前回の記事に続いて、テレビ放映でも「半沢直樹」はクライマックスに向っていることもあり、”旬”なうちに記事にしておきたい話題がある。
半沢で一番有名なセリフは「やられたらやり返す。倍返しだ!」(現シリーズではあまり出ないが)。
このセリフが共感を持たれていることもわかるが、なぜ”倍返し”、すなわちやられた分の2倍の報復をしたいのか、それって過剰な報復ではないのか、という疑問は湧かないだろうか。
実は、半沢の倍返しは、行動経済学※1で理論的に正当化できる。
「価値関数の損失回避性」という人間の行動心理傾向によってである。
この現象は、「損失は同額の利得よりも強く評価される」というもの。
※1:行動経済学は、合理的行動しかしない経済学的人間を前提とした従来の経済学に対して、感情や認知の偏り(バイアス)を含めた心理学的人間をモデルにした新しい経済学。21世紀になって発展した経済学で、経済学に無縁だった心理学者がノーベル経済学賞を受賞した。現在、バナナマンが出演しているCMにもこの言葉が使われている。ちなみに、本記事の内容は、大学での1年生向けの社会心理学の授業で紹介している。
抽象的で判りにくい表現なので、具体的に示すと、
仮に1万円得た”喜び”を数値化して+1とすると(オトナにとってはみみっちい額だが、例としてわかりやすくするため)、
その逆の1万円損失した場合の”苦痛”は、従来の合理的経済学では、同じ1万円だから−1と換算される(お金に色はついていない※2)。
※2:行動経済学では、お金に色がついている。苦労して得た10万円は大事に使うが、偶然得た10万円は、パーッと使ってしまう。同じ10万円でも心理的価値が異なるのだ。だから給付金は消費効果がある。
ところが、人間の経済行動の心理的原因を探る行動経済学が実証的に研究したところ、人は損失の苦痛を過大に評価し、それを避ける行動を優先するという※3。
たとえば、利得を得ようとリスクをとるよりも、損失を避けることを優先する。
また損失が”確定する”のを避ける傾向もある。
これが「損失回避性」である。
ここまででは、まだ「倍返し」に結びつかない。
※3:この理論は一般状況向けであり、損を覚悟で大穴に賭けたり、当らないのに宝くじを買い続ける行動については、行動経済学の別の心理メカニズムで説明される。
そこで、先の「損失の苦痛は過大に評価」という部分に着目する。
まずこの心理傾向が、損失回避性の原因であることがわかる。
実証的な行動経済学では、実際の人間を使って心理学的手法でデータをとるのだが、それによると、
損失の苦痛の”強さ”は、利得の喜びの”強さ”に比べて2倍から2.5倍強いことがわかった。
これが”過大に”という部分になる。
すなわち、1万円得した場合の喜びが+1とした場合、同額の損失した場合の苦痛は−1ではなく−2以上なのだ。
ということは、1万円損失した心的被害が、それ以前の0に回復するには、損失額と同額の+1では足りず、少なくともその倍の+2が必要となる。
だんだんわかってきたでしょう?
実際、1万円盗まれた後、犯人から1万円返却されれば、盗まれた側は、それで気がおさまるだろうか。
法律(民法)の世界では、すでにこの心理メカニズムが考慮されていて、損害を受けた場合、同額の賠償に、”慰謝料”すなわち精神的苦痛の相当額が加算される。
ただ法的には、慰謝料の換算(精神的苦痛相当額)は、過去の判例が基準になるだけで、心理的苦痛の固有の計算式はない。
それに対して、21世紀の行動経済学は”価値関数”という心理量を表す関数(実証結果で得た関数)によって、実損に対する精神的苦痛部分を算出できる。
この価値関数は、利得(2次元座標空間における横軸の右側)の場合の価値評価(縦軸の上側)に対して(y=x)、損失(横軸の左側)の場合の価値評価(縦軸の下側)は2倍の傾斜になる(y=-2x)。
この関数で利得が1万円(x=+1)のとき、価値評価を1万円分(y=+1)とした場合、損失額が1万円(x=-1)のとき、価値評価は−2万円分(y=-2)となる。
その内訳は、実損(賠償)額は-1万円で、実損に付加させる精神的苦痛(慰謝料)の加算部分が同額の-1万円である。
1万円盗まれたら、倍の2万円もらわないと、心理的には割りが合わない、ことになる。
だから、やられたら、やり返すのは「倍返し」となる。
というわけで、半沢の「倍返し」は、行動経済学的に正当化できる。
ところが、半沢は時に調子に乗って「10倍返し」だの「100倍返し」だののたまうことがあった(過去シリーズ)。
残念ながら、これは理論的には正当化されない(せいぜい2.5倍の繰り上げである3倍まで)。
ついでに、われわれが損失の”確定”も回避するのは、使わなくなった購入品が高額であるほど、捨てる(=損失の確定)までの期間が長いことで実証されている。
私自身もユニクロレベルの古着は簡単に捨てられるが、バブルの頃に大枚はたいて買ったブランド物のスーツはいまだに捨てられずにワードローブに下ったままだ。
行動経済学は、損をしたくないと切に願う人間が、それなのに平気で損をする行動をとってしまう哀しい性(さが)を見事に説明してくれる。
言い換えれば、合理的経済学が、経済学的には”正解”であることには変りがない。
さらに言い換えれば、生身の人間は、経済合理性だけでは動かないよ、ということだ。