今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

事件か事故かの二価論理

2022年10月05日 | 時事

江戸川で発見された少女の遺体は、溺死ということだった。
これで、世間は一気に事故死説に傾き、ネットでは事件説を唱えた者への揶揄が始まった。

私は、この件は、道志村での行方不明少女の件と同じく、事件と事故の合わさった内容の可能性を否定できないと思っている。
すなわち少女はともに、自発的に最後の場に赴く可能性が物理的障害によってかなり低く、誰かにその場所に連れていかれ、突き落とされた結果の死亡、言い換えれば、犯人は少女を直接自らは殺害はせず、「未必の故意」の状況に持っていって、結果的に死に追いやった可能性である(犯人がいるとすれば、衝動的でなく、特殊な嗜好性を持っていて、犯行を繰り返しそう)。

もちろんそれは、状況証拠をすべて考慮した結果で、証拠を自分のストーリーに合わせて任意に取捨選択し事件が事故のどちらか一方に結論を持っていくことをしなかったためである。
事件と事故は両立せず、どちらか一方しか該当しない、という発想は、私が本来的に採用を控える”二価論理”である。

二価論理は、素朴な概念操作(論理)に潜むバイアス(判断の歪み)であり、二価的でない、より複雑(確率論的)な現実事象に適用できない(二次元は三次元を正確に記述できないように)。

単なる思考癖に過ぎない二価論理に甘んじている限り、主観的に解った気になるだけで満足する通俗知に止まり、複雑性に満ちた現実をその複雑性もろとも理解しようとする学知には永遠に至らない
※:大学では複雑性に謙虚に立ち向かう探求姿勢を教えているが、社会に出ると単純化することだけが求めらるようだ(単純化の限りを尽くしてA4一枚に収める思考の節約が求められる)。私がマスコミの関与を避けるのも、心理現象を暴力的なまでに単純化をしたがる姿勢に迎合したくないため。

こういう人には、瞑想する暇があったら、まずはシステム2の知を洗練させることをお勧めする。


国葬ではなく国葬儀というらしい

2022年09月16日 | 時事

安倍元首相の葬儀は厳密には「国葬」ではなく、「国葬儀」というものだという。

国葬なら、休日となり、天皇陛下をはじめ内外の国家元首も参列し、国全体が喪に服する。

国葬儀※はそれではないので、平日で、国家元首の参列はないので、当然外国の元首も参列しない。
平日だから、国民は普通に過ごせばよい。
※:法的に内閣の決定で問題ないという。

私自身は、安倍元首相の在任中の業績を評価しており(もちろんすべてではない)、「反アベ」では毛頭ない。

なので実際、家族葬で霊柩車が都内を巡回している映像を名古屋の地からテレビで観ている時、テレビに向かって合掌をした。
私自身はその時に心から弔意を感じ表現したので、私にとっての故安倍氏の葬儀はそれで終わった。

だから、今の”国葬(儀)”騒ぎには今更感が強く、全く興味がない。
すなわち安倍氏を支持した者であっても、今月の行事の必要性は感じない。
もし当日に弔意を示せと強制されたら、私も反発する。

今月の葬儀をメインにしたかったら、あの家族葬は真に身内だけで極秘にやって、マスコミ(国民)には非公開にすべきだった。

今の状況では、エリザベス女王の真の国葬との落差だけが目立ってしまう。

岸田首相はこの件について、(いつものように)もっと慎重に”検討”すべきだった。


祝、白河越え!

2022年08月22日 | 時事

自分が目の黒いうちにお目にかかりたい事が3つあった。

1つは、旧大洋ホエールズ〜現横浜DeNAベイスターズのリーグ優勝。
2つは、自民党以外の政権。
これら2つはお目にかかれた。

3つ目は、高校野球甲子園大会の優勝旗の白河の関(福島県)越え。
この3つ目がなかなかお目にかかれず、馬齢を重ねていく身に不安を感じていたが、本日やっとその場面にお目にかかる事ができた。

その歴史的偉業をやり遂げるのにふさわしいのは、過去に決勝戦で苦杯をなめた宮城県代表の仙台育英

決勝相手の下関国際は、優勝候補筆頭の大阪桐蔭を破り、さらに選抜準優勝の近江も破った勢いがあり、相手として不足はない。

それまでの試合は1つも見ていないが、力は仙台育英の方が上だと思っていたので、この歴史的瞬間をテレビで観ようと、調布行きを昨日に済ませ、今日は満を持して自宅に待機していた。
昼前に、祝杯用のビールの小缶も買って。

