今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

放射線のリスクを”考え”よう

2011年12月17日 | 東日本大震災関連
今朝NHKでにやっていた「ニュース深読み」で放射線についての議論があり、私なりに感じるところがあった。

視聴者から「明確な基準がほしい」という要望が紹介され、
また出演していた桂文珍氏も素人代表として 「どうしてもはっきり言う方を信じてしまう」(実際の発言をあえて意訳)と述べた。
”専門家”のお墨付きを求めているのだ。

それに対し、解説する側の唐木名誉教授は「最終的には自分で判断するしかない」(その目安として国が基準を設けている、それを信用するかしないかだ)とつっぱね、
解説委員の小出氏は「もはやわれわれは思考停止では済まされない」と言い切った。
私はこの発言に一番賛同した。

つまり、放射線の安全基準の根拠となっているのは、「しきい値なし直線モデル」であるから、まずは”明確な基準”(=しきい値)は存在しない”ということ。
すなわち、「安全か危険か」という定性的二分法の判断は不可能・無益で、”リスク”という定量的確率現象として判断すべきものということである。
私はこのブログでこの判断法を事故当初から強調してきた。

なぜなら、最終的に問題となる”発ガン”という現象そのものが確率現象にほかならないから。
そして発ガンは、放射線だけが原因ではなく、多重な原因による複合現象であるということ。
さらに、放射線は発ガンに対して、低線量域においても単純な直線モデルが適用できるか疑問も出されている。
ただし”安全基準”としては、”しきい値ありホルミシス効果派”の私でも、既存の直線モデルを使うべきであると思っており、自分自身それに則って対処している。

このような定量的現象のどこに人工的な”境界線”を設けるか(それは行動判断にとって必要)は、客観的な基準が存在しないがゆえに、最終的には個人にゆだねられるということになる。

「思考停止」のかわりにどうすればいいか。
まずは「リスク」という確率論的思考ができるように頭をトレーニングすること
(数学の教科書を開かなくても、麻雀やトランプゲームでトレーニングできる。あるいは秋山先生の本がいいかも)。
実習課題として「発がんリスク」を考えてみよう。
これをきちんと考られる人こそ、放射線を”正しく”怖がることができる。

そして個人の判断基準をどうするか。
まず国の安全基準値が準拠となろうが、それを思考停止的に盲信/否定すべきではない。
安全基準の根拠を知るべきで、その根拠に自分がどうかかわるかを判断すべきである。
すなわち、情報を入手する必要がある(ネット社会でそれが容易になった)。

次に、これこそ個人差があるから、個人で判断する理由だが、自分の生活スタイルを考える。
一年間でその物質をどれほど摂取するのか、生活スタイルで異なるからである。
すなわち自分の生活を振り返り・集計する必要がある
(その際、日常的に自然放射線をどれくらい浴びているのかも知るべき。これも情報入手が必要)。

そこでたとえば神戸大の山内教授が述べたように「乳幼児には厳しくすべき」という判断が意味を持つ。
それは摂取の影響が大きいだけでなく、自己判断で摂取してるわけではないからである。

このような知的作業なくして、判断はできない。
図体のわりにひ弱な人類は、知恵を使って氷河期を生き抜いてきた。
「思考停止」はその逆方向だ。
今、われわれの思考習慣が、大きく改善されるチャンスである。