃべりしながら、作品を指さして話をしている。
つまり同行者に作品について語ることが、作品の指さし行為を必要とし、
そのため指がガラスに触れるのだ。
いいかえれば、単独で来ている人や複数でも黙然と観ている人は、
指を差す行為自体をしないので、ガラスに触れることはない。
なら、ガラスの汚れはガラス越しに指さすオバサンのせいか、というと、すんなりとそうはいかない。
なぜなら、汚れの多くは、オバサンの指の位置よりは高くて私の目の下あたりだし(だから視野を妨げる)、
しかも視野を妨げるほどに面積は、指先が触れただけの跡にしては広すぎる。
つまり汚れは、オバサンの指先によるものではないようだ(指でぐるぐるなぞるなら別)。
あの高さと広がり具合からみて、おでこが触れたのではないか。
もしオバサンが、おでこにファンデーションを塗ってきて、
それがガラスに振れたなら、あの位置と面積と濃さで汚れるだろう。 
おでこの位置とガラスを平気で触れる行為がその可能性を高めている。
というわけで、やはり犯人はオバサンではなかろうか
(現場を押さえていないので推測に留める)。 


やっと読んだ『自我の終焉』

2018年08月11日 | 作品・作家評

クリシュナムーティ著『自我の終焉—絶対自由への道』(根本宏・山口圭三郎訳)篠崎書林。
この本は、自分が学生時代に購入して、ずっと”積ん読”状態だった。 

なぜ買ったままずっと読まなかったかというと、タイトルだけで、仏教の基本テーゼの一つである「無我論」のことだとわかるので、読んだ気になってしまって、改めて読む気にならなかったから。

それが最近、私が接近したトランスパーソナル心理学の本で引用されていたので、そういえばこの本持っていたなと思い出し、読んでみた次第。

内容を簡略に説明すると、
現象をありのままに経験することで、既存の限定された自我を超越できるということ。
これを私の「多重過程モデル」で言い直すと、システム3という非日常の心を開発することで、システム2の主体である”自我”を超越した心に達することができるということ。
かように、私の多重過程モデルにぴったりはまっているので、とてもわかりやすかった。

この自我を超越する視点は、それこそ「トランスパーソナル」(超個)であるが、著者は、超個的な存在(観念)を実体視しない点が既存のトランスパーソナル心理学と違う(システム3の現象学的態度を堅持している)。

システム2までの既存の心理学も、システム3とかなりダブっている認知行動療法的なマインドフルネスも、そして本当はシステム4という境地に達してほしいトランスパーソナル心理学も、自我あるいはそれに代わる何ものかを実体視している(既存の心理学はシステム2の主体=自我をそれこそ大切にしている)。

この主張、もし私が買った当初読んでいたら、心理学理論としては受け付けなかったろう。
幸い、自分の方が既存の心理学を拡大した多重過程モデルに達したので、心理学として受け入れることができた。
その点でいいタイミングで読んだことになり、”積ん読”には意味があるなと我ながら感心する。 

さらに、ここしばらく、前近代的非科学思想を引きずっているトランスパーソナル心理学や気の理論の本を続けて読んでいたので、これらが内在しているシステム2的妄念・妄想のアカが取れて、心がすっきりした。

「システム3って何?」という人でも、マインドフルネス(療法的/仏教的)を知っていれば、著者が、自我による誤った条件づけ・認知的バイアス(システム1)や自動的思考(システム2)を問題にしていることが理解できよう。

本書でさらに特徴的なのは、クリシュナムーティはこの境地を目指すのに導師(グル)を不要としている点。
この手の多くの教説本は自己流を戒め「よき師につけ」と勧めるもの。
それって実はその本の著者の自己宣伝を含意していたりする。

クリシュナムーティによれば、導師を求めることは、自己の願望を求めているにすぎないという。
だから、その願望を満たしてくれそうな人にハマり込む。
麻原彰晃という誤った導師(グル)にハマって、それこそ他人と自分の人生を台無しにした人たちをわれわれは知っている。 

