伝えたんく

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支那囲壁砲台

2016-05-11 23:19:05 | 戦争遺跡

さて、この日(2006.12.12)は仕事の憂さ晴らし。

以前訪問した習志野市の「支那囲壁砲台」に行くことにした。

現在、支那囲壁砲台は私宅の土地に建っている。

掲載の写真は持ち主の許可を取って撮影したものである。

よって、Mapの掲載はしない。


 

 

 


支那囲壁砲台の外観


「一望千里」と呼ばれた習志野原に、中国の家屋を模して作られた演習用砲台の小ぶりなやつである。

銃眼が開いていてリアルだ。

2002年に国の登録有形文化財になっている。

正式名称は旧陸軍演習場内圍壁という。

現在は東習志野にあり、2006年現在(取材時)も民家として用されている。

住まわれている方は、大東亜戦争終了後に開拓で入って、国から一町歩ほどの土地をもらって住み着いたという話だ。

習志野原では多くの部隊による演習が行われた。

予想される様々な状況を想定し、それに対応ができるように訓練の一つとして「支那囲壁砲台」による訓練が考えられた。

中国での戦闘を前提に砲台に肉薄し攻撃したり、あるいはその砲台を銃弾の標的にしたりする訓練が行われたようだ。

住まわれている方は、その訓練のおかげで地面が固く踏みしめられており、土地を耕すのが大変だったと言われていた。

ここで訓練を受けた兵隊は、日清・日露両戦役に従軍、関東大震災の復興にはあたった部隊だ。

その方たちは、フィリピンのレイテ島で、米軍との激しい戦闘を迎える。

師団主力とセブ島へ脱出し、終戦を迎える。

レイテに残った兵は、殆ど全滅に近かったという。 


 
砲台部の内部 階段に上って高い部分の撮影をさせていただいた。

 


壁に沿って物置が併設された。

 


内側部分への入り口。


壁の内側には階段が設けられている。


「圍壁」の文字が残されている。


ここのも銃眼と階段が・・・


砲台の左は住居


砲台の中。以前訪問した時には、ここにガチョウが飼われていた。


周囲は普通の住宅が囲んでいる。

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