今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ハロウィンは日本に定着するか

2016年10月29日 | 歳時

というタイトルが無意味なほど、巷ではハロウィンとやらが喧しい。

日本の伝統を守る側にいる身として、この騒ぎには違和感以上のものを覚えるのも否定できない。

が、クリスマスは幼少時から楽しみ、バレンタインとホワイトデーも受け入れ、ボジョレー・ヌーボー解禁を待っているというわが身を鑑みると、
我が国の文化に無関係な風習を安直に受け入れる事に、実は抵抗してこなかった事実もまた否定できない。

そもそも、私が伝統として守ろうとしている「五節句」自体、実のところ古代中国の年中行事の安直な受け入れの産物であり、しかも三月三日は本来の上巳の節句とは無関係の雛祭りになり、五月五日は端午の節句に無関係の鯉のぼりが上っている(本来の節句の内容を知りたいなら『荊楚歳時記』をご覧じあれ)。
いわば、これらの節句は、女の子の節句、男の子の節句と主題が変質したことによって、かえって我が国で盛大化し、今でも重要な行事になっている。
逆に、古代の形式が残ったままの人日の節句(七草粥)、重陽の節句(菊祭り)の方が壊滅状態だ(七夕の節句はぎり踏ん張っている)。

ということは、自分たちに受け入れやすいように変質させれば、意地を張らずに楽しんでもいいのではないか(バレンタインも日本的に変質しているし)。

ハロウィンはもとは子どもが主役の祭りだが、 日本では大人も仮装を楽しんでいる。

仮装は、すべての人が潜在的に持っている願望だ。
すなわち、ハロウィン=仮装祭りと変質させれば、爆発的に支持される潜在力がある。

ハロウィンの日は、日本中誰もが仮装する日にしたらどうだろう(ただし職業的制服従事者とその仮装を除く)。
ハロウィン的仮装でなくても、自前で調達できるファッションを表現してもいい。
たとえばワードローブに眠っているバブルの頃のDCブランドのダブルのスーツを取り出してもいいかな(サイズが合えば…)。
もっとも、私には烏帽子に直垂という武家ファッションもある。 

どうせなら、こういうハレの日として楽しみたい。