クリシュナムーティ自身、ほとんど独学でこの境地に達したがゆえの確信によるのだろう。

そういえば、仏典によると、釈尊が入滅の時、弟子たちがこれから誰を師とすればいいのか釈尊に問うた。
釈尊の答えは、「己れを頼りなさい。法(ダルマ)を頼りなさい」だった。
どこぞの誰(他者)を頼れとは言わなかった。

さらにそういえば、私ら大学教師も、学生に「自分の頭で考え、自分の言葉で語れ」と指導する。
決して「私のように考え、語れ」とは言わない(教師は導師ではない)。
”自分”が現象と一体になれれば、その経験は個我の限定された主観性ではなくなるからだ。
ただ学生の”思考”はシステム2レベルの作用だから、クリシュナムーティの境地には達していないが。 


”絵画史上最強の美少女”を観に行く

2018年04月16日 | 作品・作家評

表題の絵を観たいと、「至上の印象派展:ビュールレ・コレクション」は前売り券で買っていた。
会場の国立新美術館はうれしいことに月曜も開館なので、混雑を避けて行ってきた。

絵画史上最強の美少女とは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(画像は主催サイトの画面)。
あの横向きに座っている髪の豊かな美少女である。 
モデルとなった彼女は、なんと8歳。
小学校2,3年だから、少女というには幼なすぎる。
丁寧に描かれた髪の毛の質感がリアル。

観たい絵って、ずっと観ていたいので、立ち去るのに思い切りを要する。
そして、後ろ髪引かれているので、一巡した後、引き返して、今生の見納めとして、もう一度眺める。

この絵、本展一の目玉とあって、ミュージアムショップでは、彼女のお菓子や、 Tシャツ、リカちゃん人形、眼鏡拭き、アン・クリアファイル(中が見えないクリアファイル)など揃っているが、8歳の女の子の大々的な横顔が描かれたグッズをこの私が持ち歩くには、ロリコンだと思われそうな抵抗感に勝てず、部屋に飾る小さな絵はがきで我慢した。
ホントは持ち歩き用のチケットを入れるファイルを購入したかったのだが、人目をはばかって、ロートレックが描いたモンマルトルのスレた年増女性の絵にした(こちらなら私が持っていても違和感ないだろう)。

この個人コレクション、すごい充実ぶりで、印象派の前と後を含んで、西洋絵画が近代化・現代化していく過程がよくわかる。
すなわち、写真のようなリアルさが追究された印象派以前の絵(カナールの風景画、アングルの肖像画)から始まって、印象派(モネ、ドガ、ルノワールなど)を経由して、さらにセザンヌ・ゴッホを経て、ピカソに到る過程、すなわち写実画が解体していく過程が通覧できる。
形に閉じこめられていた色彩がまずは爆発して、光による視覚体験を再現しようとし、次に色彩によって解体された具体的形態が今度は形態そのものであることを主張して 、固定的視覚体験を解体していく。
その橋渡し的存在であったセザンヌの絵を見ていると、もう具象画である必要ないんじゃないの、言いたくなってくる。 
そして、キュービズムのブラックの絵「ヴァイオリニスト」は、完全にゲシュタルト崩壊※を示している。
この絵の絵葉書がなかったのが残念だった。

館外初出展=本邦初公開のモネの睡蓮の大作も見ごたえがある(この絵だけ、写真撮影OK)。 
東京での展示は5月7日まで。
その後”美少女”たちは福岡、名古屋を巡るらしい。 

※:構成要素は同じでも要素間の関係がくずれ、秩序立った意味のある形態に見えなくなる事。現代芸術(音楽を含む)の”わからなさ”の心理的理由。


みうらじゅんになれなかった私

2018年03月17日 | 作品・作家評

※本記事は、みうらじゅん(「ゆるキャラ」の命名者で有名)について最低限の知識があることを前提としています。 

私の春休み第一弾は、川崎市市民ミュージアムで開催中(3/25まで)の「みうらじゅんフェス!:マイブームの全貌展 SINCE 1958」の鑑賞。

私は氏(みうらじゅん=三浦純)とほぼ同世代で、同じく仏像が好きなので、根強いファンというわけではないが、親近感をもっていた。
実際、昨年はいとうせいこうとのポッドキャスト番組 「ザツダン+」をなにより愛聴していた。
なので、そろそろみうらじゅんなるキャラをきちんと知りたいと思っていた矢先の渡りに舟というわけ。