試合は、ご存知の通り、大差がついて安心して観ていられた。

勝利が決まって選手たちが校歌を歌っている間、テレビの前の私も思わず起立していた。
その画面にNHKのニュース速報が流れ、仙台育英が東北勢として初めて優勝したと報じた。

そして用意していた缶ビールを空けた。

これで思い残す事がなくなった、ことになる。


神社本庁に属していない神社はモグリなのか

2022年08月11日 | 時事

ネットで、ある怪しげな神社を問題視する理由として、「神社本庁に属していない」ことを挙げていた。
この発想こそが恐ろしい権威主義あるいは国家神道主義だ。

神社本庁は、日本国内の神社を統括する”公共団体”ではなく、一民間団体にすぎない。
そこに加盟するか否かは、神社側の自由である。

神社本庁に属していない神社:伏見稲荷(全国の稲荷神社の元締め)
神社本庁からの脱退したことのある神社:靖国神社、明治神宮、宇佐八幡(全国の八幡神社の元締め)
これらは、モグリの怪しげな神社なのだろうか?

むしろ神社側にとって、神社本庁の在り方の方が問題視したいのではないか(人事に介入するとか)。

”本庁”という官庁表現を名乗るのは、歴史的に戦前の国家神道の”元締め”(神祇省)の継承を目指しているからだろう。

だが、私は神社本庁の方が本来の伝統的神道を曲げていると思っている。

神社本庁は伊勢神宮中心主義で、すべての神社を皇祖に収斂しようとする。
これは戦前の「国家神道」に繋がる。

国家神道は皇祖(天照大神)に関係しない(国津神系の)地域神を否定してきた。
明治~昭和20年までの(ほんの一時期の)国家神道時代、全国の神社で地元で信仰されてきた祭神が廃され、無理やり皇祖神に置き換えされた(なので現在の神社の祭神が皇祖神である場合、本来の祭神ではない可能性がある)。

また明治維新の前後、それまで神社を管理していた仏教寺院が破壊・廃絶させられた。
それに続く維新時の”神仏分離”という宗教的に暴力的措置によって神仏混交という日本人(支配者側ではなく常民側)の自然な(融通無礙の)宗教心の具現である伝統的神道が否定された。

たとえば江戸時代の剣術道場は鹿島・香取の二神を祀っていた。
それが明治後は、二神の中央(中尊)に「天照大神」を置いた三神に変更させられている。
天照大神は剣術の神ではないのに。
このように、人々の素朴な神社信仰を無理やり皇祖中心主義に曲げられてた。

もう一つ身近な例として、私の自宅地域の鎮守は天祖神社(地元では”神明様”と呼んでいた)なのだが、拝殿に置かれている神社本庁のパンフに、氏神と信仰する神の間に皇祖天照大神を中心に飾れと指図してある。
それを見た母は、天祖神社の札と天照大神の札の両方を買ってきた。
これって中身が同じ。
私は余分な天照大神の札をお炊き上げ用の箱に入れた。

天祖神社以外で、祭神に天照大神があったら、明治以降に国家神道的要請によって追加された可能性がある。
なのでむしろ皇祖以外の祭神があれば、その神がその神社本来の祭神である可能性が高い。

このように、神社本庁は皇室に対する日本人の自然な敬意とは異質の”狂信的な天皇崇拝”を推し進めた国家神道を継承するものである。

神社本庁の”権威”を素朴に認める人たちは、戦前の国家神道を素朴に支持していることになる。

私は自分なりの神道観※を持っていて、礼拝の所作も含めて神社本庁に従わない。
※:特定の教祖・聖典(教義=システム2)に依存(絶対化)せず、宗教心(システム4)そのものに準拠する本来的な神道は、人類共通の普遍宗教(キリスト教段階)となる潜在性があるのに、その反対方向の一民族国家宗教(ユダヤ教段階)に矮小化するのはもったいない。


安倍元首相の致命的な”甘さ”

