毎年この時期に開かれる、(今は亡き)東京都立秋川高校の第八期の同窓会(八期会)が、例年通り同窓生が営んでいる築地のイタリアレストレランで開催された。
私のように遠方からの参加者のほか、今回初参加すなわち50年ぶりの再会の同期生を交えての、同窓会となった。
そして、ここ数年、避け難い「訃報」の報告がある。
昨年物故者の黙祷を仕切った僧籍の仲間が、その対象になってしまった。
50年振りの参加者によると、亡くなる前日に元気な姿で会っていたという。
酷暑の中での横死であったらしい。
その他にも、体調が慢性的に悪くて出席できる状況にない者も複数いる。
もちろん出席者の中にも体の痺れを持っている者や、脳梗塞の経験者もいる。
まさに生死の境にいる年代だと痛感する。
だからこそ、なお一層、互いに会えることに意味を感じる。
こういう存在論的問題を話題にしたかったが、未だ色々な”現役”を謳歌している者もいるので、むしろ話題は高校時代のエピソードに重点を置いた。
これも我々の記憶の中にしか存在しないものだから。
今のうちに共有しておきたい。