私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
私達夫婦は家内の要望の京都の夏祭りのひとつの『祇園祭(ぎおんまつり)』を拝観する為に、
明日の7月15日より2泊3日で、ある旅行会社の団体観光ツアーに便乗して、
京都の市内を訪れる。
家内は5月の下旬以来、旅行会社のパンフレット、ネットなどで、
『祇園祭』に関して、詳細に調べたりし、ときおり私に話しかけてくる・・。
私は京都はわずか三回ほど訪れた身であり、ほんのうわべしか知らない。
中学時代の修学旅行は、京都・奈良を2泊3日で有数な名所を観て廻ったりした。
この頃は、団体専用列車の『日の出号』で品川駅より京都駅を往復したが、
京の名所の数々は、おぼろげな記憶となっている。
その後は、大学一年の時、ワンターフォーゲルの夏季強化合宿の10泊11日のテント生活を終えた後、
私は独りで金沢から山陰周遊をした時に、たまたま京都で一日観光周遊バスめぐりに参加し、
観て廻ったりしている。
そして、二年過ぎたの夏、次兄の大学時代の友人が京都の教育出版の会社に勤めて、
次兄と私は招待を受けて、私は次兄と自動車で京都の道のりを往復した。
この頃の東京から名古屋までは、東名高速自動車道が開通前であったので、
国道一号をひたすら走破した記憶が残っている。
教育出版の会社の寮には、貴賓室があり、次兄と私はこの客間に2日間宿泊させて頂ただき、
次兄の友人は日中は勤務があったので、次兄は自動車で各地の名所を観て廻ったりしたが、
私はひとりで市内付近の山里をハイキングのように、歩き廻ったりした。
そして、夜のひととき鴨川の川べりにある川床料理に歓待させて頂き、
微風の中で、三人で談笑しながらビールを呑んだ情景が、
40数年過ぎた今でも、深く心の片隅の残っている。
この頃の私は文学青年の真似事をしたせいか、京都・奈良に関しては、
何かと小説、随筆、歴史書などを読んだりしていたので、
学べば学ぶほど、伝統美の前に、うなだれてしまい、
齢を重ねた今でも多々あり、京の千年の歳月を重く心を占領する時もある。
私は昭和19年の秋,農家の三男坊と生を受け、
田畑、雑木林の多い中で小学時代まで過ごしたので、
サラリーマンを定年退職後は方書きもなくなり、
止む得ず《調布の里っ子》などと私案の名刺を作成し、持ち歩いたのである。
こうした拙(つたな)い身の私であるので、
国内旅行が私達夫婦の共通の趣味であるが、特に古都の奈良・京都は避けていた。
このような思いであったが、今年の1月下旬に於いて、
奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行をし、大和路の『西大寺』に寄り、
そして郊外の『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行をした。
このことはこのサイトに於いて、
1月24日に【 本日より、奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行に・・♪ 】
1月26日から29日にかけて、【 冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】】五回ばかり、
1月29日に【 私の夢のかけらの奈良大和路の旅は・・♪ 】
と題して、投稿しているので省略する。
さて今回の初めて『祇園祭』の観る短かな旅行に於いては、
家内は15日は提灯飾りが幻想的な山鉾が観られる宵々山めぐり、
16日は宵山めぐり、そして17日の午前中は山鉾巡行を観ることに期待をしている。
私は東京郊外の田舎者であるので、日中のひとときに観光めぐりの際、
京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺に於いて、蓮の花が観られ、
京都の奥座敷と知られる貴船で、清涼の中で川床料理の昼食を頂けることである。
そして、市内の凛とした中年以上の女性のしぐさを見られたならば、
せめての慰めになるかしら、とぼんやりと思い微笑んでいる。
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私達夫婦は家内の要望の京都の夏祭りのひとつの『祇園祭(ぎおんまつり)』を拝観する為に、
明日の7月15日より2泊3日で、ある旅行会社の団体観光ツアーに便乗して、
京都の市内を訪れる。
家内は5月の下旬以来、旅行会社のパンフレット、ネットなどで、
『祇園祭』に関して、詳細に調べたりし、ときおり私に話しかけてくる・・。
私は京都はわずか三回ほど訪れた身であり、ほんのうわべしか知らない。
中学時代の修学旅行は、京都・奈良を2泊3日で有数な名所を観て廻ったりした。
この頃は、団体専用列車の『日の出号』で品川駅より京都駅を往復したが、
京の名所の数々は、おぼろげな記憶となっている。
その後は、大学一年の時、ワンターフォーゲルの夏季強化合宿の10泊11日のテント生活を終えた後、
私は独りで金沢から山陰周遊をした時に、たまたま京都で一日観光周遊バスめぐりに参加し、
観て廻ったりしている。
そして、二年過ぎたの夏、次兄の大学時代の友人が京都の教育出版の会社に勤めて、
次兄と私は招待を受けて、私は次兄と自動車で京都の道のりを往復した。
この頃の東京から名古屋までは、東名高速自動車道が開通前であったので、
国道一号をひたすら走破した記憶が残っている。
教育出版の会社の寮には、貴賓室があり、次兄と私はこの客間に2日間宿泊させて頂ただき、
次兄の友人は日中は勤務があったので、次兄は自動車で各地の名所を観て廻ったりしたが、
私はひとりで市内付近の山里をハイキングのように、歩き廻ったりした。
そして、夜のひととき鴨川の川べりにある川床料理に歓待させて頂き、
微風の中で、三人で談笑しながらビールを呑んだ情景が、
40数年過ぎた今でも、深く心の片隅の残っている。
この頃の私は文学青年の真似事をしたせいか、京都・奈良に関しては、
何かと小説、随筆、歴史書などを読んだりしていたので、
学べば学ぶほど、伝統美の前に、うなだれてしまい、
齢を重ねた今でも多々あり、京の千年の歳月を重く心を占領する時もある。
私は昭和19年の秋,農家の三男坊と生を受け、
田畑、雑木林の多い中で小学時代まで過ごしたので、
サラリーマンを定年退職後は方書きもなくなり、
止む得ず《調布の里っ子》などと私案の名刺を作成し、持ち歩いたのである。
こうした拙(つたな)い身の私であるので、
国内旅行が私達夫婦の共通の趣味であるが、特に古都の奈良・京都は避けていた。
このような思いであったが、今年の1月下旬に於いて、
奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行をし、大和路の『西大寺』に寄り、
そして郊外の『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行をした。
このことはこのサイトに於いて、
1月24日に【 本日より、奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行に・・♪ 】
1月26日から29日にかけて、【 冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】】五回ばかり、
1月29日に【 私の夢のかけらの奈良大和路の旅は・・♪ 】
と題して、投稿しているので省略する。
さて今回の初めて『祇園祭』の観る短かな旅行に於いては、
家内は15日は提灯飾りが幻想的な山鉾が観られる宵々山めぐり、
16日は宵山めぐり、そして17日の午前中は山鉾巡行を観ることに期待をしている。
私は東京郊外の田舎者であるので、日中のひとときに観光めぐりの際、
京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺に於いて、蓮の花が観られ、
京都の奥座敷と知られる貴船で、清涼の中で川床料理の昼食を頂けることである。
そして、市内の凛とした中年以上の女性のしぐさを見られたならば、
せめての慰めになるかしら、とぼんやりと思い微笑んでいる。
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