愛聴しているラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」で、ここ2週間、視聴者の寝言が話題となっており、寝言録音アプリで録音された実際の寝言の音声が紹介されている。
それを聞くと、口調はもちろんのこと言っている中身が理路整然としていて、単なるうなり声ではない。
ところが、夢と違って本人は全く覚えていない。
研究によると、寝言は夢と違ってノンレム睡眠中の現象で、夢の中で喋っているのではない(夢の中の発言なら、寝言はずっと続いているはず)。
確かに夢見のレム睡眠中は、体中の筋肉が弛緩しているので、金縛りの時がそうであるように、声を出すことも口を開くもともできないはず。
「心の多重過程モデル」を構築中の私は、夢は無意識ではなく、自我以外のシステム2が見せている(自我はそれを見ている)と思っている。
なぜなら、夢のストーリーの創造性は動物的な無意識(システム1)では不可能で、人間固有の創造的表象能力の発現とみなすから。
では寝言現象はどう説明できるか。
やはりこれも、システム2の言語能力の発現現象と見なせる。
ただしこちらは自我が停止中で関与しないので、自我が言ったのではないし、聞いたのでもない。
寝言を言ったのは、自我でない別の自分。
すなわち、システム2の二大能力である言語的思考と創造的表象力がそれぞれ睡眠中に、別個に発現するのだ。
これは睡眠中のシステム0による体動(寝返り)と同じく、長時間に及ぶ睡眠という心身の整備中の作動チェックのためだろう。
また寝言現象からも、自我はシステム2の一部であって、決して中心的機能ではないといえる。
システム2=自我+αなら、そのαは自我にとっては同居する”他者”に相当する。
しかもその”他者”は自我とともに”私の意識”を構成しうる※。
※:システム1は覚醒意識を構成して、システム2の自我意識を可能にしている。
ここまでくると、心の問題に詳しい人なら、”人格解離”現象を思い浮かべるはず。
私は、解離を可能にするベーシックな現象はもっと頻繁に起こっているとみなしている。
その”他者”の正体を探るのが「心の多重過程モデル」※の課題の1つだ。
※:心=多重過程という図式自体が、自己・意識の多重性を含意している。