2022年07月11日 | 時事

死者に鞭打つことはしたくないが、悲劇の再発を防ぐことの方が重要。

政治家として高く評価する安倍元首相だが、在職中からの欠点として、脇(身辺コントロール)の甘さがあった。

モリカケ・桜、いずれも脇の甘さ・スキによるもの(剣道で脇が甘いと、簡単に”胴”を入れられる。日本刀なら一刀で斃れる)。

統一教会というカルト宗教(すでに社会問題化していた)とのかかわり※も、甘さの現れといえる。
※国際勝共連合という政治的反共産主義組織と一心同体なので、保守政治家がかなりかかわっていた。その結果、被害者続出のカルト宗教なのに野放しにされた。

身辺の甘さは、最後は"警護の甘さ"となり、文字通り命取りになった。

来るものは拒まずという懐の深さが氏の人間的魅力であったが、それは自己防衛の甘さにも繋がる。
災害と同じく、政争も犯罪も防備の弱い所が突かれる。

もしかしたら身の危険を覚悟していたのかしれないが、歴史的使命を自覚しているなら、その使命のために、自身を危険に曝してほしくなかった。
安倍氏のもとで憲法改正、拉致被害者の帰還を実現してほしかった。
返す返すも残念でならない。


安倍元首相銃撃事件を知って

2022年07月08日 | 時事

午前中の授業が終って研究室に戻り、ネットを開いたら、安倍元首相が銃撃され心肺停止とのニュース。
気が気でない中、午後の仕事を終え、夕方帰宅してテレビをつけたら、医師の記者会見の映像に「安倍元首相死亡」のテロップ。
部屋の仏壇に線香を点して合掌し、冥福を祈った。

安倍元首相は、私にとっては歴代首相の中でベスト1で(在任期間の長さがそれを示している。ただし消費税10%増税は賛成できなかった)、後続する首相は器がひと回り小さく見える。
その意味でも喪失感が大きい。

犯人は、アンチ側ではなく、政治信条的には支持側であったという。
(宗教団体※への接近という)”裏切られた感”が憎悪に結びついたのか。
※:統一教会:正式名は「世界基督教統一神霊協会」と名乗る霊感商法などで世間を騒がせたカルト宗教。宗教の勧誘を拒否しなかった私もいろいろ記憶があるが、印象はすこぶる悪かった。

ストーカー殺人と同じく、愛(存在肯定)の裏返しの憎悪(存在否定)である。
憎悪は逆説的に存在にかかわる感情で、殺意に結びつく。

それにしても京アニ事件から、一方的憎悪による殺人事件の続発が気になる。
殺される側には心当たりがないだけに、防ぐのも難しい(安倍元首相の場合は警護にかなり問題があったようだ)。

他罰傾向が肥大して行動化する前に、第3者が介入するすべはないものか。
こういう人は社会的に孤立していることが多いから、他者が気づくことが難しい。

平気で他者を憎むというメンタリティ(風潮)をなんとかしたいが、そもそも政治を取り巻く世界(マスコミを含む)が憎悪をベースに動いているような気がする。

ついでに真に愛を実践する教団(≠宗教)も稀有。
教団(人間の集合体)は、我欲(権力欲、財欲、依存欲…)の集合体になっているから。


参院選の期日前投票してきた

2022年06月27日 | 時事

7月10日の投票日は仕事のため東京にいないので、期日前投票をしてきた。
今だと期日前すぎて、近場に投票所がなく、歩いていけない距離の区役所しかないが、交通費を使ってでも棄権はしない。
民主主義社会においては、主権者たる国民の投票は、権利というより”責任”(義務に近い)だと思っているから。

そもそも参議院(二院制)は本当に必要か、まともに機能しているか、という問題はあるが、とりあえず現状を前提として投票行動を決める。

二院制を前提とするなら、参議院は衆議院とは異なった構成であってほしいし、地域の代表である必要もない。

その意味で政党を選ぶ比例代表には反対だが、でも棄権はしたくないので、衆院選のつもりで政党を選ぶ。

政治とは、社会を最適状態に導き、維持することである。
ホメオスタシスを維持する生体機能のような動的調整能力が必要である。
それには宗教がかった夢想論ではなく、徹底したリアリストでなくてはならない。
なので宗教が背後にある政党は除外(私自身は宗教は好きだが、宗教原理主義の政治は拒否する)。

法は最適状態の調整として常に改正を志向すべきなので「憲法改正」は選択肢に入れるべきだし、増税があるなら「減税」もあるべきなので、これらを選択肢に入れない政党は最適状態への柔軟な調整力がないとみなす。
それ以前に、自民党に代わる政権交代可能な政党こそ必要なので、可能な限り自民党は選択肢から外したい(といっても野党という理由だけでは、自民党以上に選択肢にならない)。
以上の基準で比例の投票先はなんとか決まった。