その川崎市市民ミュージアム(市が2つ続くのがミソ)へ行くには、今をときめく武蔵小杉からバスに乗る。
なので初めて降り立つ武蔵小杉から、私のワクワクは始まる。
なんで”初めて”かというと、ここを訪れる理由が今まで無かったからで、そもそも小杉は川崎市外の者があえて訪れる地ではない。
当然ながら地名は”小杉”であり、武蔵小杉は駅名にすぎない。 
「武蔵小杉」として有名になった理由は、駅前だけが固有に変貌したためだろう。
降り立ち記念に、駅構内か駅前で「駅そば」を食べようと目論んだが、蕎麦屋がまったく見当たらず(讃岐うどんは選択外)、仕方ないのでおにぎり屋でおにぎりを2つ買い、コンビニで天然水を買った(おにぎりはその場で作る店のがいいが、ペット飲料はコンビニのが安い)。 

ちなみに、降り立っただけの印象では、横須賀線沿いは並行している新幹線の走行音が大きい。
もっとも今どきの高層マンションなら窓の防音効果もしっかりして、高層階では窓は開けないだろう。 

駅前からバスに乗って、等々力スタジアム(川崎フロンターレのホーム)のある広い公園の一画で降りる。
まずはミュージアムの外のテラスで、おにぎりを食べる(空腹をかかえたままでは鑑賞に集中できない)。 

800円払って展示会場に入ると、意外に幅広い客層でそれなりに混んでいる。

「全貌」というだけあって、氏の生い立ちに沿って、膨大な展示が並ぶ(すべて氏のコレクション)。
それは氏自身の「マイブーム」の変遷を示している。
次々と続くマイブームの圧倒的なコレクションの前では、「マイブーム」って一時期流行った流行語で、今どき使うのは恥ずかしいなどとほざく底の浅いヤカラの心根も簡単に砕かれよう。
みうらじゅんの人生そのものが主体的感性にもとづく「マイブーム」の発掘と変遷の歴史なのだ。

その展示でわかったことは、氏は小学校時代にマンガを描きはじめて、いろいろなキャラクターを作り出し、中でもカエルのキャラがお気に入りだったということ。
これって、まさに小学校時代の私だ!
ここまでは同じだったんだ。 

そして氏は早くも小学4年で仏像にのめりこむ(京都の地がそれを有利にしている)。
悔しいことに私より数年早い。
しかも子どもなりに詳しく調べている。 

『見仏記』を読んだ印象では、仏像に対する蘊蓄はいとうせいこうで、みうらじゅんは感性的評価が主だと思っていたが、それは単なる役割分担で、氏の仏像に対する理解は筋金入りだった。

また高校の時、ホントに空手の通信教育を受講していた(お笑いのネタではなかった)!

そして自分の才能を開花すべく、2浪して多摩美術大学に入学(その時の受験票も展示)。
入学後はもちろん描画の腕を上げ、その延長で『ガロ』に掲載される。

一方、私は中学に入ってマンガからきっぱり足を洗い、二度と戻らずに現在に至っている。
小学校時代に描きためた幾冊ものマンガ集(4コマ、短編、長編)は今は1つも残っていない。
ここで大きく差がついた。
私はみうらじゅんになれなかった。 

捨てない、そして集めるコレクターとして(「断捨離」とは対極)の氏の生き方もすごい。
磯野カツオをまねたのか、小学生時代の「肩たたき券」も残っている。 
私も子どもの頃は氏と同じく「ゴムヘビ」が大好きだったが、遊んで壊すばかりでコレクターにはなれなかった。

氏の数々のマイブーム・コレクション(しかもこの展示がすべてでないという)を通覧して感じるのは、氏の(集めて命名する)行為そのものが、われわれが自明視しているモノに別の価値を発見させる「アート」であること。

かくして、私との子ども時代の共通点(マンガ、カエル、仏像、ゴムヘビ)を発見できた喜びを得た一方、その後に拡がる差異に打ちのめされた。

見終って、ミュージアムショップで買ったのは、昨年映画として観損ねた「ザ・スライドショー」のDVDと氏のメインキャラであるカエルが描かれたポーチ(私が持っているカエルのフィギュアたちを収納するつもり)、それに本展とは無関係ながら北斎の神奈川沖の浮世絵の3Dポストカード。
最後のモノは氏の3Dコレクションの影響を受けた。

