勤務先の大学の卒業・修了式(大学院は卒業ではなく「修了」という)に出席。
私は今年度から役付き(研究科長)になったので、それなりの役割がある。
まずは舞台上の最前列、学長・理事長の並びに着席することになった。
もちろん礼服着用。
緞帳が上ると、1階の座席は晴れ着姿の卒業生で満席。
なにしろ我が校は女子大では日本最大規模なのだ。
この壮観を見渡したいが、彼女たちから逆に視線を浴びている側なので、
壇上最前列でキョロキョロするわけにもいかない。
最初に全員で校歌を歌い(歌詞カードが手元にある)、
次は学長が大学院と各学部の代表に学位記(卒業証書)を渡す。
学長や学生代表が壇上を行き来するたびに我々側にお辞儀するので、
そのたびにこちらも座ったままお辞儀を返す。
そう、私はお辞儀要員。
学長、理事長が”送る言葉”を話し、修了生と卒業生の代表がそれぞれ”お礼の言葉”を述べる。
最後は、また全員で「蛍の光」を歌う(歌詞カードなし)。
歌ってみると確かにこの歌詞は卒業式にふさわしい(だだし、勉強は明るい照明の元で)。
ホールでの式典は終わりだが、本日の式はまだ後半がある。
この後は、研究科・学部学科ごとに部屋に移動して、そこで個別に学位記を渡す。
私は研究科長として、当該の修了生一人一人に学位記を渡し、
最後に餞(はなむけ)の言葉を述べる。
これは私単独の役目なので、本日は休むわけにはいかないのだ
(一般の教員は出席の義務はない)。
研究科の修了式は人数が少ないのですぐ終わった。
だがこれで終了でない。
学科の部屋に行って、100人以上いる学科の授与式に1教員として参列し、
授与される学生一人一人に拍手を送る。
そして最後に教員一人づつ餞の言葉を送る。
最後の最後まで、教え子を訓導したがるのが教師の性(さが)だ。
私は何を語ったかというと、
大学院生の修了式では、18年もの学歴の最後なので、
これからは自分が自分の指導教員になるようにと述べ(実はこれ涅槃経の受け売り)、
学科の卒業式では、学生時代に得た友こそが宝であると述べた。
実際、父の葬儀の時、
父の学友の方から、われわれ家族(妻や子)が知らない青年期の父の話を聞いて、
家族以上に人生を長くつきあう学友とは、実に貴重な人たちだと痛感した(家族にとっても)。
本日卒業・修了する学生たちも、その友を得て巣立っていくことを願う。