次に選挙区だが、こちらはできるだけ既成政党以外から選びたい(競馬じゃないんだから、当選可能性を考慮して投票するようなマネはしない)。

実際、あまたのミニ政党からたくさん候補者が出ている。
消費税について減税または廃止を謳わないのは自民党と公明党のみといっていい。
N党以外にもNHKの在り方について問題視している政党もある(私も問題を感じている)。
ただし主張が単焦点過ぎたり、立候補の意図が納得できない候補は除外。
個人的には、女性や子どもに目を向けた候補を応援したいが、上述した基準と抵触する場合は残念ながら除外(同性婚を合法化するなら憲法改正が必要だと思うが)。
結局、経済対策がしっかりした視点の候補者にした。


道志村不明女児の件:沢の上部がポイント

2022年04月30日 | 時事

3年前に起きたこの行方不明事件が骨片が発見されて以降、にわかに進展しだした。
私も無関心でいられないので、限られた情報を便りに考えてみた(タイトル一部変更5/7)

まず大事なのは、現地の地理的情報で、一番便りになるのは下記の図。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org29037.jpg

すなわち、家族がいたキャンプ場(リンク図の①~③)と、そこから東に頭の骨が発見された所に向かう林道(大室指椿線)と、その林道に南から交差する、靴が発見された枯れた沢、そしてその沢に近づくキャンプ場からの山道の詳細な情報が載っている。

ちなみにこの林道は国土地理院の地形図に載っているが、Googleマップには載っていない(県外の一般観光客は知らない道)。
この林道も当初の捜索範囲には入っていたので、少なくとも林道沿いには何もなかったはず。

頭の骨がみつかったのはこの林道近くの枯れた沢で(地形的には立派な谷なので、礫岩が表面を覆う伏流水になっていると思われる)、その沢のさらに上流部(図の下側)で靴が発見された。
骨による DNA鑑定は困難を要し、靴や靴下などの遺留品の方が決め手になりうる。
ただ今後発見されうる遺留品などは、さらに上流で見つかる可能性がある。
ただし、遺留品の持ち主がこの上流域に向かって急峻なガレ沢を登ったわけではない(林道から沢に降りる理由がないし、登高は装備のない大人でも無理)。

こういう物は沢の上から下に移動し、その逆方向はありえないので、これらが流れる元の場所は沢の源頭の948mの峰(リンク図の⑩)を中心とした沢の上流域となる。
すなわち、上から落ちてきたものといえる(以前の下側の捜索時にはそこになかった)。
そしてこの沢を囲む、すなわち源流部を構成する稜線には山道があり、特に西側の山道は行方不明になったキャンプ場に繋がっている(⑩〜④)。

ネットでは、スーパーボランティア尾畠さんの「子どもは上の方に行く」という言葉(2018年の山口県の2歳児の事例が該当→記事を信じて、当時7歳の美咲ちゃんがこの山道を登っていって遭難したという筋書きが描かれているが、この道はいわゆるハイキング道ではなく、踏み跡程度の不明瞭な道で、キャンプ場内の整備された道の延長上としてそのまま入り込む道ではない(家の2階程度の”上”とは訳が違う)。
この山道は、下の林道以上に、車移動の観光客は知らないはず(敢えてこう記す言外の意味有り)
さらに、踏み跡も不確かで急登が続くルートなので、体力的にも7歳児が1人で登りきれる道ではない。
ましてや、あえて家族から離れようとしたのなら(2016年北海道駒ヶ岳山麓の7歳児の事例→記事ともかく、家族・友人たちを探して入り込んだなら、標高差350mの、道とはいえない急な斜面を苦しんで登り続ける理由がない(風景の様相がキャンプ場と全く異なるので、7歳児ならそのへんの判断はつく)。
※:山のバリエーションルートを専門に歩く篤志家以外には”道”と認識できない踏み跡。2016・2018年の子どもが1人で歩いたのはいずれも林道。

ただし1人ではなく、大人が同行していれば話は別。
「探しているお友達はここを登っていったよ」とか言って7歳児をこの山道に誘い出し、なだめすかして登らせるのは不可能ではない(私も小学校入学直前の6歳の姪を300m弱の山に連れて行った)。
ただしその後の運命にはついては推理する材料がない(正直言って考えたくない)。