そういえば、本展でのショップ一番の売りは「SINCE」Tシャツだと思うが、
美術展で売っているオリジナルTシャツって一見食指が動くけど、絶対着て歩けないので、いつも伸ばした手を引っ込める(ミロのTシャツ2着を例外として)。
あれって、買う人は何のために買うのだろう(着て歩いている人を見たこともない。私もミロのTシャツはもったいないくて着れない)。
この「ミュージアムショップのTシャツ」問題も氏に考えてほしい
(実際のところ、「SINCE」Tシャツはかなり売れているようだが、私にとってこのTシャツを着て街を闊歩する資格があると思えるのは”シンサー(SINCEを審査する人)”だけで、すなわちこの Tシャツはシンサーの制服であり、それは実質みうらじゅんただ一人だ)。

それと、これも美術展に必ずあるオリジナル・クリアファイル。
そもそもクリアファイルは透明で中が見えるからその名がついているのだが、美術展で売っているものは絵がぎっしり描いてあって中がまったく見えない(つまり実用的でない)。
これには氏がすでにその問題に気づいていて、これはクリアファイルにあらずということで、「アン・クリアファイル」と名づけている。 

かように、世の中の注目されない物に、その存在理由を見出す、あるいはその存在の不条理さを明らかにする、氏の今後の活動を楽しみにしている。


『享徳の乱』を読む

2018年01月02日 | 作品・作家評

正月は屠蘇・お節以外は、仕事もせず、テレビも見ず、読書に宛てる。
しかも対象は関東戦国史に限定。

私は高校時代に所属していた地歴部以来、いわゆる”戦国時代”に先立つ足利成氏(しげうじ)が中心となって展開される関東動乱に魅せられていた。

その動乱は、今では「享徳の乱」と名がついている。
最近やっとこの名称が広まってきた。
そして戦国時代の幕開けは「応仁・文明の乱」(1467年から)ではなく、それに先立つこの「享徳の乱」(1454〜1482)であることも。

その命名者は峰岸純夫という歴史学者。
今年の正月は、その本人による書、『享徳の乱:中世東国の「三十年戦争」』(講談社、2017年)の電子版を読んだ。

享徳の乱は、足利成氏(古河公方)と対抗する関東管領上杉氏との関東を二分する対立による(和睦で終結)。

この乱において、旧来の守護領国体制が崩壊し、所領を武力で糾合した「戦国領主」が形成されたというのが氏の主張。
戦国領主が、さらに国レベルに拡大したのが戦国大名である。
すなわち従来の”国衆”と”戦国大名”とを繋ぐ概念である。
言い換えれば、この乱には戦国大名はまだ登場しない。

氏の主張は、戦国時代の先駆けは、この享徳の乱であり、しかも応仁・文明の乱はこの享徳の乱が波及したものであるという。
この本でもそれがテーマとなっている。

ちなみにこの時代は、「下克上」以前に、主君が家臣を誅殺する「上克下」が見られた(これも氏の造語)。
この乱の発端は成氏が補佐役である管領の上杉憲忠を殺害したことであり、また乱の終結後、大活躍した太田道灌も主君である上杉定正に殺された。

そしてこの混乱からは戦国大名が出現せず、関東はやがて隣接する戦国大名(伊豆の伊勢盛時、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄)たちの草刈り場になる。
並み居る戦国領主の中で、突出した力を持ち彼らの上に立つ者が出現しなかったためだ。
この乱が和睦で終ったのもそのため。
足利成氏や管領上杉氏はその者(戦国大名の卵)出現を阻止する側で、長尾景春や太田道灌は芽を摘まれた側だ(道灌は元は阻止する側であった)。

この消化不良感が、かえって私に汲めども尽きない興味をかき立てた。
ただ残念なのは、史料不足のため、道灌を唯一の例外として人間的エピソードに乏しい点。
これでは大河ドラマにはなりにくいな。 


