前回の記事から、さらに考えてみた。
そもそもパワースポットの「パワー」って何だ?
地磁気が周囲と異なるからパワースポットだというのは、定義にならない。
それは単なるパワースポットであることの蓋然性を高める傍証でしかない
(磁界が強ければいいなら、各家庭の電子レンジまわりは強烈なパワースポットだ)。
パワーの実在、すなわち、何らかの”力”が人間に作用していなくてはならない。
「そこにいると癒される」などというあいまいな感想ではダメ。
はっきり言って、巷の「パワースポット」(イヤシロチ)話はせいぜい疑似科学レベル。
パワーがあるというなら、実際に、心身に変化を与える”力”の作用が認められる必要がある。
たとえば、その地に滞在させることで、
脳波や唾液アミラーゼのように、心身状態の生理的指標において変化が現れるべきだ。
パワースポットとその近くのそうでない(パワーの有無以外の立地環境が共通の)地で、
対照実験をする必要がある。
しかも、プラシーボ(偽薬)効果を出さないために、
被験者はもちろん、滞在させるポイントに誘導する者にもどこがパワースポットかは知らせない状態でやるべき
(つまり真の実験の目的は伏せて、事後になって伝える)。
以上の実験の結果、パワースポットにのみ、被験者の生理的指標に肯定的な変化が統計学的に有意に出てはじめて、
そこにパワーがあるらしいと認めることができる。
もちろん人には感受性に差があるので、一定以上の感度の高い人を被験者にしてよい
(なぜならパワースポットを問題にする人たちは、感受性のある人たちだから)。
そして、パワーの物理的特性と人間への影響のメカニズムを探る必要がある。
つまり地磁気が人間の心身に肯定的な影響を与えるなら、そのメカニズム(機序)を、さらに詳細に研究する必要がある。
地磁気や還元力などの何らかの物理・化学的変化だけではパワーといえない。
私は指から気を出せる(と自分で思っている)が、
その指先ビームで人をやっつけることも、石版に文字を刻むこともできない。
つまり、気は、赤外放射のようなものにすぎず、エネルギーの微量な放出ではあっても、何らかの特別なパワー(力)ではない。
癒し空間と言われるなら、実際に癒されている証拠が必要。
次回茶臼山に行く時は、脳波計と唾液アミラーゼモニターを持参しようかな。
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