ネットでは誘拐か事故(遭難)かで意見が分かれているが、私は両方合わさった可能性を捨てきれない。

追記:5/6、私の推理通り、さらなる沢の上部で新たな骨片が発見された。
          5/14、発見された骨は美咲ちゃんのものと判断された。


自民・共産・立民の3党首と私との共通点

2021年12月02日 | 時事

立憲民主党の代表が泉氏になったことで、岸田自民党総裁(首相)と志位共産党委員長を含めた3党の党首がある共通点をもつことになったという。

それは誕生日が7月29日であること。

実はその日は私の誕生日でもある。
私も3党首と同じ7月29日生まれなのだ。
だからどうだということはないが、確率現象として珍しいことは確かだ。
任意の集合から任意に選ばれた4人が同じ誕生日である確率は、1/(365^3)=1/48627125=0.000002%なのだ(365日の出生率が等確率として)。
そのうち3人が政党党首なのだから、さらに珍しい。
もちろん4人とも獅子座生まれ。
獅子座生まれはリーダーシップを発揮するか、努力達成型の仕事に向いているという。


祝、ヤクルトスワローズ日本一!

2021年11月27日 | 時事

日本シリーズ第6戦今日の試合は、オリックスに追いつかれてから、延長戦は後攻が有利だし、今日は諦めて、観るのをやめて、別の作業をしていた。
11時過ぎたので寝る準備をしていたら、母から、まだ試合をやっていてしかもヤクルトが1点入れたと教えられた。

あわててテレビをつけて、日本一になる瞬間を確認できた。

かようにあまり熱心ではないが、一応の東京ヤクルトスワローズファンとしては素直に嬉しい。

日本シリーズはここ数年パリーグが強かったが、今回はヤクルトスワローズの方が少しばかり強かった感じで、優勝は信じていた(絶対大丈夫!)。

いい気分で眠りにつける。

 


反自民ではなく超自民

2021年11月01日 | 時事

今回の衆院選は、もとより政権選択選挙ではなく、野党共闘がどの程度評価されるかがポイントだった。
結果は、左派※政党同士の共闘では「評価されない」ということ。
※:左派≠リベラル→『「リベラル」という病の克服』を読む
伸びたのは維新と国民民主だったことからも(れいわも増えたけど)、自民に代わりうるのは、反自民一本やりでではない、より現実的な立ち位置の政党に対する期待がある。

政権交代が可能でないと、政党政治そのものが無意味になる。
それはイデオロギー的な2元対立ではなく、政権担当能力のある2大政党の交代を前提とする。

未成熟だった民主党政権の失敗に懲りて、国民だけでなく当の政治家までが諦めてもらっては困る。
ただし、自民に代わる政党は、今の野党のような文句ばっかりの”反自民”ではなく(それでは永遠に過半数を取れず、結局自民党一党支配を永続させる)、自民党投票者※をごっそり奪い取れる、すなわちこの層にとっても魅力的な”超自民”でなくては実現が難しい。
※:積極的な自民党支持者ではなく、経済・外交・防衛を託せる政党は自民党しかないから、仕方なしに自民党に投票している人たち。

元々民主党の主力メンバーも多くは自民出身者だった。
自民分裂を含めた政界再編成をして、言葉の正しい意味での「リベラル」な政策を出せるもうひとつの「保守」(≠守旧)政党の出現を望んでいる(リベラルと保守は漸進的改革という路線によって矛盾しない)。


祝、スワローズ優勝

2021年10月27日 | 時事

昨日は、私にとって嬉しいことがもう1つあった。
ヤクルト・スワローズのセ・リーグ優勝である(地上波の実況がなかったのでニュースで知った)。

東京ローカルなチームとしてずっと贔屓にしてきた。
といっても熱心なファンではなく、同じ東京を本拠地にしているジャイアンツはいやだという反骨精神の現れにすぎない部分もある。
それにしても昨年の6位からの優勝はすごい。

過去の優勝チームを見ると、ジャイアンツかカープで、それ以外だと6年前のスワローズ。
ということは、タイガースよりは優勝してもおかしくないチームだった。

後半での勢いがあるからクライマックスシリーズも大丈夫だろう。

ただ、日本シリーズの優勝チームを見ると、ずっとパ・リーグ。
リーグ間の実力差がいかんともしがたい状態になっていて、
2軍リーグでの優勝を喜んでいるレベルになっている。


