今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

富士駅近くの寺に墓参

2019年03月16日 | メモリアル

卒業式も終えたので、春休みとして、18切符で帰京の途につく。
ただし、今回は、静岡県の富士駅で途中下車。

この駅近くの寺に墓参のため。
学生時代の友人がその寺の住職だったのだが、亡くなったのだ。

友人といっても私が名古屋の大学に就職する時に、
祝いの席に来てくれたのが生前会った最後なので、かれこれ四半世紀は会っていなかった。 
一昨年に訃報を間接的に知り、18切符で富士駅を通るたびに寺を見ていたので、
いつか途中下車して墓参に立ち寄ろうと思ってたが、なかなかその一歩が踏み出せなかった。
今回、別の友人の半強制的な誘いによって、やっと墓参が実現した。

その友人と富士駅で落ち合い、献花用の花束を買って、寺に向った。
奥さんに案内されて、まず墓参をした。
歴代住職の墓をまとめた新しい卵塔を造った彼は、自分も入る墓を造ったことになり、
その新しい墓の唯一の墓誌に彼の名が彫ってあった。
寺の内部を案内され、あとは3人で故人を偲ぶ話をした。

その寺は、生前の彼によって、屋根の上にチベット仏教風の搭を作り、
またビルマの涅槃像が講堂に本尊として据えられている。
寺の宗旨は曹洞宗だが、そのたたずまいは町中の禅宗寺院としては、はっきり言って異様だ。
それは、彼の視野が、彼にとっての寺の在り方が、
一宗派や日本の慣習的仏教に限定されない、仏教全域を包含しているためだ。
本来の仏教の在り方を彼なりに追求し、形として実現したことになる
(資金的な苦労もあったろう)。 

型にはまらない行動力は学生の頃からあった。

ただ、彼なりに強いストレスを受けていたようで、永平寺での修行時に大病を患って手術をし、
それが結果的に、最期を早めてしまった。

早すぎる死ではあるが、彼が形として実現した寺を見れば、
彼自身の人生を全うしたといっていい。
実際、彼は病を従容と受け入れ、治療に専念することをよしとしなかったという。
奥さんからすれば、彼は生き急ぎすぎたような印象だという。
彼からすれば、やりたいことを先延ばしせず、”今”を懸命に生きたのだろう。

そういえば、かの日本曹洞宗の開祖・道元も50代で亡くなった。
なしとげられた業(わざ)は、寿命の長さに比例するものではない。 


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