うがった解釈も私の自由

2013-03-16 22:28:43 | 音楽&本&映画
タイミングと偶然、あるいは趣味の機会の重なりか。
フフンと口角が上がる出来事があった。

マンガ家あだち充の「MIX」第2巻を読んだ時の事。
主人公らの所属する野球部が都の大会で試合に負けるのだが、監督の選手起用の悪さのせいだと内心の悔しさを出さず、サバサバとして帰る主人公を描き、合わせて本当はこうありたいという心境を表すのに次の文章を使っていた。
「勝ったら全身で喜び、」
「負けたら心底くやしがる。」
「そんな選手にわたしはなりたい。」

これって宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の最後を意識してるよなあ。
と勝手に解釈。
 -サウイフモノニワタシハナリタイ-

私は宮沢賢治は詳しくなく、「雨ニモマケズ」の存在は知っていたが、詩を読んだことは無し。
その詩の内容を知ったのはつい最近のこと。
NHKのETV特集で作曲家冨田勲が新たに交響曲を作曲し、その初演までの軌跡を追う番組を放映していた。
「イーハトーヴ交響曲」という名から分かる通り、冨田の持つ宮沢賢治の心象世界を楽曲にしたもの。
(なんて書いてるが、イーハトーブという言葉を知ったのもその時 。宮沢賢治の造語だとか。)

第6楽章で「雨ニモマケズ」の詩が合唱される。
録画したものを何度も聴いている内に憶えてしまった。
 -そういうものに わたしはなりたい-
そうした時に上記のマンガで上記の言葉に巡り合った。
昔から宮沢賢治の作品をよく知っていたら、別になんとも思わなかっただろう。
また、この番組を見ていなければ、そんな関連付けは行われず、そのまま読み流したろう。

これら偶然?がいい頃合いに重なったので、なんてことはない事柄に、おりょりょと思う。
今の私だから受け取れる感じ取り方がある。
そんな事に気付くのがなにやら嬉しい。