先日は長崎県のトップページについて触れた。
写真に使ったのがグラウンド・ゼロなので、それについて敷衍したいと思う。
今日は、九州からははずれ、広島のトップページに触れる。
広島のグラウンド・ゼロ(2009.08.05撮影)
広島原爆の爆心地というと原爆ドーム(広島産業奨励館)が有名だが、核爆弾というのは、その威力を高めるため空中で爆発させる。
実際には原爆ドームではなくて、直線で100mほど離れた「島外科」の上空600mで爆発(核分裂開始)したという。
旅たんくの広島県トップページは広島原爆の爆心地、「島外科」の写真を使わせていただいた。
さて、グラウンド・ゼロの言葉を初めて知ったのは、恥ずかしながら2001年の9.11、ニューヨークの同時多発テロの時に崩壊したワールド・トレード・センター・ビルの跡地がそう呼ばれた時だ。
聳えていたものが無に帰したということでゼロという表現をしているのだと思っていた。
調べてみるとわが日本の広島と長崎に落とされた原爆の爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地などを「グラウンド・ゼロ」と呼ぶのが一般的であったそうだ。
ただ、先にあげた同時多発テロのビルが倒壊した跡地が、広島の原爆爆心地を連想させるとして、WTCの跡地を「グラウンド・ゼロ」とアメリカのマスコミで呼ばれ、これが定着したという。
島外科(現島外科内科)前のモニュメント
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確かに双子ビルが倒壊した後は、このような感じになっていた。
ただ、個人的には同じにしてほしくない。
犠牲者の数があまりにも違うからだ。
即死された方が何人かは調べようがないが、昭和20年の8月から12月までの死亡者は9万~12万と言われている。
テロで亡くなった気の毒な方々(日本人もいらっしゃる)も6000人を数えるが、ヒロシマの比ではない。
どちらの命も尊いことには変わりない。
ただヒロシマとは一緒にしてほしくないのである。