ゆきたんくの思い出話である。
東京都立秋川高等学校の2年生の秋に陸上部に入部した。
走るのはいや、投げるのがいい。
楽そうだと思ったのである。
槍投げは5人選手がいた。
円盤投げも3人選手がいた。
砲丸投げは1人いたかなぁ。
高等学校の公式試合は、1校1種目3人までのエントリー枠があった。
槍が面白そうだったが、試合に出れないのではしょうがない。
部室を覗いてみた。砲丸の玉がトレイに載っていた。
何か、格好良くない。
その砲丸の中にリンゴみたいに見えたのがあった。
それが初めて対面したハンマーであった。
ピアノ線のつるが切れて、たまから軸が生えているように見えたのだ。
なぜか分からないけれど、これをやりたくなった。
入部してから1ヶ月の間は、短距離ブロックに籍を置いた。
走りこんで足腰を作るためだ。
記録会では200mに出た。
その後で講習会があった。
ゆきたんくは迷わず、ハンマー投げのコーナーに行った。
小柄なおじさんが教えている
そこでスイングの仕方、ターンの仕方を教わった。
投げるなんてとんでもないことだ。
寮に帰ってから知った。
ゆきたんくが教わったのはこの人、菅原武男さんである。
メキシコオリンピックで3位と同記録の4位に入賞した方である。
Takeo SUGAWARA 69m78cm