「怖い絵展」観てきた

2017年12月04日 | 作品・作家評

先週末、某大手マスコミから取材申込を受けた。
東京上野で開催中の「怖い絵展」が大人気となっていることから、なぜ怖い絵を見たがるのかの心理学的説明を求められたのだ。

通常の心理学では、恐怖は逃避行動を動機づけるものとしか認識されず、「恐怖を楽しむ」ことに注目しているのは私くらいしか目に止まらないらしい。
そのせいで、この話題では今までも講演をし、雑誌インタビューを受け、テレビにも出た。

社会心理学者である私としては、お化け屋敷やジェットコースターにお金払って楽しむ客の心理を無視できないのだ。 

なので一般論なら語れるが、それは私自身が上のメディアでさんざん語ったことだし、一方「怖い絵展」は観ていないので、それについての現象の分析はできない。
なので、申込は断った。

でも「怖い絵展」がなぜ人気なのか、自分で確かめたくなって、上野の森美術館に行った。
といっても数時間待ちの行列には並びたくない。
平日の夕方が比較的空いているようなので、今日の4時すぎに行った。
それでも40分行列した。

そもそもこの特別展は、ドイツ文学者の中野京子氏の『「怖い絵」で人間を読む』 によるもの。
氏は、「先入観をもたずに感性で感じろ」という絵画観賞法に異を唱え、絵画の主題が前提としている意味を知らずしてその絵を理解できないと主張する。
確かに前者の観賞法は現代芸術用で、伝統的西洋絵画だったら、ギリシャ神話や聖書を知らずして理解するのは無理となる。 
すなわち、今回の絵の”怖さ”は意味(死という観念)によって浮かび上がってくるものである、という所がポイント。
つまり、ストレートに「怖い絵」ではない。

それと怖い絵を見ることの心理的意味自体、氏が語っており(音声ガイドの最後で)、その論旨は私の見解と整合する。
なので私があえて語る必要もないことがわかった。
ただしそこで語られている恐怖を楽しむ心理を、この特別展で得られるかは保証できない。 

本記事は、実は観る前は、「怖いけど観たい、怖いから観たい」というタイトルで、心理学的説明をする予定だったが、以上の理由で説明を省略する。

どうしても知りたい人は、中野京子氏の本を読むか、展示の音声ガイドを聴くか、ネットでダウンロードできる拙稿「恐怖の現象学的心理学」(2007)の「7.2 楽しまれる恐怖」をご覧じあれ。


新海誠展を観る

2017年11月27日 | 作品・作家評

新国立美術館で開催中の「新海誠展」を観に行った。
もちろん『君の名は。』の作者・監督の新海誠。
「安藤忠雄展」も同時開催中なのだが、2つ一緒だと満腹すぎるので、別個に観ることにする。

入場者は若い人ばかりかと思っていたが、年齢層はまんべんなく広かった(平日昼ってこともある)。

新海誠は美大出ではなく、普通の大学の文学部出だった。
自宅のMacで自作したデビュー作『ほしのこえ』 から、作品別に絵コンテを含めた制作過程が詳しく展示されていた。

あの写真と見まがう風景描写は、写真をそのままデジタル加工したのではなく、ロケ写真をもとにしているものの、絵はパソコン上で描いたものだった。
絵の一色ごとPhotoshopのレイヤーにして、 レイヤーを幾重にも重ねて一枚の絵にした。

あと個人的に気になっていた雲の描写は、やはり彼自ら手を入れていたという。
Photoshopのカスタムブラシで透明感のある薄い雲が描かれていることがわかった。 

彼の作品は、光、雨、雲の表現が特徴的で、それ自身がストーリーと関係している。
彼は自分が育った長野県佐久の自然の中で、雲を眺めるのが好きだったそうだ。

彼の映画には「積雲」が多い。
好晴積雲(綿雲)から雄大積雲(入道雲)までで、「積乱雲」はない※。
積雲は青空の中に突然出現する雲。
そして積雲から雄大積雲へは強い上昇流によって成長していく。
だが雄大積雲は成長の極致ではない。
それ以上上昇を続けると積乱雲になってしまう。
積乱雲になってしまうと、烈しい雷雨となって、破壊的となる。

※いくつかの作品に積乱雲(雷雲)があった。ただ遠雷でたいした存在感はない。