不在者投票してきた2021

2021年10月25日 | 時事

いつものように、選挙当日は東京にいないので、不在者投票してきた。
民主主義を具現する行為を主権者として行使できる喜びを噛みしめて。

私は、自民党に代わる政権担当可能な政党の出現を求めている。
特に、憲法・外交・防衛など国の根幹の問題にきちんと現実的対応できる政党を。
すなわち、ただ反対するだけの野党は、実質的には自民党の補完勢力でしかなく、政権担当可能だとは思わない。
なのでそのレベルの野党が共闘しても、かえって危機感が増すだけ。

そこで小選挙区は自民候補に入れた。
一方比例区は、自民でない、かつて政権をとったことのある政党に入れた。
政党としての成熟を願って。
バランス感覚的には逆の対応でもいいのだが、小選挙区はやはり人物で選びたい。

投票はこれで終りではない。
最高裁判事の国民審査がある。
これには毎回全員に×を入れる。
真に×を入れたい有権者の意思が反映されやすくなるように、ハードルを下げるのが目的。
この無意味そうな審査方法に対する批判の意味も込めて。


真鍋淑郎氏のノーベル物理学賞受賞に思う

2021年10月05日 | 時事

ノーベル物理学賞というと、最先端の量子力学(素粒子論)か、世の中を変える工学分野の研究者が受賞するものだと思っていたが、なんと地球物理学、すなわち気象学の基礎となる分野から受賞者が出たこと自体に驚いた。

真鍋氏の研究成果は、気象学の教科書に当たり前のように紹介されている。
私自身は気象学者ではないが(気象学会員ではある)、身近な分野が注目されることはうれしい限り。

氏がなんで早々にアメリカに渡ったかというと、精密な数値シミュレーションを実施するには、当時の日本では不可能な世界最高速のコンピュータが必要だったため(2位じゃダメなんですよ)。

ただ氏は御年90。
はっきり言って過去の業績の評価。
昔の日本人は凄かった、で終るのか。
今の現役の日本の研究者から、将来ノーベル賞受賞者が出るだろうか。

岸田首相が就任早々日本を「科学立国」にすると明言したタイミングでこの慶事だ。
裾野の広い基礎研究に、人材と予算が集まることを期待してやまない。

ところで心理学関連でのノーベル賞受賞者はというと、学習の基礎となる「条件づけ」(条件反射)の発見者イワン・パブロフはノーベル医学・生理学賞を受賞したが、彼自身は心理学者ではなく生理学者。
あとノーベル経済学賞(正式なノーベル賞ではない)だが、行動経済学で受賞したダニエル・カーネマンはれっきとした心理学者。
フロイトは医者だったけど無冠。


平常時に戻った人出

2021年09月19日 | 時事

台風一過、晴天の日曜、池袋に買い物に行った。
駅構内は、混んでいる。
人出が平常時に戻っている。

駅近くの蕎麦屋に入ったら、昼食時ということもあり、カウンター席を一つ置きにすることができず、アクリル板で仕切られているものの、隣に客が座った。

サンシャイン60通りも、かつての人出が戻り、歩行者同士がぶつかりそうなほどの混雑。
ただし、全員マスクをしているのがかつてとは違う。

サンシャイン60通りを歩くのは、サンシャイン60に行くためではなく、その手前の東急ハンズに行くため。
10月末で閉店が決まっているので、機会を見つけては足を運びたい。
館内はすべて10%引きで、空の棚も出始めている。
せっかくなので、いくつあってもいいブックカバーを複数購入。

駅に戻って、東武デパートに行く。
前回デパートに入ったのは、9ヶ月前の昨年末だったか…。
今回の目的は、ここの8階でやっている大北海道展で、母との夕食用にホタテが3つ入った海鮮弁当を2つ買う(保冷剤を入れてくれた)。
ここも人気の店は行列ができている。

エスカレーターで降りながら各階を眺めると、こういう質の高い商品に満ちた空間で買い物をする楽しみから、だいぶ遠ざかっていたことに気づく。
なにしろここんとこ、スーパー、100円ショップ、ネット通販ばかりだったから。

かくして、久しぶりに繁華街の混雑と百貨店の雰囲気を味わった。

人流そのものが危険なのではなく、マスクを外しての接近が危険なのだから、人出だけで感染が広まるわけではない(実際、感染者数は連日減少中)。
ワクチン+マスクという防御策を維持しながら、皆で経済を回していきたい。