桜の便りもちらほら聞こえてきた週末、天気も回復したので久しぶりに東京の川辺歩きをしたい。
前回は隅田川(両国橋〜南千住)だったので、今回はその東(墨東:東京低地、ディープ・イースト)を流れる荒川を河口から北千住まで歩くことにする。
荒川は奥秩父の甲武信岳を源流として埼玉県内のど真ん中を突っ切って東京に入り、東京の下町東部を縦断して東京湾に注ぐ。
東京を流れる川の中では長さも川幅も多摩川をしのぐ一番の大河である。
荒川はその名が示す通り暴れ川で、しかも流域の墨東一帯は海抜標高が0m以下なので、広範囲な洪水の危険地帯である。
その上、河口部の東京湾北部は首都直下型地震(前回は安政江戸地震)の震源地とも目されている。
その河口部は埋立地、0メートル地帯は沈下した沖積層なのでともに地盤が弱い。
すなわち、洪水・地震・津波の危険地帯として東京で最も災害リスクの高い地域である。
なので防災の視点をもって歩いてみたい。
河口は葛西臨海公園のある左岸より、右岸側の方が長く延びているので、右岸側の「新木場」で降りた。
ところがこちら側は河口に行く道も川に沿って上流に向う道も無いので、それらの道がある左岸に渡る必要がある(判断をミスった。次の「葛西臨海公園」で降りるべきだった)。
さらに新木場で駅そばで腹ごしらえをしようと思ったら、1軒ある蕎麦屋が開店前で、あとは私の選択肢外ばかり。
仕方なしにコンビニでおにぎりを買い、この先、川辺で食べる事にする。
このあたりは、大型の流通施設ばかりで、働く人はいても歩行者はおらず、住宅地ともオフィス街とも雰囲気が異なる。
もっとも元は「夢の島」として都民には不燃ゴミの集積場として知られた所で、しかも上述した災害危険地域なので、アスファルトの下を知っている者として長居したくない。
乗ってきた京葉線に並行している京葉道路を歩き、荒川にかかるその名も「荒川河口橋」を渡り、最下流の荒川の幅広さを歩いて実感する(写真:新木場で降りたからこの経験ができた)。
実際、荒川の河口部は東側に並行してきた中川放水路と合流するので、もともと広い川幅がさらに広がり、大河の風格を示す(荒川の河川敷を含めた川幅は、中流の鴻巣あたりで2500mを越える。荒川は関東でも利根川に次ぐ大河川だ)。
左岸の河口部(葛西臨海公園近く)に寄り道して、そこで河口を見ながらおにぎりを食べ、ここから荒川歩きを開始する(かなり時間のロス)。
堤防上は専用歩道になっているが、歩く人はほとんどおらず、ジョギングとサイクリングのコースとなっている。
左岸からは広い川越しに都心のビル群、そしてもちろんスカイツリーが眺められる。
ただし左岸は、正式には合流元の中川側の岸なので、川の表示も「中川」となっている。
これでは「中川」歩きになってしまうので、次の清砂橋で荒川側の右岸に渡り、ここからずっと右岸を歩く。
右岸も橋のやや下流あたりから河川敷が公園化され、野球やサッカー用のグラウンドが続く。
それらがあるおかげで、所々に公衆トイレが設置されているので助かる。
ここからずっと、この状態が延々と(本日の最後まで)続く。
向側の左岸も川に沿った高速道路がずっと延びている。
ときたま、川を渡る鉄道と道路の鉄橋をくぐる。
やはり川べりの人専用道路を進むのはジョギングとサイクリングの人ばかりで、はっきり言って、変わり映えのしない道を延々と歩いているのが苦痛になってくる。
神田川や野川などの町中を流れる中小河川は、邪険に扱われて川沿いの道がなかったり暗渠になっていたりするが、その一方で次々と雰囲気の変わる町歩きを堪能でき、また川沿いの社寺も参拝して歴史を感じることもできる。
それに対し、荒川のような大河川は、河川敷はグラウンド化され、堤防は歩道化されているので、川歩きそのものは延々とできるが、
その川が風景の主役となることで、都市の濁った川なので魚影もなく、 周囲は高速道路とビル群が延々と続くだけで面白くもない(隅田川も同じ。多摩川は武蔵野方向に続くので風景の変化はある)。
同じ歩行距離でも、山なら道や風景が変化に富んでいるので、疲労があっても心地よいが、単調な川歩きは精神的だけでなく同じ動作の繰り返しのためか身体的にも苦痛になってくる。
でもせっかくだから防災の視点で風景をチェックしよう。
まずは荒川の堤防が「スーパー堤防」として洪水に強い構造になっているのを確認。
簡単にいうと川側も外側も傾斜をゆるくして大きい空間をとっている。
そして、堤防の外(左)側の住宅地面が川面(右)より低いことを確認する(写真)。
両者を区切る堤防高は、住宅の3階の高さに相当する。
コース中の唯一の見学ポイントは、「荒川ロックゲート」。
荒川と町中を流れる旧中川との合流点なのだが、旧中川より荒川の水位が3mも高いので、パナマ運河と同じ閘門方式で荒川と江東デルタ地帯との水路による災害時の交通を可能にする。
丁度、閘門を開いて舟が出入りするタイミングだった。
ここで「中川」が幾度も登場するのは、荒川と幾度も交差しているから。
両河川とも防災の理由で流路を変えられ、今の荒川(放水路)は旧中川を直角に突っ切って(分断して)東京湾に直行するようになったのだ。
川沿いにある小松川の千本桜の壮観を期待したのだが、残念ながら三分咲きというところで、バーベキューOKなのだが客はほとんどいない。
ここも含めて都内の河川歩きは桜の季節が一番いい(今日は数日早い)。
足立区に入ると現れる隅田川と結ぶ”堀切”も、荒川の洪水対策として水を隅田川に流すためのもの。
ようやく常磐線の鉄橋に達し、川から離れて北千住に向う。
荒川の堤防がここより上流(赤羽あたり)で決壊すると、北千住(足立区)から下流一帯(隅田・江東区)が数mも浸水するという。
今までのスーパー堤防や他の河川とを結ぶ流路の管理はここから下流の対策だった。
そういうわけで墨東地域の防災の最重要域を見てきたことになる。
危険地帯なだけに、それなりの対策が講じられているわけだ。
河口から北千住付近の川辺までしめて4時間、道のり20km弱(歩数計だと25km)だった(道脇に河口からの距離が1kmごとに表示されるが、残念ながら河口との”直線距離”なので歩程の参考にはならない)。
さすがに疲れたので北千住からは都バスで家の前のバス停まで座って帰った。