夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外の田舎者、京の『祇園祭』を拝観する前に・・。

2009-07-14 09:33:02 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
私達夫婦は家内の要望の京都の夏祭りのひとつの『祇園祭(ぎおんまつり)』を拝観する為に、
明日の7月15日より2泊3日で、ある旅行会社の団体観光ツアーに便乗して、
京都の市内を訪れる。

家内は5月の下旬以来、旅行会社のパンフレット、ネットなどで、
『祇園祭』に関して、詳細に調べたりし、ときおり私に話しかけてくる・・。


私は京都はわずか三回ほど訪れた身であり、ほんのうわべしか知らない。
中学時代の修学旅行は、京都・奈良を2泊3日で有数な名所を観て廻ったりした。
この頃は、団体専用列車の『日の出号』で品川駅より京都駅を往復したが、
京の名所の数々は、おぼろげな記憶となっている。

その後は、大学一年の時、ワンターフォーゲルの夏季強化合宿の10泊11日のテント生活を終えた後、
私は独りで金沢から山陰周遊をした時に、たまたま京都で一日観光周遊バスめぐりに参加し、
観て廻ったりしている。

そして、二年過ぎたの夏、次兄の大学時代の友人が京都の教育出版の会社に勤めて、
次兄と私は招待を受けて、私は次兄と自動車で京都の道のりを往復した。
この頃の東京から名古屋までは、東名高速自動車道が開通前であったので、
国道一号をひたすら走破した記憶が残っている。

教育出版の会社の寮には、貴賓室があり、次兄と私はこの客間に2日間宿泊させて頂ただき、
次兄の友人は日中は勤務があったので、次兄は自動車で各地の名所を観て廻ったりしたが、
私はひとりで市内付近の山里をハイキングのように、歩き廻ったりした。

そして、夜のひととき鴨川の川べりにある川床料理に歓待させて頂き、
微風の中で、三人で談笑しながらビールを呑んだ情景が、
40数年過ぎた今でも、深く心の片隅の残っている。

この頃の私は文学青年の真似事をしたせいか、京都・奈良に関しては、
何かと小説、随筆、歴史書などを読んだりしていたので、
学べば学ぶほど、伝統美の前に、うなだれてしまい、
齢を重ねた今でも多々あり、京の千年の歳月を重く心を占領する時もある。


私は昭和19年の秋,農家の三男坊と生を受け、
田畑、雑木林の多い中で小学時代まで過ごしたので、
サラリーマンを定年退職後は方書きもなくなり、
止む得ず《調布の里っ子》などと私案の名刺を作成し、持ち歩いたのである。

こうした拙(つたな)い身の私であるので、
国内旅行が私達夫婦の共通の趣味であるが、特に古都の奈良・京都は避けていた。

このような思いであったが、今年の1月下旬に於いて、
奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行をし、大和路の『西大寺』に寄り、
そして郊外の『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行をした。

このことはこのサイトに於いて、
1月24日に【 本日より、奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行に・・♪ 】
1月26日から29日にかけて、【 冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】】五回ばかり、
1月29日に【 私の夢のかけらの奈良大和路の旅は・・♪ 】
と題して、投稿しているので省略する。


さて今回の初めて『祇園祭』の観る短かな旅行に於いては、
家内は15日は提灯飾りが幻想的な山鉾が観られる宵々山めぐり、
16日は宵山めぐり、そして17日の午前中は山鉾巡行を観ることに期待をしている。

私は東京郊外の田舎者であるので、日中のひとときに観光めぐりの際、
京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺に於いて、蓮の花が観られ、
京都の奥座敷と知られる貴船で、清涼の中で川床料理の昼食を頂けることである。
そして、市内の凛とした中年以上の女性のしぐさを見られたならば、
せめての慰めになるかしら、とぼんやりと思い微笑んでいる。




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