今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

湯の山行き:鎌ヶ岳

2016年07月11日 | 山歩き

二週連続の日曜出勤の慰労として、近場の”湯の山温泉”(三重県)に一泊した。

正確には湯の山温泉のちょっと麓側の”新湯の山温泉”で、ここにある「ウェルネス鈴鹿路」という宿は、ビジホにちょい足しくらいの料金で、もちろん温泉で二食付き(鍋も出る)で泊まれ、しかも名古屋から近く、車でも公共交通でも便利なので重宝している(部屋はシングル、トイレは洗浄器付き)。

二週連続近場の往復だけに使っていたわが赤チンクにも気分転換に高速で遠出をさせてやりたかった。
燃費がリアルタイムで表示されるので、アクセルに足を載せるだけの(踏まない)定速状態だとリッター50kmが表示されて気分がいい(これが信号だらけの街中だと10kmに落ちる)。

さて、折角鈴鹿山脈の麓の温泉に行くので、久々に山にも登ろう。
といっても下りができない脚なので、稜線の武平峠直下まで車で行って、そこから軽く往復する。

目指すは鈴鹿の槍ケ岳と言われる鎌ヶ岳(1161m)。

標高700mが限度の私(の脚)だが、車で800mまで上がるので、標高差は350m。
これなら大丈夫だろう。

行程は短いが、遭難者が出ている険しい山なので装備はきちんとする。

さて、峠下の滋賀県側の広場に車を停め、リュックと登山靴に換えて出発。
登り口に行方不明者の顔写真入りの情報をもとめる看板が立っていた。
そう、標高差はないが決して侮ってはいけない。 

人間や動物は人を殺す意思をもってはじめて人を殺せる。
ところが自然はそんな意思がなくても簡単に人を殺せる。
人間が自然の領域に足を踏み入れるなら、自然の気まぐれ(単なる物理法則)に対処しなくてはならないのだ。 

鎌ヶ岳は風化した花崗岩の山なので、山腹は花崗岩が砂状になったザレ場が続く(写真)。
最後の岩場の直登ルートは滑落の危険があるので、単独行としては慎重に迂回路を選ぶ。

1時間弱で山頂に着いた。
車を停めた所にあった案内図ではコースタイムが90分とあったので、登りの脚力は健在。 

日焼け防止用に頭を入れる側面が網状になった山用の帽子(LLビーン)をかぶってきたが、これはまったく蒸れず、休憩時におあえて帽子をぬぐ必要も感じないほどだ(涼しい風が帽子の中を素通りするから)。
やはり山には山用の帽子なんだな(さすがに山では日傘は無理)。

夏の日中であっても天気がいいので、展望は360°。
眼下に四日市の町並みが拡がり、その向こうの伊勢湾、知多半島と続く。
下界で買ったおにぎりを食べ、往路を戻る。

距離が短いおかげだろう、いつもなら痛む左膝はなんともない。
ただ左足の親指の爪が圧迫されすぎて痛んでしまった。
靴のせいだ(その後、その爪全体がはがれてしまった)。

ちょうどいい運動となり、しかもちょうどチェックインの時間に宿に着いた。
山も宿も平日なので空いている。

のんびり湯につかり、つかぬまのリフレッシュ。
明日は午後から延々と続く会議に間に合わせて帰る。 


参院選の結果に思う

2016年07月11日 | 時事

昔から、国政選挙の結果が自民圧勝の時は失望感に見舞われた。
若い時は反自民だったから、そうなって当然だが、自身が保守化した今でもそうなってしまうのはなぜか。

「何かが変わる」という期待感がなくなったせいなのか。

ただ、マスコミのいう「改憲勢力」が2/3に達したということは、むしろこの結果の方が「何かが変わる」と思っていいかもしれない。
法律は時代に合わせて常に進化すべきと思っている私だから、改憲は原理的にいつでも賛成である(法律は自然法則や宗教原理ではなく、人工的・権力的な制度にすぎない。「法律なんていつでも変えてやる!」という気概こそ、われわれ主権者が持つべき態度なのだ)。 

参院選の結果で印象に残ったのは、今回から選挙権を得た18歳の若者たちの投票先。
私がその年頃にまだ勢力のあった左翼思想は、前世紀の遺物であることがここでもはっきりした。
そして自民党に代わる、政権担当を期待できる党がないということも若者たちは判っているようだ。
そして、これこそが日本の政治の不幸でもある。

この責任は”野党のボス”という旧社会党の位置に甘んじている民進党にある。
民進党は国民の多数派である自民支持者を取り込まなくては(自民党よりいいと判断されなくては)責任政党になれない。
反自民ではなく、超自民にならなくては…自民出身者が多いのだから可能なはず。

そういうわけで、私自身は自民党以外の保守政党に期待したのだが、議席に結びつかなかった。

が、これに失望感はない。
自分の一票を”死に票”にしないがために動くことの方が自分を偽ることになるから。