今日は8月の最終日。
小学生的には”夏休みの最終日”なので、平日ながら私も8月の最後を堪能するため、図書館での仕事(論文執筆)をせずに、かといって遠出や山はきついので、軽く都内を歩くことにした。
行き先は練馬区・石神井(しゃくじい)。
そこには、石神井城址があり、区の郷土博物館があり、ちょっと離れて”都内で石仏といえばここ!”という長命寺がある。
すなわち、ここんとこ”マイブーム”※になっている郷土博物館巡りと、もっと長期的に(=ダラダラと)続けているお寺・仏像巡りと山城巡りの三つを一度に満たすのだ。
※:敬愛する”みうらじゅん”氏の造語。氏の人生を知れば、過去の流行語で終らせずに使い続けたくなる→みうらじゅんになれなかった私
まずは長命寺。
この寺は「東高野山」を山号にしているように、東の高野と称するほどの真言宗の名刹で、閻魔像などの石仏が有名で、実は高校時代に訪れている(その頃からお寺巡りをしていた)。
この付近を高野台(たかのだい)というが、もちろんこの寺が地名の元だから本来は「こうやだい」というべきなのだが、すでに足立区に高野台(こうやだい)があったため、やむなく訓読みにしたという(Wikiによる)。
西武池袋線(乗るのは有楽町線)の石神井公園の1つ手前の練馬高野台駅で降り、まずは腹ごしらえの店を探す。
本来なら、長命寺の石神井側にある「長命寺そば」を食べるべきだが、道順と時間帯が合わないため、駅近くの店を探す。
あいにく(私の昼食腹に丁度いい)日本そばの店がなく、かといってサイゼリアでパスタというのも寺に行く前の気分に合わず、バーミアンで中華丼を食べることにした(五目焼きそばはカロリーが高いので同じトッピングの丼にした)。
初めて入ったバーミアンは、ロボットが料理を運んでいるので、楽しみにしていたら、私が注文した中華丼は人間が運んできた。
気を取り直して、長命寺に行く。
長命寺は東門と南門があり、境内には様々な如来・菩薩・明王の石仏が並んでいる。
観音堂の奥に十王が並んでいて、一番奥に古く有名な閻魔像がある。
ただこれら江戸時代の石仏は作りが素朴すぎて被写体とするにはイマイチ(南大門の四天王も)。
むしろ最近の勢至菩薩の作りが良かった(写真)。
長命寺から一本道を進んで(「長命寺そば」の店の前を通過し)石神井公園駅に出てそれを通り越して石神井池(人工池)のある公園に入る。
池にはボートが浮かんでいて楽しそうだが、外国にも一人で行ける私なのに公園のボートを一人で乗る勇気がない。
池の南側を進んで、池淵史跡公園に入り、まずは庚申塔や古民家を見る。
この古民家を見て、小学校2年の時、学校の遠足で練馬に芋掘りに来た記憶が蘇った(このような民家があった所だった)。
練馬は豊島園という洒落た遊園地もあったが、全体的には大根を中心とする農地のイメージが強かった。
この公園の一角に練馬区の郷土博物館である「石神井ふるさと文化館」がある。
建物は新しく、2階に展示室があり入場無料(特別展がある時は有料らしい)。
練馬区は、石神井川と白子川が東西に流れいてることもあり、この二つの川に沿って旧石器時代も縄文時代(草創期から)も遺跡の数が今まで巡った市区より随分多い。
ただ古墳が一つもなく、古代の情報は乏しい。
中世は、石神井に城を構えた秩父平氏系の豊島氏の情報に期待したが、展示はほとんどなかった。
というのも近世からの練馬大根についての展示スペースが大半を占めていたから。
確かに、23区においても、練馬といえば大根で、かように都内でも名産として名を馳せている物がある(台東区谷中の生姜、江戸川区小松川の小松菜、そして目黒のサンマ…)。
練馬の大根は、土壌の関係で尻細大根というタクアンに適した大根の産地で、タクアン漬けも名物となったという。
さらに昭和に入って、練馬の大泉(学園)に戦前に映画スタジオ、戦後に東映動画(現・東映アニメーション)ができて映画とアニメの聖地になり、手塚治虫、石森章太郎、松本零士などの仕事場もあった。
三宝寺池の向こうの分室には、区内に居を構えた檀一雄と五味康祐の展示室がある。
確かに新興住宅地となった練馬区に一時的に縁を結んだ有名人は実際多いが、(その有名人リストを見ると)新宿区における夏目漱石のような、その地で生まれ育ち、その地で死んだ”地元の”有名人はいない。
ミュージアムショップでは、私はローカルな民話に目がないので『ねりまの昔ばなし』(410円)を迷わず買った(この本によると、練馬大根の元となった種は尾張から持ってきたものという)。
ここから三宝寺池の南側にある石神井城址を訪問する。
中世を通して豊島氏の居城であったが、戦国無双の太田道灌に攻められて落城した。
名所旧跡としての碑はあるが、縄張内は無断立入禁止の柵に覆われてふらりと来たのでは入れない(許可が必要)。
それでも柵外から土塁と空堀は確認できた(写真)。
隣接する地元の鎮守・石神井氷川神社を参拝し(摂社には御嶽・三峰・榛名・大山阿夫利など山岳系の神が集められている)。
さらに三宝寺池をぐるりと回って、落城の”悲話”にまつわる姫塚・殿塚を見て、文化公園という敷地に入るとアメダス「練馬」の露場※(ろじょう)がある(写真)。
※:条件に即した気象観測装置がセットされている屋外の場所。そういえば”アメダス露場巡り”も趣味にしていた。
ここの露場も(北の丸公園内の「東京」と同じく)地面は芝生になって、周囲は林があり、コンクリ・アスファルトの都会の暑さは免れている。
ただし「東京」よりは気温が高めに出る分、都民が感じる暑さに近い。
この向かいにふるさと文化館の分室がある。
以上、石神井公園内の史跡・施設をくまなく巡回した※。
※:公園の南隣りにある三宝寺・道場寺は「石神井川を歩く」の時に訪れた。
結果的に、郷土博物館、仏像、山城、アメダス露場の4つの巡回趣味を満たした。
これに満足して、石神井公園駅までの一本道を進む。
途中スーパーで大根をチェックしたが、地元産ではなかった。
駅前の観光案内所(都区内の駅に観光案内所があるのは珍しい)には、地元産の物品もあり、地元のマスカットブドウが入っている大福を土産に買った(できたら練馬大根、あるいはそれを使った沢庵漬けもおいて欲しい)。
こういう地元産品を買えることで、訪れた甲斐が高まる。
というわけで、8月最後の日を充実して過ごせた。
今夜は、手元にある豊島氏と照姫伝説の(『昔ばなし』も加えた)本を読むことにする。
追記:上の書を読んだら、史実では石神井落城後も城主・豊島泰経は転戦して道潅と戦い続け、最後は小机城(横浜市)で負けた。なので落城時の三宝寺池への入水の悲話は伝説。同じく入水したという娘の”照姫”は明治頃の『照日の松』という創作上の人物。それがいつのまにか伝説の一つとなり(『昔ばなし』にも集録)、今では地元で「照姫祭り」も開催されているという。そういうわけで姫塚・殿塚ともに史跡ではない(かくも人は”物語”を欲する)。江戸サイド(神田川流域)は太田道灌贔屓だが、練馬を含めた豊島郡(石神井川流域:練馬区に「豊島園」があったのもこの理由)は豊島氏贔屓が今も続いているわけだ。