今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

高尾山を卒業

2018年03月04日 | 山歩き

山の下りで左脚の腸脛靱帯が痛んで歩行困難になる私は、それをなんとか克服しようと試行錯誤している。
試行錯誤のフィールドは、東京の人間が最初に登る入門の山・高尾山(599m)。

12月29日,1月21日に続く連続3回目の今回は心強い味方を得た。
その名は「ZAMST RK-1 」。
腸脛靱帯炎対策を目的としたサポーターだ(左脚用のLサイズ)。 

この効果を確認するのが今回の目的。
家で装着して出発。

高尾山口から、登りに使うのは、最も短時間で山上に達する高尾山で唯一の”無名ルート”(6号路から高尾保養院を抜けて2号路に達する ←「病院道コース」という名であった)。
山用の靴は足にぴったりしたサイズにしたのだが、いつにない爪先の圧迫感から、足の爪を切ってくるのを忘れたことに気づく(足にぴったりした靴なので、爪が痛むことはなかった。かえって余裕のある靴だと、爪が死ぬ)。
通い慣れた道でもあり、登りは快調。 

2号路に出てから今回は1号路を横切って4号路に入る。
4号路は北側の巻き道だが吊り橋があったり、道脇の杉の根の造形が面白い変化に富む道。
山頂直下でメインの1号路に合流。
山頂に着いたのは昼前なので、まだ席が空いている大見晴亭で、いかにも手打ち風の「もりそば」(520円)を軽くすする。
ただしこれは正式な昼食ではない。 

ZAMSTのおかげで左膝の違和感も少ないので、すぐには下山せず、もう少し頑張ってみたい。
といっても奥に聳える小仏城山(670m)まで行くのは頑張り過ぎと思い(昔だったら当然なのに)、その中間地点の一丁平まで足を延ばすことにする(片道30分)。
高尾山から先は「奥高尾」となり、ここから先は観光地ではなく本当の山の中に入る(装備も登山用となる)。
道脇に雪が出てくる。

大きく下って登り返し、季節になると桜が見事なはずの一丁平(570m)に達する。
目の前には、ずっと行きそびれている丹沢の前衛峰・仏果山(747m)の凹凸が見える(写真)。
行きそびれている一番の理由は、山中に跋扈するというヤマヒル(閲覧注意)のせい(こういう生き物に吸い付かれたくない)。
日陰を求めて無人休憩所に入り、持参した菓子パン2個を頬張る。
これが正式な昼食のつもり。

さて、ZAMSTを締め直し、ここから引き返す。
すなわちいよいよ問題の下山の始まり。

歩行補助用のストックを持ってきているが、これは最後の手段として使わず、
2本の足で下り通したい。
右脚中心に動いて左脚を楽にするという手もあるが、
そうすると右脚が過負荷で痛んでしまうと、両脚とも動けなくなる。

2本の足というより、左脚の問題は、左脚だけで解決したい。
腸脛靱帯が痛むのは、膝が”内旋”(≒内股)してしまうためらしい(自覚無し)。
その調整(内旋制限)をやってくれるのがこのサポーターなのだ。

左膝のバランスを確認すべく、歩きながら意識をそこに集中する。
そうすることで、左脚の動きが正しくなる感じがする(マインドフルネス効果)。

一丁平から下った後、高尾山へ上り返すが、山頂は迂回し、高尾山最長の下山ルートである稲荷山コースに入る。
 今回は一丁平からの下りに続くので、前2回より長い下り歩行となる。 

そもそも私の左の腸脛靱帯は、痛んで歩行困難になるのは山での下りに限定されるが、下界での階段の上り下りでも違和感がある。
つまり痛みはいつも潜在している。
これが顕在化した途端、歩行困難になる。
なので今できるのは、騙し騙し歩いて、顕在化させないことしかない。

前回までは、爪先着地など歩き方をあれこれ工夫したが、今回は普通の歩き(踵着地)でも痛みが顕在化しない。
普通にスタスタ降りれる。
といっても調子に乗り過ぎると、痛みが露わ(=歩行困難)になるので、
歩幅を小さく、あえてジグザグにルートを選んで、重力の衝撃を与え過ぎないようにする。
そうやって降りると、最後の階段でも(12月はここの下りに難儀した)普通にスタスタ降りることができた。
ZAMSTのおかげだ。 
もちろん足の爪も痛くない。 

この結果なら高尾山は卒業してよい。 
次は標高700m台に挑戦。
もちろんZAMSTは必携だ。
ただし仏果山は除く。